第2話 タカのお小言

 冬二のマンションはオートロックで エントランスに着くと彼はまずインターフォンを押した。部屋からの応答を待たずに自分で鍵を開け自動ドアの中に入っていく。エレベーターを降りて 部屋の前に着くと玄関の鍵も冬二が自分で開ける。

(実は 彼女なんて存在しないとか。それはそれで ある意味問題だが……)

 心配はいらなかった。ドアを開け 中に入るなりすっと細い腕がのびてきて冬二の頭と肩をかかえる。唇の重なり合う湿った音が聞こえる。

「……ちょっと 待って下さい……お客さんだから……」

 手の甲を唇にあてて あわてて冬二から離れる彼女は 若く見えるが35、6歳というところだろう。冬二君はまたえらく年上を選んだ。お前 もてるだろう。いくらでも声がかかるだろうし 冬二が望んだら断る女性なんてまずいない。確かに彼女は可愛いがこんな年の差いらないだろうよ。お前は良い奴だが馬鹿なのか ほんとに……。


「ごめんなさい。どうぞ……」

 何もなかったように彼女はスリッパを並べ俺の顔を見てにっこり笑う。左の頬のえくぼと薔薇の花びらのような唇から俺は目が離せなくなった。

 そして靴をぬいでいる冬二の顔に彼女の視線は移動する。彼女はただ 冬二の顔を見ただけなのに その時 俺は『お帰りなさい』という彼女の声が聞こえたような気がした。幻聴か。ほんとに大丈夫か俺。

 彼女の視線に気がついた冬二は笑顔になり 片手で彼女の腰をかかえ部屋に入っていく。

(まあ まあ お熱いことで。)

 一時も離れていたくないという感じだ。どう考えても必要な話を手っ取り早くすませて帰った方が良いようだ。


「お茶でも……」

と言いキッチンへ立とうとする彼女を引き止めソファーに座らせ 早速話を始める。

「せめて見えるところに傷はつけないでいただきたい。口の中は結構大変な事になっていて 先程一緒に病院に行ってきました……」

 俺はなるべく感情が入らないように淡々と話しをした。

 実に面倒だ。人の恋愛を邪魔する趣味は無いし 余計なことも言いたくない。そしてなんだかえくぼが可愛い彼女が嫌な顔するのも見たくない。

「ごめんなさい……」

 彼女の大きな瞳から今にも涙がこぼれ落ちそうだ。こういう顔をされたら男はどうしたらいいんだ。俺は動揺した。

「いい気になって盲目的で……。ほんとにごめんなさい。ご迷惑おかけして……」

 言葉は素直で 彼女は実にはかなげだった。

 そして一瞬 俺は謝っている彼女に対して小さな罪悪感を感じてしまった。上手く表現出来ないが 例えば OLが上司にコピーの取り間違いとか ささやかな事で叱られている感じだ。そもそも サラリーマン経験のない俺はそんな事でおっさん上司がOLを怒るかのかわからないが。可愛らしいOLはちょっと目を潤ませたりして。おっさん上司は

(しまった 泣かせてもうた。ちょっと 言い過ぎたかな)

と反省してしまう。俺はそんな気分になってしまった。

 違う! そんな穏やかな内容ではない! 俺が言いたいのは 要するにSEXをする時 冬二に乱暴をしないで欲しいということだだった。

 しっかりしろ 俺。

 いっそのこと『何のことですか! 余計なお世話です! 』と彼女が強く反論でもしたら こんな気持ちにはならなかっただろうに。


 彼女は隣に座る冬二の顔をみる。

「あーあ タカさん 泣かせた。泣かないで 彩絵さん。彩絵さんは悪くないですから。僕は全然平気なのにタカさんも社長もオーバーなんだよ」

冬二よ 何を言う。全然平気ではない。君はうちの大切な商品なんだよ。売り物を傷つけられて何も言わない店主はいない。現にお前さ メシ食えてないだろ。それにさっき一緒に病院行ったの忘れたのか。見えるところのキスマークや噛み痕とか困るんだよ。スタイリストもメイクさんも知らないふりしてくれているけど きっとすごく変に思ってる。服に隠れないものは本当に困るんだ。そしてはっきり言って冬二には『M』のイメージがない。わかってんのかなぁ。わかってないよなぁ。

 言いたいことは山積みなのに 俺はなぜかそれ以上何も言えなくなってしまった。


 しばらくしてその気まずい沈黙を彼女がそっと破る。

「何も無いけれど ゆっくりしていってくださいね」

 泣き笑いのようなけなげな笑顔を見せ パタパタとスリッパの音をたててキッチンへ消える。

「……あっ お構いなく……」

 半分魂を抜かれたような俺の声が 尻つぼみに虚しく取り残された。


 すぐに出てきたのは 冷えたビール 種類の違うチーズを綺麗に盛り付けた横に 半分に切ったプチトマトを添えたワンプレート。プチトマトには塩 粗挽き胡椒 オリーブオイルがかけてある。次にレタスとキュウリとたっぷりのほぐしたササミのサラダ。ドレッシングはこってり目の胡麻風味だ。そして揚げたてのてフライドポテトが山盛り。続いて殻付きアサリのボンゴレスパゲッティーにが出てきた。スパゲッティーの上には刻んだイタリアンパセリがふんだんに散らしてある。

 まだまだお子様口の冬二の好きそうな かつ健康的な料理だった。ほぐしたササミがジューシーで柔らかくて実においしい。聞けば 水に塩麹をいれてささみをゆで冷めてから取り出しほぐすのだと教えてくれた。更に

「このケチャップ リコピンが普通の2倍入ってるんですよ」

と言う。俺はフライドポテトにたっぷりつけて頂いた。

 特に珍しい料理が出された訳ではない。例えばグラスにくもりがなくてビールと一緒にきちんと冷えていたとか ポテトが揚げたてで火傷するほど熱くて塩加減が丁度いいとか あとは何にもない冬二の部屋で美味しそうに料理を出す技か そんなもんだ。

 彼女は男の体も心も胃袋まで虜にする。胃袋以外は俺の憶測に過ぎないが。


 彼女が今着ているフーディースウェットは 冬二のものだろう。膝が見え隠れする位の丈。そして萌え袖。先だけ見える細い指先に裸の短い爪。しかし俺はプロだ。見逃さない。甘皮の処理もツヤもそこら辺のおばさんに爪じゃない。彼女はいったい 何者だ。

 しかし その可愛いピンクの爪で冬ニの背中やお尻を引っかいたりつねったりするのか。そのか細い手のどこにそんな力があるんだろう。発想がすぐおやじっぽくて我ながら嫌になる。


 冬二がトイレにたった隙に 彼女の正体を知るために話しかける。

「以前は私立中学の美術の教師をしていました。お店を出してもらってどうにか子供達に不自由させず育てられました」

(子供がおるんかい! )

 さらっと言ってのけた。人は本当に秘密にしたいことがある時 とんでもないことを平気で言ったりする。今 彼女は俺との話しなんて 実はどうでも良いに違いない。彼女の秘密は実は全く違うところにありそうだ。そして彼女は徹底した聞き役で 言わなくていい事までつい喋ってしまいそうになる。

 俺としたことがつい長居をし 楽しく過ごしてしまった。さっさと帰るつもりだったのに……。


「彩絵さん 何 話してたんですか? 」

 トイレから戻った冬二は彼女の横にピタリと座り 両腕でその細いお腹をかかえる。

「今度 事務所に遊びに行って良いですかって聞いてたの……」

 実際には そんな話はいっさいしていない。

「彩絵さん もしかして僕の仕事しているところ見たいんですか?あーでも他の男の人と喋ったりとか嫌だな。きっと僕 仕事になんない……心配で……」

 冬二は今 事務所のスタッフが彼女を可愛いと思いそれに嫉妬するであろう自分自身を想像して満足している。おかげで彼女が俺と何を話していたかなんてどうでも良くなったに違いない。

 たいした『たま』だ。彼女は静かに成人男性ふたりの思いを自由に弄んでいる。


「酔った。彩絵さん 僕 眠いです……」

 冬二は彼女のお腹をかかえたまま肩に顎をのせ耳の下あたりで深く息を吸い込んだ。

「いい匂い……」

 冬二の唇が彼女の細い首に押しつけられる。全く 見ていられないな。俺は壁の時計に目を移す。

「お風呂に入ってから寝てね。そうだ 高橋さんもお風呂どうですか。こんな時間だし お家に帰ってから楽ですよ……あ もし良かったら泊まっていきますか? 明日は 冬二君と一緒にお仕事に行けばいいし……」

 彼女は素直に優しい。

 泊まればきっと明日の朝はおいしい朝食にもありつけるであろう。だが風呂はもちろんのこと 泊まるなんて以ての他だった。酔っ払った冬二と一緒に風呂に入るのは絶対面倒くさいし ひとりで風呂にはいったとして この2人が何を始めるか考えるだけでお腹が一杯だ。泊まるにしたって同じ理由で絶対に俺は寝られないだろう。

 しかし 彼女は可愛くそしてどこまでも屈託がない。少し残念な気もするが 彼女の優しい申し出を丁重にお断りし 俺は重い腰を上げる。


 俺がエレベーターに乗り込むと 彼女は

「朝ご飯にチンして食べて下さい」

と言って小さいコンビニ袋を渡してくれた。そしてエレベーターの扉が締まり切るまで 酔っ払って正体のない冬二に 後ろからお腹を抱えられながら 胸の横で小さく片手を振っていた。


 翌朝 コンビニ袋を開けると 香ばしく焼いた味噌おにぎりが3個入っていて ひとくちかじると叩いた梅干しに鰹節を混ぜた具が出てきた。キュウリの浅漬けが添えてあり 大変おいしくいただいた。 

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