「おい、どこにおるんじゃ」

 夕暮れのなか、ひとりの女が村のあちこちをせわしなく走っていた。

 いや、彼女ばかりではない。ほかにも、右往左往と走り回っている男女が見える。別のところから走ってきた者どうしが、ぶつかりそうになることもある。


「どこへいったんだよ、おい」

「みんな、おらんようになってしもうた」

「祟りじゃ、祟りじゃ」


 夜になると、もう探す気力さえも尽きてしまったのだろう。あちこちの藁葺わらぶきの家から、ただすすり泣きが聞こえてくるばかりであった。


 いや、ひとりだけ、すっかりと凪いだ真夏のような暑さの夜道を歩いている者がいる。もちろんそれは、樫井の僧都そうずであった。この僧都は、手提灯てちょうちんひとつを頼りに、使いから帰ってこない奉公人たちを探していた。飢えた獣に喰われたのだろうか。いや、動くことさえいとわしい熱のなかで、人を襲う気力のある獣などいるであろうか。


「ああ、馬鹿じゃった! あいつらは、あのままぜんぶ持ち逃げしたのじゃろう。わしは明日から、なにを食べればいい? 行住坐臥ぎょうじゅうざがの日々を送ることが、これほどまでにも苦しかったことが、今までに一度でもあっただろうか……今生の刀杖瓦石とうじょうがしゃくの難から逃れて、地獄に墜ちてしまえば、喰わずとも生きていけよう。もしかしたら、地獄のほうがよほど極楽に近いのかもしれぬ」


 門前雀羅もんぜんじゃくらを張るような夜道は、樫井の僧都の息までも鎮めてしまいそうだった。

「おや、あんなところにわらんべらがおるわい」

 僧都の持った手提灯の明かりは、整然と列をなして崖の下の道を歩く童たちを斜めに映じて見せた。

「ありゃ妖鬼の類いじゃ。わしをたぶらかしておるのじゃろう。腹立たしいわい」

 樫井の僧都は、手提灯を持ち直して経文を唱えながら、再び山道を歩いていった。

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