地獄の攻城戦

昨年、慣例の視察のために北狼騎士団が守る北の砦を訪ねたデヴィン王子に私も同行した。北の砦は隣国であるアリストラ帝国との国境線を守る要所であり、ここ数年の間は両国の緊張状態が高まり、頻繁に衝突が続いていたため、砦を離れられない父上と私は二年ほど会えておらず、それを不憫に思ったデヴィン王子が視察への同行を誘ってくれたのだ。


本来、次期王妃となる婚約者を砦の視察に誘うなど非常識ではあったものの、北の砦はリンドバーグ王国が建国されてから一度も破られたことのない難攻不落の砦であったことや

季節が通常は戦争の起きない冬であったことなどもあり、周囲からもそれほど反対意見も出ることなく、私の同行は許された。


そして王子が砦につき砦の主である私の父上が、王子の歓迎のための宴を開いた夜、何者かが祝宴の席で出された酒に毒を混ぜていたために、私の父上を含めた北狼騎士団の幹部・騎士たちの多くが倒れた。

そして同時にアリストリア帝国による大規模な夜襲が起こったのだった。


不幸中の幸いとして、下戸の王子にあわせて酒を飲んでいなかった私は、毒で倒れることはなかった。

迫りくるアリストリア帝国兵はおよそ六千。一方の砦側の動ける兵は二千に満たず、兵を指揮した経験があるものもごくわずか。王都へ援軍要請を送ったものの、いくら難攻不落といわれる砦といえども、その援軍が来るまで堪え切れるかは分の悪い賭けだった。


武芸と共に、私は過去の先人たちが遺した膨大な戦略・戦術の記録を、諳んじられるようになるまで繰り返し精読させられてきた。そのことから、指揮系統が正常でない軍がいかにもろいかも理解をしていた。

経験も実績も信頼も何もない。だが、騎士団長として立ち振る舞う父上の姿をずっと見てきて私には、その真似事くらいならできるだろう。そう開き直ることで、北狼騎士団の指揮を執ることを即決した。


想定外の修羅場におびえるデヴィン王子に、この砦の臨時の指揮官として任命することを迫り、半ば無理やり承諾を得ると、動ける全ての兵の前で演説をぶった。


『敵は卑怯な策略で、砦の酒に毒を混ぜた。我が父・オースデンとその他の騎士もその毒に倒れた。迫りくる敵は約六千。対する我らは二千に満たない——だがそれがどうした! 我らは王国の北狼! その爪で臆病者の腹を斬り裂き、はらわたを引きずり出せ! その牙で卑怯者の頭を噛み砕き、脳漿をぶちまけろ! この大地を、己の身を、敵の血で染め上げてみせよ!!』


北狼騎士団のほとんどは、私が子供の頃から知っている顔ばかりだった。

その一人一人の瞳に凶暴な光が宿り、獣のような気勢を上がった。

そしてそれから始まったのは、まさに血で血を洗う泥沼の攻城戦。


寄せては返す波のように、攻め手を交代させながら絶え間なく襲い掛かってくる敵軍を、父上が育て上げた精鋭揃いの北狼騎士団の兵士たちは果敢に迎え撃った。

おそらく普通の軍であれば、数刻ももたなかったであろう程の苛烈な攻め手をどうにか食い止めるべく、喉の奥が切れて血を吐こうとも、各所へ指揮と檄を飛ばし続けた。


そして自身も城壁にとりついた敵相手に槍を振るい、熱した油をかけ、石を落とし、弓を射かけた。当然、「殺人」は初めてだったが、感傷に浸る間さえ与えられず、目の前の敵をいかにして殺すかだけを考え続けた。


だが一日一日と、次第に北狼騎士団の数は削られていき、攻城戦が始まって3日目の昼、奮闘むなしく遂に敵の破城槌によって北門が破られ、敵軍が城内に雪崩れ込んできたのだった。


そして北門が破られたことを確認した私は、他の兵たちと共に砦の南側にある城主の居館を最終決戦の場と決め、退却することを選んだ。

砦の城主の居館には、戦いが始まった当初から毒で倒れた者たちや非戦闘員たちを避難させていた。婚約者のデヴィン王子も、王都へ先に退避させれば砦の士気を下げることに繋がるため、彼らと共に監禁…もとい避難してもらっていた。


しかし、タイミングの悪いことに劣勢を感じ取った王子は、王都から連れてきた護衛たちと共に居館から抜け出し、南門から王都へと逃げ出そうとしたようで、そこを敵軍に囲まれてしまっていた。

王子の護衛たちもそれなりの使い手揃いであったが、敵の将兵らしき漆黒の甲冑を着込んだ男は、尋常ならざる大剣を片手で軽々と振るい、一人また一人とまるで枝木を払うかのように斬り伏せられていった。


その漆黒の甲冑と、大剣に刻まれた獅子の紋様。

その男が『黒獅子』と呼ばれ、数多の戦場で死体の山を築いてきた有名な怪物であることに気づいた。銀狼騎士団の精兵たちを幾人も斬り殺してきた仇敵であった。


そして遂にその剣が王子に迫ろうとしたその瞬間に、私は人垣の隙間を縫ってどうにか身体を王子の前に割り込ませ、黒獅子の剣を正面から受け止めた。

いや、正確には受け止めようとした、だ。


その衝撃たるやすさまじく、とても受け止めきることはできずに私の剣は粉々に砕け、甲冑の頬当ごと鼻から右頬にかけてを深く斬り裂かれた。

だがどうにか剣の軌道をそらして致命傷は避けられたので、砕けた剣を放り投げ、すぐさま王子の腰に差したままになっていた剣を拝借して黒獅子と対峙した。


『女?』


『狼さ』


そんな短いやり取りだけ交わし、私と黒獅子はぞんぶんに剣と剣で応酬を重ねた。

剣を合わせては駄目だ。腕力が違いすぎる。その斬撃の全てを躱し、黒獅子の甲冑の隙間に己の剣を滑り込ませる。欲張らず、深追いをせず、動き回れ、翻弄しろ。呼吸を読め、目線を読め、そしてその全ての裏をかけ——。


敵軍と自軍が入り乱れ、怒号や悲鳴が飛び交う中、

しかし私には黒獅子の存在だけしか視界に入らず、黒獅子の呼吸や剣が空気を斬り裂く音だけしか聞こえず、まるで二人だけの世界にいるような感覚にまで深く潜りこんでいった。

死があまりに身近に迫っているというのに、尋常ならざる剣の使い手である黒獅子との濃密な剣の駆け引きに、知らず知らずの間に口角が上がってしまっていた。


『っち、時間切れだ』


終わりは唐突にやってきた。

黒獅子がそう言って剣を鞘に納めると、途端に私の視界も元に戻り、敵軍から撤退の鐘が打ち鳴らされていることを知った。

自軍の兵たちが、「王都からの援軍が来たぞ!」と歓喜の声をあげており、ようやく状況を把握した。援軍が紙一重のところで間に合ったのだ。


『名は?』


『リリー・ナイトレイ』


『覚えておく』


気が抜けていたのか、素直に自分の名前を教えてしまったことは今でも悔やまれる。

だが、黒獅子は部下たちにいくつか指示を与えると、甲冑と同じく漆黒の毛並みが美しい馬にまたがり、風のような速さで立ち去っていった。


そうして北の砦は首の皮一枚のところで、陥落を免れることとなった。


もちろん北の砦の攻城戦で、デヴィン王子の婚約者である私が総指揮を執って戦ったなどという事実は隠蔽され、アリストリア帝国軍を撃退した功績は全てデヴィン王子のものとして王国中で喧伝され、王子の国民人気はうなぎ上りとなった。


毒を飲んだ北狼騎士団のうち、数十人はそのまま息を引き取ったが、私の父上は一週間後にはいつも通りの訓練をこなすほどに快復をし、先月また北の砦へと戻っていった。

北狼騎士団の損害は大きく、攻城戦を通してその半数以上が死傷したため、大幅な再編成と兵の補充が行われ、しばらくは新兵を鍛え倒す日々が続きそうだと父上は笑っていた。

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