34:曇り、のち、晴れ

「……信じるって約束したもん……」


 だから、本当に彼は無事に帰ってくるだろうかと不安がって泣いてはいけない。


 ネクターの前でもルーシェはちゃんと笑えた。


 天気が快晴から急に曇りへと変わったのは自分のせいではない。はずだ。


 いまにも泣き出しそうな空を見て、ルーシェは窓を閉めた。


 ひらひらと揺れていたカーテンが踊りを止める。

 窓を閉め切ると外の音は遠くなり、客間はしんと静かになった。


 ノエルとジオと楽しく談笑していた時間が嘘のようだ。

 ルーシェはもう一度ジオの絵を見た。


 その絵が血塗れになる想像をしてしまい、身の毛がよだつ。


(冗談――冗談じゃないわよ。そんなことあってたまるもんか。ジオがいなくなるなんて……)


 鼻の奥がつんとして、目頭が熱くなる。

 涙の兆候にルーシェは両手で顔を覆った。


(怪我なんてしてないよね……無事だよね……)


 もしも神様が目の前に現れて、お前の命と引き換えにジオを助けてやると言われたら。


 ルーシェは「お願いします」と即答する。

 自分でもびっくりするくらいに、迷うことなく。


(……わたしって、ジオのことが好きなのかも)


 水面に泡が浮かぶように、ふとそんな考えが頭に浮かんだ。


(彼のためなら自分の命を差し出してもいいって思ってるってことは、実は相当――いや、めちゃくちゃ好きなのでは……?)


 ようやく自覚して、ルーシェは笑いたくなった。

 

(なんでよりによってこのタイミングで気づくの。大事なものは失わなければ気が付かないって聞いたことあるけど、本当にそうなのかも……ううん。失うなんて絶対に嫌だ。縁起でもない)


 神様との取引は中止だ。


 だって、ルーシェは生きて彼に会いたい。

 戻ってきた彼に笑顔で「お帰り」と言いたい。


 ――だから。


「……無事に帰って来なきゃ許さないから……」


 絵に向かって呟き、ルーシェは指先で濡れた目元を拭った。


 ノエルが座っていた椅子の上には木製パレットや絵筆がそのまま放置されている。


 大小の絵筆が入った筆洗器の水面には埃が浮いていた。


 でも、片付けることはしない。


(二人はすぐに帰ってくる。だから、この部屋はこのままでいい)


 拳を握り締め、客間を出て扉を閉める。

 平静を装って厨房へ向かうと、軽食と飲み物は既に用意されていた。


「私が運びましょうか?」

「いいえ、大丈夫です。わたしが運びます。ありがとうございました。いただきます」

 ぺこりと頭を下げて、軽食の載ったトレーを両手で持ち上げる。


 厨房を出て大広間を歩き、階段を上っていると、メグが階段を駆け下りてきた。


「噓でしょ、ありえないんだけど!!」


 メグは泡を食ったように叫びながらルーシェとすれ違った。

 長い三つ編みを跳ねさせ、スカートの裾を揺らし、一段飛ばしで階段を下りていく。


「待ってメグ、何があったの!?」


 不安と恐怖に突き動かされてルーシェは叫んだ。

 最悪の予感が脳裏に過り、一気に体温が冷える。


 メグは階段の途中で足を止めてこちらを振り返った。


「あの子たちが《魔女の墓場》の外に出てきたのよ!! 荷物が消えてたり服が破けたり焦げたりしてるけど、見た感じ大怪我は負ってない!! ジオは《オールリーフ》を持ってる、あの量があれば大丈夫!!」


「………………」


 最悪とは真逆の報告にルーシェは呆けた。

 両手から力が抜け、危うく落としそうになったトレーを急いで抱え直す。


「信じられないわよ!! どんなに早くても四時間はかかると思ってたのに、一時間半――たった一時間半ですって!? 往復で、あの距離を!? 《オールリーフ》を探す時間まで含めて!? 全く、本当に、どうかしてるわよあの子たち!!」


 メグは嬉しそうに言って、玄関の扉を跳ね飛ばす勢いで外へ飛び出していった。


 転移魔法は屋内だと難易度が跳ね上がるらしく、外でしか使えないのだ。


(……無事なんだ……《オールリーフ》も見つかったんだ……良かった……!!)

 ルーシェの瞳からボロボロ涙が零れた。


 これまで必死に泣くまいとしてきたけれど、喜びの涙ならどんなに流しても許されるだろう。


 踊り場の窓の外では雲が晴れ、天気雨が降り始めた。

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