32:《魔女の墓場》
「いつもちゃんと自制できてるのに、昨日に限って気が緩んでしまったのは、多分、エマ様に笑いかけるユーリ様を見たからだと思うの。女性不信だった親友に明るい未来が訪れそうで、安心して……もしかしたら二人が結婚する夢でも見て、メグが私たちにしてくれたように、花びらの雨を降らせる魔法でも使おうとしたのかも――」
「その辺の推測はいい、とにかくリュオンが死にそうなんだろ!? 話してる場合かよ!」
ジオは焦れたように言ってセラの話を遮り、泣いている彼女の手を掴んで走り出した。
一直線に。二階にあるリュオンの部屋に向かって。
ルーシェもノエルも彼の背中を追った。
階段を上り、扉が全開だったリュオンの部屋にそのまま突撃する。
大魔導師の部屋には魔導書を始めとする大量の本があり、用途不明な器具もあった。
開かれた窓からは青空と山の稜線が見える。
いつも巻いていた頭の包帯を外し、寝台で眠るリュオンの隣にはメグがいた。
メグは椅子に座り、まるで医者のようにリュオンの左手を取っていた。
(寝てるようにしか見えないけど……)
仰向けに横たわるリュオンを見ての感想はそれだった。
穏やかな顔で呼吸しているし、顔色も特に悪いようには見えないが――しかし彼は死にそうなのだという。
「――来たわね、あんたたち」
メグはリュオンの手を握ったままこちらを振り返った。
そこで気づく。リュオンの手を握るメグの手が金色に光っていることに。
「状況を説明するわ。何らかの魔法を使ったせいでリュオンの《魔力環》は両目とも赤く染まった。こうなると終わりなの。たとえるなら水槽の底に穴が空いて、生命力が流れ出してる状態ね。いまはあたしが魔法で無理やり流出を止めてるから命を繋いでいるけど、あたしが魔法を使うのをやめたらリュオンは死ぬわ。即座にってわけじゃない。でも、もって半日ってとこかしら。彼は目覚めることなく、眠ったまま息を引き取ることになるでしょう」
「――――」
ルーシェとジオは絶句した。セラがぺたんと床に座り込む。
「助ける方法はないの?」
ただ一人、ノエルだけが動揺を見せることなく尋ねた。
「………」
メグは眉間に皺を寄せ、悩むような顔をしてから口を開いた。
「……《蘇生薬》なら助けられる。あたしは調合方法を知ってる。材料さえあれば調合できる」
声もなく涙を流していたセラの瞳に光が灯ったが、メグは冷たい一瞥を彼女に投げた。
「喜ぶのはまだ早いわよ。なんであたしが《蘇生薬》の存在を知っていて言わなかったと思う? 《蘇生薬》の主な材料となる《オールリーフ》が問題なのよ。その薬草は《魔女の墓場》にあるの」
「……よりによって」
ルーシェは呻いた。
ロドリー王国がある大陸のさらに北、リンガル大陸の北東に広がる《魔女の墓場》は世界に三箇所ある《
その場所では魔法が使えず、人知を超えた異常気象が多発する。
極めつけに、《魔女の墓場》は魔獣の巣なのだ。
昔、《魔女の墓場》に近づいた冒険者は三十メートルはある巨大魔獣の群れを見たと手記に書いた。
あそこは《天災級》の魔獣が闊歩するこの世の地獄だ、命が惜しくば決して近づいてはならぬ、と。
「《魔女の墓場》には百年ほど前に一度行ったきりだから、あたしが知る場所に《オールリーフ》は生えていないかもしれない。いいえ、この百年の間に《オールリーフ》自体が絶滅していてもおかしくはないわ。無駄足を踏むだけかもしれない。それでもあんたたちはリュオンのために命を賭ける覚悟はある?」
メグはジオとノエルを交互に見た。
《魔女の墓場》では世界最強の魔女でさえ無力。
ルーシェやセラが同行したところで足手まといになるだけ。
必然、頼れるのはこの二人しかいない。
「無理強いするつもりはないわ。あそこはあまりに危険すぎる。あんたたちがリュオンを見捨てるっていう選択肢を取ったとしても……誰も責められないわよ」
この事態を引き起こした責任を感じているらしく、メグは目を伏せて唇を噛んだ。
「………………」
セラは座り込んだまま俯き、リュオンよりよほど死にそうな顔色で震えている。
彼女の葛藤は痛いほどにわかる。
恋人の命がかかっている彼女は是が非でも《オールリーフ》が欲しい。
でも、《魔女の墓場》に探しに行ってくれと言うのは、リュオンのために死んでくれと言っているようなものだ。
「…………」
ルーシェも黙って拳を握った。
危険な場所には行って欲しくないが、行くなとはとても言えない。
「友人を見捨てるわけないでしょう」
――ぽん、と。
セラの震える肩を叩いてノエルが言った。当たり前のような口調で。
「《魔女の墓場》まで――魔法で近づける限界まではメグが連れて行ってくれるんだよね?」
「……当然でしょ」
メグは驚きに目を大きくした後で、不敵に笑った。
「呑気に船旅なんてしてる余裕ないわよ。ドロシー・ユーグレースの名にかけて、あんたたちを安全に送り届けると誓うわ。二時間もあればあたしが《オールリーフ》を見つけた場所に着くと思うけど、あそこでは何が起きるかわからない。念のため数日分の食料を用意しておきなさい。何があっても良いように備えておいて」
「わかった。《オールリーフ》の外見とか、詳しい話はまた後で聞かせて」
気負った様子もなくノエルは答え、ジオに顔を向けた。
「ぼくは本館に行って父上たちに事情を説明してくる。その間に準備を整えておいて」
「了解。ネクターに頼んで保存食を用意してもらおう。確かリュオンが回復薬を作ってたよな。使ったことねーけど超効くって評判の――」
「――待って。二人とも、本当にいいの?」
相談しながら足早に部屋を出て行こうとした二人に、セラが立ち上がって声をかけた。
恋人を助けて欲しい。
しかし、二人に傷ついて欲しくない――セラの瞳は激しい感情の狭間で揺れていた。
「いいも何も――」
「ほんの僅かでも可能性があるなら、行くに決まってる」
二人の返答には迷いがなかった。
「………………」
セラは瞳を潤ませ、何か言いたげに二、三回唇を動かしてから、深々と頭を下げた。
「……ありがとう……」
ぽたっと、水滴が床に落ちる。
「いや、礼を言われるようなことじゃねーし」
「うん。大げさにお礼を言うのは止めてくれるかな。まるでこれから死にに行くみたいじゃない。ぼくは死ぬ気なんてないよ?」
「そーそー。ピクニック気分で行って帰ってくるから心配するなって」
とてもこれから死地に赴くとは思えない明るさで二人は笑った。
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