第8話 やけ酒

小鳥が囀る晴れ渡った空。周囲に山々を望む街道を、一台の荷馬車がゆく。

 御者を務める男は寡黙な壮年の男性だ。荷運びを生業とするこの男は、普段通りに黙々と馬を走らせる。積めるだけ積んだ荷物をガタゴトと鳴る音にのせ、街から村へ、村から街へと巡っていく。そう、いつも通りの日常だ。

 

「ちくしょお……なんだって俺がこんな危なっかしい仕事を……」


 しかし唯一違うのは、時折ブツブツと聞こえてくるかすかな恨み節。無論、平素から無口な彼が発したものではない。

 その声は、馬が引く荷台から垂れ流されていた。


「いやあしかし気持ちのいい天気!今日のような日は指先まで活力がみなぎるようでありますなぁ」


 今度は対照的に朗らかな調子の声が聞こえてくる。だんだん騒々しくなってきた後方が気になり、御者はちらりとそちらに目をやる。

 いつものように積みこまれた荷物とは別に、荷台に座る人影が二つ。

 一人は若いヒュマールの女。態度や顔立ちから想像できる年齢にしては幾分小柄な体躯と赤髪が特徴だ。

 もう一人はゴブリンの男。見たところは若いゴブリンのようだが、それにしてはやたらと口調が古めかしい。さらに奇妙なのはその格好で、手足や胴には革製の防具を身に付け、腰には短剣――と言ってもゴブリンにとっては標準的なサイズだが――を差している。さらに上からローブを羽織っており、さながら放浪の剣士といった風体だ。

 最初は女の連れた奴隷かと思っていたが、二人の様子を見るに、どうやらそういうわけでもないらしい。両者は主従どころか完全に対等な態度で語り合っている。何とも珍妙な光景だが、二人を乗せた街がソムラックだったため、御者の男も訝しむよりは時代の流れだと納得する気持ちの方が大きかった。

 それにしても驚いたのは、この二人を乗せるにあたり、かのゴストラが直々に交渉してきたことだ。曰く、途中まででいい。用心棒としてこき使ってくれて構わない。腕前は保証するから、と。初めは眉をひそめていた御者も、ゴストラがそこまで言うのなら、と渋々引き受けた。何せまだ顔立ちに幼さの抜けきらない小娘とただのゴブリンだ。用心棒としての働きなど望むべくもない。

 だが、ゴストラ個人への信頼は別だ。彼はヤクザ者ではあるが、商売や取引には誠実な男だ。男も何度か荷運びを請け負った事があるが、ゴストラは決して彼を謀ったりたばかったり、不当に利益を要求したりすることは無かった。それは他の行商人や運び屋の知り合いも同様のようで、ソムラック周辺で活動する彼らの間で、ゴストラへの信頼は厚い。いかなヤクザ者であろうと、払うものさえ支払えば彼らにとっては等しく取引相手だ。

 それでも正直なところ、彼らの力量については未だに疑っている。しかし、いずれにせよ夜中の見張り番くらいは必要だったので、タダでそれを雇えるのであれば、今となっては男にとっても悪い話ではなかった。


「よし!オレは決めたぞ。もしこの仕事が片付いたらぜってえ休む。一週間は休む。誰が何と言おうともな」


「……?しかし、相手方の居所を掴んだらすぐに攻め入るとゴストラ殿が仰っていたような……」


「アホかお前!そんなあぶねえ戦闘に俺が参加するわけねえだろ!つかできねえだろ戦力的に!」


「いや、戦力的にはむしろ……」


 それにしても姦しい連中だ、と御者は苦笑した。この二人を乗せて三日は経つが、毎日この調子だ。交代とはいえ徹夜の番もしているのだから、昼間は寝ていればいいものを。

 だが、その喧噪も、不思議と不快には感じなかった。

 ヒュマールとゴブリンが対等に語らうなど、一昔前までは考えられなかった。二十年ほど前にソムラックが誕生するまでは、主要三大国間ですら、種族を超えた交流が盛んとは言えなかった。特にヒュマール至上主義の思想が未だ根強いガロニアなどは、ゴブリンやオーガ族を国ぐるみで奴隷として扱っている。ドワーフである御者ですら、王都にはあまり立ち寄りたくはない程だ。

 仕事柄、種族間の様々な諍いや軋轢を目の当たりにしてきた御者にとって、ガットとリーナの自由な関係は、新たな時代が近づきつつあることを感じさせた。


 ………………………………………………………………………………


「おい、お前ら、そろそろ見えてきたぞ」


 真上にあった太陽が首を傾けずとも目視できる程度には落ちてきたころ、御者の男は口を開いた。

 視線の先には雄大に聳える連峰と、その麓にある小さな村。

 ゴストラから頼まれていた目的地だ。


「でっけー山……」


 ソムラックからは遠くに望む山々だが、近づいた時の迫力には目を見張るものがある。普段は景色を楽しむような趣味のないリーナも、これには思わず感嘆を漏らした。

 カサム連峰。ソムラックを中心とした特別自治区とガロニアとの境の役目も果たす連峰である。厳密には麓の村も含め既にこの周辺はガロニアの国土ではあるが、関所などの施設が山を越えた先にあるため、実質的にはここが国境と認知されている。

 

「お前らを乗せるのもここまでって話だったな」


 村に着くと、荷物を降ろしながら御者は言った。


「ああ、どうにも『目的』はこのあたりの山にいるらしいからな」


「遥々このようなところまで、まことにかたじけない!」


 渋い顔を張り付けた少女と深々と頭を下げるゴブリン。やはりちぐはぐな組み合わせだ、と御者はニヤリと笑みをこぼした。普段は仏頂面の男が、二人の前で表情を崩すのはこれが初めてであった。


「まあ、なんだ……お前らは嫌いじゃ無かったよ。精々達者でな」



 御者の男と別れると、「まずは腹ごしらえだ」とリーナが足を伸ばしたのは村で唯一の食堂兼酒場であった。そして迷わず注文した麦酒が三杯目に差し掛かったころには、リーナの渋面も解れすっかりと上機嫌になっていた。


「リーナ殿、流石にそこそこにしておいた方が……明日にも障りかねぬゆえ……」


「あー?馬っ鹿おめー、オレがこの程度で潰れるかよぉ」


「いや、潰れたらコトだという話を……」


 ガットの忠告も空しく、麦酒を一気に煽るリーナ。「ぷはー」と満足げに息を吐きつつ空のカップをテーブルに置くと、逆にガットを軽く睨む。


「そもそもよお、明日のオレ達が無事に生きてる保証もねえんだ。せめて酒ぐらいは飲ませろよな。……つかお前も飲めよ!な?」


「某はあまり酒を好かぬゆえ……」


 ちぇ、なんでいと唇を尖らせながら、さらに追加の麦酒を注文するリーナ。それを見て、ガットは彼女を止めることを諦めた。

 

「お前、英雄を目指すってんならよぉ、酒なんか樽ごとのみ干すぐれえじゃねえと格好がつかねえだろうがよ」


「それは英雄と関係が……?」


「そりゃそーよ。酒に負けるやつが何に勝てんだよ」


 最早支離滅裂なことを言っているが、当然、既に自制心などはなく、その口は立て板に水の如く思いついたことを垂れ流していた。

 

「まあ、つってもお前は剣術があるからいいよなぁ。オレなんか魔術一つしか使えねえんだぞ。こんなんで角付き部隊に出くわしたら終わりだろぉ……」


 いつになく弱気なリーナ。その様子をみて、ガットは首を傾げる。


「某には魔術が使えるだけでも十分に妙妙たるものと存ずるが」


 これはガットの本心であったものの、今のリーナには逆効果となってしまう。


「あぁ!?お前、何にも分かってねえなぁ」


 鼻息荒くテーブルに乗り出した彼女は、自らの懐をまさぐりだす。そして勢いよく突き出した手に握られていたのは、小さな木の札だった。


「見ろよこれを!木札ってのはつまり、魔術師として最低ランクの証だ。こんなもん、ヒュマールなら七つぐらいのガキでも当たり前に持ってる…!」


 この大陸では、魔術師にはその実力に応じて身分証明となる札が発行される。札はその素材によって魔術師としてのランクを表しており、下から木、鉄、銅、銀、金の五種類に分けられる。金札を持つものはどれも規格外と言える屈指の実力者たちで、大陸でも十数人しか存在しない。逆に木札は簡単なものでも魔術さえ使えれば取得でき、魔術の扱いに秀でたヒュマール族ならば童子でも持っていることが多い。


「それもこれもあのクソ親父のせいだ……!」


 そしてリーナは酔いに任せて語った。幼少期に父親を亡くし、元々母親がいなかったリーナは父親の知り合いに引き取られたこと。しかしその男はドワーフ族のため、魔術よりも読み書きや算術などの方が重要だとして魔術学校ではなく子供に教育を施す教会に通わされていたこと。魔術は独学での習得が非常に難しいため、結果、扱える魔術は唯一父親から教わった初等魔術、それも一種類のみになってしまった事。


「あ~……畜生……喋りすぎた……」


 ひとしきり自分の過去を吐き出し、多少冷静さを取り戻すリーナ。しかし同時に、他人に語ったことのない過去を迂闊に話したことに気付いてしまう。その頬に差した鮮やかな色は、酔いだけに起因するものではなかった。

 気まずさを感じた彼女は、逃げるように酒を煽る。そんな様子をみて、ガットはにこやかに言った。


「やはり、リーナ殿の魔術は誇るべきもの」


「あ?」


「そのような逆境にあって尚、その唯一の魔術を磨き上げ続けてきたので御座ろう。……その手を見ればわかりまする」


「……知ったような事言いやがって」


 そうは言いつつもリーナは何故か悪い気がしなかった。半分自業自得ではあるが、人に褒められるという経験が殆ど無かったため、むず痒さの中に心地よさのようなものを覚えたのだ。


「あーもう!オレの話はやめだやめ!それよりガット、お前のことを教えろよ。よく考えたらお前のことそんな知らねえしよ」


「あまり愉快な話ではありませぬが……まあ、リーナ殿にばかり語らせるのも公平ではない、か?」


 そもそも勝手にリーナが語りだしたのが事の始まりではあるのだが、ガットはそれを特に追及することは無かった。

 そしてガットもまた、殆ど他人に語ることのなかった過去を打ち明けた。


 ガットは住処となる洞窟で生まれ育った。洞窟の中では十数人のゴブリン族が集団生活を送っていたが、父親はその中でも最も腕が立つリーダー格だった。母親は淑やかで優しい女性で、ガットがせがむと様々な英雄譚や神話を語って聞かせてくれた。ガットはそんな両親のことを誇りに思っていた。

 しかしある日、そんなガットの世界は壊れた。突如として洞窟に攻め入った、全身に鎧を纏った男。男がその手に持った黒い剣は、一瞬のうちにゴブリン達を屠った。強かった父親も、まるで木の実を捥ぐように、簡単に首を刎ねられた。ガットは恐怖で震えながらも、母親を守るため男の前に立ちふさがったが、次の瞬間には意識を失っていた。

 次に目覚めたとき、洞窟内に母親の姿はなく、残ったのは仲間たちの死体のみであった。幼かったガットはどうすればいいのかも分からずに、洞窟を出て森を彷徨っていたところを人攫いに捕まり、闘技場に売り飛ばされた。

 運も味方し、必死に闘技場で生き残ったガットは、成長と共に見識も深め、やがて知ることとなる。ガットの父親は野盗だった。それも、首に賞金が付く程度には凶悪な。

 それを知ると同時に、なぜガットの母親は一歩も洞窟から出なかったのか、なぜその手足にはおもりのついた枷が架せられていたのかを理解した。

 母にとって、本来自分は望まぬ存在だった。しかし、母はそんな素振りを一切、ガットには見せなかった。忌子である自分を蔑んだり、厭うような素振りを決して見せなかった。それは父親たちに反抗するような態度を見せないためだったのかもしれないが、そのような誇り高き母を、ガットは心から尊敬した。

 だから、ガットは目指した。もう何も失わぬ強さを。母に恥じぬ誇り高き男を。それはガットにとって、まさしくおとぎ話の英雄そのものであった。


「と、まあそのような次第で……やはりあまり面白い話では……」


 語り終わったガットは、目の前で話を聞いている少女の眉に皺が寄っていることに気付き、小さく苦笑した。このような話は、リーナには不快な思いをさせたのだと思った。

 リーナは手に持った杯を静かに置くと、スッと立ち上がる。


「帰るぞ、ガット」


「酒はもうよろしいので?」


「馬鹿。こんなんで足りるワケねーだろ」


 そう言うとリーナはガットの背中を叩く。


「だからちゃっちゃと仕事を片付けて浴びるほど吞むんだよ。こんなとこで死ぬわけにいかねえだろ?オレもお前もよ」


 歩き出したリーナの胸のあたりに、先ほど喉元を過ぎた酒が通っていく。それは確かに灼けるような熱を持っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る