第3話 憤怒と北の賢者
峻険たる山々を越え、僕とセリアは颯爽と生い茂る草を掻き分けて、進んでいく。
「止まって」
急に彼女に止められて僕は
危うく小石に
「この近くにある」
セリアは地図を広げながら、側の洞窟を指さす。
幾度も反復して漸く木の棒に火をつけて、暗闇の中へ足を踏み入れる。
「大丈夫かな……」
一度目の時のようにまた魔物が出てきたり、更に悪い事態になったらと懸念は絶えない。
「心配無用、これがある」
それと同時に彼女はその紋様の一片を表示して
なお、その殺戮兵器が最大の懸念事項であることをセリアは未だ理解していない。
「ん?」
険しい一本道は呆気なく終着点を迎え、巨大で透明な光る岩が出迎える。
その光は真紅、目も眩む程に強い。まるで熱り立っているように。
その印象は玲瓏たる宝石や珠、愛の象徴たる煌びやかな花とは異なる紅。
言わば戦場に咲き乱れる鮮血の華、勇壮な戦士を連想させる、人を惑わす紅。
その一点の光源は怒り狂った人間の充血した眼のよう。
「一体これをどうする——」
そう問うた時にはセリアはその怪しげな岩に触れて沈黙していた。
すると先の紅は彼女の中へ流れ込み、激しく迸っていた光も消失する。
「だ、大丈夫?」
だが、彼女の様子が
今の今まで白紙だったセリアの顔に皺が浮かび上がり、目玉も競り出て主張が強くなる。
「
「え?」
聞き間違いだと信じたい。でもそれにしては眉間に
「聞こえなかったか、雑兵。貴様如きが私の身を案じるなど片腹痛い」
やっぱり現実だ。しかし、一体全体どうしたというのだろう。
勿論候補は一つしかない。あんなものが彼女の探していたものなのか。
「全く北の賢者とやらは何とも面倒な輩だ。会ったが最後撃滅してくれる」
今一見当がつかないが、もしかするとこれは『怒り』なのだろうか。
事に依るとあの岩はそれを宿して保管していたのかも。
空の器にその紅だけが注がれて、暴走しているのかもしれない。
「『我が道を切り拓け‼』」
最初に見た時より大分出力が増大しているような。眩い光が閃き、洞窟を突き抜け、森を削り取り、雲も切り裂いて空の彼方へ昇っていった。
「漸く障害物が取り除けた。相当私を苛立たせたいようだな……」
真っ新の人形が忽ち夜叉に変貌した。
消極的より攻撃的へ。
僕はその形相に恐れ戦いて、背を追うのみだった。
すっかり変わり果てた姿の森を抜けると、大きな屋敷があった。
「着いたか。では早速、我が道を——」
巨大な紋章が浮かび上がり、射出される一歩手前で止める。
僕諸共消し飛んだらどうしようかと背筋が凍えた。
「一面に障壁とは何と忌々しい臆病者め」
どうやらここに来た目的を忘れてしまったようだ。
扉の錠が独りでに開く。
中には誰の姿もなく、塵芥、埃の一つ見つからない。
「——無礼な来訪者だな。人の家を行き成り吹き飛ばそうとするなんて」
笑みを交えて涼しい顔で語り出す華やかな服装の男性はここの主即ち北の賢者に間違いない。
「お前が北の賢者とやらか」
「いかにも。そういう君達は賊か何かかい?」
「いや、違いま——」
「ならば、証拠を見せろ‼『我が道を切り拓け』」
先程打ち損ねた光線を再度装填。静止は間に合いそうもない。
容赦なくその光の砲撃は北の賢者に直撃する。
目が眩んで一度閉じた瞼を上げると、その輪郭は変わらず残っている。
「この力、まさか近頃噂になっている『魔王』か?」
ああ、事態が更に面倒な方向に傾き始めている。
しかし、記憶が喪われている為、僕等はきっぱり断言することが出来ない。
「まさか、本当に……」
「そんな訳があるか。そもそもその『魔王』とは何だ?」
「正体不明の邪悪な存在とぐらいしか分かっていない奇妙な存在だ」
「たったそれだけの情報で敵と見做すとは、賢者の名が泣く」
「いや、君も相当無茶苦茶なことしてると思うんだけど……」
「黙れ、戯け。事前の自己防衛だ」
それを世間一般では先制攻撃というのだが、彼女は存じていないようだ。
その後、再度光線を射出しようとする彼女を必死に宥め、北の賢者と思しき彼に謝罪を繰り返し漸くその場は収まった。
「すみません、すみません——」
「ハッハッハ、何か勘違いしているようだけど、僕は怒っている訳じゃないんだよ」
「そうなんですか……?」
僕は恐る恐る顔を上げにこやかに笑う男性の顔色を窺う。
「ただ現代じゃこんな子は珍しいなと思ってね」
「あ?貴様私を嘲笑しているのか?」
「まあまあ、すぐ喧嘩腰にならない」
彼の笑顔に彼女も戦意を喪失しているのか、今回は大人しく引き下がってくれた。悔しそうに舌打ちをするけど。
「近頃の魔法使いは傲慢な一方、強い者には媚び
「ふむ、では貴様は傲岸不遜にも自分は強いと言うのだな?」
僕も流石に気付いた。遠回しに彼は自分は強者だと断言している。
だからこそ余裕があり、優しく明るい微笑みを浮かべているのだろう。
「一応賢者、だからね」
当然と言わんばかりに首肯すると、後方の大扉を魔法?で開け放ち、招き入れた。
「まあ、私のことは置いておいて、立ち話もなんだから腰を据えて話そう」
僕は恐縮しながらもお言葉に甘えて中に入る。
彼女も怪訝な面持ちで辺りを見回しながら、賢者と僕の後へ付いてくる。
それにしても立派な屋敷だ。内部は外観から想像していたよりもかなり広く、個人の所有物とは思えない。しかし、然程豪奢な感じではなく、少ない装飾で家具も庶民の物と大差ないように見える。
「賢者様は此処に一人で暮らしてらっしゃるんですか?」
「そうだね、人間は僕しかいないよ」
「何やら引っ掛かる言い方だな?」
僕も違和感があるのは本当だけど、決め付けて睨めつけるのも良くないと思うよ?
「そんな怖い顔をしないでくれ。居るのは私の使役している聖獣たちだから」
「聖獣、ですか?」
「君達が知らないのは当然だよ。私達賢者にしか扱えない子達だからね」
「説明に託けて自慢をし出すとは、賢者も所詮傲慢な人間だな」
無礼極まりない彼女に表情を曇らせず応答した聖人・賢者の揚げ足を取るように彼女は更に無礼な言葉を吐き捨てる。
「ちょっと、いい加減に——」
「いや、いい」
「え、でも」
膨大な器を持つ彼も流石に憤怒するのではと恐れた僕は慌てて彼女に口を噤むよう忠告、命令もとい懇願をしようとしたけど、意外にもそれを遮ったのは罵られていた側の賢者だった。
「彼女が言っていることも強ち間違いではないからね」
「漸く認めたか、愚者め」
「事実僕ら賢者は貴族と同等の権力を有しているし、人間の中では天に最も近い存在だ」
「……」
男性は自慢げな様子でもなく、淡々と事実らしいことを述べる。その内容が真実であればもっと驕(おご)ったり得意気になったりしていい筈なのに、微塵もそんな素振りは見せず、先程までの温かさがすっと引いて、冷たい瞳がずっと僕らを見つめている。
「まあ、僕らも人間だし、少なからず大罪の要素を含んでいるからね、欲の一つや二つあるさ」
重い空気を感じ取ったのか、彼の表情は一変してまた紳士的な微笑を浮かべた。
「開き直りおって……」
これには彼女も唖然として悔しげに唇を噛むほかない。
特に意に介していない賢者は平静を保って茶を啜る。
「おっと、そういえば招き入れておきながら自己紹介もまだだったね」
あ、確かに北の賢者だとは伺ったけれど名前は聞いていない。それに僕らも名乗っていないではないか。
「名前など必要ない。貴様など北の賢者で十分だ」
「そうかい……?じゃあ、君達の名を伺っても——」
「人に名を聞く時は自分から名乗るのが筋だ」
「そ、そうだね」
なんて理不尽な。僕が驚き呆れて嘆息しているにも拘らず、彼はすみませんと一言謝って、名乗を再開する。
「改めて、私の名前はエルドリヒ・アインザック、通称北の賢者だ」
恭しい振る舞いに恐縮しながら、僕も負けじと名乗ろうとするけど、その名は仮のものでありながら、セリアの勘違いにより生まれた変梃な名前だったことを思い出した。
「えっと、僕の名前はナインです。それでこっちは——」
「セリア」
眉を顰めながら明らかに不機嫌そうにポツリと告げる。
「ナイン君にセリアさんか。ところで、二人は何故こんな辺境に?」
「えーっと、それはですね……」
事情を話すべきか悩み、彼女に許可を求めるように視線を送る。
案の定彼女は気に入らないという風に外方を向く。
「実は僕達以前の記憶が無くて……街の人に聞いたら、『賢者様ならすべてご存知だ』と」
「ははは、それは買い被り過ぎというものだよ。大方噂が一人歩きしてそんな綽名を付けられたんだろうね」
「率直に言って私に君達のことは殆ど分からない。記憶に干渉する魔法も持ち合わせていないから、ご期待には沿えないかもしれない」
「そう、ですか……」
「チッ、ベラベラ宣っておいて使えない奴だな」
辛辣に責め立てる彼女の罵詈雑言がいつになく鋭く賢者の心を突き刺す。
「いやはや面目ないね」
「いえ、勝手に押し入ったのはこっちですし——」
セリアの肩に手を乗せ、首を振ってもう止めるように求めるけれど、彼女は相変わらず怒っている。
「そういう分野は南の賢者が詳しいと思うから……南に向かってはどうだろう?」
「そうなんですか、ラウルさんが……」
「彼女のことを知っていたのかい?」
「はい。街でラウルさんのご家族と会ったので」
「へぇーラオスにご住まいだったのか……」
「話が終わったのなら、さっさと行くぞ」
「あ、そういえば南には東西どちらを通っていくんだい?」
「それは——考えてませんでした……」
「なら東から行くといいよ。東の賢者は少々難儀な人だけど、西の賢者は行方不明らしいし」
「行方不明?」
「ああ、賢者は元々孤独な生き物だから、珍しいことではないんだけど……何年も姿を消しているらしいから……」
そう言いながら彼女を一瞥。
「それは大丈夫なんですか?」
「弟子たちが協力して役職を受け持っているらしいけど、不安定なのは間違いないね。そんな状況がずっと続くと均衡が崩れかねないし」
「兎に角、そういうことだから東から南に向かってラウルに会ってみるといいよ」
「はい。すみません、色々と迷惑をかけてしまって……」
「いいよ、困っている人を助けるのは賢者の責務だし、面白いものも見せてもらったしね」
「ははは……」
面白いものというのは彼女が放った光線のことか、若しくは彼女自身の生意気な態度のことのなのか、判らないけど耳が痛いのは確かだ。
「じゃあ、気をつけて」
「はい、お世話になりました」
笑顔で送り出してくれた彼に何度も振り返ってはお辞儀をして、僕らは歩き出した。
「——世話になった」
目を背けながら彼女が小声で礼を言うのがとても意外で、僕もエルドリヒ様もクスッと口を綻ばせてしまった。
その後背後から舌打ちの連打を喰らったのは言うまでもない。
賢者の屋敷を後にして僕らはまた草を掻き分け、撓る枝を振り払って薄暗い森林の中を歩いていく。
先程の不機嫌をまだ引き摺っているのか、将又平生通り「怒り」が表れているのか判別のつかない仏頂面で僕の斜め前をせかせかと足速に進む彼女。
切り替わった直後こそ新鮮だったものの、事あるごとに彼女が気色ばむため見飽きてきたような気もする。当初の無表情も意思疎通が困難だったけれど、これはこれで厄介だ。
それこそ擦れ違った人と一悶着、いや何悶着起こすか知れたものではない。
しかし……「怒り」の結晶があるのなら、他の感情概念を内包した物もありそうな物だけれど……セリアがこの調子では尋ねることもままならなそうだ。
いや、記憶喪失なのだからそんなことを覚えている訳もないか。
セリアの背中を眺めながらそんなことを考えていると俄に前行していた彼女が立ち止まった。
「どうかしたの——」
どうやらまたあの古臭いボロボロの地図を広げているらしい。
目的の場所が近いのか彼女は俯いて周辺を見回してを繰り返す。
「位置的にあの辺りか……」
セリアが指差すその先は——どっしりと聳え立っている、峻峭な山岳。
その高さに圧倒されて、僕は苦笑いを浮かべるしかない。
「え、本当に……?」
「何度も言わせるな、さっさと往くぞ」
「はぁ……」
彼女と行動を共にしている時点で前途多難な気はしていたけど、これ程とは。
しかし、険しい旅はまだまだ序の口。
これからの先行きを考えるのも嫌になって無心で登攀し始めた。
「はぁ……ふぅ……」
「この程度、造作もない……ゴホッ」
ずっと顔を顰めていた彼女も流石に疲れを見せ始め、装甲が崩れ始める。
しかし、生憎とそれを揶揄する精神的余裕がある筈もなく、地べたに二人揃って寝転がる。
半日程かけて登り、漸く中腹に差し掛かったかどうかという所まできた。
日も徐に傾いてきて周りが闇に染まる。
「そろそろここら辺で野宿しないと駄目かな……」
「⁉︎」
「いや、何で驚いてるの……」
確かに僕らが夜を迎えたのはこれでまだ二度目で、前夜は泊まらせてもらったけれど、こんな山の中ではどうしたってそうはいかない。
驚いて顔面を硬直させたまま、彼女は立ち上がって山の斜面に手を突き出す。
まさか——
「『我が道を切り拓け』」
「ちょっ、待っ——」
止めようとしてももう遅い。射出された太い光の矢が山を貫き、轟音を立てて崩れ——
あれ、崩れていない。
それどころか丁度いい大きさ穴が空いている。
まさか、威力を調整可能になったとでもいうのだろうか。
「なんだ、その目は」
ポカーンと突っ立ってセリアのしかめ面を見つめていると、失礼な気配を感じて更に口をへの字に曲げる。
「えっと、てっきりショックで山をぶち壊そうとしたのかと……」
「貴様、私を馬鹿にしているのか?」
癇癪を起こすことなく彼女が呆れ果てたというように嘆息する。
「貴様が野宿するというから、都合のいい窖を用意したんだろうが」
「そう、なんだ。ありがとう……」
「……」
遅れて感謝の意を示しても、彼女は無言のまま外方を向く。
矢張り無意識に僕が彼女を軽んじていたのが気に入らなかったのだろうか。どちらかと言えばかの破壊光線に意識を向けていたからなぁ。殆ど世界のことを知らない僕でさえ、あの破壊力が尋常ではないことだけは本能的な感覚で察している。
「さて、晩飯にするか」
「あ、そういえば食料なんて調達してないけど……」
登るのに夢中で失念していた。真っ暗闇の中狩りに行くのは無謀だし、このまま眠って夜が明けたら考えれば……
厚かましくもエルドリヒ様の御屋敷で御馳走になったし、今直ぐに飢え死ぬなんてことには——ならないと信じたい。
「それに関しては問題ない」
澄まし顔で無の時の面影を感じさせるように無温で答える。
するといつぞやの黒い穴が開き、肉や魚を無造作に取り出す。
「あの愚者が帰り際に押し付けてきた。なんと迷惑な奴だ」
「何から何まで、至れり尽くせりだなぁ……」
本当に有難う御座います。この御恩は忘れません——また記憶を失くさなければ……
僕達の正体は未だベールに包まれたままだけど、この世界の人々は善良な人ばかりだ。
僕が必死に起こそうとしていた所、彼女が容易く一瞬で点けて見せた焚き火がパチパチと食材を鮮やかに色付けていく。その香ばしい薫りに反応するが如くセリアの腹の虫が鳴き出す。洞穴内を反響して折角灯した炎を消さんばかりの波動である。
「チッ……!」
いやいや僕の所為じゃないんだし、僕に矛先を向けるのは御門違い、というか筋違いなのでは……
焚き火に近付いて座り込んでいるからか、セリアの顔は赤く染められ、肉と魚を捉えていた瞳は僕に向けられてあの光線に似た、破壊的な鋭い眼差しを発射している。
「あ、もう焼けたんじゃない……?」
「……」
一刻も早くこの殺伐とした空気を一新しようと態とらしく話題を逸らし彼女の視線を逸らさせようとする。
すると食事に比べて僕の優先順位が如何に低いかを思い出したのか、素早い手捌きで両手に肉と魚を持ち、一心不乱に齧り付く。
「あの……まだ熱いと思うよ……」
案の定時期尚早、空腹で警戒が薄れていたのか余程熱かったらしい。
畢竟彼女の機嫌は依然として斜めでその圧に押されて、僕は全体の二割ほどしか口に入れることが出来なかった。
夜半の涼風が漸く彼女の憤怒の熱を冷ましてきた頃、僕等はそろそろ疲れが出てきて眠りにつこうとしていた。
「じゃあ、僕が見張りをするから、寝ていいよ」
「いや、私がやる。貴様では色々と不安だ」
確かに立派な剣を携えていながら大して役に立ってない気がするなぁ……
自覚している分、改めて口にされると悲しい。
「本当に?」
「何度も言わせるな」
彼女がさっさとくたば——寝ろと言わんばかりに
「——ろ、起きろ‼︎」
「は、はい!」
うーん、記憶は無いけど考えうる限り最悪の目覚めだなぁ。
そういえば、交代の時間か……
「ごめん、もういいよ」
「全く……」
今度はどう罵られるのかと身構えていると、何か言い掛けて半寝の状態でふらふらと目にも止まらぬ速さで横になって眠ってしまった。
その表情は起きている時からは想像もつかない程安らかで優しげなもので、以前も今も同じセリアなのだと示す数少ない根拠だ。
「怒り」に偏っただけで、矢張り彼女は彼女なのだろう。
このたった数日でセリアのことをわかった気になって得意げになっている自分を愚かしいとは思いながらも、どこか安堵して息を吐いた。
「さて、ちゃんと警備しないと……」
使い熟せもしない剣をずっと構えていたけれど、幸いか取り越し苦労か魔物どころか、獣一匹も出ず無駄に疲労が降り積もった感じがした。
「わあぁぁぁ」
日の出後、暫くして僕達は速やかに身支度を整えて再び山道を登り始めた。
上に登るにつれて道と呼べるものも途切れていって、荒い山肌が露わになり始め、傾斜も急になっていく。
僕に寝惚けたまま随行している彼女は怒りすらも表す気力もないのか、意識が朦朧としているそのさまは以前とあまり変わりない。
「大丈夫?」
「貴様、私を馬鹿にして——ぐぅ」
うとうとと今にも
「本当にここの頂上に石があるの?」
「……」
転寝しかけてこくこくと頭を傾けているのと区別がつかない動作でこくりと無言で首肯する。あの怪しげな信憑性の低い地図と共に更に僕の心を不安がらせる。
そんな不安と不信感で重くなった足取りで僕は変わらず頂を目指す。
「ん?」
何やら峰の方から緑の光が閃く。
その瞬間一縷だった希望は膨張し、覆い被さっていた心配は一気に吹き飛んだ。
「待て——」
突然生き返ったように全力疾走で駆け上がるという奇行をしている僕に愕然として、半覚醒だった彼女は叱責も忘れて、必死に僕を追いかけてくる。
その行動自体は小型獣のようで可愛らしいと思いきや、眠気と焦燥で満たされたセリアの形相は酷いもので、停止の命令がなければ本能的に逃げ出してしまうところだった。
「ふぅ……」
「はぁ、はぁ……」
息を切らしているセリアを一瞥して、僕は煌々と輝く目的の物をじっと見つめた。
一つ目の紅と対照的な印象の緑の岩。
森に繁茂する緑。僕らが嫌という程見てきた色だ。
御蔭で心が鎮まるどころか迷路のような大森林を思い出して、憂鬱が蘇ってくる。
「セリア……」
「ふん、分かっている」
気丈に振る舞う彼女の脚は些か震えており、岩に手を触れている間も指先は緊張で固まっていた。
そして傍観者である僕も結構緊張、恐らく当人よりも緊張して固唾を飲んで見守っていた。
その理由は自明だ。そう、彼女が次どんな気質に変貌するのか、今よりも面倒なことにならないかという心配だ。紅と緑でいい具合に中和して元の彼女と同等かそれ以上になってくれると嬉しいのだけど……そんなに上手くいく訳はない。
「……」
セリアの身体に緑が吸収されていき、軈てその眩い光も消える。
僕が無言で新たなる彼女の第一声を待てども、沈黙は破られず不安が増していく。
数分程経過して漸くその不穏な間は遂に終わる。
「ふぅ〜変な感じだったけど、すっごく気分が良くなったよー」
「……え?」
おかしい。空耳かな……今感情の籠った極めて穏やかな怒気を孕んでない声が聞こえた気がするんだけど。尚且つ口調も年相応だと思われる。
「どうしたの?おーい」
開いた口が塞がらなくなって物理的にも精神的にも何とも言えない。
目と鼻の先にうら若く美麗な魔法使いの少女が一人。
僕の目先で反応を求めて手を振っている。
「あ、いや……大丈夫」
「そう? ならいいんだけど」
やっと言葉を絞り出すと安心したのか破顔する。
未だ嘗てない衝撃が僕の頭を震わせた。何しろ脳内記録に残っているのは表情と定義していいのか怪しい程の無関心、無感情の顔と常時腹を立て文句を垂れ流し、気に入らなければ破壊するという危険物だと暗に示す憤怒に満ちた面持ちであり、断じてこのような荒んだ心を浄化する純粋な笑顔ではないからだ。
「えっと、目的も果たしたし早々に下ろうか」
「うん、そうだね!」
適当に言い放った提案に強く賛同する彼女を目にして成長や苦難を乗り越えた喜びのようなものが堰を切ったように溢れ出し、大袈裟に感動した。
感涙をぐっと堪えて心無しか軽くなった足取りで再び林を抜けて、大きな道に出る。
恐らくこれを辿っていけば東の商業都市ヴィリクに着くだろう。
僕同様セリアもどこか弾んで朗らかに微笑を浮かべている。
重ね重ね本当にセリアなのかと怪しみながらも、一度変貌するさまを目にしていると特に不可思議だとも思わなくなってくる。一体あの岩と光は何なのか、何故彼女がそれを巡っているのか僕は
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