35:「ただいま」

 そわそわしながら玄関ホールで待っていると、玄関の扉が開いた。

 まず入ってきたのはメグで、続いてノエルとジオが姿を現す。


(……帰ってきた……!!)

 しかし、単純に喜ぶことはできない。


 二人ともが身体のところどころに傷を負い、服には焦げたような跡もある。


 破れた服の下から覗く血が、丸ごと消えたジオの背負い袋が、《魔女の墓場》での激しい戦闘を物語る。


 ノエルは出発前と変わらず荷物を背負っていたが、袋の右側には大きな穴が空いていた。


 穴から中身が零れたらしい。

 出発時に比べてその膨らみは半分程度にまで減っていた。


「ただいま、ルーシェ。ほら、これが《オールリーフ》」


 帰還を喜べばいいのか、それともまずは怪我を心配するべきなのか。


 どういう顔をすれば良いのかわからずにいたルーシェに、ジオは右手に持っていた《オールリーフ》の束――先端に小さな白い花を咲かせた赤い草を見せた。


「な? 言っただろ。《オールリーフ》は持って帰ってくるし、ちゃんと無事に戻ってくるって」


 右頬に三本の赤い線を作ったジオは得意げに言って笑った。


 軍人という職業柄か、軽傷程度では怪我のうちには入らないらしい。


 ノエルもジオの隣で全く平気そうな顔をしている。痛がる素振りもない。


「……うん。二人とも、お帰りなさ――」


 目元を擦って両手を伸ばし、衝動に任せて二人まとめて抱きつこうとしたとき。


「感動の再会は後ッ!!」


 割り込んできたメグがルーシェの両手にべしっと手刀を入れて叩き落とした。

 雰囲気をぶち壊しにされ、ルーシェたちは唖然としてメグを見た。


「いまはそんな悠長なことしてらんないのよ、わかるでしょ! ルーシェは温室から《カナギリ草》摘んできて! あと乾燥させた《ポポルの実》と《マドクキノコ》と《ヨミの皮》! 全部五グラム程度でいいわ! 仮にもエルダークの《国守りの魔女》だったなら、あたしが温室までついていっていちいちどれか説明しなくても取ってこれるわよね!?」


「う、うん」

 人を殺せそうなほどに強い眼差しで睨まれて、ルーシェはたじろいだ。


「わかるけど、最後の二つは猛毒じゃ――」

「いいからさっさと行く!! あたしを信じなさい!!」

 びしっと温室がある方角を指さすメグ。


「わ、わかったっ」

 メグという名の指揮官の指示に従い、ルーシェは再会の感動の余韻に浸る暇もなく走り出した。


「ジオは《オールリーフ》を薬研やげんですり潰しておいて!! ルーシェが摘んできた《カナギリ草》と他のやつも全部!! くれぐれも混ぜないでね!! 《蘇生薬》は分量を間違えたら生き返るどころか死ぬからね!!」


「おや、お二人とも無事帰って来られたんですね。良かっ――」

「ネクター、良いところに! 《ナナイロハチミツ》ある!? 《蘇生薬》って反射的に嘔吐くほど不味いから甘くしないと駄目なのよ!」


「《ナナイロハチミツ》はないですね。通常のハチミツしか――」


「ちっ、やっぱりか。予想外に二人の帰りが早かったもんで準備する暇がなかったわ。ノエル、帰ったばっかりで使って悪いけど本邸に行って! 本邸の厨房になかったら買ってきて!」


「量は!?」

「十グラム! 五グラムあれば十分だけど念のため! あたしはワイバーンと一角獣を狩ってくる――」


(ワイバーンと一角獣を狩る? 臓器でも必要なの?)


 疑問に思ったが、屋敷の外へ飛び出したルーシェの耳に聞こえた会話はそこまでだった。





 約三十分後。

 リュオンの部屋にはユリウスを除く全員が集まっていた。


 リュオンが眠る寝台を挟んで、向かいにはメグとセラ。

 ルーシェはジオとノエルと並んで立っていた。


 サイドテーブルにはトレーに乗った軽食があったが、手はつけられていない。


 部屋まで運んだはいいものの、ルーシェはその後ジオたちと《蘇生薬》作りに奔走することになり、食べる暇がなかった。


 セラだけがこの部屋に残っていたが、恋人が目覚めない状態では食欲も湧かないのだろう。


「さて。あんたたちの協力のおかげで無事《蘇生薬》は完成したわけだけども……問題はどうやってリュオンに飲ませるかよね」


 リュオンを見下ろすメグの手にはコップが握られている。


 コップの中身は激烈に不味そうな紫色の謎の液体だ。


 臭いも凄い。酸っぱいような、ドブ川のような……とにかく、絶対に飲みたくないと断言できる悪臭。


 あまりの臭いに、ジオは部屋に入ってすぐ窓を全開にした。

 窓の外ではすっきりとした青空が広がり、雨も上がっている。


「それを飲ませればリュオンは助かるのよね?」

 セラの眼差しは真剣だ。


「ええ。調合も完璧だし、これを飲めば《蘇生薬》の名に恥じぬ絶大な効果をもたらすわよ。瀕死の重体だろうとたちまち完全回復、リュオンの《魔力環》だって正常の金に戻――」


「わかったわ。コップをちょうだい」


 セラはメグの台詞を最後まで聞くことなく、小さな手からコップを取り上げた。


 悪臭を放つコップの中身をためらうことなく口に含む。


 そして、リュオンの顔を両手で掴み、口移しで《蘇生薬》を飲ませ始めた。


(おおおおおおお!?)

 ルーシェは大急ぎで寝台に背中を向けた。


 ノエルもジオも同様に顔を背けている。


「まーやるわねー」という顔でセラの行動を見ているのはメグだけだ。


(み、見てはいけないものを見てしまったような気がするわ……)

 衝撃的な光景に、ルーシェの頬の温度は上昇し、心臓は跳ね回っていた。


(いや、セラの行動は理にかなってるし、恋人の命がかかっているんだから『きゃー大胆!』とか茶化せる雰囲気では全くないんだけど)


 ルーシェはジオとノエルと視線を交わし合い、頷き合い、速やかに退室した。

 退室して、ほとんど同時に三人ともが息を吐き出す。


「……迷わずアレを飲めるってすげーな、セラ。薬は薬でも劇薬の類だろ、アレは」

「うん。照れ屋のセラが人前で堂々と口移しするとは思わなかったよ。ぼくたちに部屋から出て行ってくれと頼む時間も惜しかったんだろうね」


「愛の力ってやつだな。さて、やるべきことはやったし、リュオンのことはセラに任せて着替えてくるわ。腹も減ったし、ネクターに何か作ってもらおー」


「ぼくも着替えてくる。この格好で《ナナイロハチミツ》を買いに行ったら、道行く人や店主にどうしたのかって心配されて困ったよ。ありがたいことなんだけど、そのたびにいちいち足止めされるものだから――」


「――あの。ちょっと待って、二人とも」

 話しながら歩き出した二人の背中に声をかける。


 二人は不思議そうな顔をして振り返った。


「さっきはメグに遮られたから、改めて言わせて。二人とも、お帰りなさい。本当にお疲れさまでした」


 戦場から帰還した勇敢な二人の戦士に敬意を表し、ルーシェは深く頭を下げた。


「…………」

 二人はきょとんとした後で破顔し、同時に言った。


「「ただいま」」


「わ」

 ぐしゃぐしゃとジオに頭を撫でられて、ルーシェは赤面しながら首を竦めた。


 さすがにもう抱きつけるような雰囲気ではない。


 でも、こうして彼に頭を撫でられているだけで幸せで、ルーシェの頬は自然と緩んだのだった。

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