4話 留年生が教える本当に気持ちのいい基礎魔法

 アイラとシャルロッテは、課題に使うのに手ごろな石を探しながら、演習場をぷらぷらと歩いていた。


「シャルは去年もウェイリー先生だったの?」


 アイラの尋ねに、シャルロッテは素直にうなずく。


「そうそう。まあ去年は、杖を取り上げられる馬鹿なんていなかったけどね」


「あはは……私、間近で魔法見るの、まだ慣れないや」


 アイラは、ウェイリーの魔法を頭に描きながら歩いていた。


 杖の一振りだけで、何人もの口を次々に閉じ、また次の一振りでそれらから杖を回収する。その一瞬にはもちろん、どこかへ魔術式を書く様子も、呪文を詠唱する様子もなかった。


 杖という魔法具を使っているとはいえ、レブストルの先生ともなればこれほど魔法をたやすく扱えるものなのか、とアイラは畏敬いけいの念を持ってウェイリーの所作を反芻はんすうしていた。


 あれが〈沈黙魔法〉と、〈解除魔法〉なのかな。


 アイラは一年前に読んだ、一般人に向けて魔法が紹介されている本のことを思い出していた。アイラの地元の図書館にはそれしか魔法について知れる本がなかったので、そこに載っていた初歩的な魔法の種類ぐらいは何度も読むうちに覚えてしまっていたのだ。


 しかし、アイラがそのうち扱ったことがあるのは、入門審査に課されていた〈浮遊魔法〉だけだ。アイラは呪い持ちだが程度が低いため魔力も弱く、また全くの素人だったので、入門を決めてからの一年間をこの〈浮遊魔法〉の練習だけに費やし、なんとか合格を果たした。


 恐らくアイラ以外の新入生の中にも、同じように〈浮遊魔法〉しか扱ったことのない門徒がいるだろうと思われる。だから、最初の課題は全員が取り組めるように、入門審査の応用にしたということだろう。


「お、あった。これなんかいいんじゃないか?」


 シャルロッテは手の平に納まる程度の丸い石を拾い上げた。厚さは指二本分ほどの、きめ細かな砂岩だった。


「あ、ありがとう」


 アイラはシャルロッテからそれを渡されると、まじまじと眺めた。手にずっしりと重みが乗る。これを魔法で移動させるには――ウェイリーの言う通り、呪いの発現は覚悟しなければならないだろう。


 ついにこの時が来たか――。


 アイラは、魔法を使って呪いが発現することをひどく危惧きぐしていた。


 それというのも、アイラの受ける呪いが、彼女にとって非常に不都合なものだからだ。


 この国では、呪いの有無は幼少期に決まった手順で調べられ、その内容を戸籍に登録することになっている。アイラの呪いも、かつてそこで判明した。


 アイラの場合、魔法を使うと――眼鏡が壊れる。


 常人であれば気にならないであろうその呪いも、幼少期から極度の近眼をわずらう人間にとっては、そうはいかない。アイラにとって魔法の使用は、その成果と後の日常生活とを天秤てんびんにかけた、諸刃もろはつるぎなのであった。


 アイラはこの呪いがあるために、本来であれば魔法から遠ざかっていたかった。


 ところが本好きの彼女が憧れた王都の司書職には、国が認めた魔法書管理免許が必須条件となっている。アイラは子どもながらに、背に腹は代えられぬと心を決めて、レブストルの門を叩いたのだった。


 なお、レブストルの門徒たちは入門時に姓を捨てる代わり、独自の〈二つ名〉を得る。その名はこうした呪いを元に決められることがほとんどだ。


 アイラの二つ名は、眼鏡が割れるから、〈眼鏡割り〉。


 身もふたもあったものではない。


 アイラは決して安くはない眼鏡の修理代を思いながら、しかし単位修得のため、呪いを恐れずに魔法を扱うことに決めた。


「シャルはどうするの? 呪いがないと、いろいろ準備がいるんでしょ?」


 アイラは、追加で自分用の石を探しているシャルロッテに声をかけた。


「んー? そうだなあ――」


 のんきに答えたシャルロッテはアイラと違って、呪いを持っていない。


 彼女の二つ名〈放蕩ほうとう〉は、単にその遊び好きで不真面目な性格から名付けられたものだった。


 ときに、魔法の発動には次の三つの要素が必要とされている。


 曰く――〈力〉、〈意志〉、〈想像〉。


 アイラのような呪い持ち――いわゆる〈受呪者じゅじゅしゃ〉たちは、その代償の程度によって、大なり小なりすでに魔力を有している。


 一方で、シャルロッテのように呪いを持たない者は、無い魔力を他のもので補う必要がある。


 彼らが魔法を扱う方法は、ここ数十年でかなり研究されてきた。杖に代表される魔法具がその一つだが、その源流をたどれば、先ほどアイラが気にした〈魔術式〉と呪文の〈詠唱〉が一般的だ。


 こうした技術は元々〈受呪者〉の魔法使いがその影響を和らげる〈呪いけ〉として扱ってきたものだが、研究の結果呪いを持たない人間であっても魔法の行使を可能とするまでになった。


 ただしその手間が膨大ぼうだいである。


 魔術式を書くには、まず複雑な術式を覚える必要があるが、さらにそれを書くための特殊なインクを必要とする。


 インクの原料となるのは特定の条件下で育った木の樹液で、採取したものを何日間も日光・月光に晒して乾燥のうえ粉末にし、清浄な水に溶かして、それを煮て、初めてインクが完成する。


 このインクが発動要素の一つである魔力を一定量底上げする役割になっているのだが、個人がおいそれと用意できるものではない。


 もちろんこれを売る店もあるが、それだけの手間をかけているので、かなり値が張る。これが例えば教授たちのような練達した魔法使いであれば、インクに頼らず己の魔力のみで術式を構成することが可能だが、アイラたちのような素人には土台無理な話だ。


 では詠唱はどうか。


 こちらは魔術式のように物を用意せずともよい。


 唱える呪文は、ありがたいことに過去の研究者たちによっておおよその魔法については効果的な言葉が定められているので、これを覚えて正確に発声すればよいのだ。


 しかし、詠唱は〈力〉の代わりにはならない。


 これは〈意志〉と〈想像〉を補うものに過ぎないからだ。


 なお先に述べた魔術式は、この詠唱を図式化したものである。


 高価なインクを用いる魔術式は使えない。


 詠唱もそれ単体では〈力〉を生み出せない。


「じゃあ、あたしは――走るか」


「えっ?」


 アイラはシャルロッテの言葉に耳を疑った。


「お、いい石」


 シャルロッテは先ほどアイラに渡したものと同じような石を拾い上げると、手のひらの上で軽く放っては握り直した。


「まあ見ててよ、アイラ」


 シャルロッテはその石を改めて地面に置くと、近くにあった木の枝でその周囲に円を描き始めた。


「それ、魔術式?」


「んーにゃ、そんな大層なもんじゃないよ」


 言葉の通り、シャルロッテが書いたのは確かにただの一つの円だった。アイラが本で見た、複雑精緻な魔術式とは程遠い。


 しかしシャルロッテは、石から離れた場所にもう一つ円を描いた。


「???」


「フッフッフ!」


 アイラが首を傾げるのをおかしそうに笑いながら、シャルロッテはなおもやや離れた場所に円を描いた。


 大股で一歩を踏み出して、足元に円を描く。


 また踏み出しては、円を描く。


 シャルロッテはそのまま演習場内の草地に行きつき、そこで立ち止まった。お互い声は聞こえるが、アイラからはその表情が見えないくらい離れてしまっている。


「いっくよー!」


 シャルロッテはアイラに向かって声を上げると、突然、こちらに向かって走り出した。


「えっ、なになに?」


 何をしているのかわからず、アイラは狼狽した。


 シャル、魔法を使うのになんで走ってるの?


 もしかして他の人には意味が分かるのかな……。


 アイラはそう思って周りに目を向けてみたが、近くにいた別のペアはかなり怪訝けげんな表情でシャルロッテの走る姿を眺めているようだった。


 ……やっぱりわけがわからないよ!


 ちゃんと説明してよ、シャル!


 しかしシャルロッテが近づくにつれて、アイラは彼女が何かしら口を動かしていることに気が付いた。


「……! ……せよ! 顕現けんげんせよ!」


 それは、基本的な詠唱の、始まりの常套句じょうとうく


 いわゆる〈枕詞まくらことば〉を、シャルロッテは走りながら何度も口にしているのだった。

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