第5話 少女の決意

 ゴストラ一家は、首領であるゴストラが束ねる、ソムラックの街を拠点として活動するヤクザ組織である。

 主な活動内容は賭場の運営、管理。ソムラックの街の賭場は全てがゴストラ一家の管理下にあり、ゴストラの許可なく賭場を開こうものなら、瞬く間に潰されてしまうこととなる。

 その他にも表の市場では流通できない曰くつきの品物や盗品などの流通管理も行っているが、唯一、麻薬だけは取り扱っていない。これは首領であるゴストラの意向が強く、彼が麻薬を毛嫌いしているからだと言われている。

 大国達の法が及ばない独立都市であるソムラックとはいえ、それらの活動が実質的に黙認されているのは、ゴストラの常識外れな武力に加え、そうした「裏の自治」をゴストラ一家が担っていることも大きな要因である。

 

「最近ただでさえ人手が少ねえ所に、余計な怪我人を増やしてくれやがったからなァ……みっちり働いて貰うぞ、チビコンビ」

 

 そのゴストラといえば、手下数人と、新たに迎え入れた新人二名を連れ、人通りの少ない通りを歩いて帰路についていた。

 

「御意!」


「いや順応早えなお前は!……オレにはもう何が何だか……」


 新人となる二人——リーナとガットは、対照的な反応を示しつつも大人しくゴストラに従っていた。


「お前はもっとガットに感謝しろよ、ゴブリーナ。こいつが街の連中に力を見せつけた上でウチに降るっとことで、ギリギリメンツが保てたんだからな」

 

「それは分かってるけどよ……ってか、呼び方!オレはリーナだって——」


 不満げなリーナの抗議は、しかしゴストラに羽虫の如く一蹴される。


「半端モンがナマ言ってんじゃねえ。それと、お前にはイカサマで稼いだ額の十倍、耳揃えて返して貰うからな」


 ここにきて初めて告げられた衝撃の宣告に、思わず立ち止まるリーナ。


「じゅっ……!?き、聞いてねえぞ!」


「そら言ってねえからな。精々励めよ」


 自業自得とはいえあまりにも重い罰に、リーナは目の前が暗くなっていくような錯覚を覚えた。

 しかし、実際はこれでも軽いほうだ。下手をしたら、半殺しにされた上に奴隷として売り飛ばされる未来もありえたのだから。

 だから、自分は運が良いのだと、少女は無理やりに自分を納得させることにした。


「着いたぜ。ここがゴストラ一家のアジト……通称『ホーム』だ」


 それは、家というよりは館と形容するほうが正しい程の、立派な建物であった。

 裏町と呼ばれる、ソムラックでもゴロツキのたまり場として知られる区画にドンと構えるゴストラの拠点は、周囲と比べ場違いな程の大きさで、まるで彼の力を表しているかのようだ。

 ガット達が促されるまま中に入ると、そこは大きな広間となっており、その中央にはこれまた大きなソファと長テーブルが鎮座していた。

 荒くれ者の巣窟というイメージとは裏腹に意外にも小綺麗で、ゴミなどが散らかっていることも無い。


「なんとも立派な……」


 初めて見る光景に興味深々な様子のガット。そこに、奥から数人の男たちがバタバタと慌てた様子で現れた。


「兄貴達!お早いお帰りで……って、ええ!?」


 男たちはゴストラを出迎えようとしつつ、ガットとリーナを見て驚嘆する。


「ゴブリーナに、あのバカ強えゴブリンじゃねえか!何でここに!」


 このような者たちと面識があった覚えのないリーナは、男たちが所々包帯を巻いていることに気づき、はたと思い至る。

 男たちは、昼間にリーナを追いかけていた追手の者たちであった。

 一方的にガットに打ち倒されていたが、こうして騒いでいるところを見ると、意外にもタフなようだ。


「今日からこいつらはウチで預かる事になった。雑用でもなんでも扱き使ってやってくれ」


「よろしくお願いいたす!」


「……どうも」


 ええ……?と、突然のことに困惑した様子の男たち。

 三人の男はヒュマール、ルーガル、ドワーフと皆種族が違う。特殊な街のソムラックとはいえ、一つの組織でこれだけバラバラな種族が集まっていることは珍しい。

 そんな彼らは互いと新人の二人——特にガットの方を多めに——をチラチラ見た後、息ぴったりに同時に頷く。

 どうやら彼らなりに何かを納得したようだ。

 そしてガット達を見据え、ヒュマールの男が口を開く。


「よく来たな後輩ども!これからは俺様たちが先輩としてビシバシ指導してやるからな、逆らうんじゃねえぞ!……特に暴力なんか以ってのほかだぞ!」


 こうして二人の新人は、ゴストラ一家に受け入れられることとなった。


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「これとこれは買ったし……あと必要なのは……っと!」


 手元のメモを確認しようとして、思わず人にぶつかりそうになるリーナ。人の多さに半ば辟易としながら顔を上げると、目の前には市場の喧騒が広がっていた。

 食料や雑貨を並べた露店が所狭しと立ち並び、人々の間を縫って薬や珍しい品を扱う行商人が練り歩く。

 威勢のいい商売人達の売り文句と、行き交う人々の語らう声が実に騒々しく混沌としている。

 ソムラックの街の市場は、今日もいつも通りの賑わいを見せている。


「ったく、早々に使いっ走りかよ……」

 

 数奇な成り行きによりゴストラの元で働くことになったリーナとガット。二人に与えられた最初の任務は、怪我をした(というよりガットがさせた)者たちの代わりに、食料品など諸々の買い出しをすることであった。

 リーナの本音としては、ゴストラへの借金などうっちゃってこのまま街を逃げてしまいたいところであったが、殆ど巻き込んでしまった形のガットをそのままにしておくのは、流石に忍びない思いが拭えなかった。これに関しては、褒められた人間ではないことを自覚しながらも、まだそんな良心が残っていたのかと彼女自身が驚いた。

 だが、それは純粋にガットという人物とその行く末への興味、という面での影響も少なくない。何故だかリーナには、まだガットと離れるべきではないという直感めいたものがあった。

 

「こんなもんさっさと終わらせて帰ろうぜガット……ガット?」


 ふと気が付くと、共に行動していたはずのバディの姿が見当たらない。

 まさかはぐれたのかと思い周囲を見渡すと、やや離れたところで、何やら露天商から商品の説明を受けているガットがそこにいた。


「——このナイフは特別製さ!何てったって、あの伝説の素材、『ブラックミスリル』で作られてんだ!みろ、この黒い刀身!」


 露天商がガットに見せていたのは、刀身が黒く輝く一本のナイフ。それをガットはもの珍しそうにしげしげと眺めている。


「切れ味だって抜群さ!ほら、肉なんて骨ごとスパスパ切れちまう!……普通のナイフよりちいとばかし値は張るが、モノを考えりゃ安いもんさ。ブラックミスリルだぜ!?」


「むう……ブラックミスリルとやらが何なのかは知らぬが、何やらすごそうな……」


 露天商からナイフを渡され、手に取るガット。色んな角度からナイフを見ながら、購入しようかと考えていた矢先、急に背後から伸びてきた手がナイフを奪い取った。


「おいガット、何してんだお前……」


 振り返ったガットの後ろに立っていたのは、半ば呆れ顔でナイフを持つリーナであった。


「リーナ殿!今、この御仁にそのナイフの講説を賜っていた次第で……」


「ニセモンだぞ、これ」


「な!?」


 ぎくりとする露天商を、フンと鼻を鳴らしながら一瞥し、リーナは続けた。


「黒い刀身は黒錆加工にちょっと手を入れて真っ黒に見せかけてるだけだな。一見切れ味がよさそうなのも魔法による一時的なもんだ。大方、土か風の属性あたりのな。こんな粗末な詐欺に引っかかってんなよ……」


 言うなりリーナはナイフを露天商に放り、ガットの頭をぺしっと軽く叩いた。


「ほら、いくぞ」


 そうしてさっさと歩きだしてしまう。一瞬あっけに取られたガットだったが、すぐに我に返ると、「失礼」と露天商に一礼し、慌ててリーナを追いかけた。

 ガットが追いついたことを横目で確認しつつ、リーナが口を開く。


「この街は色んな奴がいる分、あーいう手合いも多いからな。いちいち引っかかってたらすぐにケツの毛まで抜かれちまうぞ」

「かの御仁の反応を見るに、リーナ殿の言う通りのようで……いやはや、かたじけない」

 

 少しバツの悪そうに顎をポリポリと掻くガット。

 しかしすぐに表情を変え、ひどく感心した様子でリーナを見る。


「しかし、リーナ殿の慧眼には感服いたした!何故、あのように即座に看破できるのか……!」


 それに対し、今度は逆にリーナのバツが悪くなる。何かを弁明するかのように明後日の方を見ながら、リーナは言葉を濁した。


「ま、まあ、アレだ。あーいう連中には慣れてるっつーか、そもそも俺自身が似たような事をっつーか……」


 喋るにつれ尻すぼみにゴニョゴニョと語気が弱まっていく。

 決まりが悪くなったリーナは、話題を変えるべくガットに向き直った。


「そ、そういえば!お前、『ブラックミスリル』を知らねえとか言ってたよな!?」


「先ほどの商人殿が言ってた……生憎と、某は聞いたこともなく……」


「本当に何も知らねえんだなぁ。……というか、多分お前の探し物に滅茶苦茶関係あるぞ」


「む?それは一体……」


 完全に話題がすり替わったことに若干安堵しつつ、リーナは少し表情を引き締める。この話は、ガットにも、そしてリーナ自身にも重要な意味を持ったものであるからだ。


「ブラックミスリルは、幻の素材とも言われてる鉱石だ。正確には大昔に作られた特殊な合金みてーなもんらしいが、現代では製法は失伝してる。だから今残ってるのは、大昔にブラックミスリルを使って作られた武器くらいなもんだ。そしてその武器たちはどれも皆、をしているらしい」


「黒い武器……!」


 そこまで聞けば、リーナが何を言わんとしているのか、ガットにも理解できた。


「お前酒場で言ってたよな。『黒い武器』を探してるってよ。ブラックミスリルを使った武器は例外なく強大な力を宿してるらしい。伝説じゃ、千年前の大戦争を終わらせたのも、黒い武器を操る英雄たちだって話だ。……お前が探してんのもまさにそれなんじゃねえのか?」


 黒い武器。英雄。どちらもガットが求めていると口にしたキーワードだ。

 ガット自身、英雄はともかく、黒い武器に関しては殆ど知識もアテもなかった。唯一の手掛かりは、幼少期の記憶。思い出すことも躊躇われるような、凄惨な暴力。眼前に迫る死の気配。そしてそれら全てを纏い、禍々しいまでの圧倒的な力を感じさせる黒い剣。

 先ほどの商人に見せられたナイフとはワケが違う存在感は、今でも鮮明に覚えている。その為に、ブラックミスリルという単語が、あのナイフと黒剣とで結びつかなかったが。


「恐らくはリーナ殿の言う通り……そうか、あの黒き剣はそういう代物であったか……」


 あの日、あの出来事が、ガットに呪いをかけた。英雄を目指す。それはガットの中で、人格者を目指すというよりも、より強いものを目指すという意味が強い。当然、英雄然とした人物への憧れは今でも強く持っているが、あの黒い剣と白銀の鎧が、超えるべき強さの到達点としてガットの胸中に根強く巣食っていた。

 だからこそ、ガットは求めていた。あの黒い剣の手掛かりを。あの日に失った全てを探すかのように。


「で、だ。……実は俺も探してんだ、黒い武器……所謂、『黒蝕器』をよ」


 そう言うと、リーナは腰に下げていたナイフを取り出し、ガットに見せた。

 

「これは……?」


 そのナイフは、刀身が濃い灰色をしていた。


「コイツ自体は殆どただのナイフだ。……でも、恐らく『黒蝕器』に近い存在だと思う」


 そこでリーナは言葉を切り、一瞬、何かを躊躇うかのような素振りを見せる。

 しかしすぐにまた、意を決したように続ける。


「これはな……オレの親父の形見なんだ」


 そうしてリーナは語り始めた。今まで他人に聞かせたことなどない、己の過去を。


「オレの親父はよ、遺跡の探索者だったんだ。遺跡っつーのは、何でも大昔の奴らが作った建造物の総称で、現代じゃ再現できない技術の宝庫なんだと。その代わり危険も多いから、基本的に遺跡は国から許可された腕利きのプロじゃねえと入ることもできねえんだ」


 暮れていく日を眺める彼女の目は、どこか寂し気な色を帯びていた。

 

「オレが言うのもなんだが、親父は優秀な探索者だった。皆が一目置いていたし、ガキだったオレも鼻が高かった。……でもな、オレが七つの時だ。親父は探索に行ったっきり、帰ってくることは無かった。代わりに知らされたのは、親父がお宝をせしめるために仲間を出し抜こうとして、罠にかかって一人で死んでったとかいう、冗談みてえに間抜けな死に様だった」


 語るにつれ、リーナは自らの口角が無意識に上がっていたのに気づく。それは父への軽蔑である、自嘲でもあった。


「そこからは環境が一変した。どいつもこいつも、オレを見るなり裏切り野郎の子供だ、ろくでなしの血だ……てよ、散々コケにされたさ。そんな日々にも慣れちまった頃に見つけたのが、家の地下に隠されてたのがこのナイフと、親父が『黒蝕器』を探してたことを示すメモ書きだった」


 いつしか夕焼けを映す彼女の目は、燃えるように輝いていた。


「だから俺は決めたんだ。どんな手を使ってでも絶対に『黒蝕器』を手に入れてやるって。そんで、バカにしてきたクズ共も見返して、あのクソ親父の墓前で言ってやるんだ。「ざまあみろ!」ってな!」

 

 そう言うと、手に持ったナイフを夕日にかざす。彼女は鈍い輝きを放つそれをじっと見つめる。


「このナイフも遺跡で親父が見つけたモンだが、メモを見るに黒蝕器の失敗作みてえなものらしい。微量の魔力を帯びちゃいるが、特別な要素はなにもねえ。ただのナイフだ。だからこれは、オレの覚悟そのものだ。あの屈辱の日々と、クソ親父への恨みを忘れないためのな」

 

 しばしナイフを見つめていたが、やがてゆっくりとそれを腰に戻す。

 そして、夕日に背を向ける形で、ガットを正面から見据えた。


「なあ、ガット……。お前の探しもんも多分、その黒蝕器だと思うんだ。……んでよ、お前は腕が立つし、何より……信頼、できるんだ。オレが言うと自分でも笑っちまうけどよ」


 照れたように口元を歪める彼女の表情からは、しかし先ほどのようなもの暗さは消えていた。


「だからよ、ガット。オレと組まねえか?……一緒に黒蝕器を見つけてよ、世界をひっくり返してやろうぜ」


 そうして伸ばしたリーナの手は、本人にしかわからないほど小さく震えていた。

 そして対するガットの返事は、簡潔なものであった。


「リーナ殿……」


 リーナの目を貫くような真っ直ぐな視線。交錯する両者のそれは、互いに決して曲がることは無かった。


「共に征こうぞ、世の果てまでも」


 握りあった決意は、固く強く、互いの心を繋いだ。

 

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