15.距離

 土日はもちろん嬉しいのだけど、これといってやることがない。


 そういえばと、図書館で借りた本がそのままだったと思い出し、カーテン越しの日向で半ばうつらうつらしながら読み終えた。


 「旅をする木」。たしか高校生のときに、父の知り合いのフリーライター、根岸ねぎしさんに教えてもらった本だ。


 うちの家とどういうご縁があったのかは今も知らないけど、たまにわたしの実家を訪ねていた人。一年以上何の連絡もないかと思えば、脈絡もなく海外の人を連れてくるような、ちょっと変わった人。

 ただ、たまに父からルポルタージュの記事を見せてもらっていた覚えはあるから、本当に「ライター」さんだったのだろう。


 高校生の頃。ちょうどその頃から、星新一のショートショートや、赤川次郎の三毛猫ホームズシリーズなんかを読んでいたわたしに、こういうのもあるよ、登理ちゃんには合うんじゃないかな、と勧めてくれたのを覚えている。


 ちょうど進路を意識し始めたころと、男性に対する警戒心が高まっていたころが重なっていて、けっきょくその場の話だけで、手に取ることもなかったけれど。


 この本の著者である星野さんは、わずか二十二歳のときにアラスカで暮らすという決意をしたという。ちなみに二十二歳のときといえば、わたしも新卒の社会人としてなんとか就職が決まり、これからの長い時間、結果はどうであれ、とにかく頑張ろうと思っていた。


 そして、わたしと同じ二十六歳のときには、写真家としての技術とともに、アラスカに降り立った。その後アラスカの自然をテーマに十八年間活動し、四十三歳のときにロシアのカムチャッカ半島で野生のクマに襲われ、亡くなったという。


「フェアバンクスは新緑の季節も終わり、初夏が近づいています。

  夕暮れの頃、枯れ枝を集め、家の前で焚火をしていると、アカリスの声があちこ

 ちから聞こえてきます。残雪が消えた森のカーペットにはコロコロとしたムースの

 冬の糞が落ちていて、一体あんな大きな生き物がいつ家の前を通り過ぎて行ったの

 だろうと思います。」


 「新しい旅」と題された、一篇目の稿こう。つづく自然の情景、著者の語りは、読んでいるのに、遠くから文字通り語りかけてくるかのようだ。どこか、プラネタリウムの朗読を思い出す。ドームの空の、星の連なり。


 そういえば、小学生のときに何かの雑誌に、「空がまるくみえるのはどうしてですか?」と書いて、丁寧なお返事をいただいたことがあった。

どんなお返事だったのか、忘れてしまったのだけど。


 少しのどが渇いたと思って目をあげると、陽の光がぼんやりとやわらかくなっていた。もうすぐ、午後四時。


 今日もまた、代り映えのしない土曜日だったなと思いながら、冷蔵庫のお茶を飲む。

「ジェルモ―リオ」のコーヒーに影響されて、昨日はジャスミンティーを買ってみた。紙パックのだけど。でもこれはこれで、華やかで美味しい。


 毛布とは反対に、わたしは冬でもお茶を冷蔵庫に入れている。

夏は身体を涼しく、冬は身体を芯から、きりっとさせてくれるから。身体が冷えやすい性質たちなのに、毎年なんとなしにやめられないでいる。

 それでいてコーヒーはちゃっかりホットにしているのだから、わたしの胃もどちらの体制でいればいいのか、毎度困っているだろう。


「二十六、か・・・・・・」


 わたしはじつは、ほとんど県外に行ったことがない。修学旅行と、せいぜい隣の県。


 大学時代にゼミ仲間同士で東京に一度だけ行ったけど、行き交う人も景色も、がとにかく雪崩のように圧倒的で、あの無機質の匂いは、あまりにもわたしには生々しすぎた。


 わざわざ引き合いに出すまでもなく、わたしには、アラスカ、と聞いても、遠いどこかの寒い場所というくらいしか、思うことがない。ましてやそこで暮らそうと、職業人プロとしての腕を磨いて、降り立つなんて。


 半分ほど読んだ本に、会社でもらったしおりを挟む。


 わたしには、情熱、みたいなものが、どこかで欠けているのかもしれない。

人としてさめているって、考え過ぎかな。


 外出どころか音楽も苦手で、今でこそ「ジェルモ―リオ」という行き先が増えたけど、外に食べに行くといえばたいてい覆面調査だし。


 というわけで、わたしは休みの日は、たいてい家で過ごしている。


 よく、一緒に仕事をすることになった人同士で「休みの日は何をされているんですか?」というやりとりがあるけど、あれがわたしには一番困る。


 外食や読書という当たり障りのなさそうなことを毎回言っているけど、実際何をしているかというと、言ってしまえば、ほとんど何もしていないからだ。


 ただ、焚火たきびや川や、波の音のASMRのYouTubeを、テレビ画面で流しっぱなしにして、時々本を読んだり、たいていぼうっと過ごす。せめて自分の中でだけ、余った夜のたしなみ方に似ている、とでも言えば聞こえはいいけど。

 たまになんていうか、毎回これでいいのかなという気もしてきてしまう。


 これもたまに恋愛小説も読むけど、小説としてはおもしろくても、現実にはわたし自身、今はあまりそういったことに興味がなくて。

 最初からなかったわけじゃないし、付き合った人もいるのだけれど、あまりいい結果には、ならなかった。


 夜にとけていく煙草の煙を見るのが好きなのは、自分のとけてなくなるような存在感を重ねているせいなのかも。そんな気がした。


 今の会社にも、わたしの席はあるけど、あるようでいて、ない。

少なくとも今の様子では、良くて二年と少し先の、「契約満期」の四文字が、スクリーンの字幕に並びそうだ。


 そのとき、わたしの手の中に残るものは、なんだろう。


 一見、わたしはきちんと大人になり、社会人をやっているように見えるし、いや、もちろんしているんだけど。

 たまに自分が、へたくそなカメレオンの生まれ変わりのような気がしてしまうこともある。


 上手い下手は、誰にだってある。

でもよりにもよって周りのカメレオンが当たり前にできる擬態ぎたいが下手で、下手なまま生きていたカメレオン。


 たまに、そういう想像が浮かぶ。


 でも、得手不得手はひとそれぞれ。

だいたい、「擬態ぎたい」がずっと正解なんていう世界なら、そもそもそこからしてどうなのって話だし。


 だから、今から少しだけ思い出すことは、ただの気まぐれ。

ほんとに、理由なんてなく、むかーしふと、思っただけ。


 いっそそのまま。下手なまま。

擬態ぎたいしたまま、溶けてしまえばいいのにね、ってね。


 部屋の外を、だれかのバイクが音を立てて、通り過ぎた。





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