7話 魔法史概論


 魔法史概論は初学者向けの講義で、魔法の歴史を古代から追っていくだけの実に単調な授業内容だった。その実、門閥もんばつに限らずとも王都の魔法使いの子弟であれば、生来一度は聞いたことのある典型的な内容といって差し支えない。


 しかし裏を返せば、この教室にいる門徒たちは程度の差こそあれアイラと同じ初学者の域を出ないということだった。ひょっとすると、アイラと同じような地方出身者もいるだろうとも思われる。


 アイラにとっては心強い環境である。


 講義自体は単調であっても、アイラは新しく何かを学ぶことに飢えていたので、ぼそぼそと猫背で喋り続ける授業者の男の口ぶりにも我慢して、食らいつくようにメモを取った。


 そうしてアイラが気づいたことには、今「魔法史」として教授されている内容が、かつて自身が地元の図書館で読んだ古い写本の内容と非常に似ているということだった。


 ただのおとぎ話だと思ってたのに……。


 アイラは、王都に足を踏み入れたその日に、父との縁故から街の案内を買って出てくれた紳士――レオンハルト・マルケルスのことを思い出していた。彼に連れられて学院を訪れた際も、目の前のあれこれについておとぎ話として読んだことがある旨を伝えると、それは神話や伝説の類だと指摘されたものだった。


 どうやら、アイラがこれまで読んできた写本の大部分が、古代魔法史として数えられているらしい。


 それがわかると、アイラは人知れず身震いした。


 胸から上で、一気に血流が増したように感じる。耳の奥から血の巡る音が大きく響き、彼女の脳髄をじわじわと熱くした。


 そうだったんだ……そうだったんだ!


 知識と経験が繋がる喜びは何物にも代えがたい。アイラは一度自分で読んで知ったはずの内容を、その髄までむさぼるように、目を爛々らんらんとさせて聞き入った。


 そうだ。


 そうだよ。


 そうだったんだあ!


 ……そうだったの!?


 アイラは己の脇でうつらうつらと舟を漕ぐシャルロッテには見向きもせずに、授業に没頭した。


 同じ内容に思われるものでも、原典の違いや、それが写し取られた時代、写し取った人の手、そして語り手によっても、語られる内容は姿を変える。アイラは自分の記憶と照らし合わせながら、同じ点や違う点などいくつもの発見を得て、己の手元の紙に多くを書きつけた。


 起伏のない、つまらないはずの講義が、景色を変えた瞬間であった。


 やがて講義の終わりを知らせる鐘が鳴り、授業者の男がやはりぼそぼそと挨拶を述べて立ち上がったのを見計らって、アイラは近くへ歩み寄った。


 こんな気持ちは久しぶりだった。


 何と言っていいかはわからなかったが、何か言わねばと思った。


 ただ、いままで目上の人物に自分から声をかけたことはあまりない。それでも、もう体は動いていたし、授業者もそれに気づいて動きを止めたので、後には引けなかった。


 アイラは授業者の近くで立ち止まると、口を二、三度ぱくぱくとはさせたものの――この場合「先生」にかけるべき言葉は、そんなに多くはなかった。


「あの、先生……ありがとうございました!」


 講義中から終始暗い顔でたたずんでいた授業者の男は、その言葉に驚いたように目を開いた。


「えっ?」


 アイラは二の句を継がねばと思い、慌てて喋り出す。


「ええと、あの、楽しかったんです! 私、ちょっとだけ本で読んだことがあったみたいなんですけど、でもそれをまた違った見方ができて、その……とっても興味深かったというか」


「ああ、そうかい……どうも」


 授業者の男は、そういう言葉に慣れないのか、どこか気恥ずかしそうに、極まりが悪いようなそぶりで答えた。アイラはアイラで、言うだけ言ってはみたが、相手の反応があまり良くなかったのでそれ以上に何か言えることもなく、二人の間にはなんとも微妙な空気が流れた。


 そうこうしているうちに、周囲の門徒たちは教室を次々出ていくようだった。


「あっ」


 アイラがあることに思い当たり、咄嗟に声を上げる。


 その場を去ろうとしていた授業者は半分だけ振り返るようにしてアイラの次の言葉を待った。


「すみません先生、お名前をうかがってもいいですか? 講義の最初に紹介があるかと思っていたので……」


「ああ……」


 授業者の男は言葉と共に視線をアイラから外して、溜め息混じりに答えた。


「私は講師の身分だからさ、君たちを前に名乗るのもはばかられてね……」


 そう自嘲する男の風体をよくよく見ると、確かに教授であるウェイリーのような壮年男性とは比べるべくもない。アイラたちよりずっと大人ではあるが、その中ではまだ若く、猫背と暗い表情も相まってあまり風格はない。纏った衣服も、擦り切れて安っぽく見える。


「講義だって、この〈概論〉のような初歩的なものばかり担当しているんだ」


 それでもアイラにとっては、あまり関係がなかった。自分に何かを授けてくれる人は、等しく「先生」であると、そう教えられてきたのだ。


「私は、楽しかったです、先生。ぜひお名前を」


 アイラのまっすぐな目を見て、やがて授業者の猫背の男は観念したように頭を掻いて、少しだけ口元を吊り上げた。


「ありがとう、そんなに言ってもらえるなら、名乗らないのも失礼か……」


 そうして男が答えた名こそは――アイラが今、最も会いたい人物の名前であった。


「私は、バートン・ダズリン。『先生』だと教授たちに怒られるといけないから、『さん』をつけてくれたら十分だよ」

 

 そうしてアイラが上げた驚きの声で、シャルロッテは「フガッ」と目を覚ました。

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四級受呪者の苦学録 ~眼鏡割りのアイラ~ 望月苔海 @Omochi-festival

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