第7話 角付き

「ねえ、どうしてかしらぁ?」

 

 凍り付いたような静寂に包まれた部屋の中で、その声の主は柔和な笑みを浮かべていた。

 だが、その声色には僅かに針のような鋭さが含まれていることを、その場にいた者達は確かに感じていた。


「どうして、こんなにお部屋が散らかっているのかしら」


 そう言ってくるりと部屋を見回したシャンディはゆっくりと足を踏み出す。


「窓の縁には埃が溜まってるし、床の磨きも甘いわぁ?それに、この道具箱も使いっぱなしで片付けてないしぃ……」


 彼女は部屋を歩き回りながら、掃除の行き届いていないところを一つ一つ指摘していく。

 その間、ゴストラは無言を貫きながらも、シャンディが口を開くたびに、時折眉毛がピクピクと反応していた。

 そのただならぬ緊張感に当てられ、ガットとリーナも無言に徹し、存在感を極限まで薄くすることに努めている。


「どうしてぇ?」


 やがて足を止めたシャンディは、ゴストラの真正面で仁王立ちをする。対するゴストラはどこか視線が泳いでいるように見えた。

 

「いや、これは新人どもの教育のためにだなァ……」


「それ、本当に言い訳になると思ってるぅ?」


 シャンディの細めた目が――元々細くはあるが――ともかく鋭い視線がゴストラを射抜く。


「あのね?こんなに汚れたお仕事してるんだもの、せめて住む場所くらいは綺麗にしなくちゃ。いつも言ってるでしょぉ?」


「……分かってるよ、悪かった。俺が悪かったって……」


 シャンディの剣幕に押されるように、両手を上げ降参のポーズを取るゴストラ。

 そんな二人のやり取りを見て、リーナは内心、少なからず衝撃を受けていた。「あの」ゴストラが他人に大人しく従っている姿など、夏に振る雪程に想像しがたいものであったからだ。


「驚くのも無理はねえ。ゴストラの兄貴は、世界で唯一、シャンディの姐さんには頭が上がらねえんだ」


 気が付くと、ガットとリーナの隣には、先輩三人組が立っていた。しかも、なぜか皆一様に腕組みをしている。

 彼らは我が身惜しさに逃げ出したことなどまるでなかったかのように、しれっと部屋に戻ってきたようだ。


「なんでもあのお二人の付き合いは長いらしくてな……若いころの兄貴の、知られたくない弱みを、姐さんはいくつも握ってるっつー噂だ」


「兄貴が強さに屈するわけねえからな!……まあ姐さんも鬼のように強えしどっちにしろ俺らは逆らえねえけど……」


「アンタら……よくもまあいけしゃあしゃあと……」


 次々に口を開く三人組に対し、呆れたような冷めた眼差しを三人組に送るリーナ。

 しかし、彼らの発言でようやく得心がいく。メンツを重んじるゴストラのことだ。例え些細な若気の至りのようなものだろうと、決して他人に知られたくはないのであろう。

 

「テメエら!ボサっとしてんな!すぐに部屋ァ片付けるぞ!」


 修羅場の渦中にいたゴストラは、そんな彼らの様子には一切気が向いていなかったようで、既に箒を手に持ち、ホームにいるものすべてに号令を出し始めていた。


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「……ようやく掃除も終わったところで……本題に入るぞ」


 席につくなりゴストラは、疲れ切っていることを隠し切れないしかめっ面で言葉を絞り出した。

 先刻までとは打って変わって、事務室は部屋の隅から棚の裏に至るまで、埃一つないばかりか輝きを放ってさえ見える。

 

「うーん、やっぱりお掃除をすると気分もさっぱりするわぁ。あなたたちもそう思うでしょぉ?」


「ウ、ウッス……」

 

「いやあ、まっこと、なにやら清々しいような心持になりますな!」


 ゴストラの隣には喜色満面といった様子のシャンディ、その向かいにはガットとリーナという配置で席を囲んでいる。

 

「そりゃァ何より……で、だ」


 それまでしかめていたゴストラの表情がスッと引き締まる。


「任せておいた調査の件……シャンディ」


「はあい。……そもそも、事の発端は2か月くらい前かしら。裏ルートで仕入れている商品に、いくつか抜けが出てきたの」


 新しく入ったガットとリーナに気遣ってくれたのであろう。シャンディは事のあらましを丁寧に語った。

 それによると、最初は些細なミス程度だった抜け落ちが、徐々に無視できない程の量に増えていった。さらに裏ルートでは商品が複数の隊商の手を渡り歩くため、ソムラックに到着する者たちはその問題の原因を知らない。

 そこでシャンディ達が調査に繰り出し、浮かび上がったのは一つの野盗集団。


「彼らは自らを『暁の戦士団』って名乗っているらしいわぁ。そして、狙う積荷はガロニア王国から出発したものや、逆にガロニアに運び込まれるものばかり。私たちの積荷も、ガロニアを経由するものだけがターゲットにされていたわねぇ」


「どうやら相当、ガロニアに恨みがあるらしいなァ。奴らの素性は掴めたのか?」


 ゴストラの問いに、シャンディは一瞬、表情を曇らせ、静かに答える。


「……彼ら、ガロニアの元『角付き部隊』らしいの」


「!!」


 その回答に、ゴストラもまた一瞬、表情を硬くする。

 

「……なるほどなァ。そういうワケか」


 納得したような様子のゴストラに、それまで黙っていたリーナが堪らず口を開く。


「いや、一体どういうワケなんだよ。説明してくれよ」


「あらあら、ごめんなさいねぇ。……そうねえ、リーナちゃんに、ガットちゃんも、いわゆる『角付き』って言葉は知っているわよねぇ?」


「ふむ……」


「あ、ああ……そりゃまあ」


 答えながらリーナは、ちらりとガットを横目でみる。一見、普段通りに見えるが、ガットの眉根にうっすらと皺が刻まれていることにリーナは気づいた。

 角付きとは、簡単に言ってしまえば、オーガ族とゴブリン族を差す言葉だ。六大種族の内、彼らのみが頭部に角を有する。しかし、その言葉は決して良い意味で使われることは無い。

 特にヒュマール族が治めるガロニア王国では顕著だが、大陸にある三大国家において、彼ら有角種族は大抵、弱い立場にある。

 その理由を遡ると、千年前にあったとされる、ヒュマール・ドワーフ・ルーガルの連合に対する、オーガ・ゴブリンの連合による大きな戦争が発端と言われている。が、リーナは特に興味もないため、詳しいことは殆ど知らなかった。

 兎に角、つまるところ「角付き」とはオーガ族やゴブリン族に対して、差別や侮蔑の意味を多分に含んだ呼び方なのであった。

 

「『角付き部隊』もそのままの意味なの。ガロニア王国が奴隷として管理している角付き……オーガ族とゴブリン族から構成された戦闘部隊。……と言っても、殆どオーガ族しかいないけどねぇ」


「ガロニア軍の擁する戦闘部隊って言や多少は聞こえがいいが、その実は常に最前線に飛ばされる使い捨ての駒だ。……さすがの俺でも反吐が出るぜ」


 シャンディの説明を補足するゴストラだが、その顔は苦虫を嚙み潰したように歪んでいた。


「なるほど……拙者もかの国では剣闘奴隷として長くを過ごしたが……こうして無事に解放されただけ、幾分も運がよかったのやも……」


「どちらも生き延びる難しさでは似たようなものよぉ?……ガットちゃんは、本当に凄いことをしたんだから」


 どうやらシャンディは掃除の合間に、誰かからガットの身の上を聞いていたらしい。心なしか、その声色からはガットの遠い記憶にあるような、包み込むような優しさを感じられた。

 

「んで、その角付き部隊が、どうしてガロニアの積荷を狙うんだよ」


 正確には「元」角付き部隊とシャンディは言っていたが、仮にもガロニア国の元正規軍だ。自国の取引を妨害するような真似を、リスクを冒してまでわざわざする事かと、リーナは解せなかった。


「簡単な話よぉ。彼らは脱走兵なの。そして、ガロニア王国に強い恨みを持ってる。……彼らはもう、何でもいいからガロニアに打撃を与えたいのねぇ」


「はあぁ!?なんだそれ!?」

 

 それはいくらなんでも無謀が過ぎる。ガロニア王国は大陸でも三指に入る大国だ。それどころか、軍事力という点では三大国でも最も優れているという声も多い。

 ガロニア軍がその気になれば、たかが一部隊の脱走兵たちなど塵に等しく消し飛ばされてしまうだろう。


「奴らも理屈じゃ割り切れねえってこったろ。例えそれが滅びに向かっていると分かっててもなァ」


「それに、角付き部隊はかなりの精鋭揃いよぉ。脱走した彼らは数人とはいえ、部隊の中核を担ってた人たちらしいしぃ。おまけに最近はどんどん人員が増えてるみたいだし、ガロニア軍も半端な兵力じゃ返り討ちになるでしょうねえ」


 そう語る二人の表情はいつになく固い。そこには角付き部隊への、何か強い感情が垣間見えた。しかし彼らが自らの口で語らない以上、掘り下げるのも野暮だろうとリーナは判断し、それ以上は特に言及することをしなかった。


「とはいえ……だ」


 どこか遠くを見ていたような様子から一転、ゴストラの眼光が鋭く光る。


「ウチの商品に手を出してタダで済ませるワケもねえ」


「……ん?」


 リーナはゴストラとの付き合いは短いながらも、早くも不穏な空気を察知し始めていた。


「奴らの根城は掴んだのか?シャンディ」


 彼の問いに、頬に手を当て軽く首を傾げるシャンディ。


「それがねえ。大まかな目星はついているのだけど。正確に調べるには顔が割れてる私じゃリスクが高すぎるのよぉ」


「ということは、だ」


 この瞬間、リーナは自身の感じていた嫌な予感が的中したと、ゴストラがそれを言い切る前に確信していた。


「仕事だァ。お前ら二人で、奴らのアジトを見つけてこい。偵察ってヤツだ」


 リーナはこの組織から逃げ出そうと思った回数が、これで6度目となった。

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