30:やると言ったらやる女
食堂で朝食を摂った後、サロンでユリウスがうとうとし始めたので、セラが部屋から毛布を持ってきてユリウスの身体にかけた。
「サロンで眠るユーリ様を見るのは久しぶりだわ」
リュオンの隣に座りながらセラが言った。
長椅子の背もたれに身体を預けて眠るユリウスの顔は少々青白い。
今日は一睡もできなかったのだろう。
でも、一件落着したいまならぐっすり眠ることができるはずだ。
「おはよー」
皆で談笑していると、足音が聞こえてサロンの扉が開いた。
姿を現したのはメグだ。
「おはようメグ」
「おはよう」
「おはよう。朝食は摂った?」
「ええ。なんか今日はやたらと気合が入った豪華な朝食だったわ。上機嫌だったし、良いことでもあったのかしらね、ネクター」
「そりゃネクターからの感謝の気持ちだよ。お前がエマを現場に連れて行ったんだってな。良い仕事するじゃねーか」
ジオは上機嫌でメグの頭を撫で回した。
「…………」
何故だろう。
笑顔でメグの頭を撫で回すジオを見ていると胸がモヤモヤする。
(嫉妬? そんな、まさかね――)
「子ども扱いするんじゃないわよ。あたしはあんたより年上なのよ」
数秒と経たずにメグはジオの手を払った。
それを見て今度はホッとする。
「老婆扱いしたら怒るくせに……」
「ああん?」
「いえ何でもありません」
「ふん」
素直に頭を下げたジオを見て、メグは鼻から息を吐き、小さな足を組んだ。
「ま、自分でも肩入れしすぎかなーとは思うけどさ。タダ飯食わせてもらってるわけだし、辛気臭いのもご免だからね。このくらいサービスしても罰は当たらないでしょ」
曇りから晴れへと天気が変わった昼下がり。
「ねえ兄さん、今朝のことを踏まえてラザフォード嬢のことをどう思ってるの?」
皆で紅茶とネクターお手製の焼き菓子を楽しんでいる最中、ノエルは昨日と同じようでいて少し異なる質問を兄にぶつけた。
「彼女がぼくの未来の
ユリウスのことだから、今回も達観した笑顔で受け流すかと思いきや――
「……………………」
ユリウスはすぐには返答しなかった。
ティーカップを持ったまま思考停止状態に陥っているようだ。
「お?」
「脈ありっぽくない?」
ジオとルーシェはヒソヒソと小声で囁き合った。
「…………いや」
たっぷり一分は沈黙していたユリウスが再び動き出し、ティーカップをソーサーに置いた。
「俺がラザフォード嬢をどう思おうと、彼女の結婚相手を決めるのはラザフォード侯爵だ。第三王子との縁談が持ち上がっていると言うのに、それを蹴ってまで俺を選ぶ理由はない。ラザフォード嬢が俺に恋をしていると知ったら、侯爵はどんな手段を使ってでも――それこそラザフォード嬢を監禁してでも諦めさせようとするだろう。きっと、この先彼女に会うことはもうない」
ユリウスは吹っ切れたような笑みを浮かべた。
そのとき、ジオが無言で外を指さした。
「え、何?」
「馬車が屋敷の前で止まった。多分ノエルも気づいてる」
ジオはルーシェに顔を寄せて耳打ちした。
彼の吐息が耳にかかり、ルーシェの頬は熱くなったのだが、もちろんそんなこと知るはずもなく、ユリウスは一人喋り続けている。
「――第三王子は俺より遥かに素晴らしい人格者だ。俺に囚われている現実こそが間違っている。第三王子と結ばれ、王妃として王宮で暮らすことが彼女の幸せであるはず――」
ドンドン、と、玄関の扉が叩かれる音が聞こえて、間髪入れずに叫び声が響いた。
「ユリウス様ー!!」
高い女性の叫び声を聞いて、延々と喋り続けていたユリウスが硬直した。
「………………。いまラザフォード嬢の声が聞こえたような気がしたんだが。幻聴だよな?」
ぎぎぎぎぎ、と。
壊れた機械人形のような動きでユリウスは弟に顔を向けた。
「現実逃避したがってるみたいだけど、ぼくにも聞こえたよ。あれは間違いなくラザフォード嬢の声だ」
ノエルは笑っている。セラもリュオンも。
「……なんでっ!?」
ユリウスは悲鳴じみた声を上げた。
「お前に会いに来たに決まってんじゃん。やるって言ったらやる女なんだろ、エマって奴は。ほら、いつまで
ジオがユリウスの傍に行き、彼の肩をぐいぐい押す。完全に楽しんでいる。
「……何故……?」
ユリウスはすっかり混乱した様子で立ち上がり、サロンを出て玄関へ向かった。
皆もぞろぞろと彼の後をついていく。
程なく玄関に辿り着いたユリウスが自ら扉を開ける。
青空の下に立っているのは薄茶色の髪を丁寧に編み込み、明るいオレンジ色のドレスに身を包んだエマ・ラザフォードだった。
エマの隣には侍女のベネット。
彼女は「お嬢様がお騒がせしてすみません」とでも言うように、深く一礼した。
「こんにちはユリウス様! 今日の分の愛を伝えに参りましたわ!」
太陽よりも明るい笑顔でエマが言う。
「…………えーと……ラザフォード嬢? 私はもう二度と君に会うことはないと思っていたのだが……」
「あら、どうしてですの? 私、言いましたわよね? これから毎日ユリウス様の屋敷に通って愛を伝えますと」
不思議そうにエマは首を傾げた。
耳につけた涙滴型のイヤリングがきらりと輝く。
よく見れば彼女は顔に薄く化粧を施していて、ばっちり見た目を整えていた。
「いや、確かに言われたが……ラザフォード侯爵の許しは得たのか? あの気難しそうな侯爵が、私との交際を許したのか? 本当に?」
「はい。なかなか許してくださらなかったので、三階のバルコニーの手すりに立って『ユリウス様以外の男性と結婚するくらいなら死にます』と宣言したのです。お母様とマーガレットお姉様は号泣し、私の味方になってくださいました。使用人たちも巻き込んで説得した結果、お父様は白旗を上げました。愛の力の勝利です」
「は…………?」
ユリウスは唖然。
「いや、それは愛の力ではなく脅迫――」
「この調子でユリウス様との婚約の許可をもぎ取ってみせますわ。案ずることはありません、私はお父様たちの目の前でナイフを使い、長い髪を切り落としたことがあります。最終手段としてナイフを首に押し当てたら私の本気が伝わるはず――」
「もっと命を大事にしろ!!!」
エマの両肩を掴んでユリウスが叫んだ。
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