5話 路地裏から古代魔法
詠唱する呪文の冒頭によく見られる表現で、それ自体は魔法の内容とはさほど関係がないが、慣例的に残ったものとされている。
シャルロッテが枕詞を口にしたということは、あとには何らかの呪文が続くはずだった。しかし、シャルロッテはどういうわけか、その枕詞ばかりを繰り返している。
アイラはわけがわからなかった。
だが、こちらを見ている他の門徒らも顔を見合わせるばかりで、シャルロッテの意図を測りかねているらしい。
ただ、近くにいたアイラにはもう一つ気が付くことがあった。
シャルロッテは、微妙に足元を見ながら走っている。そしてその足元は、恐らく先ほど本人が描いた円を踏んでいるのだ。
「顕現せよ! 顕現せよ! 顕現せよ!」
そうしてシャルロッテが石を囲んだ円まであと何歩かのところまでやってきて、やっと呪文の本文がその口から聞こえてきた。
「顕現せよ!
シャルロッテは石の直前の円で何とか踏み留まろうとしたが、勢いを殺しきれずにそのままアイラの前をドカドカと通り過ぎて行った。
見ていた他のペアは、やはりシャルロッテの行動が理解できなかったようだ。呆れたような鼻の笑いだけ残して、その場を去っていく。
しかし、やはりアイラだけは目にしていた。
シャルロッテが石を飛び越える一瞬、持っていた木の枝の先を、円の中心に向けていたのを。
いくらか先でなんとか止まることができたシャルロッテが、頭を
シャルロッテが円で囲んだ石。
その円の内側で、砂がかすかに動いているのだ。
風だ――とアイラは思った。
目を見張るアイラの前で、砂は渦を描くように石の周りを
そしてその中心の石を動かす――かに思えたが、少しもしないうちにその動きは止み、アイラが感じていた風もどこかへ消えてしまったようだった。
「いやー詠唱なんか久しぶりすぎて全然タイミング合わなかったよ」
戻ってきたシャルロッテがそんなことを言った。
「でもシャル、さっき、ちょっとだけ砂が動いてたよ!」
「え、ほんとに? やるじゃんあたし」
「すごいよ! すごいけど……魔法具もインクもないのに、一体どうやったの?」
「ハッハッハ! いや、実はあたしもよくわかんないんだよね!」
アイラは思わぬ返答にその場でこけそうになった。
いや、相手がシャルロッテなので、どんな返答も覚悟すべきではあったのだが。
素直に向けた尊敬のまなざしを返してほしかった。
よくわからないとは言いながら胸を張るシャルロッテと、それを質問攻めするアイラのもとに、その様子を遠くから眺めていた人物がゆっくりと近づいてきた。
「おうい〈
そう言って姿を現したのは、門徒らの様子を見て回っていたウェイリー教授である。
「あ、先生見てたんですか。じゃあ今年は単位もらえますね!」
引き続き誇らしげなシャルロッテが自信満々で訴えたが、ウェイリーの態度は冷たかった。
「君が最後まで出席したらな。それより質問に答えなさい。今のはどこで教わったんだ?」
「ちぇーケチケチ! で、『今の』ってなんですか? 呪文なら、入門審査のときに覚えたやつですよ」
口をとがらせるシャルロッテにも、ウェイリーは態度を変えずに続けた。
「違う、そうじゃない。詠唱の前に、地面に書いた円を踏んでいただろう?」
いい質問だ、とアイラは思った。そのことを私も聞きたいと思っていた。
「あれって、やっぱなんか意味あるんですか?」
シャルロッテはあっけらかんと答えたが、ここにきて、ウェイリーは言葉を継げずに少し口をぱくぱくさせた。
「な、……何も知らずに使っているのか?」
「はい。なんかできたんで……もしかしてあたし、なんかすごいことやっちゃいましたァ?」
何の説明もないまま嬉しそうにするシャルロッテの様子に、ウェイリーは溜め息をついて腕組みで考える姿勢を取った。
「シャル、もうちょっとなんか説明したほうが……」
見るに見かねてアイラはこそこそとシャルロッテに声をかけた。
「え、そうか?」
「そうだよ! ほら、先生が彫刻みたいになっちゃったでしょ!」
言われてシャルロッテはウェイリーを見上げたが、確かに眉間に深くしわを刻み込んだ石像に見えなくもなかった。
「おお……えっとー、半年前ぐらいかな? 寮の近所でチビッ子とけんけんぱしてたんですよ」
「チビッ子と……?」
「けんけんぱ……?」
アイラはかつて自分も幼少期に嗜んだ遊戯を頭で思い描いた。地面に書いた円を片足跳びで移動し、円が横に並べば二本の足で跳ねることになる、あの遊びということだろうか。
「んで、同時にチビッ子から魔法を教えろってせがまれてて。口だけマネしてやるかと思ってけんけんぱしながら詠唱っぽいことしたら、なんか発動しちゃったんですよね。だから今回も行けるかなーと思ってやってみたら、できました! これってなんなんですか?」
シャルロッテはひとしきり説明すると、逆に質問を返した。
話を聞くウェイリーの眉間にはさらにしわが増えるようだったが、話を聞き終わるとやがて腕組みを解いて、大きく息を吐いた。
「まったく呆れたやつだ、そんな偶然で発見したのか……他に人はいないな?」
ウェイリーは少しだけ周りに目を配ると、腰を折って二人に顔を寄せた。
「いいか、これは――〈
「原始……魔法円?」
アイラが復唱する一方、当のシャルロッテは何食わぬ顔で聞いていた。
「なんですかそれ?」
「これはまだ研究が進んでいない領域で、通称に過ぎん。学院では誰も教えていないはずだからな、それで変だと思って聞いたのだ。これは基礎魔法よりもさらに前――〈古代魔法〉の領域だ」
「古代魔法……」
アイラは初めて聞く単語に胸を躍らせていたが、シャルロッテは相変わらずの様子だった。
「へえー! やっぱあたしがすごいってことですか? 単位くださーい!」
「少し黙っとれ」
ウェイリーは人差し指をシャルロッテに向けると、空中でゆっくりと指先を横へ動かした。その動きに合わせて、シャルロッテの唇が端から硬く閉ざされていく。
「えっちょっむ! んんー! ――ッ!」
シャルロッテは口を押さえてばたばたと手を振ったが、授業冒頭のジャスパーと同じ状態に陥った。
ウェイリーはシャルロッテを無視して、アイラに向けて喋り始めた。
「古代魔法はまだ解明はされていない。文献に残っている伝説も、どこまでが本当か検証できないものが多いからだ。だが、発掘される古代の遺跡からは円形の構造物が見つかることが多い。そしてこれらの内側からは、これまで何度も魔力の
アイラはウェイリーの話を聞きながら必死に頭を働かせていた。
「ええと、つまり、その遺跡に残された円が〈原始魔法円〉なんですか?」
「そうだ」
ウェイリーはうなずいて続けた。
「今〈放蕩〉が作った円も、遺跡に残された円も、ただの円に過ぎない。だがそのただの円が問題なのだ。かつてある研究者が実験の末、円の内側になんらかの力が現れるとその残滓が残りやすいことを突き止めた。すばらしい発見だった。彼はこれを〈力の影〉と名付けたが――それを最後に、古代魔法の研究は凍結された」
「え、どうしてですか?」
思わず聞き返したアイラに、ウェイリーは声を低めて答えた。
「追放されたんだ、王都から」
アイラは、どきり、とした。
先ほどまで高鳴っていた胸の奥に、すっと冷たいものが差し込んでくるような感覚だった。
「それ以降、王都では古代魔法に関わるものは
ウェイリーはやっとシャルロッテの方を見て、指先を先ほどとは反対方向に滑らせた。やっと口を開けることができたシャルロッテは、ぷはあ、と大きく息を吐く。
「〈放蕩〉の君にしては、よくやったと褒めてやりたいところだが……この方法は危険すぎる。目にしたのが私でよかったな。黙っておいてやるから、もう人前では使わないことだ。守れるか?」
シャルロッテは、せっかく思いついた手段を奪われることになって今にも不平を上げそうな顔をしていたが、ウェイリーの真面目な表情を見て、観念したようにしょぼくれた返事をした。
「はあい……」
「よろしい。他の方法を考えるんだな。アイラも、いいな? 君は素直に眼鏡を割ればよい」
「は、はい……でも先生、私、修理代が……」
アイラが弱々しい声でおずおずと申し立てると、ウェイリーは意外そうな顔で答えた。
「なんだ、〈受呪者保険〉を知らないのか?」
「ほ、保険ですか?」
アイラが聞き返すと同時に、遠くの大講堂から授業の終わりを告げる鐘が鳴り響いた。
「管理棟は午後五時まで開いているから、一度事務で説明を受けてきなさい。では私は先に戻るが――」
ウェイリーは一度言葉を切って、二人に向かって地面を指さした。
「君たち二人は〈円〉を消してから次の講義へ向かうように!」
そう言い残すと、ウェイリーはアイラたちを残してさっさと歩いて行ってしまった。
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