第6話 サリタニアとラウル

「凄い……」

 南の国サリタニアに着くやいなや僕は相変わらず幼稚な感想を呟いてしまった。

 ヴィリクの時も同じようなことを言った気がするけど、本当にそう思ったのだから仕方ない。

 南の方は魔法の発達が著しいらしく、街が大きな籠を覆い被せられたようにすっぽりと障壁に包まれている。長閑な北、慌ただしい東とは全く異なった様相だ。

 門を潜るとそこはもう外界と掛け離れた景色が広がっていた。街の諸所に灯された色鮮やかな火火が幻惑的に揺らめき、物理法則を無視しているような異様な形状の巨大な建造物が聳え、上空には星の如く輝く宝石や細石が漂っている。

 一言で表すならば別世界である。

 とにかく幻想的な風景で筆舌に尽くし難いものであるということにしておこう。

「そうそう、賢者様の屋敷を探さないと」

 漸く本来の目的を思い出した僕等は摩訶不思議な街の中を散策し、南の賢者の邸宅を探し回る。

 しかし、一向に見つからない。矢張り滅多に人目につかない場所に隠れているものなのだろうか。

 確か店主の話では常に灰色のローブを纏っているとか——

「はぁぁ……折角暇ができたと思ったのに、結界が壊れるなんて……」

「見つけた!」

「へ⁉︎」

 賢者様を思いっきり指さしちゃ駄目でしょ。

 でもここの人は皆変わった服装をしているから危うく見逃す所だった。

「君達、私に何か用?この街の人じゃないみたいだけど……」

「えっと、それは——」

 僕は店主と娘さんの話を中心に此処に至った経緯を事細かに説明した。彼女は急いでいる様子だったのに、顔を歪めることなく「へぇ〜」とか「ふむふむ」と殊更めいて大きな相槌を打つと記憶喪失の部分で盛大に眼を丸くして叫んだ。

 周囲の耳目を集めて恥ずかしげに口を抑えると僕らに顔を寄せて囁く。

 そしてほくそ笑むように「成程ね」と眼を光らせた。


「狭いけど我慢してね〜」

「はい、我慢します!」

「はは……素直なのは良いけど少しは否定して欲しかったなぁ……」

 案の定セリアには目上への謙譲や阿諛追従あゆついしょうの機能は備わっていなかったらしく、視線のみで問い掛けてきたラウル様に僕は対応に困った末苦笑いを返す。

 確かに想像していたより遥かに慎ましやかな暮らしだけども。

 彼女の屋敷もとい摩天楼の如く天を突く塔の傍らににひっそりと佇む民家。

 一般人のそれと大して差はなく、寧ろ年季が入っていてよりぼろ——おっとこれ以上は止めておこう。

「はい、お茶」

「どうも」

 テーブルにゆっくりと置くとほんのり冷たい木の床に正座して、真っ直ぐこちらを見つめる賢者様。

 少なからず緊張する僕だが、隣の彼女は微塵もかしこまることなく嬉々として茶を啜っている。恐怖心や羞恥心も欠落してるらしい。

「ずばり、君達は私に記憶を戻してもらいにきたんだね⁉︎」

「そうなんですか?」

「え、違うの⁉︎」

「いや、違うことはないですけど……」

 そんなことは初耳だ。成程、だから店主やエルドリヒ様は南の賢者に会うように勧めたのか。

 認識の相違は兎も角、そんなことが出来るのなら早々にお願いしたい。

 お金は——何とか稼いでみよう。

「金貨何枚ですか……?」

「えっと……もしかして私そんなにがめつい賢者に見える?」

「いえ、そうではないですけど……何かしら代償は必要かと」

「そうだなぁ……じゃあ魔法に使う材料を取ってきてもらおうかな」

 どうやら記憶に干渉する魔法だけあってかなり大規模な魔法及びその材料が必要らしい。

「それなら、お安い御用だね!」

「うん、そうだね……」

 何となく嫌な予感がするのは多分気の所為だ、多分。


「これ……本当に達成できるのかな……」

 僕等が調達を承ったのは街から更に南に行った所にある古代遺跡に住んでいる「石の巨人」とか呼ばれている遥か昔の古代兵器の破片らしい。

 拝聴した限りでは頑丈で怪力だと言う。そんなものと渡り合えるのかな……

 漠然とした不安が頭を擡げるけど、元より挑戦しないという選択肢は毛頭ない。

 少しでも可能性があるのなら僕がそれを潰す訳にはいかない。

 最早樹海の中を進むのには慣れつつあり、迷わずずんずんと広大な森を横切っていく。

「さて——ここがその遺跡?」

「そう、っぽいね」

 入口こそ狭くて通るのがやっとな程だが、そこから奥へ進むにつれて次第に広がっていき、地面に対して垂直に立つ不自然な壁、へし折れた柱、崩れた家屋が続々と姿を現す。

 どうやら本当に大昔集落があったらしい。何処か神秘的な空気を纏ったそれらに見入っていると深奥から地響きと崩落の音が聞こえてくる。十中八九今回の標的の仕業だろう。

「もしかしなくても……」

「件の『石の巨人』だろうね……」

 その高さは人間の三倍程。腕のような部分を振り上げて威嚇している所為かそれ以上に大きく見え、戦慄している。武者震いだと言い訳をする気力が無くなる程には巨大な怪物を前にして情けなくも臆していた。

「見るからに硬そう……」

 岩が連結されて構成された胴体に歪な頭、背中にはあまり似合っていない煌々と輝く宝石が生えている。

 動きこそ鈍いものの、歩く度に地面が振動して一層緊迫した雰囲気を色濃くする。

 とてもこの剣で太刀打ちできるとは思えない。何か倒す方法があるのだろうか。

 そんなことを思い悩んでいたのも束の間、巨人の背中がにわかに光を強める。

 何か様子が変だ。

「あ!」

「え、何?」

「確か別れ際に賢者が『背中が強く光った時は光線が発射される』って——」

「そういう大事な事は早く言って⁉︎」

 生と死の狭間で必死に考えを巡らし、刹那の判断で彼女を抱え上げ横へ飛び退く。

「とぉぉぉ!」

「ふぅ、危ない所だった?」

「なんでセリアはそんなに冷静なの?」

 冷静というより能天気な彼女。先程の推定を改訂しなければいけない。

 恐怖心や羞恥心だけでなく緊張感も欠けているようだ。

 兎も角九死に一生を得たようで、僕も彼女も無事——何か肩の辺りの風通しが良くなったような。

「えっ⁉︎」

 右肩の部分が消し飛ばされている。けれど幸い僕の身体は傷一つないようだ。

 少し安堵して一時肩を緩めるけれど、すぐにまた気を引き締める。

「でも、どうやって倒せば……」

「あ、また光った」

「ちょっと待ってくれないかなぁ……」

 僕達は狙いを分散させるために左右へ跳んで、容赦なく射出される光線をかわし続ける。

 しかし、言うまでもなく避け続けるだけじゃ、いずれ力尽きて光線の餌食になってしまう。

「うん?背中の宝石……」

 思い付きの範疇を出ないけれど、試してみるしかない、かぁ……

 一先ず緊張を解くために光線の合間に深呼吸。

 巨人の注意が彼女の方へ向いている今ならいけるかも。

「セリア、『目眩し』を!」

「? 分かった〜」

 声こそ危機感も締まりもないけど、指示を受けるなり即座に詠唱を始める。

「光在れ」

 一応詠唱がなくても打てるらしいけど、形式化することで心の準備をしやすくなるとか何とか。

 狙い通り光球は一直線に飛んでいき巨人の顔面ど真ん中に中る。

「よし!」

「ふっふ、私に掛かれば朝飯前」

 目論んでいた通りちゃんと巨人の動きを止めている。やっぱりあの光は表面上のものらしい。

 自分の曖昧で脆い推理が当たっていたことを素直に喜びながら、眦を決して巨人の背後から斬りかかる。狙いは勿論、宝石だ。

「とりゃぁぁー!」

 未だに緊張で震えている手に力を入れるため思わず咆哮する。反響した声が遅れてやってきて心を抉る。

 ただ渾身の一撃はしっかりと決まり、宝石は砕けて光を失い、巨人は身動ぎもしなくなる。

「やったぁぁ……」

 成功の安堵からか急に全身の力が抜けた僕は情けなく膝から頽れる。

 そんな僕を歯牙にもかけず巨人が本当に再起不能か指で突っつきながら確かめる彼女。

 心配して欲しいとは言わないけど、一瞥もくれないとは……

「うーん、これかな?」

 地面に突っ伏しながらも顔を上げて声の方を見ると、セリアが先程粉砕した宝石の欠片を拾い上げて矯めつ眇めつ観察している。

 あ、そういえば今回の目的って巨人の一部を採取することだっけ。

 手段と目的を知らぬ間に取り違えていたらしく、又もや羞恥に包まれる。

「本体の方の破片もいるかな〜?」

「分からないけど……一応両方持っていこう」

「了解〜」

 その後漸く力が戻り真面に動けるようになった僕は裏腹に元気の余っている彼女に何とか追随してサリタニアへ帰還し始めた。


そんなに距離は離れていなかった筈なのに、心なしか行きより長い道則のような気がする。脆弱にも疲労で項垂れているとやっと奇妙な細長い塔が——ない。

 代わりに見えるのは空を飛び回り炎を吐いている龍と思しき飛行物体。

「「え……⁉︎」」

 端的に言えば、街が燃えている。

 敵の数は目視できるだけでも先程のような巨大な怪物が四体。

 言うまでもなく結界はとっくに破られているようだ。

 火柱が上がり街中が炎に包まれている。

「まずい、よく解らないけど、急ごう!」

「了解!」

 流石にこれは演出とかではなさそうだ。龍とはこんなに攻撃的なものなのだろうか。

 兎に角一刻も早くラウル様と合流しないと。

 賢者様の話だと儀式の場所はあの街一高い塔だった筈。

 喧騒と炎に包まれて最早地獄絵図と化した通りを無我夢中で疾走する。

 流石に簡単にはやられないと思うけど……あの人に何かあったらこの街が瓦解——いやラオスの彼等が悲しむ。

 大分走ってやっと塔へ到着する。

「あ、君達!大丈夫だった?」

「はい、それよりこれは……」

「私にも訳が分からなくて。そのまま見た通りの状況だよ……」

「龍って街を襲うものなんですか?」

「いや、彼等は人里離れた場所に住んでいるし、危害を加えない限りそれはないと思う。それに龍は単体でも十分強力だから群れを編成しないんだよ」

「それって、つまり——」

「うん。何者かの謀略で間違いないよ」

 人間の仕業?この世界には龍を操れる人間がそんなにいるんだろうか。

 うん?北の街で何かそんな存在の話を聞いたような。

「もしかして『魔王』とかですか?」

あながち間違いではないかもしれないね。尤もそれは北の地で有名な噂話なんだけど……」

 実際にいるかは賢者様もご存じないらしい。まあ今は取り敢えず黒幕を突き止めるより先に目先の危機を乗り越えないと。

「思えば結界が直前に壊れたのも下準備だったのかもしれないね……まあそれはさておきこの事態の元凶の龍達を倒さないとね」

「私達も手伝う!」

「気持ちは嬉しいけど……君達じゃ危険——」

 提案を断ろうとして、ふとラウル様が黙って彼女をじっと見つめる。

「あれ、もしかしてあなた——じゃあ、力を貸して貰おうかな」

 何故か瞬く間に断る方向から協力要請へと転換。一体何がどうしたというのだろう。

「任せて!」

「あ、でも無理はしないように」

 そう優しく忠告する彼女からは何とも言えない母親らしさが滲み出ていた。

 そんな眼差しに応えるようにセリアは力強く頷いた。


今はもう完全に火の海となりつつあるサリタニア上空に龍が一匹、二匹、三匹、四匹。

 悠々と飛び回っては何を狙う訳でもなく適当に火炎弾を吐いているように見える。

 まるで破壊すること自体が目的のような。

 ラウル様が中央部の一匹を倒しに行っている間に僕達は塔の周辺にやってきた怪物と対峙する。鋭い爪と牙、石の巨人と同じくらい固そうな皮膚、長く破壊力の凄まじい尻尾。

 そして最大の特徴はその巨大な身体を浮かせている大きな羽だ。

「グォォォォ‼︎」

 喧しい雄叫びが耳を貫こうとする。無条件に鳥肌が立ちそうな禍々しく不吉な鳴き声だ。

「協力とは言ったものの、こんなのどうやって倒すの?」

 あんなに自信満々で名乗り出たし、賢者様も認めたからきっと何か良い策とか逆転の手立てがあるに違いない。

「頑張って?」

 ——そう思ってた時が僕にもあった。

「グルォォォォ!」

 そんな僕達にお構いなしに戦闘体制へ移行する怪物。

 作戦会議をしている余裕はなさそうだ。慌てて僕も不恰好ながら剣を構える。

 最初の戦闘を数えていいのか解らないけど、真面に戦ったのなんて先の巨人戦ぐらいだし、とてもじゃないけど自信が湧いてこない。

 そんな不安を他所にセリアは驚く程いつも通り。

「『我が道を切り拓けー!』」

 彼女の元気な感じに似合わずかなり物騒な光線が龍目掛けて発射されるが、尻尾で弾き返されてしまう。

 あの出鱈目な攻撃を容易く弾き返すなんて、本当に勝ち目があるのかな。

「よし、ナイン行け〜!」

「だからそれは名前じゃないんだって……」

 彼女の中身がガラリと一新されても、記憶はしっかりと引き継がれているようで最早取り消しは出来なさそうだと嘆息しながら呟くと良い具合に緊張も解れてきた。

 彼女なりの気遣いなのかと一瞬思い掛けたけれど、彼女に限ってそんなことはないだろう。

 さっぱり剣術は分からないまま、龍の腹へ斬撃を放つけれど、痛くも痒くもないという風で全く手応えがない。

「グォォォォ!」

 今度は敵の番らしく、無造作に正面に炎を吐き、跳躍して落下しては地面を揺るがす。

「うわっ!」

 何とか丸焼きになることは避けられたものの、地面が揺れて足に凄まじい衝撃が来る。

 その大きな図体も飾りではないらしく、想像以上に絶望的だ。

 しかし、このまま死ぬ訳にもラウル様を見捨てる訳にもいかず、かと言って高い壁に阻まれて二進にっち三進さっちもいかない状況だ。

「また『目眩し』で何とかならないかな?」

「いや攻撃の隙ができたとしても効かないんじゃ……」

 それともまた巨人の時のみたいに都合よく弱点があったり——はしなさそうだけど。

 鋭く生え揃った牙、研がれた爪、頑丈な表面を順に見て苦笑いを浮かべてしまう。

 するとセリアが何か思いついたような顔で分かり易く「はっ」と声を上げる。

「何か思いついたの?」

「外からが駄目なら中から!」

「はい?」

 彼女の素晴らしい策とやらを要約すると硬い皮膚に覆われているのなら、中は相当脆い筈だ、らしい。

「丁度ナインみたいな感じ!」

「え?」

 何か例示でサラッと馬鹿にされたような。

「その案だとアレに喰われてこいっていう風に聞こえるんだけど……」

「ん、そうだよ?」

 本気の目でなんて無茶苦茶なことを。

 何としてもそれだけは回避しなくては。

「じゃあ、口の中に光線を放り込めば良いんじゃ——」

「——成程!」

 あれ?

 僕の苦し紛れの冗談を聞くなり、すっ飛んでいき一直線に龍へ突撃。

「『疾く在れ』」

 そして加速し一気に間合いを詰めていく。

「ウゴォォォォ‼︎」

 彼女の速い動きを見ても依然として龍は堂々として余裕ありげだ。

 セリア目掛けて尻尾が振り下ろされるが、上に跳んで難なく回避。

 その筈だったが、どうやらそれも敵の想定内だったらしく微塵も焦ることなく灼熱の豪炎を放射し、彼女が姿焼きになるかに思われたその刹那、彼女は静かにほくそ笑む。

「『ほい』」

 彼女の正面に黒い穴が開かれ火炎を喰らい尽くしていく。

 息の根を止めたと勝ち誇っていた怪物は明らかに動揺して、僅かに動きを止めそこに彼女は畳み掛けるように全身全霊で最早彼女の代名詞と化したそれを撃ち放つ。

「『我が道を切り拓け〜‼︎』」

 あんぐりと開け放された口に破壊光線が打ち込まれ、尻尾の辺りまで貫通した後、難敵は漸く爆散してその姿を消失した。

「ふぅ……ははは」

 流石に体力と気力を使い果たしたのか、初めて異なる笑みを浮かべるセリア。

 僕も少し休憩しようかと迷っていた頃、覚えのある気配を上空に感じ取る。

「グルォォォ!」

「「え?」」

 まさかのもう一体。一体討伐して安心しきっていた僕らは思い切り不意を突かれ、その場から動くことができない。セリアに至っては反動で物理的にも殆ど動けない状態だ。

 龍は迷わずセリアに狙いを定め、上空から襲いかかる。

 まずいと思って動き出したのはいいものの、少し躊躇してしまった所為でこのままでは間に合いそうもない。

 そう一瞬間のうちに又もや窮地に立たされた僕らの近くにまたしても見覚えのある白い穴が開かれる。

 嫌な予感がして数秒後、案の定黒いローブが顔を出した瞬間に同時に叫ぶ。

「あ、不審者!」

「あ、誘拐犯!」

「だから、どちらでもないと言っているだろう……」

 勢いのない少し呆れたような低い声が響いたかと思うと、龍がどしんと鈍い音を立てて泡を吹いて倒れる。

「一瞬で……」

「何を言う。この程度の魔物はこんなものだ」

 存外例の不審者が強かったことに唖然とする僕達を不思議そうに見つめる誘拐犯。

 セリアをかどわかしておいて今更否定するなんて、実に往生際が悪い。

「ここに居合わせたのは偶々だが、このような事態になってはいさかいをしている場合ではあるまい」

 あ、何か誤魔化された。

 でも確かにこの怪しい人より未だ残っている二体の龍の方が優先度が高いのは明々白々。言い訳を聞くのはこの危機を乗り切ってからでいいだろう。

「ところで、南の賢者はどうした?」

「龍を討伐しにあっちの方に」

「では、一応見に行くとするか」

「一体何を……」

 一面に広がる白い大きな穴。問うまでもなく僕達は何が起こるか知っている。

 瞬くその僅かな間に目の前の景色が一変し、少し見上げるとまた龍、それも二匹。

「助太刀は必要なさそうだな……」

 その怪物達に挟まれているのはそんな状況でも凛としているラウル様。

「よいしょっと!」

 両手を双方向に伸ばしたかと思うと、紫の光弾が発射され、当たった怪物達は彼女そっちのけで同士討ちを始める。

「どうしたのかな?」

「奴は記憶を操る賢者だからな。あの程度のことは造作もないだろう」

 ああ、そういえば最初そんなことを言っていたような。

 軈て二体は力尽きて地に堕ち、彼女は賢者らしからぬ様相で無邪気に喜んでいる。

 固唾を呑んで見守っていた僕達も無用な心配だと思いつつ、ほっと胸を撫で下ろす。

 皆が達成感で和やかになっている雰囲気の中、その空気を一矢が引き裂く。

「ぐはっ……」

 空中に佇んでいた彼女の脳天に矢が突き刺さる。

 僕達はあまりに突然の出来事で固まったまま動けずにいる。

 魔法が切れて浮かび上がれなくなった軀はそのまま自由落下して、徐々に地面へ接近していく。

「くっ……」

 いち早く動き出していた彼は彼女の真下に白い穴を開き、勢いを殺して地面に置く。

 彼女の安否は言うまでもない。信じたくはないけれど。

「ははは……呆気ないね……」

 膝をついてセリアは苦笑いを浮かべて、口元だけで不気味に笑い続ける。

 僕は大方その理由に察しがついていながらも、口を閉ざして右往左往していた。

 横にいる黒ローブも悟ったように固まっている。

「セリア、大丈夫……?」

 僕も勿論悲愴感で胸が苦しくなっているけれど、何かに憑かれたような彼女を見ていると情動ばかりに従っている訳にもいかなくなってくる。

「お前の仕業か……?」

 渇いた笑いが途絶えたと思うと急に「怒り」が顔を出す。

 どうやら行き場を失い、表すこともできない未知の感情に翻弄されているようだ。

 そしてそれは内部を飛び出て、外部へと向けられる。

「お前がラウルさんを殺したのか!」

 物凄い形相で彼をめ付け、杖を突きつけるセリア。

 その豹変っぷりに僕等は絶句する。

「セリア、待って!それは流石に無茶苦茶だよ!」

「その通りだ。一旦落ち着け」

 僕達の必死の説得の甲斐あって、漸くセリアは従来の落ち着きを取り戻し、唐突に語り始めた不審者の方に耳を傾ける。

「最初に言っておくが、私は誘拐犯ではない。勘違いだ」

「勘違い〜?」

 疑っているのを示すように細目で不審者を見つめる。

「不審者なのは否定しなくていいんですか?」

「まあ役回りというより性分としてそう映るのも仕方ないと思っている」

 要するに諦めたと。

「じゃあ、誘拐犯じゃないなら、あなたは一体?」

「自己紹介が遅れたな、私が東の賢者シヴァルだ」

「はい」

「まさか分かっていたのか?」

「いや、服装が完全に魔法使いのそれですし、空間を繋げるなんて大それたことを出来るのは賢者様くらいかな〜と」

 同じ賢者でこうも違うものかと改めて不思議に思う。

「誘拐犯じゃなかったの⁉︎」

 反対に心から仰天しているセリア。僕も十中八九怪しい宗教関連の犯罪者か暗殺者かと思ったけども。

「さて、流石にもうここを離れた方が良さそうだな」

「ラウル様は……」

「後処理は弟子達に任せておけばいいだろう。私の予想が正しければ奴の狙いに私と彼女も含まれているだろうからな」

「え、私?」

 突如自分の名前を挙げられて不思議がる彼女につられて僕も揃って首を傾げる。

 そんな会話も束の間、嫌な気配が近付いてくる。

「敵は六人、一瞬で囲まれたようだな……」

「それってかなりまずくないですか……?」

「ああ、それに些か不利な相手だな。魔法使いは基本的にすばしこい相手が苦手だからな」

 あー詠唱中に一気に間合いを詰められる上に、鍔迫り合いになったら勝ち目がないからか……

 自分に関係のないことを呑気にも冷静に分析している間に頭上から降ってくる不穏な人影。被せられたぼろ布の間隙から首輪を確認できる、

「龍だけでなく人間も操れると……演出とは舐められたものだな」

 不審者もといシヴァル様?の仰る通り只の奴隷といういう風ではなく、眼が虚ろで嘗ての彼女や何処ぞの賢者様に似て非なる無を感じる。

 これが操られているということなのかな。態々奴隷を操作する意味が解らないけど。

「なんか気持ち悪い……」

 憐憫の情を抱いている場合ではない。この騒動の黒幕の駒である以上、此処で払い除けなければ。

 そう意気込んでいると僕の目の前の一人が凄い勢いで襲い掛かってくる。ナイフを何とか剣で受け止め、振り払っても後ろに飛び退いて、何度でも再特攻を仕掛けてくる。

「しぶとい奴らだ。ならば……」

「墜ちろ」

 瞬く間に敵の足元に白い穴が開き、強制的に吸い込まれる。

「後は頼んだぞ」

 そして、セリアの方へ合図を送る。

 すると理解しているのかしていないのか判然としないドヤ顔で堂々と返事をする。

「任せて!『我が道を切り拓け〜!』」

 空に大きな白い穴が開き、先程の敵と思しき塊が字義通り墜ちてくる。

 それに照準を合わせ嬉々として斜線上に物騒な破壊光線を発射する。何度この光景を見たことか。練習の甲斐あって狙いは正確になっているようで、しっかりと遥か上空の落下物を撃ち抜く。

「身の危険を感じる破壊力だな……」

 それは本当に。

 何気ない呟きに思いの外激しく同意してしまう。

「さて、事も済んだ。早々に避難するとしよう」

「何処に?」

「私の屋敷だ」

 頗る不機嫌そうにセリアが顔を歪めた。


まさかまた此処に来ることになろうとは夢にも思っていなかった。

 尤も僕は中には入っていないけど。

 セリアは依然として警戒心剥き出しで大扉と睨み合いを続けている。

「彼女に何したんですか……?」

「いや、何もしていない。気を失ったから寝かしておいただけだ」

 この人は見た目からして怪しいけれど、嘘をついているようには見えない。

 それにしては彼女の敵愾心が強い気がするけど。

「外にいるよりは安全だと思うが、入らないのか?」

「入るッ!」

 反発してがなる彼女に気圧されて、思わず脇に避けるシルヴァ様。一応この人も賢者なんだけどな……序でにここの主でもある。

「すみません」

「別に気にしてはいない。誤解を招くような方法を取った私が悪いのだからな」

「彼女を守ろうとしたってことですか?」

「一応」

「それって彼女の正体と関係あったり……」

「大いにある。薄々勘づいているだろう?」

「まだ、そうと決まった訳ではないが」

 もう少し何か確証が得られれば……黒幕の正体も突き止めなければいけないのに、今の今まで放ったらかしにしていた問題が繋がってくるなんて。

「早く、お腹空いたッ!」

 先に奥に入っていた彼女が明らかに不機嫌そうに怒号を飛ばしてくる。

 よっぽどこの空間が嫌らしい。

「——早々に飯を用意しないと跡形もなく消し飛ばされそうだな……」

「僕も手伝います……」

 誘拐が誤解だとわかった今、セリアの際限のない不機嫌に晒されて不憫に思えて、せめて手伝おうとする僕だった。


「——悪くない……」

 悔しげに唸りながら顔をしかめては一口飲み、幸せそうに舌鼓を打ってと百面相する彼女。よく解らないけれど、感情の少ない彼女の心の中で珍しくせめぎ合いが起きているのだろう。

「大した食材がないから、それで我慢してくれ」

 そう自身なさげに出されたのは肉と山菜のスープ。

 見た目は真緑でお世辞にも良いとは言えないけれど、覚悟を決めて飲んでみると肉の旨味と山菜の仄かな苦味が合わさって不思議な味わいだ。

 あっという間に飲み干すと、どっと疲れが表面に浮き出てきて、睡魔に襲われる。

 瞼の隙間からすやすやと眠っている彼女が見えたと思うと、一気に視界が真っ暗になった。


「「——!」」

「なんか騒がしいな……」

 外が何やら騒々しい。御蔭で真昼まで寝そうな勢いだった僕とセリアは叩き起こされる。

 起き上がって寝惚けたまま辺りを見回すとシヴァル様がカーテンの隙間から外を覗いているのが見える。端的に言って凄く怪しい仕草だ。

「また面倒な事態になったな……」

「——何やってるんですか?」

「見ての通りだ」

そう言われて隙間から同じように覗くと、屋敷の周りを大勢が取り囲んでいる。

一体何事なんだろう。もしかして——

「言っておくが、私は何もしていないからな……」

「よく分かりましたね。まあ、冗談ですけど。一体何の騒ぎですか?」

「「賢者の皮を被った悪魔め!」」

 どうやらシルヴァ様が非難されているっぽいのだけど……

「あの、本当に何もしてないんですよね?」

「なんだその訝るような視線は……断じて何もしていない」

「じゃあどうしてこんなことになってるの……?」

 二度寝しようと試みていたセリアがあまりの騒音に諦めて、真に不機嫌そうな表情で責め立てるように尋ねる。

「南の賢者は死亡し、西の賢者は行方不明、そして昨日北の賢者の屋敷が魔法により半壊したらしい」

「つまり、どういうこと?」

「被害を被っていない私を不審に思い、他の賢者を排除しようとした黒幕、『魔王』なのではないかと噂が立ったということだ」

「そして、本人の怪しげな行動も相俟あいまってでっち上げられ、事実だと結論づけられかけていると」

「私が悪いのか?」

「悪い」

 起きて早々怒りを露わにしているセリアが適当に言い捨てる。

 睨んでくる彼女を態とらしく無視して、話題を転換するシヴァル様。

「さて、出るとするか……」

 白い穴を開いて集う民衆を無視して、脱出する。

「ここは?」

「近くの袋小路だ。ここなら人も通らんだろう。全く自分の家に入るのにも魔法を使わなければならんとは面倒な」

 ある程度離れても聞こえてくる喧騒に対してぼやいていると、こちらに近づいてくる足音が。行き止まりに何故人が……

 思いもよらぬ展開に全員武器を構え戦闘態勢に入る。

「おや、覚えのある気配だと思ったら、君達だったんだね」

 角から徐に出てきた姿は数少ない記憶に刻まれている人物だった。

「エルドリヒ様⁉︎何でこんな所に?」

「例の噂を聞き及んでね。心配になって来たんだよ。後で南の方にも訪れようと思っているしね」

「成程、ラウルの弔いの序でという訳か……」

「そうは言っていないよ。噂の源流は北らしいし、こちらにも責任があると思って」

 常時の笑顔から一転、真面目な顔になっている。

「そんなことは今どうでもいい。今更追及をするのも無意味だからな」

「だから、私も黒幕捜しに協力するよ」

「北の方は守らなくていいのか?」

「敵は賢者を狙っているんだろう?それが本当なら私がいる方が危険が及ぶじゃないか」

 それは遠回しなシヴァル様への非難のように聞こえた。揃って僕とセリアは振り返ってじっと彼を見ると、咳払いをして何事も無かったかのように話を変える。

「それなら少し話がある。場所を移すぞ」

「ここでは駄目ということ?」

「ああ、重要な話だ」

 成程。では、僕たちはどうすれば……

「この近くに印がある……近くに迷宮ってあるの?」

「ああ、さらに東に行った所に深い森があったな」

「よし、行こう!」

 またあの変な光る岩かぁ……あまり気は進まないけど、彼女曰く新しい魔法を使う鍵らしいから、端から行かない選択肢はなさそうだ。

「では、後でまた合流だ」

「はいはい」

 無造作に手を振ってあっさりと別れを告げるセリア。

 僕も目を離すとすぐ逸れそうな状態の彼女を追いかけて森へ向かおうとしたその時、目の前に白い穴が現れ、手が飛び出す。何やら封筒のようなものを持っている。

 それをさっと受け取ると手が引っ込み、白い穴は消える。不思議がって裏返したりしてその封筒をじっと見つめる。

「ん?」

「ナイン、早く〜!」

 あ、舌の根の乾かぬうちに目を離してしまった。辛うじてまだ視界に入っている彼女を全力疾走で追跡し始めた。


平原をゆっくりと歩いていくと、例の森の入り口に辿り着いた。

 森に一歩足を踏み入れるだけで、陽が遮られて薄暗くなりにわかに冷涼な空気に包まれる。

 背筋に寒気を感じながら、木に傷を刻んで進む。

「また、暗い……」

 暗闇に何か嫌な思い出でもあるのか、うんざりして嘆息する彼女。

 想像通り見渡す限り緑が生い茂っていて見通しは悪く、風が吹くたび不穏な音を立てる。

「本当にこんな所にあの変な岩があるのかなぁ……」

「地図に書いてあるし、多分大丈夫!」

「多分って……」

 僕の記憶はもう既に殆どが森林及びくさむらの緑によって満たされているのに、挙句の果てに迷いの森とか云う明らかに危険な森に踏み込むことになろうとは。

 いい加減森林も洞窟もうんざりだと思い始めていたその時、梢の間で青い光が閃く。

「今のって……」

「あの岩だ。間違いない!」

 凄く根拠のない自信だなぁ。唐突に一体何処からやって来たのだろう。

 又もやいきなり走り出したセリアを追って青い光の所在を探る。

 案外それはすぐに見つかった。どうやら何かの衝撃で木が倒れてその岩のある場所だけ開けているようだ。

「本当にあった……」

「当然!」

 彼女の出任せ通り、苔の生えた岩が青く脆弱な光を出して佇んでいた。

 空の如く堂々とした青ではなく、海のように深く幻想的な青。

 例の如くセリアは手を触れ、青い光は吸収されていく。

「大丈夫……?」

 最初の「怒り」を思い出し、頗る不安になって呼び掛けるけれど、彼女は俯いたまま固まって動かない。

「っ……」

 細い吐息だけが静寂の中で響いたと思うと、ぽたりと雫が滴り落ちて雑草に吸い取られていく。

「何で、死んじゃったの……」

「……」

 僕は驚愕やら気まずさやらで口を開けることができなかった。

 未だに知らず知らずの内に引き摺られていた悲しさが今発現してきたのだろう。

 そうこうしている間に霧も出て来てしまい、迷った末暫くそっとしておくことにした。

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