第3話 何が為に剣を振るう

「取り敢えずてめえらを軽くノしてからウチの事務所まで運んでやる……表に出ろ」

 

 全身からひりつくような殺気を放ちながら男――ゴストラは言い放った。

 ギロリと睨んだ視線の先の少女は、額から落ちる汗をサッと拭いながら、脳内では焦りが渦巻いていた。

(不味い不味い……!まさかちょっとイカサマで小銭稼いだぐらいでゴストラ本人が出張ってくるとは……!)

 ゴストラといえば、このソムラックの街では知らぬ者はいない、アウトロー共の実質的トップだ。ソムラックは種族、民族共に様々な者が流れ着く場所がゆえに、荒くれ物や脛に傷を持ったような連中も珍しくはない。ゴストラは、そんな者たちの中において自らの腕っぷしのみで上り詰め、裏の世界を牛耳った超武闘派の傑物だ。腕に覚えのあるものが多いソムラックで、最も強い人物は?と聞かれると、まず槍玉に挙がる一人であろう。

 いくら目的のためとはいえ、軽はずみに手を出していい領域ではなかったと、今更ながら後悔が襲う。しかし、時は既に遅い。重要なのは、ここをどう切り抜けるかだ。

 

「な、なあ、アンタんとこでチョロっと悪い手癖が出ちまったのは謝るよ。この通りだって!」


 言うや否やリーナはテーブルに額をぶつけかねないほどの勢いでガバッと頭を下げる。


「だけどよお、何も小銭を稼ぐのが目的じゃねえんだ!金なら倍にして返す!だから——」

「誰が口ィ開くの許可したァ?小娘が」


 リーナの弁明を遮り、ゴストラはさらに凄んだ。


「もう金がどうとかいう問題じゃあとっくにねェんだよ……それにな、誰がテメエの言うことを信じる?ろくでなしの


 そう言うと、ゴストラは嘲るように、僅かに口角を上げた。


「借りた金は返さねえ、平気で噓をつく二枚舌。おまけに街のチンピラどもを狙って詐欺まがいのせこいシノギをしてるそうじゃねえか……」


 それはやがてはっきりと侮蔑の笑みに変わっていく。


「ま、それもそうかァ。なんてったって、実の父親があの『裏切者のレストル』だもんなぁ!?」


 その名前が出た瞬間、リーナの身体がピクリと震えた。


「欲に走って仲間を裏切って、おまけに勝手におっんだクソ野郎だ。確かに同じ血が流れてるぜ」

「お、親父は……」

「あん?」


 嫌悪するように吐き捨てたゴストラに対し、リーナは震える声を絞り出す。


「親父のことは関係、ねえだろ……」


 ゴストラの立場からすれば反抗的とも言える態度に、彼は内心ため息をつく。この一件はメンツの問題だ。大人しくしていれば半殺し程度で済んだものを、舐めた態度をとられては、見せしめのためにもそれ以上の痛苦を与えざるを得ない。目の前の小賢しいガキが、まさかここまで愚かだとは思っていなかった。

 もういい。さっさと終わらせよう。そう思って口を開きかけた矢先。


「あいや待たれい!」


 緊張した空間に、まるで見世物芝居のような台詞が響いた。


「……あ?」


 やや面食らったゴストラは、声の主に顔を向ける。


「先ほどから話を伺っていれば、どうやらリーナ殿と貴殿の間で、何やら諍いが生じた様子」


 見ると、リーナの隣に座っていたゴブリン、ガットが椅子の上に立ち上がっていた。

 ゴストラが手下からかろうじて聞き出した情報によれば、リーナが雇った用心棒だという話だったが、見ればただのゴブリンだ。恐らく、リーナが安く雇った囮で、あの油断ならない小娘の策謀に嵌った馬鹿どもが勘違いしたのだろう。


「んだ?そのふざけた喋り方は……状況分かってんのか、チビ助」


 どんな悪漢も震え上がると言われるゴストラの睨みを真正面から見据えて、ガットは答える。


「ふむ……実はよくは分かっておらぬのだが……想像するに、リーナ殿が貴殿の不興を買うような事をしてしまったといったところとお見受けする」


 全く後ろめたさを感じさせないガットの態度に、ゴストラは強烈な違和感を覚えた。

 まさかこのゴブリン、本当に状況を理解していなかったのか――?

 思ってもないところで小さく混乱するゴストラに、さらにガットの一言が追い打ちをかける。


「しかしながら、某は貴殿にも感心できぬ」


 その言葉を聞いたとき、ゴストラは一瞬頭が真っ白になったかのような感覚に陥った。

 このゴブリンは何を言っている?そもそもお前も共犯で、これから死ぬほどいたぶられる立場なんだぞ?

 彼だけでなく周囲の誰もが絶句する中、ふつふつとゴストラの中に沸いてきたのは静かな怒りの感情であった。


「お前……死にてえのか?」


 怒気はやがて殺気へと姿を変えていき、この空間を包んでいく。

 しかし、その中でもガットは一切怯むことがなかった。

 小さな命知らずは静かに口を開く。


「子は親を選ぶことはできぬ」


 そして、続く言葉はどこか悲し気な、諦めたような口調で。


「親もまた、生まれてくる者を選ぶことはできぬ……しかし」


 最後には、はっきりとした意志を宿して。


「しかし、親子というものは当人たちにとって無二のえにし。他人が易々と貶めて良いものでは断じてない!」


 衆目の、ゴストラの、リーナの、驚いたような視線が一斉にガットへと注がれる。


「まずはリーナ殿に謝罪を。できぬとあらばこのガット、友の誇りがため、剣をも握る覚悟!」


 誰もが予想できなかったガットの行動に、しばし沈黙が流れた後、静寂を破ったのはゴストラの笑い声であった。


「ハ、ハッハハハ……あァ、お前みたいなバカは嫌いじゃねえがよ」


 笑いながらゴストラは酒場の出口にゆっくりと歩いていく。


「一線を越えてくるバカは救いようがねえ。ま、精々死なねえように祈っとけよ」


 それは一切の手加減をしないという、彼なりの情けをかけた忠告であった。


 ――――――――――――――――――――――


 ソムラックの街の、とある酒場前の通り。

 そこではこれから闘う男たちが向かい合っていた。

 片や戦闘においては街でも屈指の力を持つ、ゴロツキの王。

 片や名も知れぬ流浪のゴブリン。

 勝敗は誰の目にも明らかであった。


「お、おい……!何もこいつがやりあうことはねえ!本当にただ偶然巻き込んだだけなんだ!」


 いつの間にやら集まった観衆の中から、リーナは必死に訴えた。


「だァってろ。わかってんだろ?これは見せしめだ。それにこいつをやったら、すぐにテメエだ。一応言っとくが、逃げても無駄だぞ」


 言葉の通り、リーナの周囲にはすでにゴストラの手下と思わしき男たちが目を光らせていた。

 このような事態になる前から酒場の外に待機させていたのであろう。いずれにせよ、逃げることも難しかったと想像に難くない。

 想定外に観衆が集まってしまい、やや辟易とするゴストラの前で、ガットは高らかに叫んだ。


「それでは確認をする!この決闘、某が勝てば貴殿がリーナ殿へ謝罪をする事!貴殿が勝てば、我らを煮るなり焼くなり随意にする事!この条件でよろしいか!」


「まず決闘じゃねえ所から始まって全てが間違っているが……やるこたァ変わらねえ。好きに言ってろ。」


 ややあきれ気味に返すゴストラ。彼にとってこれは、メンツを保つための面倒な処理に過ぎない。面倒だが、それでも尚、直接に自身で動くほどには彼のいる世界では「舐められない」ということは重要な意味を持っていた。

 決して弱者をいたぶるような趣味はないが、放っておくわけにはいかない。さっさと終わらせてしまおう。

 そう思い、ゴストラは腰の刀を抜き放つ。それを受けて、ガットもまた腰から短剣を引き抜いた。


「ハッなんだァ?その玩具みてえな剣は……」


 それを見て、ゴストラは思わず鼻で笑ってしまう。ガットの得物は確かに小柄なゴブリンの体躯には合っているが、ヒュマールから見れば些か心もとない。

 ゴブリンが弱いとされる理由がここにある。小柄が故に非力。非力が故に長い得物を満足に扱えない。腕の長さも武器の長さも短いということは、単純に攻撃の間合いが狭いということ。剣士の戦いにおいてそれは、圧倒的に不利である。魔術でも使えるならば話も変わってくるが、魔術を扱えるゴブリンは非常に稀だ。可能性は低い。

 結論として、膂力でも間合いの長さでも劣るゴブリン族が、白兵戦でヒュマール族に勝てる要素はない。

 それがこの世界の常識であった。


「それではいざ、尋常に……」


 しかし、ガットが剣を構えた瞬間、ゴストラは反射的に一歩後ろに飛び退っていた。

 一瞬、自分でも何をしたのかわからなかったが、遅れてやってきた全身が総毛立つ感覚と目の前の剣士が放つ気迫に、思い起こされたのはかつて何度も体験した、命の瀬戸際だった。

 そして直後、彼はその勘が間違っていなかったことを知る。

 わずかに身を屈ませるガット。その所作に、ゴストラも咄嗟に反応する。


(来るッ!)


 次の瞬間、ゴストラの眼前には鋭い剣先が迫っていた。


「速っ……えェ……!!」


 たった一回の跳躍で一気に間合いを詰めたガットが、ゴストラに回転切りを叩き込む。

 咄嗟に刀で受けるゴストラ。

 鋼鉄がぶつかり合う轟音と共に、激しく上がる火花。

 着地したガットと体制を持ち直したゴストラが再び向き直るのはほぼ同時であった。

 しかし、両者の手に持つ得物には決定的な違いがあった。


「マジかよ……」


 薄ら笑いを浮かべたゴストラの手に握られていた刀は、刀身の半分から先が無くなっていた。

 

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