突如聖女が現れ、奴隷商をブン殴る!!
王太子から聞き込みと言う名の尋問を行った聖女がやって来るは、王都の最も中心であるシティ・オブ・シリウスからいくつかはなれた地区。王都の中心を流れる巨大河川に面するその地区は、この四半世紀で整備が急速に進められて出来上がった新興地区。それ故に、新しく台頭してきた資産家たちが多く住む場所でもあった。
そんな地区を聖女はセシリアを背負って疾走していた。まるで狩をする白狼のごとく走る聖女は、背中のセシリアに声をかける。
「セシリア様。件のローズ貿易会社の住所はわかりますか?」
「ええ、分かります。ローズ様はたぐいまれな成功を収めていて、何度か訪問したことがあります」
「なれば、道を示してください!」
聖女は錫杖を両手で持ち、セシリアがそれに腰かけられるようにしていた。そのため、姿勢が安定していたセシリアは道を指し示し、聖女はその通りに走っていく。
そして、そんな中でセシリアは聖女に問いかける。
「そもそも、なぜローズ貿易会社なのですか?」
「簡単な推理です。まず、法で禁じられている奴隷を輸入するためには数多の監視を潜り抜ける必要があります」
歩道を行く聖女は、最初は王都の中心という人が多くはない地域を軽快に走っていたが、やがて地区を跨げば仕事終わりの労働者が増えてきてそうもいかなくなってしまう。ならば、どうするか、聖女は馬車が行き交う車道へと飛び出した!
「せ、聖女様!危ないですよ!」
「そして、監視を潜り抜けるために必要な要素はいくつかあります!
一つ、国家から信頼されていて臨検の頻度が低い事。
二つ、誤魔化しやすくするために自前の船と港を持っている事。三つ目は!」
車道を馬車に負けない速度で走る聖女にセシリアは目をつぶって悲鳴を上げるが、聖女は器用に馬車を左右によけ、それが無理そうなら跳躍して上に避ける!
「三つ目は!海外にも同じものと、深く巨大な販路がある事!」
馬車の屋根を蹴っては、次の馬車の屋根に着地し、また次の馬車の屋根へ。そんなまるで曲芸のようなその動きに、街行く人々は彼女の事を指し、驚きの声をあげる。
詰まった馬車の群れをそうやって強引に抜けると、またも車道のど真ん中に聖女は着地し、すぐさま走り始める。振り回されるセシリアは目を回しながらも、道案内と言う自らの役目は全うし続けていた。
「最後に、ハイドン嬢は御年18歳。教育の必要性を加味すれば、少なくとも10年前にはこれらすべての要素を持っている必要があります!」
やがて見えてくるは装飾美しいタウンハウス。その門からわざわざ真っすぐ道が引かれているのを見るに、区画整理にすら影響を与えていたことが明らかな屋敷。
だが、今だけはその自己顕示欲が裏目に出ていた!
聖女はその鉄扉に向かって、速度を上げていく!
セシリアは向かい風に目を細め、びゅうびゅうと耳元で鳴る風切り音に怯え、聖女に回した腕で彼女のことを強く抱きしめた。
聖女よ!貝のように閉じる鉄扉を打ち破ってしまえ!
「これらを満たすのは、ローズ貿易会社のみ!」
走り込んでくる聖女を認めた門番が割って入るも、あまりの速度に怯えて即撤退!
聖女は鉄の門の手前で鋭く前へと飛ぶ!そして真っすぐ右足を振りぬいた!
バァグゥァン!
鈍い鐘の音のような金属音が、屋敷の玄関前に鳴り響いた!
一方その頃、ローズ貿易会社の若き頭取は、プレイルームで一人余興を楽しんでいた。年代物のワインを傍らに、扇情的な衣装を着た美女を観賞する彼。もちろん、その美女は奴隷。悪趣味にも彼女には奴隷のしるしを下腹部や肩に入れられており、衣装の隙間からちらりと見えるそれに、男は粘ついた視線を向けていた。
「いやあ、今頃、王太子殿下は我が世の絶頂でしょうね」
奴隷商は美しい女の踊りを肴にワインの香りを楽しむ。彼もまた、成り上がり、我が世の春を謳歌している男。踊る女の薄布の向こうの肢体を想像しながら欲をたぎらせ、そろそろ食べるかとワイングラスを置いたちょうどその時、部屋が揺れた。
「なんです?」
奴隷商は首を傾げ、踊り子も踊りをやめてしまう。グラスの中にわずかに残ったワインが、波打ち……波打ち…波打ち、その間隔がどんどん狭まっていく。
そのうすら寒ささえ感じる光景に茫然としていると、ミシリと部屋がきしむ音。
そして、凄まじい破壊音と共に、部屋の壁が吹き飛んだ!
「参上!」
「なんだ貴様は!」
白き聖女の闖入に奴隷商の男がいきり立てば、聖女は勢いそのまま部屋に突入し、右手の錫杖を振りかぶり、音速で振りぬいた!!
「聖誅!」
――PUNISHMEN†――
舞い散る木くずを置き去りに、錫杖は人間のクズを打ち抜いた!
奴隷商はきりもみ吹き飛び、聖女はプレイルームの中心で錫杖を打ち鳴らし残心!
一方の奴隷商は顔面から床を舐める!
そして、部屋の奥で悲鳴を上げる踊り子を見て、聖女が手で退出を促せば、踊り子は部屋中に散乱する木くずに足を取られながらも部屋から脱出する。
後に残るは、床に這いつくばる奴隷商と聖女、後からやってきたセシリア。打ち破ってきた部屋には警備員も伸びていたが、それはもはや些末事。
聖女は左手の天秤を掲げた!
「神判!」
――JUDGMEN†――
奴隷商の運命はもはや決まった!
「うぐ……ぉぁ……」
「規定、その一。我は、肯定か否定かで答えられる問いを行う!
規定、その二。汝は、問いに対し肯定か否定かの回答を行う!
規定、その三。双方、問いと回答に嘘はまかりならぬ!
規定、その四。何人、問答に干渉するべからず!」
奴隷商が苦しみながらもなんとか仰向けになり、光り輝く天秤を掲げる聖女を見ると、敗北を悟ったかのように笑う。
だが、聖女が追及を追及の手を緩めることはない!
「我、汝に問う。
汝、ハイドン嬢を買ったか?」
「ええそうですとも。あの女は俺の所有物」
真実!唾棄すべき真実の告白にセシリアは顔を顰めた。奴隷売買は今日の王国では違法行為。その上、王国有数の学園に送り込み、あまつさえ王太子に接近させたとなれば、婚約者でなくとも顔をしかめるのも無理からぬことだろう。
「我、汝に問う。
汝、アイテーヌ公の計画を知っているか?」
「知らないですね」
真実!だが、賢き聖女は質問を繰り返す。
「我、汝に問う。
汝、アイテーヌ公の当座の目標を知っているか?」
「……」
黙っていようと天秤は真実を示す!知っていると!
セシリアは聖女の質問と天秤が示す答えとに頭をひねる。だが、聖女はむしろその違いに満足そうに頷いた。何か確信を得たようだ。
「我、汝に問う。
汝、奴隷を10人以上、王国の貴族に売ったか?」
「ええ、売りましたとも」
天秤は陰惨な売買が行われいたと示した!
聖女は掲げていた天秤を下げ、プレイルームを見渡す。流石にここに重要書類を置いていないことは明白。それゆえに、聖女は床に寝転ぶローズの腕を掴んで引き上げると、彼を連れて部屋から出ていく。
三人が向かうは、ローズの執務室。廊下で伸びる警備員を乗り越えて、やがてやってきた扉を蹴破ると、中には大量の本と書類。
これを今から全て確認するのは難しいが、部屋の隅にあった金庫に目を付けた聖女は、ローズに目を向ける。
「あの金庫を開けてください」
「嫌だ」
聖女、これにはさすがに打つ手なし。
神判はあくまで肯定か否定かしか分からぬ。特定の数字を断定することもできなくはないが、それではあまりにも精神力を使いすぎ、時間も浪費してしまう。
聖女の推察では事は一刻を争う事態であり、悠長なことをしている暇は無い。
「聖女様、私にお任せください」
聖女が困った表情をしていると、前に出てきたのはセシリア。彼女は真っ黒な金庫の前に立つと、ネックレスを外し、そこに着けられていたリングを取り外す。そして、そのリングを人差し指に嵌めると、そのまま金庫へと指を向けた。
【聞け、我はお前の主】
【閉じしお前、我が臣下】
【開け、主の命ぞ、疾く開け】
セシリアが呪文を唱えていくと、彼女の髪がわずかに浮かび上がり、金庫のダイヤル錠がぐるぐると回り始める。やがて、カチンと小気味良い音が鳴ったかと思うと、ゆっくりと金庫の扉が開いた。
「なっ!」
「すごい!素晴らしい!」
聖女は絶句するローズをほっぽり出して、セシリアの下へ行き、彼女の手を取って笑顔を見せる。セシリアも聖女に手放しで褒められてまんざらでもないのか、嬉しそうにはにかんだ。
閑話休題、二人は金庫の中の書類を引っ張り出してそれをざっと見分していく。なんと、それは裏帳簿。その中身はどういった時期にどの貴族に奴隷を売ったのかや、その他非合法な物品の売買、脱税の証拠が書かれていた。
「これは酷い」
セシリアがそう呟いて、軽蔑の視線を後ろで倒れるローズに向ける。一方の聖女はこめかみに指を当てながら、奴隷を買った貴族達の名前について考察していた。やがて、先ほどの大ホールで得た直観が正しそうなことを悟ると、聖女はため息をつく。
そして、聖女は顔をあげてセシリアに視線を向けた。
「セシリア様。手伝って欲しいことがあります」
「はい。何でしょうか」
そう言われてセシリアはそう言えばそういう約束だったなと思い出す。聖女はこちらを見つめて、少し緊張気味な表情のセシリアに問いかけた。
「ここに書かれている奴隷を買った貴族達は、全員、軍関係者ではありませんか?」
その質問にセシリアは名簿を受け取って、上から順番にその名前を指でなぞる。
「ストーンウォール卿。この方は第三軍の軍団長。
ジョンストン卿。東方植民地軍、師団長。
リー卿、第三軍ハイランド騎兵隊隊長……」
セシリアはそこで言葉を切り、その先からは黙って名簿をなぞる。指を震わせながら名前を確認していけば、果たしてそこにある名前のほとんど全てが、国家の暴力装置の歯車であった。
もちろん、全てが軍属の人間ではなく、好色で名を馳せる人間などもいたが、それは奴隷売買からイメージされる状況からは考えられないほど少数だった。
「スミス卿、この方は上院議員です。軍属ではありません」
「その方はかなりのタカ派ではありませんか?植民地政策に強い言葉で言及しているのを、時々新聞で見かけます」
聖女の問いかけに、セシリアは震える声で「はい」と答える。そして、その彼女の答えに聖女は頭痛がすると言わんばかりにこめかみを押えながら首を振る。一方のセシリアは血の気が引いた顔をあげて、聖女に顔を向けた。
「こ、これ……」
「軍の一部が暴走をしているのでしょう。恐らく、王太子殿下も一枚噛んでいます。
よく思い出してみてください。ホールで私の行動を止めに来た男たちは、皆屈強でした。そして、彼らはそこの名簿にある人々と血縁はありませんか?そうでなくとも、武門の出ではありませんでしたか?」
聖女のその問いかけに、セシリアは足元が崩れ落ちるような感覚を覚え、恐怖に顔を手で覆い隠し、何度も頷く。
そうだ、あの時拍手をしていたのは全員軍閥の出。ホールに突入したグランもそう。そして、神判に突っかかってきたあの男は、逆に軍の出ではなく、議会に近しい人物!セシリアの中ですべての点と点が繋がっていく!
「はい。はい!全員!グラン様も!ま、まさか……?」
足元おぼつかないセシリアが体を揺らし、聖女はそんな彼女の事を慌てて支える。聖女に体を支えられたセシリアは、彼女の手の感覚で何とか現実に踏みとどまる。そして、次々と嫌な考えが浮かんできて、言葉を零す。
「もしかして、突入のタイミングが早かったのも?」
「恐らく、王太子殿下がホールで騒ぎを起こした後、グラン様率いる私兵が突入。その場で全員を拘束なり、軟禁。政治中枢を混乱させ、クーデターなり何なりを行う予定だったのでしょう」
「私の婚約破棄はただの誘導行為だったと?」
セシリアのその震え声に、聖女は何も言わず言葉を続けた。
「……付け加えるなら、王太子殿下の宣言に対する拍手や歓声も、あらかじめシンパを効率的に配置して全体をコントロールしようとした結果だと考えられます。
その証拠に、神判の途中は雰囲気ががらりと変わっていました」
セシリアは思わず膝の力が抜けてしまいそうになり、聖女はそんな彼女のことをしっかりと支える。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫……」
聖女に支えられたセシリアは目をつぶって、何度も深呼吸をする。震える体でする呼吸では体の奥に酸素を行き渡らせることが難しかったが、それでもなんとか体の活力をかき集めて、足に力を入れる。
そして、セシリアは聖女の支えから、自らの力でしっかりと立ち、未だ座り込む全てを失うことになるであろう奴隷商へと目を向けた。
「ローズ様。今すぐ、全てを説明してください。これはクーデターなのですか?それとも、別の目的があるのですか?」
「……」
奴隷商は何も答えない。だが、ここにいるは聖女なり、彼女は天秤を掲げた。
「神判を開始します。規定はわかっていますね?」
奴隷商は頷く。セシリアは聖女と奴隷商の問答を静かに見守る。
「我、汝に問う。
汝らの計画はクーデターか?」
「違う」
真実の証言。一連の騒動はクーデターではない。セシリアは唇を引き結んで事の成り行きを見守り、聖女はしばらく考えてからまたも問う。
「我、汝に問う。
汝が売った奴隷は工作員か?」
「違う」
真実の証言。ならば、この男が用意した数多の奴隷にはどういう意味がある?聖女は目を閉じて考え、やがて一つの結論に思い至る。
「我、汝に問う。
汝が売った奴隷は生贄か?」
「ええ、そうです」
おぞましき真実!聖女は目の前の男の残忍さに口元を覆って顔を青ざめさせ、聖女は目の前の侮蔑すべき男を冷静に見つめる。
聖女は感じていた。おそらく、ここが正念場なのだと。
生贄を分散させて売ったのは、事が露見するのを防ぐためであろうことは明白。ならば、背後には少数の黒幕がいる可能性がある!
「セシリア様に問います。
先ほどの名簿の全員と繋がっていそうな人物に心当たりはありますか?」
聖女のその質問に、セシリアは頭をひねって先ほど見た人間たちの共通点を探る。軍人達と会っていても不思議ではない人物、タカ派議員のスミス卿も特筆すべき項目かもしれない。
セシリアはやがて一つの答えを見つける。だが、その名前を口に出すことをためらっていると、その答えは思いがけない所からこぼれ出てきた。
「ダントン辺境伯ですよ」
ローズである。彼の言葉に、セシリアは唇を噛む。
「はい。私もそう思いました」
セシリアもローズの暴露に追従するが、彼女はそのことが全く信じられなかった。辺境伯と言えば、貴族の内でも最も信頼ができる人間の内の一人だ。他国との国境付近で常にその目を光らせている王国の番人、王家との血のつながりさえある。
そんな国家の重鎮がなぜ?
セシリアがそう疑問に思っていると、やにわに事態が進んでいく。聖女は錫杖を打ち鳴らし、暴露をしたローズのことを見下ろす。
「観念したのか?」
「ふんっ!さっさととっちめに行けばいいさ!」
ローズが厭味ったらしそうにそう言い放った瞬間!聖女は錫杖を振り下ろした!
「聖誅!」
――PUNISHMEN†――
黒幕にけしかけて逃げようとしても無駄!聖女は見抜いているぞ!
聖女の一撃により、ローズは気絶!またも床を舐めることになる!
そして、聖女は踵を返して裏帳簿をすべて回収。書斎の窓に近づくと、そこから見える壊れた門扉に警察が集まっているのを確認。それから聖女はセシリアに向き直り、深刻さを増した真剣な表情で語り掛ける。
「行きましょう。まだ終わっていません。むしろこれからです」
「はい」
意気消沈するセシリアを引き連れ、聖女は屋敷の壊れた玄関から外へと歩み出る。
そんな彼女を取り囲むは紺色の制服に身を包んだ警察たち。その内の一人が前に進み出てきて、聖女に略式の礼をする。
「聖女様。これは一体何の騒ぎでしょうか?」
「こちらをどうぞ」
部隊の隊長らしき男に聖女は裏帳簿を手渡す。隊長は眉をあげながらその紙束を受け取り、中身を読み始めると、書類を取る手に思わず力が入ってしまい、ぐしゃりと僅かに潰れる。
そんな正義感溢れる男に、聖女は錫杖を鳴らした。
「我か、彼か、今逮捕するべきなのはどちらか?」
「ローズ、でしょうな」
「然り」
だが聖女、この場においてやることが一つある。
彼女はおもむろに左手の天秤を掲げた!
「神判!」
――JUDGMEN†――
「規定、その一。我は、肯定か否定かで答えられる問いを行う!
規定、その二。汝は、問いに対し肯定か否定かの回答を行う!
規定、その三。双方、問いと回答に嘘はまかりならぬ!
規定、その四。何人、問答に干渉するべからず!」
突如の神判に、警察たちは目を見開き、目の前の聖女へとその視線を集中させる。
そして、聖女は高らかに問いかけた!
「我、汝らに問う。
賄賂を受け取ったか?」
「は?」
隊長は素っ頓狂な声を出し、聖女はそんな清廉な彼に構わず取り囲む警察官達一人一人に天秤を向けてゆく。
すると、一人、天秤が反応した者がいた!汚職警官だ!
聖女はすぐさま錫杖を振るおうとする。だが!彼女よりも速く紺色の男が動いた!
鉄拳制裁!隊長は不届き者にアッパーカット!
僅かに宙に浮き、後ろへ倒れ行く汚職警官!
「ぅぐぁッ!」
「拘束せよ!」
そして、すぐさま部下にそう命じる隊長!
聖女は振りかぶるだけ振りかぶった錫杖を下ろし、隊長と向かい合う。
「ここからは私共の領分。根は深そうですが、必ずローズは逮捕して見せましょう」
隊長は聖女に敬礼をし、それに聖女はしかと頷く。世には好漢がいるものなのだ。
そして、聖女は屋敷を包囲する警察官達の間を縫って外へ出る。後ろにはセシリア、屋敷を取り囲む野次馬も抜け、しばらく歩いてから、聖女はセシリアへと振り返った。
王都のとある道のガス灯の下、俯くセシリア、そんな彼女を見る聖女。始めに口を開いたのはセシリアだった。
「これから、一体どうするのですか?」
聖女は少し考え、言葉をまとめてから答える。軍は当てにならず、元軍人が多くいるであろう警察たちにも協力者がいることは明白。国家の中核の二つがもうすでに機能不全に陥っているのであれば、事態を解決できるのはここにいる聖女しかいない。
「我はダントン辺境伯の元へ行きます。こういった反逆行為ともとれる行動は、制圧される前に即座にその目的を達成させなければいけません。そのため、事態は未だに急速に進行している可能性が高いと考えられます」
セシリアは顔をあげる。瞳が揺れていた。無理からぬこと、多くの事が起きすぎている。一人の女の子が背負う物ではない。
聖女はそんなセシリアの頬に手を当てて、安心させるように微笑む。
「大丈夫。
セシリア様の事は今から屋敷まで送りますから」
その言葉に、セシリアは目を大きく開き、やがて目を閉じてながら首を振った。聖女が彼女から手を離して、その感情を推し量りきる前に、自身の胸に手を置いたセシリアが目を開き、決意の表情でもって口を開く。
「いいえ、私も行きます」
「しかし」
「事の責任は私にもあります。傍にいながら殿下の企みを見抜けなかった。婚約破棄を告げられた時も、何も、できなかった」
「それは――」
それは違うと聖女が言いかける間もなく、セシリアは力ある眼で聖女を射貫く。意志の強いその瞳に、聖女はただ見つめ返すことしかできなかった。
「きっと、役に立ちます。一人より、二人の方が対応できることも多く、考えられることも多いはずです。手伝わせてください」
その力強い言葉に、聖女はふっと微笑み、頷く。
「分かりました。手伝ってください、セシリア様」
セシリアも頷き返し、二人は僅かに音を鳴らすアーク灯の下、これからどうするのかを話し合い始める。
ダントン辺境伯の元へ行かなければならないことは明白なのだが、未だにわかっていないこともある。真っ先に口を開いたのはセシリア。
「奴隷を様々なルートで集めたのはダントン辺境伯。それは生贄にするため。聖女様、そもそもなぜ生贄などと問いかけたのですか?」
「工作員、つまりクーデターなどを決行するための武力ではないのに、人をかき集めるとなると、強力で人道から外れた魔法か儀式くらいしかありませんら」
聖女は空を見上げる。ガス灯やアーク灯で明るくなった夜の街で見える夜空には星が少ない。だが、それでもいつも見えている月が見えなかった。今日は新月。邪なるものが最も活発になる夜。
偶然ではないはずだ。
「今夜は邪な儀式を行うに最も適した日。おそらくは今夜中に何かを行う可能性が高いと思います」
「なら、早くダントン辺境伯の所に行かないと!」
「お待ちください」
セシリアが焦った声を出すが、聖女は急いては事を仕損じるとあくまで冷静。
「少し引っかかっていることがあるのです」
聖女はそう言いながら、舞踏会が行われていた宮殿の方角を見る。
「なぜ、あんな騒ぎを起こしたのかがまだ分かっていません」
「それは、政治中枢を混乱させるため、とさっき仰って……」
「いえ、それは手段です」
聖女のその言葉に、セシリアははっとした表情になる。
「最初はクーデターを成功させるためだと思っていたのですが、それは否定され、奴隷は工作員でもなかった。邪法を行うのが目的だとしたら、わざわざ露見する確率をあげることになる婚約破棄や軍の突入などは行いません」
アーク灯がジジっと激しい音を鳴らし、聖女がそれを思わず見上げる。目に差すような明るい光に目を細めて、はて、最近も何かを見上げたなと既視感。
すわ天啓か、と聖女はその既視感の正体を探ってみると、案外すぐにその原因が思い出される。宮殿を見上げた時に見た、邪龍を踏みつけけ民衆を導く王の彫像を。
「邪龍神」
「え?」
「あ、いえ。ふと、邪龍神を踏む王の彫像を思い出しまして」
セシリアもそう言えば、と宮殿の彫像を思い出す。加えて、廊下に飾られた絵画や、宮殿に安置され何度か展示されたこともある国宝も。
国宝は、邪龍神の心臓と呼ばれる、巨大なブラック・オニキス。
セシリアの背筋に、ひやりとしたものが走る。
聖女は体を硬直させたセシリアに首を傾げ、「大丈夫ですか」と口を開きかけたところで、彼女が大声を出す。
「邪龍神の心臓です!」
「……なるほど。邪龍神を初代国王が打ち取った時、中から抜き取った物でしたか。
まずいですね。邪龍神は不死の存在、心臓と生贄があれば復活させられるかもしれません。騒動を起こした理由はこれの回収を誤魔化すためですか!」
聖女は宮殿の方角を向き、今から向かっても回収の阻止が間に合うかどうかを考える。明らかに間に合わない。いや、ホールで騒動が起こった時にはもうすでに持ち出されていた可能性が高い。
ならば考えるべきは『邪龍神の心臓がどこへ持ち出されたか』『邪龍神を復活させた結果どうするのか』そして、喫緊の問題は前者、早く追いかけなければならない!
聖女の決断は早い。彼女は辺りを見渡して馬屋を探す。この時間帯なら辻馬車を捕まえられる可能性も低いがまだある。
「聖女様、私は今すぐにでも鉄道駅へといかなければならないと思います!鉄道なら、邪龍神の心臓を今夜中に国のどこへでも運べます!」
セシリアのその鋭い指摘に、聖女は似たようなことを考えていた彼女に微笑み、優しく首を振る。そして、その次の段階の考えを述べる。
「いいえ。まず優先すべきは鉄道駅ではなく、飛行船の発着場、空港です」
聖女はそう言ってセシリアの手を取ると、すぐに彼女の事を引き寄せてお姫様抱っこにする。そして、猛然と走り出した!
もはやそのスピード感に慣れ始めていたセシリアは聖女の首に手を回しながら、彼女に問いかける。
「何故鉄道駅ではないのですか?」
「鉄道輸送なら、もうすでに出発していたとしても電信で情報を先回りさせ、無理やりにでも止めることができます。ダイヤの乱れや、各駅からの情報で位置を特定することもできます。
ですが、飛行船はそうはいきません。例え無線で捕まえることができたとしても、それを無視してどこへなりとも行くことができますし、そもそも捕捉が難しい。
ならば、空港へと行くのが今の最大の優先事項!」
聖女は道端に止まってた馬車を見つけると、その御者に向かって天秤を見せつける。霊験あらたかなる聖女は、それだけである程度の要求を通すことができるのだ。
「失礼!馬を貸して欲しいのですが!」
「え?あ、ええっと?」
だが、御者はその要求に目を白黒させるばかり。説得をすれば貸してもらえるかもしれなかったが、今は一秒でも時間が惜しい。聖女は錫杖を肩にかけながら、すぐさま馬を馬車から取り外しにかかった!
「ありがとうございます!」
「はえ?」
あまりの早業!御者が反応する前に馬車から馬を外し、鞍のないその馬に跨る!
さすがは聖女、裸馬にも乗ることができる!彼女は御者から馬車用の長い手綱をひったくると、片手でそれを巻き取りながら、もう片方の手でセシリアのことを馬の背まで引き上げた!
「はいやあっ!」
聖女が一声残して馬を走らせ始めると、後に残された御者は帽子を脱ぎ、驚き顔のまま遠くなっていく愛馬を見送る。
「何だったんだあ?」
まだ現実を飲み込めていないようだった。
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