第2話 朱色に光る救世主(おっさん)

 "一匹見たら、百匹いると思え"。


 百匹とまでは行かないものの、少なくとも十は超える数の岩蛇が少年を取り囲んでいた。


 彼らは仲間の仇を見るやいなや、自らの武器尻尾を振り上げる。


「おいおい、嘘だろ」


 洞窟の中に大雨が降り注ぐ。それも、一粒一粒が大きな岩の塊だった。


 たった一匹の岩蛇を倒すだけでも相当の労力を要したのだ。さらに十倍など、たまったものではない。


 "死"は目の前に迫っている。だから、少年は死ぬ気で体を動かすしか無かった。


 ほぼ同時に降り注ぐ岩蛇の尻尾たち。それらは複数であるが故に、各々の着地するタイミングに少しの"ずれ"が生じていた。その"ずれ"によって、一瞬だが攻撃の当たらない"安全地帯"が発生する。


「観察しろ!!」


 必ず岩の雨が降らない場所があるはずだ。それを見つけろ。


「体を動かせ!!」


 止まらなければ勝機は見えてくるはずだ。走れ。


「こんなところで、死んでたまるか!!」


 生きろ。


 少年を、岩の嵐が襲うーー



 ーー結論から言おう。少年が岩蛇の攻撃を完全に避けることは、出来なかった。


 だが、致命傷は避けることができた。


「......」


 少年は今、立っている。それが証拠だ。


 全身を自らの血で真っ赤に染めて、少年は立っていた。


 右腕に一発、左腕に二発、右脚に一発、頭に一発。


 全部で五発。半分以上は避けた。

 

「こんだけ食らっても立ってられるとは、思ったより俺の体は丈夫らしい」


 もう一発食らえば、倒れる。それは誰の目にも明らかだった。


 岩蛇たちは少年を黙って見ている。側に多くの仲間がいる彼らの目に、怯えなど無い。あるのは、目の前の死にゆく生き物に対する哀れみだった。


「......いいなあ、お前らは。助けを呼んだら仲間が来てくれるんだから。突然知らないところで目え覚まして、知ってる奴なんて誰もいない俺の気持ちなんて分からねえよな」


 死にたくない。でも、もう体は限界だ。


 両腕の感覚がない。肩に何かがぶら下がっている感覚だけがある。


 足は立っているだけが限界だ。体がこんなに重いだなんて知らなかった。

 

「見逃してくれよ。死にたくねえんだ。美味いもんだって食ってねえし、ふかふかのベッドで寝れてねえし、可愛い女の子たちとエッチなことだってしてねえんだ。

 だから!! 頼むから!! どっか行ってくれよ!!」


 情けない命乞いだ。プライドだってズタズタだ。でも、誇りより失いたくないものがあった。


 そんな思いが通じたのか通じなかったのか。群れから一匹、少年の近くへと這い寄ってくる岩蛇がいた。


 その岩蛇の尻尾には、複数の傷が付いている。

 

「......まさかお前、さっきのやつか」


 死闘を繰り広げた、宿敵だった。


 ーー蛇が鳴き叫ぶ。


 それは、助けを呼ぶ声でも痛みによる悲鳴でも無い。


「最後はお前が仕留めてくれる、ってか」


 宿敵へ捧げる勝利の雄叫び。


 ーーその雄叫びは洞窟を一瞬、震わせた。


「......助けて」


 呟きと共に、少年は目を閉じる。



 ーー蛇が鳴き叫ぶ。


 ーー蛇が鳴き叫ぶ。


 ーー蛇が鳴き叫ぶ。


 ーー蛇が鳴き叫ぶ。


 共鳴したのか、なぜか周りの岩蛇も雄叫びを上げ始めた。



 ーー蛇が鳴き叫ぶ。


 ーー蛇が鳴き叫ぶ。


 ーー蛇が鳴き叫ぶ。


 ーー蛇が泣き叫ぶ。


 訪れない終わりに、少年は違和感を感じ始める。



 ーー蛇が泣き叫ぶ。


 ーー蛇が泣き叫ぶ。


 ーー蛇が泣き叫ぶ。


 ーー蛇が泣き叫ぶ。


 痺れを切らした少年は、ゆっくりと目を開けた。



 ーー蛇が泣き叫ぶ。


 目に映ったのは、悲鳴を上げて倒れる岩蛇の姿と。


「鉱物パーンチ!!!!」


 松明片手に素手で岩蛇を殴り倒す、オレンジ髪のおっさんだった。


「......誰だ?」


「おいおい、記念すべき初対面だってのに『誰だ?』は無えだろ『誰だ?』は。っと、鉱物パーンチ!!」


 喋りながらも次々と襲いかかる岩蛇たちを、左腕だけで殴り飛ばしていく。絶え間なく続く岩蛇の強襲にも関わらず、その男は笑っていた。


「俺の名前はフルクタス。通りすがりのお兄さんだ。覚えとけ、クソガキ」


 岩蛇たちの悲鳴が、洞窟中に響き渡る。


 突然目の前に現れた男脅威に、臆病な彼らは震え上がることしかできなかった。


「ギャーギャー五月蝿せえなあ。怖くて助けを呼ぶのは結構だがな。その声に気付いて来るのは、何も仲間だけじゃ無えんだぜ」


 一人の男と数匹の岩蛇。始まるのは死闘などでは無い。ただ一方的な虐殺だ。

 

「歯ぁ食い縛れよ、サンドバッグども」


 不気味な笑みを浮かべた狩る側フルクタスは、狩られる側岩蛇たちには鬼のように見えたーー



 ーー辺りには、何匹もの倒れた岩蛇が転がっている。


「バケモンかよ......」


 岩蛇の屍たちの中で、フルクタスは何事もなかったかのように無傷で立っていた。左目の上に傷跡があったが、それは今さっき付いた傷には見えない。


「命の恩人に向かって、バケモンってのは失礼じゃねえか?」


 いつの間にか落ちていた松明を拾いながら、フルクタスは少年の呟きに応えた。松明に照らされて見える薄汚れた作業服は、目の前の男がこの坑道で働いていることを示しているのだろうか。


「素手であいつら吹き飛ばすとか、バケモン以外の何者でもねえだろ」


「素手だって?」


 濃いオレンジ色の眉を上げ、フルクタスは何か含んだような笑みを浮かべる。まるで種明かしをする前のマジシャンのようだ。


「残念ながら、この俺でも素手ニ発で岩蛇を倒すなんて所業はできねえよ。少なくとも十発は必要だな」


 "十発あれば素手でも倒せる"と暗に自慢を入れながら、フルクタスは少年の言葉を否定した。


 しかし、目の前で拳を振るっている姿を見ていた少年には納得が行かない。


「今のが素手じゃ無い、ってんなら何なんだよ?」


「んなもん、魔力に決まってんだろ? 鉱物の魔素を拳に集中させてだな」


 フルクタスは左手で握り拳を作り、自らの顔の前へと持って行く。すると、あろうことか、その拳は銀色に光り出した。


「っ!?」


「そのまま拳で殴ったのさ」


 フルクタスが拳を虚空へと突き出すと、それは凄まじい空気の波を生んだ。目の前で起きたことに驚愕しながらも、少年は聞き覚えのない単語に首を傾げた。


「......魔力?」


 どこかで聞いたことのある気もするが、それが実際に何なのかまでは分からない。忘れていたのは過去の記憶だけかと思っていたが、今まで見聞きした単語すらも忘れてしまったのだろうか。


「......お前まさか、魔力を知らねえのか?」


 その問いに少年が無言で頷くと、フルクタスは間抜けな表情を顔に浮かべた。


 奇しくも、それがフルクタスが初めて見せた"隙"だったのだが。


 そのことに気付く者は、その場には居なかった。

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