王子をかばって顔に傷を負った令嬢は、婚約破棄されたので傭兵になります。
なつも
婚約破棄
「こ、婚約破棄ですか?」
「…すまない、リリー。だけど、僕はどうしても君が怖いんだ…」
顔をうつむけたまま、かすれるような声でそうつぶやいたのは、私の婚約者のデヴィン王子だった。
久々に誘われた二人でのお茶会で、久々に令嬢らしく似合わない可憐なドレスを身に着けて王城へと足を運んだというのに、まさに寝耳に水とはこのことだ。
デヴィン王子は我がリンドバーグ王国の次期国王と目されている方で、私リリー・ナイトレイはその婚約者である…はずだった。
慣例に従って私が十五歳の時に社交界デビューを果たしたその夜、初めて出会ったデヴィン王子に見初められたのが婚約のきっかけであった。
それから今日までの約三年間、少し頼りないところもあるけれど、誰にでも優しく、音楽や詩を愛し、平和を愛するデヴィン王子のことを憎からず思っていた。
そして彼を支えていくべく次期王妃としての教育にも励んでいたのだけれど、ここに来て婚約破棄されてしまうとは。
「怖いというのは、この傷のせいですか?」
私はそう問いかけながら、自分の顔に走る傷をなぞった。
鼻のあたりから、右頬にかけて大きな傷跡がはっきりと刻まれている。
「傷…だけではない。君を見るたびにどうしてもあの日の戦場が、まとわりつく様な血の臭いが、肌を刺すような殺意の視線がよみがえってしまうんだ」
「なるほど、もはや私のことは生理的に受け付けられないと」
「すまない。僕を守ってくれたのは君なのに。自分がどれほどひどいことを言っているのかは自覚している。だけど、本当に君を見ると、どうしようもないんだ」
私と一瞬だけ目をあわせ、そしてすぐに視線を外したデヴィン王子はごまかすように紅茶に手をつけたが、ティーカップを持つその手はわずかに震えていた。
確かにこんな状況ではたとえこのまま結婚をしたところで、まともな夫婦生活が送れるはずもない。
「それならば、仕方ないですね。婚約破棄を受け入れましょう」
「え!? 受け入れてくれるのか!?」
「はい。婚約破棄にあたって王家からそれ相応の誠意をお見せいただければ、我が父も否とは言わないでしょう」
「しかし、リリー。君はどうするんだ?」
「私は…そうですね。今後はデヴィン様の視界に入らぬよう、身の振り方を考えますのでご安心を」
カップに残っていた紅茶を一気に呷って、席を立ちあがり、そのまま最後の一礼を済ませてから踵を返した。
油断すると今にも漏れそうなため息をグッと呑み込んで、二度と婚約者であった男を振り返ることなく、王城を後にした。
*********
「最近、距離を置かれていることは自覚していたけど、まさか婚約破棄されるなんてね。あんな猛獣でも見るかのような怯えた目を向けられたら、さすがの私も少しは傷つくぞ」
自分の屋敷へ戻り、早速母上に婚約破棄の旨を伝えると、ショックを受けて寝込んでしまった。母上の介抱はメイドに任せ、北の砦にいるナイトレイ侯爵家当主の父上に報告書をしたためつつも、トゲトゲした感情がつい口から洩れてしまった。
「リリーお嬢様は何も悪くないです。悪いのは全てあの玉無し王子ですから!」
「本人の前で言ったら不敬罪だからね。でもありがとう、マリア」
幼いころから私に仕えてくれている同い年のメイドであるマリアが淹れてくれたラベンダーのハーブティーを一口飲むと、少しだけ気持ちがほぐれた。
私リリー・ナイトレイは、リントバーグ王国の侯爵家の一人娘として生を受けた。
ナイトレイ家は古くから武門して名高く、代々に渡って王国の将軍職を担う人材を輩出してきた由緒ある家柄であった。
その家訓として、ナイトレイ家に生まれた者はたとえ女であろうと、武芸を子供の頃から徹底的に学ぶこととなる。
かくいう私も、物心つく前から剣・槍・弓・乗馬といった基本的なものから、投石具や投げナイフ、盾の取り回し、レスリング、甲冑体術等々、様々な武芸を文字通り血反吐が吐くまで叩き込まれる幼少期を過ごした。
特に私は女の身でありながら歴代のナイトレイ家の中でもかなりの素質があったらしく、十歳の頃には父上が率いる誉れ高き北狼騎士団の一般兵相当の実力を身につけた。
そして十四歳の頃には、北狼騎士団内でも指折りの実力を持つ騎士たちと互角の勝負をすることができるまでになっていた。
北狼騎士団の団長である父上にも実力は認められ、成人となる十五歳からは騎士として正式に北狼騎士団に所属することを許可されていたのだけれど、母上に社交界デビューだけはしてくれと泣きつかれて、一度だけという気持ちで参加したその会場でデヴィン王子と出会い、私の人生設計は大きく変更を余儀なくされた。
「美の女神サファリア様さえ嫉妬するような美貌と、戦神アポリス様に愛された剣の才を併せ持った、空前絶後の完璧超人なお嬢様を婚約破棄するだなんて! 王子の愚かさには開いた口がふさがらないです!」
マリアのあまりの持ち上げ方にハーブティーを吹き出しそうになり、どうにか直前で留めたものの、代償として派手にむせてしまった。
そんなことは意にも介さず、怒りに燃えたマリアは続けた。
「王子の肝っ玉はきっと粉砂糖一粒分くらいしかないんですよ。お嬢様がいなかったら王子の命はもとより、北の砦が陥落していてもおかしくなかったのに。」
「ま、まあ王子がトラウマになるのもわかるほど、苛烈な戦場だったしね。命拾いしただけでも儲けもの、と考えるしかないのかな」
かくいう私も、雨の日に顔の傷がうずくたび、未だあの戦場のことを生々しく思い出してしまう。あまりに多くを殺し、あまりに多くを亡くした、あの地獄の底のような攻城戦を。
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