31:それはセラにとっての最悪な

 翌日の午前十一時すぎ。

 別館の客間でノエルはジオの絵を描いていた。


 丸椅子に座り、イーゼルに立てかけられた画紙に色を塗るノエルの口元は緩んでいる。


 昨夜、ユリウスとノエルは本館で両親と共に夕食を摂った。


 食事中、スザンヌは「よくもまあ、あんな型破りで愛と情熱と行動力の化身のような娘の心を射止めたわね。さすがはわたくしの息子だわ」と笑っていたそうだ。


 バートラムは「ラザフォード侯爵家の令嬢ならば申し分ない。何よりあの一件以来、お前が初めて興味を持った相手だ。後は侯爵の意向次第だな」とのこと。


 昨日エンドリーネ伯爵邸を訪れたのはエマだけではない。


 実は侯爵夫妻も共に来ていた。


 侯爵夫妻は先触れもなく訪れた無礼を詫び、放っとくと侯爵令嬢という立場も道中襲われる危険も顧みず、本当に毎日別荘を抜け出して伯爵邸に通いかねないエマを侯爵邸に戻し、監視下に置くと宣言した。


 さらに両家の間で急遽行われた話し合いの結果、これからユリウスは月に一度の頻度でラザフォード侯爵邸へ赴くことになった。


 ラザフォード侯爵邸までは距離があるため、移動には長距離転移魔法が使えるリュオンの手を借りる予定だ。


「毎日欠かさずお会いしてユリウス様に愛を伝える予定でしたのに……月に一度では私の本気度が伝わりませんわ……」とエマは大層不満げだったが、「月に一度でも十分だし、会えない時間が愛を育むものだ」とユリウスが微笑むと、エマは顔を真っ赤にして以降はすっかりおとなしくなった。


 侯爵夫妻はユリウスのスマートな対応を見て感心した様子。


 帰り際に侯爵は「不束な娘だが、これからもよろしく頼む」とユリウスに言った。


(皆と一緒に遠目から見てたけど、本当に縁談がまとまりそうな気がするわ)


 大好きな兄に再び春が訪れようとしているのだ。

 ノエルが上機嫌になるわけである。


(いいなあ、なんか平和で。ずっとこういう時間が続けばいいのになあ――)


 長椅子に座り、換気のために開けられた窓から吹き込む風を浴びながらルーシェは微笑んだ。


 客間にいるのはルーシェとノエルとジオの三人だけだ。


 ユリウスは本館で伯爵の手伝いをしており、セラは使用人として仕事中。


 リュオンは今日珍しく寝坊していた――ひょっとしたらもう起きているのかもしれないが。


 朝に顔を合わせたメグがいま何をしているのかは不明。

 あの魔女は自由気ままで、ふらっとどこかへ行ったりする。


「……なあノエル、もう動いていいか?」


 絵のモデルとしてノエルの前に座っているジオが辟易したような顔で尋ねた。


 ジオは昔からじっとしているのが苦手だ。

 何もせず、ただ座っている時間は苦痛でしかないのだろう。


「駄目。座ってまだ五分も経ってないでしょう。せめてあと十分は我慢して」

「……もう飽きた……オレの絵なんて描いたってしょうがねーだろー……」

「動かない!」

 ピシャリと言われたジオは恨みがましい目でルーシェを見た。


「お前がオレの絵が欲しいとかいうからこんなことに……なんでオレの絵なんて欲しいんだよ?」


 問われると困る。


(なんで……なんでだろ?)


 何故自分はノエルが落書きと評したジオの絵を額縁に入れ、部屋のど真ん中に飾っているのか。


「……いいから欲しいのよ」

 自分でもわからないため、誤魔化すしかない。


「何がどういいのか全然わからねーんだが――ん?」


 ジオが何かに気づいたような声を上げた直後、廊下を走る足音が聞こえた。


 足音は客間の前で止まり、ノックもせずに扉が開く。


 飛び込むように部屋に入ってきたのはお仕着せを着たセラだった。


 彼女の顔面は蒼白で、《魔力環》の浮かぶ銀色の瞳にはうっすらと涙が浮かんでいる。


「どうしたの?」

 ルーシェはジオとほぼ同時に立ち上がった。


 一拍遅れて立ったノエルは右手に絵筆を、左手に木製のパレットを持ったままだった。


「……リュオンが死んでしまうかもしれない」


 極寒の地にでもいるかのように、セラは身体をガタガタ震わせながらそう言った。


「は?」

「どういうこと? 何があったの?」

 ジオは呆気に取られ、ノエルは両手に持っていた道具を椅子の上に置いた。


「ま、魔法を――メグの話では、寝てる間に、無意識に魔法を使おうとしたんじゃないかって。魔法陣を編むには集中力が必要だから、寝てる間に魔法を使うなんてありえないのだけれど、リュオンほどの使い手になると手足を動かすくらい――まるで呼吸でもするような気軽さで編んでしまうんだって……」


 セラはその手が真っ白になるほどに強く腕輪を握っている。


 彼女が右手首に嵌めているそれは、リュオンとお揃いの腕輪だった。

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