第9話 暁の戦士団

 白み始めた空が、ゆっくりと山稜を覆ってゆく。それと共に、目を覚ました鳥たちがまばらに鳴きだす。その音色は、高原の冷涼で澄んだ空気に優しく響いた。


「寒っびいなオイ……」


 しかしリーナには、そんな朝の美しさなど知ったことではなかった。動きやすいようにと軽装をしてきたことが仇となり、予想外の寒さに震えている最中なのだ。

 ほう、とついたため息が白さを帯びて霧散していく。

 昨夜は酒を飲んでいたため気づかなかったが、この辺りは標高もそれなりに高く、暖かい季節でも朝と夜はそれなりに冷える。陽が昇れば平気になるだろうが、今は我慢するしかない。


「某のローブでも羽織られるか?」


「いや、いい。つかお前、それ脱いだらほぼ肌着だろうが」


 ガットが心配そうに尋ねるが、迷わずに断る。最悪、いざという時には彼が動けなければ話にならない。

 

「しっかし、じっと待つだけってのもかったるいよなぁ」


 二人は今、山林の藪の中に身を潜めている。近くには街道が通っており、ちょうどそれを見下ろせるような場所だ。

 現地の住人の話だと、早朝のこの辺りに、盗賊団「暁の戦士団」の構成員が度々目撃されているらしい。

 山の中を見回っているようだが、街道の様子も伺えるこの場所は彼らにとっても価値が高いのだろう。

 その構成員を待ち伏せ、こっそりと後を尾けることで、危険を冒さずアジトの場所を突き止める、というのがリーナの計画であった。


「いいかガット、何度も言うが今回の仕事は奴らの根城を突き止めることだ。余計な戦いは絶対に避けろよ」


「御意!」


「いつも返事はいいんだけどな……」


 一抹の不安を覚えながらも、万が一有事の際はこれほど心強い相棒もいない。ここまで来たら信じるほかにないだろう。

 それにしてもたかが野盗が「暁の戦士団」とは、大層な名前を付けたものだ。中心メンバーが角付き部隊であったことへの意趣返しのような意図もあるのだろうか。

 実際、角付き部隊は白兵戦において大陸最強とも名高い戦闘部隊だ。暁の戦士団には恐らく数えるほどしかいないとはいえ、やはり交戦は断固として避けたい。


 ガサッ……


 不意に、遠方で微かに木の葉が擦れるような音がした。

 すぐさま気配を押し殺し、身構える二人。

 その音は次第に近づいていき、やがて声をかければ届くほどの位置に姿を現したのは、一人のゴブリン族の男であった。

 背中には刃の欠けた手斧を背負い、上腕にはエンブレムのついた布を巻いている。


(あのエンブレムのマーク……間違いねえ。奴らだ……!)


 それは事前にシャンディから教えられた、暁の戦士団のシンボルマークと同じであった。

 ゴブリンの男は気怠そうにあくびをしながら、街道の方を覗いている。


(なんか隙だらけな奴だな……ツイてるぜ)


 ガロニアの角付き部隊は主力の戦闘員がオーガ族しかいなかったはずだ。つまり、ゴブリン族で戦士団の者は、必然的に角付き部隊ではない。よしんばそうでも、非戦闘員のはずだ。


(よしよし……後はバレずに尾行するだけだ……ガットの出番も無さそうだな……ん?)


 思わぬ幸運にほっと胸を撫でおろし、隣にいた相棒にちらりと視線をやろうとして、彼女は異変に気付いてしまう。

 そこにいたはずのガットが、忽然と姿を消していた。


(ガ、ガット!?どこだ!?)


 慌てて周囲を見渡した彼女は一転して、絶望の淵に叩き落されることとなる。


「頼もう!!」


 ガットは、いた。

 それは二人が立っていた場所の目の前。

 彼は、姿を隠さずに堂々と野盗のゴブリンに話しかけていた。


(何やってんだあのバカ!!???)


「な、なんだぁおめえは!どっから出てきた!」


 野盗も驚いた様子で、背中の斧に手をかける。それを見てガットは、落ち着いた様子で諫める。


「待たれよ。某に争う意思はない。ただ、貴殿らの拠点の場所を知りたいだけなのだ」


(怪し過ぎんだろ馬鹿かよお前はよ!!)


 あまりの事態に半べそをかきたくなってしまう。それほどまでに、リーナは自我すら崩壊しかけるほどのショックを受けていた。


「あ……?もしかしておめえ……」


 ガットを値踏みするように目を細めるゴブリンの男。

 万事休すか、と作戦の失敗を確信するリーナ。


「もしかしてウチの入団希望者か!」


「む……?」


 パッと表情を明るくした野党は、ガットの目の前まで歩いてくると馴れ馴れしく肩を叩く。


「そうだろ?そうに違いねえ!この辺ではぐれのゴブリンは珍しいもんな!歓迎するぜ!」


「いや、某は……」


「俺から団長に紹介してやるよ!着いてきな!」


「う、うむ……」


 あれよあれよという間に、独り合点してさっさと歩いていく野盗のゴブリンと、その勢いに流され着いていくガット。

 あっけに取られたリーナは、しばらくの間それをボケっと眺めることしかできなかった。


「……何だこりゃ」


 ………………………………………………………………………………………………………………


「それにしてもお前は見る目があるぜ!」


「む?というのは?」


「ウチに来たことだよ!『暁の戦士団』は最高の居場所さ!」


 整備のされていない山林をぐんぐんと進んでいく野盗とガット。殆ど獣道のような進みづらい進路だが、野盗の男にとっては勝手知ったる縄張りなのだろう。

 更にその後方では、一定の距離を置いて、リーナが二人の後を尾けていた。

 リーナの目論見は完全に破壊されたものの、冷静に考えればそれほど悪い状況ではない。確実に盗賊たちのアジトを突き止められるうえ、ガットは微塵も警戒されていない。上手く隙を見て脱出すればそれで任務完了だ。

 その為にも情報を集めたい。幸いにも、二人からある程度は離れているものの、野盗の男の声が無駄に大きいために、会話はリーナにもギリギリ聞こえている。


「ウチの団長はすげえ人なんだ!腕っぷしはバケモンみてえに強えし、何よりいい人なんだ。おいらぁみてえなロクデナシのはぐれ野郎も、いやな顔一つせず受け入れてくれた!」


 野盗の男は目を輝かせ、鼻息も荒く「団長」なる人物の人柄を語る。その様子からは、相当にその人物に心酔していることが伺える。


「お前もゴブリンだからわかるだろ?徒党から離れたゴブリンがどんだけ生きづらいかをよ。魔法も使えねえ。力仕事もたかが知れてる。どこに行ってもゴミ扱いさ。でもよ、団長は違った!おいらに『よく生きててくれた』って!『仲間だ』って言ってくれたんだ!だからおいらぁ、あの人に一生ついてくって決めてんだ!」


「ふむ……さながらお伽話の英雄のような御仁。某も斯くありたいものですなぁ」


 そのような調子で半刻は歩いたころ、ガット達はそれまでの鬱蒼とした森を抜け、急にひらけた場所へと出た。


「着いたぜ!ここが俺らのアジトだ」

 

 野盗の男が指をさす先にあったのは、随分と古びた、殆ど廃墟のような教会であった。外壁には蔦が好き放題に伸びているが、よくよく見ると所々に新しい木の板が打ち付けられており、何者かがここを使用している痕跡があった。


「ほら、来いよ。中に案内してやるから!」


「う、ううむ……」


 歯切れの悪そうに唸ったガットは、野盗に気付かれないようにちらりとリーナの方を見やる。

 確かにこのまま中まで入られるのは良くない。リーナの視界からは完全に消えてしまう上に、中の様子を伺える距離まで近づくのもあまりにリスキーだ。

 とはいえ早急に答えを出さなければ怪しまれる。どうしたものかとリーナが思考を巡らせた、その矢先――


「おや、ボルタさん、どうしました?」


 教会の中から一人の男が現れた。

 まず目を引くのはその高い背丈。ゴストラと並んでも遥かに高いシャンディよりも大きく見える。それに負けじと主張する筋骨隆々な体つきと、頭部から生えた二本の大きな角は、男性オーガの特徴だ。

 全身には簡素だが使い込まれた形跡のある鉄製の防具を装着し、本来、馬上で振るうような両手剣を、背負うのでなく腰に差している。その出で立ちと、隙の無い佇まいは、彼が歴戦の戦士であることを感じさせた。


「団長!」


 と、ボルタと呼ばれた野盗のゴブリンが声を上げる。


(コイツが……!)


 それを聞いたリーナは、警戒度を上げつつも団長と呼ばれた男を注視する。

 この男こそが、ゴストラファミリーの取引物を含め、ガロニア王国と関わる隊商を次々に襲っている盗賊集団、「暁の戦士団」の首魁。

 幸か不幸か、最も重要な人物に真っ先に出くわしてしまった。

 しかも、リーナは身動きが取れないため、必然的に対応をするのはガットのみ。嘘やごまかしといったものが恐ろしい程に下手なガットが、ボロを出さずにこの難局を乗り切れる可能性は限りなく低い。

 相手の戦力も不明瞭なこの状況では、逃げるための算段も立てづらい。もはやリーナは、祈るような気持ちで事の成り行きを見守ることしかできなかった。


「聞いてくれよ団長!コイツは麓の方で偶然会ったんだけどよ、新しくウチに入りたいって言うんだ!な、いいだろ?」


「おや、それはそれは」


 オーガ族の男は、ゆっくりガットの前まで歩いてくると、しばしの間、ジッと彼に視線を注ぐ。

 それを受けて何かを感じとったのか、ガットもまた男を見つめ返す。

 両者の沈黙が生み出す一瞬の緊張。

 やがてオーガの男は、そのおもてにふっと柔和な笑みを浮かべた。


「いや失礼。貴方から只者ではない気配を感じたもので、つい試すようなことをしてしまいました。」


 そう言うと、胸に手を当て、軽く腰を折るような仕草を取る。


「私の名はゼンダル。『暁の戦士団』の団長をさせていただいています」


(……なんか、いやに腰の低い奴だな)


 ゼンダルと名乗った男の様子を見て、リーナの率直な感想はそれだった。

 盗賊団の首魁というからには、リーナとしてはもっと荒々しい、傍若無人な男を想像していた。しかし、目の前の男からはむしろそのようなイメージとは正反対な、まるで牧師のような温和な印象を受ける。


「これはどうもご丁寧に。某はガットと申す」


 ガットもまた、お辞儀をしつつ名乗る。

 そのようなやり取りをしていると、周囲には教会から出てきた者たちが集まってきていた。


「なんだぁ団長、新入りかぁ?」


「はぐれのゴブリンか。苦労したろうに」


「ここにくりゃあもう安心だぜ!?よかったなぁチビ助!」


 集まるなり、口々に騒ぎ出す男たち。

 その数は、リーナの位置から確認できるだけでもざっと15人ほど。そのすべてが、オーガ族やゴブリン族の、いわゆる「角付き」と呼ばれる者達であった。

 

「あなた達……全く、彼に失礼でしょう。」


 ゼンダルは苦笑しながら男たちを窘めると、再びガットへと向き直る。


「申し訳ありません。一見荒っぽい方々ですが、皆良い方ばかりなんです、本当は」


「んなこと言って、団長が一番お人よしだろうがよ」


 一人のオーガがそう言うと、男たちからガハハと笑い声があがる。


「見ての通り、互いがよき友人であり、家族でもある。それが私たち『暁の戦士団』です。歓迎しますよ、ガットさん」


 目の前で笑っている男たちを見て、あまりに想像とかけ離れた光景に唖然とするリーナ。

 これがガロニアに関係するものならばほぼ無差別に襲っているという、狂人たちから成る盗賊団だというのか。


(見る限りはそんなイカれた連中には見えねえが……)


 しかしそれはそれで、リーナにとっては嬉しい誤算でもある。思ったよりも話が通じるどころか、アットホームが過ぎて既にガットも彼らの仲間のような扱いだ。

 この調子ならば、隙を見てこの場を脱出することも難しくはないだろう。


「それにしてもおめえ、よく見たらおもしれえ恰好してんなあ。まるで剣士みてえな」


「某、元々、闘技場で剣闘奴隷であった故……」


 ゴブリンのボルタがなんとなしに聞いた事をきっかけに、剣闘奴隷であった事、自分を買うことで自力で闘技場を脱出したことなどを説明するガット。

 ガットの実力を知らない者はそのような話を全く信じず、むしろからかって来るような者が殆どだが、暁の戦士団の男たちは違った。

 ガットの身の上に同情する者、ガットを称える者、共感して涙を流す者までがいる。

 男たちもまた、角付きとしてガロニア王国やその影響の濃い土地で迫害されてきた者たちであった。

 その苦労が分かるからこそ、暁の戦士団は強い結束で結ばれているのだと、彼らの一人は語った。


「なるほど。道理でガットさんからは磨き上げられたつるぎのような、鋭いオーラを感じたわけですね」


 ゼンダルもまた、ガットの話を疑わず、納得するように頷いている。


「素晴らしい……!我々も、『角付き』として踏みにじられてきた誇りを取り戻さんと、研鑽の日々を送っています。貴方のような方を迎えられるのは幸運というほかありません!」


 ゼンダルは感無量といった様子で拳を握りしめている。

 

「今日、ここで出会えて本当に良かった。……皆さん!新たに同胞を迎える素晴らしい日に感謝をしましょう!」


「あ……ううむ、某はその……入団するわけでは……」


 急に態度を濁し始めたガットだが、幸いにもゼンダルたちはそれに気付いていない様子で、どんどん盛り上がっていく。


「あ、そういえば!折角なのでまずはガットさんにを選んでいただきましょう」


 ゼンダルは思いついたように口を開くと、男たちも、そうだ、それが良いと同調する。


「では、どなたかアレらをください。ガットさんのお眼鏡に叶うものがあるといいのですが」


「……?」

 

 ゼンダルたちの会話が何を差しているのか分からず、訝しむガット。当然、少し離れた場所で様子を伺うリーナにも何の事か見当が付かない。

 しかし、教会に入っていった男たちが次に出てきたとき、その謎は、脳が理解を拒む程の事実へと姿を変え、二人の眼前に差し出される。

 男たちが手に持っていたのは太く、冷ややかな光を放つ鉄の鎖。

 ジャラジャラと音を立てている鈍色が繋ぎとめているものは、白くか細い手足。

 その暗く濁った眼孔に宿る諦念は、「彼」もよく知っていた。

 は、鎖に繋がれた、ヒュマール族の娘たちであった。

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