6話 それぞれの魔法史

 ウェイリーに言われた通り、せっせと地面の円を消していたアイラとシャルロッテは、またしても次の講義まで走って向かわなければならなかった。


 教室棟の近くまで来ると、アイラは息を整えながら歩みを緩め、同じ第一学年の門徒たちの流れに加わった。シャルロッテは相変わらず平気な顔をして、のんきにアイラに尋ねる。


「次は何の講義だっけ?」


「魔法史概論だよ。シャルも去年受けたでしょ?」


「あたし歴史とか興味なくて、一回も出てないかも」


「えぇ……」


 言いながら、二人は教室棟へ帰ってきた。アイラの目は自然と、先ほど衝撃を受けた休講の告示文を探してしまう。しかし、わざわざ自分からさらなる追い打ちを食らいに行くこともないので、アイラは遠目に掲示板を見るにとどめて、上階へ続く階段を目指した。


 教室棟は三階建てになっていて、年次の若い門徒は上階の教室を割り当てられるようになっていた。単に上るのがつらいからである。


 同じように階段を上る門徒たちは、先ほどウェイリーの講義を受けていた顔ぶれだった。前にいる面々の顔が、踊り場で明らかになる。


 他のみんなのこと、まだ覚えられてないや……。


 そんなことを思いながら何気なく周囲の同級生を眺めていたアイラだったが、ふと前を歩く少年の髪に目が留まった。


 夕日のような濃い黄金色をした、線の細い髪の毛。涼しげに刈り上げられた襟足の上で、歩くリズムに合わせて金色の波が整って揺れていた。


 アイラもまた金髪ではあったが、どちらかといえば明るく、真昼の日差しを思わせるような色をしている。そのためか、自分とは少し違う色だな、とぼんやり目に留まってしまっただけなのだ。


 しかしその少年が踊り場に差し掛かっておもてを表すと、アイラは彼が先ほどの講義で〈爪弾つまはじき〉と呼ばれていた少年だと気が付いた。


 ハッと息を飲んだ途端に目が合い、アイラは思わず顔を逸らしてしまう。


 〈爪弾き〉の少年は、このアイラの態度を見逃さなかった。


 ムッとした顔で立ち止まると、〈爪弾き〉の少年――ジャスパーは踊り場でアイラが上がってくるのを待った。アイラはわざと歩を緩めてシャルロッテの陰に隠れながら、なんとかその場をやり過ごそうとした。


 チラッと見るアイラ。待っているジャスパー。


 チラッと見るアイラ。まだ待っているジャスパー。


 ついに、待ちかねたジャスパーが苛立いらだたしげに口を開いた。


「なんとか言えよ! 馬鹿にしてるのか?」


 ヒッと口の中で悲鳴を漏らしたアイラだったが、返事をする勇気だけは手放さなかった。


「ご、ごごごめんなさいッ! 馬鹿になんてし、してないッですッ!」


 言いながら、アイラはシャルロッテに背中を押されるようにして踊り場に到達した。相対してみると、ジャスパーは男子にしては背が低い方で、背の高いアイラが自然と見下ろす形となる。不機嫌を隠そうともしないジャスパーは、アイラを品定めするように下からにらみ上げた。


「……お前、魔法歴は?」


 ジャスパーの問いにアイラはきょとんとしたが、後ろからシャルロッテが「魔法を習ってどれくらいかってこと」と囁いたおかげで、なんとか答えることができた。


「えっと、まだ一年ぐらいで……」


「ハッ! 一年だって? ひよっこにも程が――」


 嘲笑ちょうしょうの姿勢を見せようとしたジャスパーは、はたと何かに気が付いて、歪めていた口元を正した。


「待てよ、魔法歴一年で、どうやってレブストルに来られたんだ?」


 急に真面目な表情になった相手にアイラはどぎまぎしながら答えた。


「いやあの、確かに一年ですけど、私も結構頑張ったっていうか、その、魔法はまだちょっとしかなんですけど、一応〈術許じゅつゆるし〉でなんとか入れてもらえて……」


 わたわたと忙しなく手を動かしながらなんとか言い終えたアイラは、ジャスパーの反応を待った。周りの生徒は遠巻きに眺めるだけで、すいすいと階上へ進んでいく。


「〈術許し〉ぃ……?」


 アイラの言葉を反芻はんすうするように自分でも口にしたジャスパーは、いぶかしげに寄せていた眉根をふっと解いて、小さく驚きの声を上げた。


「〈術許し〉って、お前まさか――」


 そのときジャスパーの脳裏によぎったのは、数日前に行われた〈入門の儀〉の光景だった。


 〈入門の儀〉では新入生の中から入門審査で成績優秀とされた五名が代表に選出され、入門の宣誓を行うことになっている。その五名に含まれる人間の出自は大抵毎年固定化されていて、王都で古来より魔法を扱ってきた〈魔道十二門閥〉の子弟で座を占めることが通例だった。


 これというのも、入門審査自体が課題となる魔法の扱いの良し悪しを見るものなので、当然と言えば当然の帰結である。


 一方で、レブストルは広く門徒を募る目的で、別の基準を設けてもいる。


 それが〈術許し〉である。


 課題となる魔法の扱いをある程度の前提としつつも、その上で全く異なる技でもって審査員を認めさせるというもので、前例は様々だが――。


 ジャスパーは儀式の様子を思い出していた。今年の〈入門の儀〉は異様な雰囲気に包まれていた。代表者として登壇した五名のうち、〈門閥〉の子弟として顔が知れている者はたったの二名。残りの三名は、どこの誰とも知らない――つまり、おおよそ王都の者ではない。門閥の氏族をしのぐほどの魔法の使い手が地方から入門してきたのか、あるいはよほどの〈術許し〉か――そのように王都出身の門徒たちは胸をざわめかせて、聞くともなく宣誓の言葉を聞いていたのである。


 しかしジャスパーは一つだけ覚えていた。というよりそればかりが印象に残って、登壇者の姿かたちをすっかり忘れてしまったほどだった。


「お前――宣誓のときだったやつだろ!」


「ああッ言わないでください! 直前に初めて言われて、あれでも頑張ったんですうう」


 アイラはジャスパーに指さされて、耳を塞ぐような仕草で泣きそうになりながら言った。


「くそ、こんなやつが――」


 ジャスパーは一歩引いて改めてアイラを眺め回したが、その肩越しに栗毛の少女――シャルロッテがこちらを見ているのに気が付いて、そのまま踵を返して階段に足をかけた。


「……フン! どんな〈術許し〉だか知らないが、ここは魔法がものを言う場所だ。せいぜい励むんだな」


 そう言うと、ジャスパーは二階部分で階段を離れていったので、アイラはハッとしてその後を追い、声をかけた。


「あ、あの! 講義は三階ですよ!」


 廊下を歩きかけていたジャスパーは首だけ振り返ると、鼻で笑いながら返した。


「俺はお前らひよっことは違って魔法歴が長いから、初級の講義は免除されてるんだ。こっちは中級の講義さ……ま、知るわけないだろうがな」


 相手を遠ざけるような物言いに、シャルロッテは後ろで「ヤなやつ」と眉をひそめたが、アイラ自身は極めて素直にそれを受け取り、感心するような口ぶりを見せた。


「そうなんだァ……あ、魔法歴、どのくらいなんですか?」


 その態度に拍子抜けしたのか、ジャスパーはバツが悪そうに己の金髪を掻き上げながら答える。


「……十二年だ」


「すごい、三歳で魔法使ってたんですか!?」


 アイラの反応に、ジャスパーはまたも調子を崩された。


 何をそんなに驚くことがある。このくらい、王都では当たり前だ。


 少なくとも、そんなに目を見開いて聞くほどのことじゃあない。


 お前が世間知らずなだけで、お前が――。


「――名前、確か〈眼鏡〉……なんとかって言ったな」


 気が付くと、ジャスパーはアイラに尋ねていた。自分でも不思議な感覚だった。


 ジャスパーの脳裏にさまざまなものが浮かんでは消えた。


 あの日、あの場に立てなかった己のことを思う。


 今日、ウェイリーに諭された、己のことを思う。


「あ、えと、〈眼鏡割り〉のアイラです! よ、よろしくお願いします」


 そして目の前の、間抜けな顔をした、世間知らずな〈術許し〉の女のことを、思う。


「……覚えとく。もう講義始まるから行けよ。あと、敬語もやめろ」


 そうぶっきらぼうに返すと、ジャスパーは二階の廊下を奥へと歩んでいった。


 残されたアイラは少しの間ぽかんと口を開けていたが、すぐ後ろにシャルロッテがいることを思い出して、振り返ってこう言った。


「これって……友達ができた、ってことかな!?」


 そのきらきらと無垢に輝く瞳を受けて、シャルロッテは「はー……アイラはほんとそういうとこ……」と肯定も否定もせずに、背中を押した。


「え? 違う? 違うかな」


 アイラは右に左にシャルロッテを振り返りながら尋ねる。実際、シャルロッテ以外の同級生ときちんと会話をしたのは、ジャスパーが初めてかもしれない。元来友人の多くないアイラにとっては、大きな進歩だった。


 シャルロッテは、「そうだといいな!」と短く答え、ぽん、と背をひと押しすると、アイラの横を一段抜かしで過ぎていった。


「ほら、今度こそ遅刻するぞー!」


 アイラは慌ててその後を追う。一つ上の踊り場で、ちら、と二階部分を振り返ると、少しだけ笑みがこぼれた。


 そうして次の講義が、始まる。

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