第3話 彼女との出逢い

新宿駅近くのシティホテルの27階のラウンジで 僕はアルバイトをしている。役割はホール。案内係兼 自給係だ。大学生になってすぐに始めたから もう5年も続けている。

 それとは別に 最近 とある芸能事務所に所属する事になった。このラウンジでアルバイト中に声をかけられた。単純に『タレントにならないか』とスカウトしてきたのはタカと名乗るマネージャーの中年のおっさんだった。

 その芸能事務所は元々兄弟ふたりでやっていたが ある時その2人がささやかな仲違いをした。長い間2人で仕事をしてきたにも関わらず 兄弟という近しさは 仲直りという作業においては邪魔にしかならなかったようだ。数ヶ月後 修正が出来ないと感じた弟が退社をした。そしてさっさと新しく事務所をたち上げる。弟には 古参のタレント数名とマネージャーのタカだけが着いていった。

 そんな説明をされたせいか スカウトされた時『稼げるようになるよ』と言うタカの言葉を僕は何故か怪しく思わなかった。そして 僕はおじさんタレントばかりのその事務所初の新人となった。

 それまで僕にとって芸能の世界は身近なものではなかったし 目立つことも本来好きではない。興味がないといってもいい位で 人前に立つのだって全然得意ではない。

 しかしタカが言うにはタレントの優越はそんな事ではないらしい。『冬二に声をかけた理由は まずその佇まいの良さ。これはまず後付け出来ない。あとは自分の機嫌を取るのが上手そうで 若いのになんだか落ち着いているよな。』ということだ。

 落ち着いていると言われても バイト中は余程のことが無い限り 静かな笑顔と真面目そうな顔の行ったり来たりだ。この仕事で感情を露わにすることなんて誰だってしないんじゃないかな。それに佇まいの良さなんてなんだかピンとこない。正直にそう言うとタカが一生懸命説明してくれた。例えば 疲れて背中を丸めて俯いて座っていても憂いがあるとか 人待ちでぼんやり立っていてもその姿が様になるとかとか そんなことらしいが。格好なんていくらつけても無駄だそうだ。

 僕は説明されても自分がどうなのか わからなくて

「そうなんですか」

 と曖昧に答えただけだった。それでもタカと一緒に働いてみようと思った。理由は単純で ずっと平均的な人間だと思っている僕への その評価が気に入ったから。

 考えてみれば 何かを始める時 人はその何かが得意である必要性なんてないのかも知れない。今の僕にはタレントという仕事について殆ど何も知らないんだし 稼ぐために努力出来るかだってその時になってみなければわからない。タカはそのままラウンジのバイトを続けて良いと言った。

 その道で食べていくつもりが無ければ気楽なもんだ。タカの説明は僕にそんな考え方でも良いのだろうと思わせてくれた。


 彼女を初めて見かけたのもこのラウンジだった。モーニングタイムの終わり近くにひとりでやってきた。僕との身長差は20cm位。襟のない白いシャツとバギーのデニム ソールの厚いサンダルを素足に履いていて 手には財布とスマートフォンだけを持っていた。一定の部屋の宿泊者しか利用できないこのラウンジではかなりカジュアルなイメージだ。明るい色のショートヘアで丸い形の眼鏡をかけていた。ノーメイクで血色の良い唇は薔薇の花びらのようだ。控えめな大きさのシルバーのフープピアスとリングをいくつかと 細い革のベルトの時計をしている。

「おはようございます。まだ朝食 食べられますか?」

 入り口に立つ僕に無造作に話しかけた彼女の『食べられますか?』はとても可愛かった。モーニングサービスが終わる前で良かった。綺麗な人にはしっかりと食事を取って欲しい。

「大丈夫ですよ。ご案内します」

 僕は営業用の爽やかな笑顔で答え テラス側の眺めの良い席に案内した。

 僕が椅子を引くと 彼女が静かに座った。嫌でも目に入るその後ろ姿に僕の耳が熱くなる。白くて長い首とそれにつながるなで肩は僕の大好物だ。

 しかし残念なことに本日の彼女に対する僕の役割はそこでおわりだった。

「ごゆっくりお過ごしください」

 声をかけるともといた場所に戻るしかない。

 大きな掃き出し窓からテラスの見えるその席は彼女に良く似合っていた。

 遠目にも綺麗な食事の様子を僕はずっと眺めていた。

 そして僕は何かに取り憑かれたように カウンターに置いてあるラウンジの名前の印刷してあるメモ用紙を1枚取り 携帯電話の番号と名前を書いた。

 おかしい。いつもの僕はこんなに積極的でも行動的でもないはずだ。

(神様 どうか僕にお力を……頑張れ 僕)

 27階より上の階の宿泊者しか利用できないこのラウンジには会計の作業はない。彼女は部屋に戻るため 僕の前を素通りすることになる。どうにも不安ばかりだ。こんなものを渡したら嫌な顔をするかな。その前に変人扱いかも。そうだよな 突然電話番号渡されても 困るよな。

「ごちそうさまでした」

 案の定 グズグズ考えている僕の前を彼女がすっと通り過ぎた。声なんかかけられなかった。もちろんメモなんて渡せるはずもない。彼女のきれいに伸びた背中を眼で追いながら僕は手の中のメモを握りつぶしそうとした。

 その時 彼女の左の肩のあたりが小さく光る。見過ごしそうなその小さな光は床に落ち転がった。彼女は気付かず歩いて行く。僕は風より早く駆け寄ってその光を拾う。それはピアスだった。

「すいません。落ちましたよ」

 10歩程先の彼女が振り向く。十分に怪訝な顔だ。不審者扱いの僕はゆっくり近づき

「これ 落ちましたけど……」

 彼女の目の前で手を広げる。僕の手の平に乗った銀色のフープピアスを彼女の細い指がつまんだ。少し首を傾げて 反対の手で自分の耳を触る。

「ほんとだ……ありがとう」

 ピアスが無いことが確認でき 彼女はようやく笑顔になった。そして僕は 左の頬のえくぼから 目が離せなくなり どうして良いかわからなくなる。

 彼女は僕の目の前でピアスをつけた。慣れた手つきで また少し顔を傾けて。

 その仕草にみとれながら 手がピアスから離れた瞬間 僕はその右手をそっとつかむ。彼女は驚いた顔をして僕を見た。視線が合う。瞳孔の区別がつかない程の漆黒の瞳に僕は吸い込まれそうになり 何度か瞬きをしてしまう。そして 握りつぶしそうになった四つ折りのメモを 彼女の手のひらにのせる。

 今度は彼女の瞳が揺れた。

「ありがとう」

 そう言ってもう一度えくぼを見せながら彼女はメモを反対の手でつまんだ。

 僕は不審者にならずに済んだ。

「いえ……」

 ペコリと頭を下げ180度回れ右をする。平静を装い ゆっくりラウンジに戻る。

 彼女は僕の後ろ姿なんて気にも留めないだろう。でも 僕は右手と右足が一緒に出ているんじゃ無いかと思うくらい緊張している。ラウンジに戻っても顔が熱い。

(何だよ 青いな……)

 自分自身に毒づき そのあとは呆けたように脱力した。

 余韻を引きずりながらぼんやりとした頭で午前中の仕事をこなす。


 昼時になっても全く食欲がなかった。。混雑した従業員食堂でアイスコーヒーのストローをくわえたまま 思い浮かぶのは彼女の白い手や『ありがとう』の声 そして片えくぼ。眼鏡の中の大きな瞳と長いまつげ。なで肩。僕は完全に彼女の虜になった。

(あの丸いピアスは自然に外れたりするのだろうか……)


                  continue



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