死地

「いつまでにらみ合っているつもりなんだあ? 眠くなってきちまったぞ、アタシは」


膠着した戦況に飽きたのか、カイネは馬上で大きなあくびをしながら愚痴った。

集会から4日後の昼。ベルセリアとトリュ―ルの国境に広がる、大平原にて両国の軍は陣を広げ、朝からにらみ合いを続けていた。


ベルセリア国は傭兵約五百、徴兵した兵士約千五百のあわせて二千の戦力。

対するトリュ―ル国は傭兵約四百、徴兵した兵士約千九百のあわせて二千三百の戦力となり、その差はわずかながらトリュ―ルの方が多い。


私たち『双頭の毒蛇団』は陣の左翼に集められ、『ニワトコ団』は反対の右翼に集められていた。

そして、敵の陣に目を向けると、私たちと正対して『紅蓮の烏団』の赤い団旗が風になびいていた。


「私たちが『紅蓮の烏団』が主力となる敵左翼を食い止めている間に、『ニワトコ団』とベルセリアの騎兵が敵右翼を潰して、横面から敵本陣を食い破ろうって作戦かしら。どうやら外れくじを引かされたわね」


親指の爪を噛みながら、イレネは敵陣を見つつ舌打ちをうった。

そしてその戦略予想には私も同意だった。

私たちが崩れるのが先か、敵右翼が崩れるのが先か。

私たちに課せられたのは攻めではなく、守りの戦いということだ。



「『紅蓮の烏団』か。明らかに他の傭兵たちや徴兵された農民たちよりも良い装備をそろえているな。どれほど持ちこたえればいいと思う?」


「『ニワトコ団』次第ね。といっても私たちは傭兵。この戦いに殉じる筋合いはないわ。持ちこたえられないと判断したら逃げの一択よ。その時の殿は…頼めるかしら、リリー」


「ああ、承知した」


敗走した際の殿は、最も危険で最も重要な役割だ。

殿の働き如何で、味方の死人の数は大きく左右される。それを任せられるというのは、それだけイレネが私の剣に信頼を置いてくれているという証でもある。


そしてイレネは「外れくじ」と言ったが、私は内心ほっとしていた。

敵を攻める戦いよりも、仲間を守る戦いの方が私には性に合っていると思う。


その後、日が傾き始め今日はもう戦はないかと思った矢先、敵陣から突如として鬨の声が上がり、『紅蓮の烏団』が前線を担う敵左翼がわずかに先行しつつ、敵軍全体が前進を始めた。


すると、呼応するように味方からも鬨の声が上がり、指揮官たちが「全軍前進!」と野太い声で指示を出した。

所詮は寄せ集めの軍であるため、兵たちの足並みがそろうことはなく、敵も味方も動き出せばすぐに陣形も不細工に歪んでしまう。

それだけ統率された動きを取り続けることは難しく、長期間の訓練が必要なのだ。

傭兵団といえども、普通は綺麗な陣形を保ち続けることなどなかなかできない。しかし、正面から近づいてくる『紅蓮の烏団』は、それなりの統率を見せて迫ってくる。


「なるほど、これは手ごわそうだ」


思わず剣を握る手に力がこもってしまう。

はやる気持ちを落ち着かせるためにも、改めて味方の陣形に目を向けると、『ニワトコ団』が主力の左翼が、大きく陣から突出しているのが見えた。

その先頭を駆けるのは、騎乗した団長のゾーイと、そしてその隣にはレニスが馬を駆け、並走していた。


あまりに『ニワトコ団』は先行しすぎており、これでは敵の弓兵の良い的だ。

案の定、敵の弓兵隊が放った矢の雨が『ニワトコ団』を襲うが、その直前で突如として方向転換したレニスの馬を追いかけるようにして『ニワトコ団』は大きく弧を描くように右側へと逸れて、弓を躱して見せた。

そして変えた進路をそのままに、『ニワトコ団』は最も兵が厚い敵陣中央へと突撃していった。

あまりに無謀だが、その突撃は強力だった。

敵からしても予想外だったこともあり、混乱する前線の敵兵たちをやすやすと吹き飛ばし、敵陣を中央から深く斬り裂いていった。


「イレネ! 先頭は私が!」


「っ!  『双頭の毒蛇団』! 全速力で前進!! 『紅蓮の烏団』を『ニワトコ団』の背後に回らせるな!」


私の意を即座に汲んだイレネは、すぐさま傭兵団に前進の指示を出した。

『ニワトコ団』がいかに強力といえども、敵陣中央を攻める今、『紅蓮の烏団』に背後を取られれば袋のネズミとなって壊滅は必至。

つまり、そうさせる前に私たちが『紅蓮の烏団』に襲い掛かり、動きを止めなければならない。


私は味方左翼の先頭で馬を駆け、『紅蓮の烏団』へと斬り込んでいった。

『紅蓮の烏団』も予想外の展開にわずかに陣形の足並みが乱れており、攻め入る隙間ができていた。そこに剣を振るいながら滑り込むようにして分け入っていく。


すぐに飛び交う怒号と悲鳴で耳鳴りが起こった。

無我夢中で剣を振るい、血煙が視界を赤く染め上げた。

汗と血と糞尿の臭いが鼻の奥を針のように突いた。

人を斬った油で剣はすぐに切れなくなり、ただの鈍器となっても振るい続けた。

敵の槍がわき腹をかすめ、飛んできた矢を兜がはじき、火花が散った。

それでも止まらず、味方を振り返ることも瞬きすることも忘れて、ただ剣を振るいながら前へ前へと馬を駆け続けた。

何人斬ったかもわからず、いつまで続くかもわからず、終わりなどないのではないかと疑い出したところで、ふいに視界が開かれた。


どうやら、敵の右翼を抜けたようだ。


そこで初めて後ろを振り返ると、血だらけになったイレネとカイネ、そして『双頭の毒蛇団』の面々が数を減らしながらもついてきていた。

ここまでついてこられたのは団の半数の百名程度。

残りは足止めを食らったか、逃げ出したか、殺されたか。


「イレネ、どうする!?」


「ここまで来たら、敵の本陣を背後から襲うわ!」


「わかった!」


息つく暇もなく、再び馬を反転させて、今度は敵中央の本陣を後ろから狙うべく馬を走らせた。

敵は正面から迫る『ニワトコ団』に注意が集中し、こちらにまるで気づいていない。

馬を走らせながら、服の袖で剣についた血のりをぬぐい、腰に下げた水筒の水を一口飲んで、残りを頭からかぶった。

そして、鼻から深呼吸を繰り返して息を整え、覚悟を決めて再び敵陣へ背後から襲い掛かった。


直前で敵方の指揮官もこちらの存在に気づき、慌てた様子で指示を飛ばしていたが、戦場では兵をすぐに反転させることは不可能に等しい。

そのまま指揮官の首を斬り飛ばし、敵本陣へと侵攻すると、前方にひときわ豪華な装備でそろえた兵の一団がおり、毛並みの良い白馬に乗ったトリュ―ル国の王とその王太子と思しき人物を守るように囲んでいた。


私を突きかかってきた敵兵の槍を紙一重でかわすと同時にその指を切り落とし、槍を奪い取った。そして馬上からトリュ―ル王に狙いを定めて槍を投げつけた。

狙い通りまっすぐ王へと飛んで行った槍は、しかし直前で王の側近の兵に気づかれ、弾き落された。

流石に王の近くには精兵をそろえているらしい。


私は一度だけ、母から譲り受けた首飾りに手を添えて、それから放たれた矢の様に、一直線にトリュ―ル王の首を狙いに馬を駆けた。


当然、王を守るように立ちはだかる精兵の攻撃をかわして剣を振るい続けたが、途中で敵は私の馬に狙いを変えてきた。敵の槍が深々と馬の足に突き刺さった瞬間、馬は悲鳴を上げてのけぞるようにひっくり返り、私も地面に放り出された。

空中でどうにか体勢を整えて足から着地するや否や、弾かれたようにそのまま身を低くして駆け出した。一瞬でも止まれば、そのまま人数で押しつぶされて死ぬ。

敵の突き出してくる剣や槍を、地面を這うようにしてギリギリのところでかいくぐり、ひときわ大柄な敵兵の肩を足場に跳躍し、一気に敵兵の壁を飛び越えた。


「女!!?」


こちらに振り返った馬上の王太子が驚いたように目を見開きつつ、剣の柄に手をやった。

その剣が抜かれるよりも前に、私は王太子に手にしていた石を投げつけ、身をすくめた隙に馬上から引きずり下ろし、その首に深々と剣を突き刺した。


「ビンタ―!? 貴様よくも! 皆の者、その女を殺せ!!」


息子の死を目の当たりにしたトリュ―ル王は、顔を真っ赤に染め、血走った目でこちらを睨みつけてきた。

無我夢中でここまでやってきたが、そこで冷静になって周りを見ると、私は一人敵兵に囲まれていた。そして膨れ上がる殺意を全方位から浴びて、全身から冷や汗が噴き出た。

近くの王太子ではなく、先に王の首を獲るべきだった。

そうすれば指揮の混乱の隙に、この場から逃げ出すこともできたかもしれない。

その判断ミスが、自分を今、死地に追い込んでいた。


じりじりと少しずつ距離を詰めてくる敵兵の囲みに対して、さすがに抜け道を見出すことはできなかった。


「ならば最期まで噛み付くのみ」


その最後の最後まで誇り高い狼のように生きあがこう。

覚悟を固めて剣を構え、深く集中をする。

敵兵も空気の変化を察したのか、それまで以上に油断なく武器を構え直した。

張り詰めた空気に息が詰まりそうだ。

そう思った次の瞬間、敵の囲みの一部が文字通り吹き飛んだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る