第7話 『魔王』と時の賢者

「ふぐっ……」

「えーっと、平気?」

 どう見ても平気じゃないことは分かり切っているのに、掛ける言葉が思い付かず気が利かないなぁと反省する。

 徐々に霧も晴れ始め、セリアが急に涙を拭って立ち上がる。

「よし、行こう!」

「え、でも……」

 僕はさっきまで啜り泣いていた彼女を見て、大きな不安が頭を擡げて言い淀んでしまった。しかし、再び彼女を一瞥すると何かを悟り、覚悟を決めたような顔でキラキラと目を光らせている。

 彼女はもう大丈夫だ。

 準備も整いもこの面妖な森からさっさと退散しようとした矢先、あの封筒が脳内にふっと浮かぶ。

「あ、そういえばシヴァル様からこれを預かってたんだった」

「何で態々紙で?」

 疑問に思いながらも中の便箋を取り出して読んでみる。

「「……!」」

 これは……急いだ方がいいかも。

 手の持っていた紙を適当に二つ折りにして懐に仕舞い込み、僕らは自然の迷宮を駆け出した。


闇に包まれた古城の中で、二人の男が対峙していた。

 明かりは弱々しく揺らめいている蝋燭の火のみで、ぼんやりと顔の輪郭を浮かび上がらせていた。

「それで、話って?」

「漸く黒幕の正体が分かった」

「本当かい。一体誰が、ラウルさんを?」

「まあ、焦らず聞いてくれ。この話をする前に一つ言っておくことがある」

「——『私は犯人じゃない』ということだろう?それが嘘であれ、本当であれそれは大前提だよ」

「黒幕の条件の一つは賢者に近しい人物であることだな」

「でなければ賢者の情報を集めるのは難しいだろうからね」

「そして二つ目はあの二人と面識があることだ」

「その条件はどういう意味が?」

「簡単な話だ。彼女が現在行方不明の西の賢者なのだからな」

「え……彼女が?確かに賢者っぽい服装はしていると思っていたけど……そうだったのか」

「三つ目は当然だが賢者に相当する程の力を持ち、精神干渉とかいう高度な魔法を使えることだな」

「現に龍や奴隷を操っていたようだしね」

「最後に四つ目、北の国の噂を知っていて、南で騒乱が起こっていた時にお前の屋敷を攻撃できた人物だ」

「これらのことを考え合わせればもう絞り込める、いや犯人は確定するな」

「それで、結局黒幕は誰なんだい?」

「ここまで言っていて白を切るのは無理があるぞ、エルドリヒ。今回の一連の騒動は全てお前が黒幕だ」

「一連の騒動って何のこと?」

「西の賢者が行方不明になった件、裏切り者の存在を感じ取ったラウルを脅迫し、最終的に殺害した件、サリタニアが龍に襲われた件、私が『魔王』の濡れ衣を被せられた件のことだ」

「じゃあ、私の屋敷が襲われた件はどうするんだい?」

「そんなの無実の証拠にすらならん。自作自演だ」

「——はぁ。まあ、暴かれたのは大した問題じゃないし、いいか」

 依然として微笑みながら浅く溜息を吐く。

「矢張り、お前が『魔王』か……!」

「その反応を見るに随分前から疑っていたようだね」

「ああ、お前の経歴を調べたら孤児という以外何も書かれていなかったのでな。怪しいとは睨んでいた。そして、二人から話を聞いて確信に変わった」

「さて、私が例の『魔王』と判明した訳だけど……どうするんだい?」

「決まっている。ここでお前を葬る。それが世界を守る賢者様の使命らしいのでな」

「君までそんな戯言を言うなんて、がっかりだね。君はそういうものに囚われない現実主義者だと思っていたのに」

「何を言っている。魔法なんてものがある時点で現実主義なんてものはとっくに崩壊しているだろうが」

 不気味な微笑を続け余裕綽々という風で宙に佇んでいる『魔王』を「怒り」に満ちた瞳で睨め付けている。

「ラウルはとんだ愚者だったよ。大人しく南の国の賢者として胡座をかいていればいいものを、私の平和統一の計画を邪魔しようとするから」

「『平和統一計画』だと……?」

「ああ、私の魔法で賢者を全員改心させて、皆で一つの国として統治していくという計画だよ」

「要するに精神干渉で他の賢者を傀儡にして実質的独裁を実現するということか……平和が聞いて呆れるな」

「やれやれ、仕方ない。私の計画に反対する愚者は皆改心させようと思ったが、君は一筋縄でいかないからね。ラウルと同じ末路を辿ってもらうとしよう」

「お前は絶対に葬ってやる。柄ではないが、ラウルの敵討ちだ!」


「本当、なのかな……?」

「セリアも分かってるでしょ、あの人は絶対冗談なんか言わないよ!」

 森を抜け平坦な道を全力疾走していく僕等。

 きっとシルヴァ様は一人で黒幕と戦う心算だ。

 北の賢者改め『魔王』エルドリヒ・アインザックと。

 色々と違和感はあった。他の賢者と違いローブを着ていなかったこと、人里離れた場所に住んでいたこと、北の森に『魔王』の手下らしい魔物がいたこと等、枚挙に遑がない。

 やっとのことで息を切らしながらヴィリクに戻ってきた。これからどうやって二人を捜そうかと考えていると、街から少し離れた寂れた城が爆発する。

「あそこか!」

 唐突な爆音に元々漠然とした不安を持っていた街の人達は慌てふためき再度騒ぎになる。

 そんな荒波を凌ぎ抜け切って、僕とセリアはまた走り出した。


 既に壊れかかっていた古城は瓦解し、石の破片が辺りに散らばっている。

「くっ……お前だけは許さん!」

「許す?随分と不遜な態度だね。でも、私も君に同意だ。私の計画の障害は撃滅するのみだからね」

 彼の足元には漆黒の毛を持つ獣の軍団が控え、周囲には黒く丸い飛行生物が守護するように取り囲んでいる。端的に言えばシルヴァは圧倒的劣勢である。

「『殲滅しろ』!」

 そう叫ぶと一面に白い穴が開き、剣や槍やらが連続で射出される。

 その無数の刃は魔物共の肢体を引き裂き、目玉を貫く。

 衝撃で起きた砂煙が散った頃には軍勢は消滅し、魔物は黒い塵に帰して雲散霧消した。

 あれ程いた魔物の軍団を一瞬にして殲滅したのである。

「案外脆いな」

「やれやれ、矢張り数いても仕方ないね。そろそろ遊びは終わりといこうか」

「遊びで魔物を呼び出やがって……」

 笑顔で塗り固められた仮面がついに剥がれ、隠す気もない嘲笑と侮蔑で構成された表情になる。

 力を球状に集め攻撃体制へ。途轍もない力を察知したシヴァルは全力で防壁を築き、想像もつかぬ衝撃に備える。

「『愚者誅滅』っ!」

「ぐっ……があぁぁぁ‼︎」

 彼はその刹那悟った。幾ら壁を厚くしたとしてもこんな膨大な力を防ぎ切ることはできないと。

「さあ、これで止めだよ」

 油断し切った顔で自ら手を下しにいくエルドリヒ。短剣を構え突撃する。

「油断したな。『喰らい尽くせ』!」

「何⁉︎」

 シヴァルの頭上に従来の白い穴ではなく、灰色の穴が開く。

 その穴は次第に広がっていき、周囲の物を無差別に引き寄せては吸い込んでいく。

「私も巻き込まれるが仕方ない。お前も道連れに——」

「——と、私がそんなことで焦るとでも?」

「なっ……!」

 エルドリヒの傍らに突然現れたのは彼もよく知る人物だった。いや、知っていたという方が正しいかもしれない。

「ラウル……」

 そう確かに死んだ筈のラウルが宙に浮かんでいる。

「誰も『死んだら改心させられない』なんて言ってませんよ?」

「エルドリヒーッ‼︎」

 目玉を迫り出たせて嗄れる程の大声で怒号を上げる。

 彼女だったものが魔法を唱えた直後、巨大な灰色の穴は消滅した。

 シルヴァは唖然として抜け殻となった彼女を見つめることしかできない。

「忘れてしまったかい?彼女は記憶魔法の専門家だってことを」

「まさか——」

「——そう、君の記憶から魔法そのものを消して、使えないようにさせてもらったよ」

「……」

「じゃあ、今度こそ惜別の時だね。尤もすぐ会えると思うけど」

 鋭利な短剣が鈍い音を立てて、彼の胸を貫通した。


「あ……」

 少し遅かった。『魔王』の名に相応しい歪み切った笑顔でこちらを一瞥し、躊躇うことなく胸へ鋭い刃を突き刺す。

「シルヴァ……」

 涙が垂れてきても彼女は決して慟哭せず、不自然なくらいに静かだった。

 シルヴァ様が嫌いだったからなのか、彼の死を自分の所為だと思い込んでいるからなのかは判らない。

「貴様ァー‼︎」

「セリア……」

 彼女は落ち着いていた訳では無かった。凄絶な悲しみを処理するのに時間が掛かっただけのようだ。そして、たった今「悲しみ」から「怒り」へと移行し、憎悪と敵愾心が増幅されていく。

「貴様だけは、この手で抹殺するッ!」

「おやおや、まだ残っていたんだったね、西の賢者セリア」

「矢張り、私の見立ては間違っていなかった。言語道断貴様は愚者だ!」

「一度私に殺されかけておきながら、拾った命をまたも無駄に散らそうとするとは君はとことん愚者だね」

「殺されかけた、だと……」

「尤も君にその記憶はないだろうけどね」

「初対面であろうとなかろうと貴様の顔は覚える価値もない」

「必死に虚勢を張るのはご苦労なことだね」

「捻り潰す……『我が道を切り拓け!』」

 何発目かの破壊光線がエルドリヒ目掛けて発射される。

「もう忘れたのかい?最初の時にそれはもう防いで見せたじゃないか」

 彼は蔑むような冷淡な瞳で薄ら笑う。

 でも、セリアもそんなことは承知している筈……

「『疾く在れ』」

 その瞬間光線が急加速。成程、魔法の速度を上げたんだ……

「妙な小細工を……それでこそ愚者だね」

 それでも容易く受け止められ、『魔王』の杖が光り始める。

 凄い重圧だ。まだ何の魔法かも解らないのに、膨大な力が辺りに漂っている。

「さて、お返しと行こうか!」

 彼女のものとは正反対にどす黒く毒々しい魔法が発射される。

「『ほい』」

 彼女は待っていたとばかりに黒い穴を開き、放たれた魔法を呑み込む。

「くたばれ!」

 そして再度穴が開くとさっき呑み込んだ漆黒の光線?が発射される。

 更に僕に目で合図を送り、それと同時に僕は駆け出し、剣を構える。

「小賢しいな……」

「はあー!」

 跳ね返された魔法に続いて僕も全力で攻撃を仕掛ける。

 しかし、その二つを以てしても防御を突破できない。

「『光在れ!』」

「何っ……」

 防ぎ切って相手が油断した所に目眩し。何とか『魔王』の動きを鈍らせることに成功した。

 この気を逃すまいと僕等は全身全霊でその一撃に力を込める。

「『我が道を切り拓けー‼︎』」

「とりゃぁぁ!」

 最早見慣れた破壊光線と数える程しか打っていない斬撃が同時に叩き込まれる。自分で言うのもあれだけど、かなりの威力の筈だ。

 防壁を張られることもなく、本体にしっかり命中した。

「ああ、嘆かわしい。私には及ばずともこれほどの力を持っているにも拘らず愚者に堕ちるとは……跡形もなく粛清してあげましょうか」

 殊更めいて不気味な笑いを浮かべると、足元から二つの人影が現れる。

「シヴァル⁉︎」

「ラウル様⁉︎」

「さあ、掃除を始めないとね」

 エルドリヒが手で合図をすると、虚ろな彼が魔法を発動させ背に数多の白い穴が開き、剣や槍が飛び出してくる。とんでもなく嫌な予感がする。

「えっと、『殲滅しろ』だっけ?」

 適当に言い放った瞬間、刃の雨が降り注ぎ無数の凶器が僕達を襲う。

 死を覚悟した瞬間、ギリギリの所で黒い穴が開かれる。

「『ほい!』」

 安堵している暇もなく、次の攻撃に備える。

「君、やっぱり厄介だね」

 今度は逆の手で合図をする。確かラウル様の魔法は記憶に関するものだった筈……一体何を?

「……!」

 その瞬間セリアが慌て始める。

「——魔法が使えない……」

「え……⁉︎」

 記憶ってもしかして——

「——そう、君の魔法の記憶を消させてもらったよ。使える魔法の種類も少ないようだしね」

 彼女の顔が青白くなり、絶望を隠せず俯く。

「第二幕といこうか!」

「くっ……」

 セリアの魔法が封じられている以上、僕が頑張るしかないけど……

 あんな数の武具を捌き切れるとは到底思えない。

 それでも正眼に構えて、眦を決するしかない。

「ふぅ……」

 呼吸を整えて緊張を解す。来る。

「『殲滅しろ』」

 剣を構える位置はあまり動かさず正面にきた刃を順番に薙ぎ払っていく。

 精一杯やっている積もりだけど、当然処理は全く追いついていない。

 肩には短剣が刺さり、脇腹に槍が掠り、足元には剣が数え切れない程突き刺さっている。

「ぐはっっ……」

 払っても払っても飛んでくる刃の雨に心が疲弊してしまいそうになりながら、何とか意識を保って必死に防御する。

「ナイン……!」

 だから、僕はそんな名前じゃないって……

 金属の衝突音が喧しく響き、意識が遠退き始めた中でも彼女の声だけはしっかりと届いている。

 やっと雨は降り止んだ。

「はぁ……はぁ……」

 まずい、止まった所為でどんどん疲れが回ってくる。

「おや、もう終わりかい?」

 余裕の笑みを浮かべる『魔王』の前に倒れ伏す僕等。

 そんな中彼女の一言が静寂を破る。

「『我は時を操る者なり』」

「⁉︎」

 突如地面に巨大な魔法陣が出現し、上空に巨大な何色とも言えぬ裂け目が開く。

「ナイン」

 彼女が杖を振った瞬間、僕は穴の方へ吸い寄せられていく。

「セリア、一体何を……」

「もう一度やり直して、ラウル様と——序でにシヴァルも助ける……!」

 雫をぽろぽろと流しながらも、真剣な表情で全身全霊で眦を決する。

そうか、そう言えば彼女は賢者、時の賢者セリアなんだ。

 巡りの悪い頭で漸く理解し納得している間にも、その時は刻一刻と迫っている。

僕は吸い込まれる直前、鎧の腕部分に剣で傷を刻んだ。

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