第5話 不気味な館と魔法使い

 身元不明の魔法使いの少女は知らない部屋を目にするなり立ち尽くした。

 先程まで路地裏にいた筈なのに全く違う場所——否、薄暗いのは変わらず室外と室内という些細な違い。少なくとも彼女はそう感じていた。

 そう思うのも無理はなく、蝋燭の火が弱々しく灯り、その光が届いている範囲すら特に何もなく、人が住んでいるのかと疑いたくなるほどである。

 彼女は先程までベッドの上で眠っていたようだ。目を覚ますなり監禁か拘束されているのかと周囲を見回し、細心の注意を払って罠がないかを確認したが、何もなかった。

 本当に何も無かったのである。

 ベッド以外これと言って家具もなく、清潔にされているもののまるで生活感がない。

「あれ、ここは……?」

 しばらく部屋を見渡していると足の筋肉に力が入ってないないのを思わせる、踵と床が衝突して起こる振動が段々と接近してくる。

 彼女は思わずベッドの裏に身を潜め何者か分からぬ恐怖に身震いしていた。

 部屋が暗いことも彼女を緊迫させるのを手伝った。

「もう起きた——いないな」

 彼女は一瞬間の安堵と共に今一度気を引き締め、或る魔法を発動させる。

 まだ誰にも披露していない魔法。取り立てて説明する程でもない至って単純なものだ。

「『疾く在れ』」

 敵は未だ背中を向け、隙を晒している。

 彼女は此処ぞとばかりに例の魔法を唱える。

「『我が道を切り拓け!』」

 それも最大出力で。

暗かった室内を照らすまばゆい光。

 しかし——

「ッ……⁉︎」

 敵の背後に白い大穴が開き、かの殺戮兵器を容易く吸い込んでしまった。

 彼女は激しく動揺する。

 今の彼女は光線を発射した反動と加速の帳尻合わせで隙だらけである。

 だが、彼女は諦めていなかった。敵は激しい光で目が眩んだのか動かない。

 ならば間に合うとばかりに彼女は再度加速する。

「『疾く在——」

 そして彼女は加速の準備を終えた後、漸く気付いた。

 眼前にいた筈の黒ローブがいないことに。

「成程、思ったより空間転移の負荷が大きかったようだな」

 真後ろからの平坦な声。まるで緊張感のない余裕綽々といった様である。

 そうして漸く彼女はこの男こそが自分をここに連れてきた張本人だと思い出す。

「くっ……」

 急に間合いを詰められた彼女は咄嗟に逃げ出し、己の感覚を頼りに扉へ辿り着く。

 当然というべきか、扉には鍵がかけられている。

 切羽詰まった彼女は焦りに任せて見慣れた光線を発射する。

「『我が道を切り拓け!』」

 あっという間に巨大な穴が開き、貫通した光線は人通りの少ない路地を綺麗に通り抜けていく。

 いつかの洞穴と大差ない屋敷を脱出すると先程いた街中である筈なのに、雰囲気を全くことにする通り。

 作りからして同じ街の中であることは間違いない。

 彼女の予見した通り超自然的な空間移動という認識で間違いないだろう。

「相変わらず暗い……」

 裏路地>屋敷>外という形で徐々に明るくなっているのは確かだが、高く屹立し日光を遮る四方の豪奢な建造物によって日陰になっており、彼女の目には大して違う場所のように映らない。

「そうだ、すぐ逃げないと——」

 そう思い出し逃走を再開しようとした矢先、真横から背筋が凍る気配を感じ、白い穴から怪しく抜き出た腕を肘で叩き落とす。

「⁉︎」

 頭が出ていないため悲鳴や呻きこそ聞こえはしないが、腕全体で痛みを表現し不気味な手は姿を消す。

 走りながらそっと溜息をこぼしたのも束の間、進行方向真っ正面に件の不審人物が出現する。

 読んではいたものの今一度唖然とした彼女ははっとして構え直し、文字通り自らの行く手を阻む障害物となったその男へ再三唱えた魔法を撃ち放つ。

「『我が道を切り拓けェ!』」

 いささかの狂気と鬱憤を込めて。

「その手は読み切った……」

 鋭い目を光らせてふんと鼻を鳴らす彼であったが、右手が痙攣けいれんしていて色々と台無しである。

 しかし、しっかりと対策は講じていたようで、白い穴はかの光線を出始めから終わりまですっぽりと収めてしまったようである。

「なっ⁉︎」

 別に驚く程のことでもない。

 言ってみれば彼女の行動はワンパターンで実に感情的。

 対策は容易く、手を読まれ詰められるのも時間の問題。

 そして今がその時である。

「くっ……」

目と鼻の先には顔色の悪い嘗ての彼女のような面。

 その仮面のように固まった顔面に些か「不気味だ」と自身に跳ね返ってきそうな忌避の情が「怒り」や「喜び」とは別に萌えそうになる。

「おりゃあぁぁ!」

 静寂に包まれていた辺りにやかましい雄叫びが響き渡り、両者が一斉に振り向く。

 声の主は一気に怪しい男へ突っ込んでいく。

 ただ、人攫いを図る不審な隠者らしき男と大声を上げながら突進してくる男とでどちらが怪しい男かは今一判然としない。

 ともかく鎧を着用した騎士擬きは剣を所持しているにもかかわらず、素手で戦いを試みる。

 このままでは面倒な事態になることを予知したのか黒ローブの男は彼女の手首を掴み、白い穴へ引き摺り込もうとする。

「痛ッ……!」

 堪忍袋の緒が早くも切れた彼女が凄まじい抵抗をして、青年が引っ張るが、それでも引く力には抗えておらず、おもむろに穴の中へと引き摺られていく。

 魔法使いの男にそんな膂力があるとは思えないため、恐らく魔法の性質なのだろうと彼は片隅で思う。

「これじゃ……」

 そうこのままでは必ず負けるのが目に見えているし、平衡になった所で彼女の肉体に甚大な被害が出るのは間違いない。

 無い頭を必死に回した結果、彼は男を穴から引っ張り出すことを決心する。

「よし……」

 そして勇を鼓して淵を抜け出るべく淵に手を突っ込んだ瞬間、穴諸共男が消失した。

「「え?」」

 絶句して立ち尽くす二人だが、取り敢えず街の出口へ向かって走り出しその戦場を後にした。


「ふぅう……」

 緊迫感に包まれながら息を荒げてしまっていたけれど漸く息と気持ちが整った。

 何せ敵は距離や間合いなどものともしない世にも奇妙な神出鬼没な魔法使いだ。

 どれだけ離れた所であれ、安心なんてできない。

「どうしようかな……」

 不審者のこともそうだけど、街で宿を取ろうという計画が崩れてしまった今、選択肢は残されていない。

「また、野宿かな?」

 前夜に引き続きといった所だけど、よく考えたら旅なのだから野宿するのが当たり前なのかもしれない。街での食事云々を少なからず楽しみにしていた僕は落ち込んだ心を無理矢理元気付けるようにそう納得した。

「よーし、じゃあ準備しよう〜」

 いつになく協力的なセリアの積極さに感嘆しながら、火を起こし寝床を作り柵の成り損ないのような物を周囲に立ててみる。

 食糧に関しては問題ない。セリアを探し回っていた間市場で色々と買っておいたのだ。

 まさか丸々おじゃんになるとは夢にも思っていなかったから、大量には無いんだけど。

 メニューは昨日とあまり変わり映えしない肉と魚、加えて店のおばさんに勧められて買(う羽目にな)った珍妙な木の実。

 ジューと焼き色が付いてきた肉塊を今も昔も変わらず穴が空く程見つめる彼女。

 火で顔の輪郭がぼうっと浮かび上がり、瞳は長いこと肉を映している。

「む……」

「そろそろ、いいんじゃない……?」

 僕がそう言ったのと同時に俊敏な動きで棒を掴むと豪快に齧り付く。相変わらず情動と欲に従順らしい。

「美味しい!」

「そう?」

 そう言ってくれると僕としても嬉しい。尤も僕は焼いただけなのだけど。

 そこはまあ目利きが良いということで。

 彼女は先程の肉食獣のような様子とは打って変わって満足げにうら若き少女に似つかわしい笑みを浮かべている。

 今更ながらセリアの楚々たる様に目を奪われそうになる。

 この彼女の目眩く変化はどれだけ時間が経っても慣れない。

 そうして暫く上の空でいると腹ごなしをして睡魔が襲ってきたのか早々に床に就いている。

 自然に見張りを押し付けられた気がしたけど、元よりその積もりだったため、そこら辺にあった切り株に腰掛け軽く頬を叩いた。


「朝だよ〜」

「痛っ!」

 間延びのある声からは程遠い強烈な衝撃が頭に。

 俯くと木の年輪、草。どうやら交代の合図を聞くなりそのまま眠ってしまったらしい。

「よいしょ——いてて……」

 掛け声と共に身動ぐと腰や背中に痛みを感じる。座って寝るものではない。

 大いに後悔と反省をしながら、再び立ち上がるとセリアが早朝にも拘らず元気発剌といった風にせっせと魔法の練習をしているという信じ難い光景が広がっていた。

 昨夜に聞いた話では現在四種類の魔法を使えるらしい。一つ目は言わずもがな危険極まりない凄まじい光線(破壊光線)、二つ目は偶に開いている黒い穴(倉庫)、三つ目と四つ目は僕は見たことないけど、「加速」と「目眩し」らしい。

 北の賢者が「魔法使いによって使える魔法の種類が決まっている」と仰っていたけど、彼女の魔法は光で統一されているのかと思いきや、「倉庫」と「加速」は関係なさそうだ。

 この二つは光に関連性はなさそうだし、別のものなのか、若しくはもう一つ何か……

「どうしたの?」

「いや、何でも……」

 きょとんと首を傾げながらも大木に向かって光線を放っている様は中々狂気を感じる。

 ただ、その御蔭で段々狙いは正確になってきているようだ。それはそれでまた危険な気もするけど。コントロール云々より自制とか加減を覚えてもらいたい所ではある。

「あの、ちょっと聞いてもいい?」

「うん、何?」

「いや『加速』と『目眩し』ってどんな魔法なのかなぁと」

「説明するより実演した方が早そうだね!」

 うん、そんなに気合いは入れなくていいと思うよ。

 僕の願いとは裏腹に彼女は目を閉じて精神統一、この上なく集中しているように感じる。

「じゃあ、『疾く在れ』」

 俄に彼女の速度が増す。僕の懐に飛び込んでくるのに二、三秒とかからなさそうだ。

 そして、杖が振り下ろされ——

「痛い!」

 僕の脳天にヒット。俊敏な身のこなしに圧倒されて防御するのを忘れていた。

 というかこの感触、今朝もセリアに杖で殴打されたらしい。

 もう少し穏便というかいい起こし方はなかったのかな……

 時々「怒り」の片鱗が垣間見えるような、そんな幻覚がする今日この頃。

 頭に衝撃が走った影響か思考が纏まらない。

「よし、じゃあ次行ってみよう!」

「ちょっ——」

 その刹那反射的に瞼を下ろし何とか眼を防衛する。

 これは、目眩しの威力ではない。完全に眼を破壊しにきている。

 もう少し反応が遅れていたかと思うと——いや、仮定の話は止めよう。何だか背筋が凍えてきたし。

「あれ?」

 どこからともなく湧き出た冷や汗を拭おうとした時、身体が動かないことに気が付いた。

 五秒ほど経って漸く鎖が解けたように身体の指揮権が脳に戻ってくる。

「どうかした?」

「いや、何でも……」

 僕の勘違い、幻覚ではなさそうだけど……何しろ一瞬のことで今一自分の身に何が起こったのか十分理解できていない。

 再三再四掌を広げたり閉じたりを繰り返す。

「さて、じゃあ出発しよう」

「う、うん……」

 釈然としない心持ちのまま希望と不安を胸に再び南下を始めた。

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