世の中案外狭いものです

 後に残ったのは、店主のオヤジさんに、調味料会社の会長ソースさん。

 そしてソースさんが初めて連れてきた、同じくらい年配のご老人なわけだが。


 こちらもソースさん同様に仕立ての良いスーツ姿の品の良いご老人は、酒が入っただけとは思えないほど顔や耳を真っ赤にしてカウンターの上に突っ伏してしまった。


「お客さん、酔いが回っちゃったのかな」


 心配する店主のオヤジさんに「違う違う」とソースさんが手を振って笑った。


「こいつさ、さっきのカレンちゃんがクビにされた会社の会長なの」

「ええっ!?」


 これにはオヤジさんも驚いた。


「せ、世間は狭いですねえ!」


 そもそも、ソースさん自体が店主の大学時代の同期で長い付き合いだった。

 卒業後、オヤジさんは調理師学校に入学し直して料理人の道へ、ソースさんはいま会長職を務めている上場企業に入社してそれぞれの道を歩いた。


 それでも何だかんだ友人として連絡を取り合っていて、最終的に料亭の雇われ板長を引退した後、オヤジさんが今の場所に小料理店を開いたのが十数年前。


 以来、ソースさんは運転手付きの社用車でたまに、この小料理屋ひまらやへやって来ては、オヤジさんの料亭仕込みの美味い飯とそこそこの酒を飲んで、適当に雑談して帰っていく。


 これまではあまり知り合いを連れてくることがなく、むしろ有名企業の会長だからこそ気の置けない友人と語れる大事な店として使ってきていた。


「セイジ君にカレンちゃんが来る日を教えてくれって頼んでてさ。知り合いの会社に勤めてる子だからって事情を話してあったんだ」


 メル友なんだ、とカウンター上に置いてあった自分のスマホを突っつく。


「カレンちゃんから顔が見えにくいように奥の席に座らせてたけど、正体バレなかったみたいで良かったよな」


 とソースさんがカレンの元勤め先の老舗菓子店の会長の脇腹を軽く肘で突っついている。

 見た感じ、それなりに親しい様子だ。


「いやもう……この年で顔から火が出そうな思いをしましたよ……」


 そう言って会長は両手で顔を覆ってしまった。




「で、どうするんだね?」

「解雇取り消し……はもう無理だ。詫びの手紙と退職金上乗せぐらいしかできん」


 総務部が会社のある地域のハローワークにとっくに書類を送ってしまっているはずだ。

 雇用保険や社会保険の手続きなども、社員の解雇や退職が発生したら即日処理するよう決まっている。


「慰謝料、払ったほうがいいんじゃないですか?」

「できる限りのことはしなきゃな……」


 会長職とはいえ名誉職で、毎日出社しているわけではなかった。

 中小企業とはいえ、全国的に名前の知られた老舗菓子メーカーでブランド化したヒット商品をいくつも持った優良会社のはずだった。


 ところがどうだ、蓋を開けてみれば中身は同族会社らしい、いやらしさで溢れている。


「警察沙汰になってて私まで報告が上がってないとは。明日は朝イチ出社することになりそうです」

「カレンちゃんにパワハラかましたクソ課長はどうなるの?」

「……相応の対応をしますよ」


 それからもう酒は飲まず、会長は帰って行った。

 ソースさんと同じく近くのコインパーキングで待たせていた運転手と社用車で帰るのだろう。




「いやはや。本当に世間は狭いよね」


 と少し前のオヤジさんと同じ台詞をしみじみソースさんは呟いた。


「そうだな。こんな埼玉近くの寂れた店の客同士、縁が繋がってるってすごいよ」


 十時過ぎたこの時間になると、もう新規の客も来ない。

 店主のオヤジさんも一杯だけ、と冷酒をグラスで飲みながら。


 たまに夕飯目当てで飲みに来ていた若い税理士の連れてきた子が元同級生で、その元同級生の女の子の勤め先がソースさんのゴルフ仲間の会長の会社の老舗菓子屋。


 まさに、縁は異なもの味なものというやつだった。


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