ほやの絶品おこわ
「そろそろ、あたしも常連の仲間入りですかね?」
「常連、常連」
何だかんだで週に2回は来ている。
この小料理屋ひまらや、とにかく安い。
食事だけなら2千円超えることは滅多にないし、酒類もチェーン店の居酒屋より安いくらいだ。
カレンはいつも飲んでも2杯程度だし、何より元料亭の雇われ板長だったという店主のオヤジさんの料理がものすごく美味い。
気に入った料理は聞けば店主のオヤジさんがレシピを教えてくれるし、週に2回の外食が高いか安いかで言えば、良いお金の使い方だと思っている。
再就職が決まってしまえば、ここまで頻繁に足を運ぶことも無くなるだろうと思う。
失業保険の給付が切れるのは来年4月。その頃までに次の仕事を見つけたら、またフルタイム勤務で、ひまらやには来れても週末だけになりそうだ。
そして最後のほや料理は、おこわだった。
ほやと生姜の千切り入りで、味付けは酒とみりん、薄口醤油。
「ほやのナンプラーってのがあってね。ちょっとだけおこわに垂らすとまた絶品なんだ」
カウンター越しに小さな調味料の瓶を渡された。
中には、ナンプラーのような茶色ではなく、ほやの色素を濃縮したようなオレンジ色の液体が入っている。
「あ。そんなにほやの強い匂いはしませんね」
ナンプラーといえば、あの突き抜けるようなアンモニア臭が特徴だ。
だが、このほやのナンプラーにはその手の生臭さはない。むしろ磯の香りが詰まっている。
カレンはあまり得意ではなかったが、料理に使うタイ料理は割と好きだ。上から追いナンプラーするのが苦手なだけで。
ちょん、と少しだけほやのおこわへかけてから、隣のセイジや常連さんたちへ。
「初のほやおこわ、いただきます!」
箸で一口、ほやの切り身ごとおこわを。
「ほやおいしい。あたし、今までこんなに美味しいもの知らなかったんですねえ……」
生姜の千切りの刺激とほやの旨味を、みりんと薄口醤油が絶妙に調和させている。
これがまた、ほやのナンプラーと最高に合う。旨味がバーストしているかの如く。
「オヤジさん、ほんと最高です。このお店に来れてほんと幸せ」
「そうかい? 嬉しいこと言ってくれるねえ」
店主のオヤジさんはカウンターの中でニコニコしている。
カレンも、美味しいほや料理と日本酒とで、ほわほわだ。
おっと、そういえばカレンは今日はこの後、予定があるのだった。
そろそろお暇しようとしたところで、店主のオヤジさんが。
「今日はクリスマスだろ? ひまらやサンタからプレゼントだ、土産に蒸しほやとおこわ、持って帰ってね」
何と折り詰めをお土産に頂戴してしまった!
「オヤジさん、大好き〜!」
「ははは、“大好き”いただいちゃったねえ。冷蔵庫に入れて明日の昼までには食べてね。レンジでチンで大丈夫だから」
それで勘定を済ませていると、まだおこわを食べかけだったセイジも慌ててかっこんだ。
「あ、じゃあ俺も帰る、送っていくよ」
「今日はいいの。近くに高校の同級生の家があってね、赤ちゃん産まれたばかりで顔見て来ようかなって。ケーキもあるよって。ふふふふふ」
カレンのスマホのメッセージアプリには、水色のベビー服に包まれた男の赤ちゃんと、その背景にクリスマスのご馳走やケーキの食卓の写真が表示されている。
「セイジ君はゆっくりしててね。じゃあ皆さん、メリークリスマス! オヤジさん、お土産ありがたくいただきまーす!」
「おいおい、別の男に取られてんじゃねえか!」
どっと男たちの野太い笑いが。
「男って、赤ちゃんでしょ。まだ男じゃないですよ」
「言うねえ、セイジ」
この後、団塊さんも院長さんも、家に帰っても何もないとのことなので、まだしばらくゆっくり飲んでいるそうだ。
セイジも自宅に戻っても風呂に入って寝るだけなので、お代わりがあるという蒸しほやとおこわを追加で冷や酒と一緒にもらった。
「ほや、冬に食べたの初めてかもです。夏のものかと思ってました」
「そう、旬は春から夏だね。だけど全部養殖ものだから、間引いた分はこうして安く通年、出回るんだよね」
小ぶりで、剥き身への加工もできないものを、今回はオヤジさんの伝手でかなり安く仕入れることができたらしい。
発泡スチロールのケースに何十個と詰まったものを3ケース仕入れて、今日食べる分は刺身や三杯酢、残りは蒸しほやにしておけば数日は保つ。
「うちもそろそろ、孫が産まれるんですよ。予定日は来年の春頃だって。初孫ですよ、嬉しいねえ」
「オヤジさんとこは息子一人だけなんですっけ?」
「そうそう。千葉で会社員やっててね」
息子の嫁の出産前後は、小料理屋ひまらやも臨時休業にして、オヤジさんも手伝いに行くそうだ。
「うちは母ちゃんが早くに亡くなっちまったからねえ。嫁さんも両親は遠くにいて頻繁には来れないらしくて」
「千葉のどこらへんなんです?」
「西船橋。ここからならバスと電車で1時間半かな。出産後は嫁さんが動かなくてもいいように、たくさん飯を作って冷凍庫に詰めに行くって約束してるんだ」
「オヤジさんの飯なら間違いない。嫁さん喜んだでしょう」
「どうかなあ」
ジジイの余計な世話なんだ、と気恥ずかしげにオヤジさんは苦笑していた。
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