第2話 その街の名はソムラック

 この大陸には六大種族と呼ばれる、六つの人種が存在する。

 最も人口が多く、魔法の適性が高いヒュマール族。

 背丈は低いが怪力で、鉱物の精製、加工が得意なドワーフ族。

 全身が豊かな毛におおわれ、鼻や耳などは狼のような容姿をした獣人、ルーガル族。

 額に生えた大きな角と強靭な肉体を持ち、戦闘種族としても名高いオーガ族。

 多種族との交流は殆どなく、長寿にして容姿端麗、穂のような長い耳と圧倒的な魔力を持ち、神として崇められることもあるエルフ族。

 種族の9割以上が男性で構成され、小柄な体躯に緑色の肌、尖った耳と小さな角を持ち、集団での行動が得意なゴブリン族。


「んで、この街、ソムラックは大国間の丁度狭間に位置するから、エルフ以外のあらゆる種族が集まる。人種の交差点ってワケだ」


 まだ日が高いにも関わらず人に溢れ、ガヤガヤとした喧騒の止まない酒場。陽気な音楽と一緒に騒ぐ酔っ払いどもを軽くあしらいながら、きびきび働く女給たち。騒がしくもどこか居心地の良い混沌。その中の一角でひとしきり語ると、リーナは麦酒の入った大き目のマグを仰いだ。


「なるほど……通りで斯様に様々な御仁が……」


 納得したように頷きながらゴブリンの男――ガットもまた、手に持ったカップを傾けた。もっとも、中に入っているものはリーナとは違いただの水であった。

 プハァと大きく息を吐いたリーナは、そんなガットを無遠慮に見つめながら口を開いく。

 

「にしてもよお、このあたりの国の名前どころか、六大種族もわからねえって……モノを知らねえにも限度ってもんがあるだろ」


 それを受けて、ガットは気に障った様子もなくあっけらかんと笑った。


「がはは。実は某、幼少の折から闘技場で育った故。恥ずかしながら、世俗のことには疎くてな」

「闘技場っていや、あのガロニアの?お前、剣闘奴隷だったのか」


 二人が現在いるのは、様々な人種の集う街、ソムラック。その周辺には三つの大国が存在する。そのうちの一つ、ガロニア王国は主にヒュマール族が統治する国で、首都にある巨大な闘技場は名所となっており、連日剣闘士たちによる白熱した闘いが繰り広げられていた。

 しかし、その内容は激しいものが多く、深手を負い命を落とす者も少なくない。そのため剣闘士たちの大半はゴブリンやオーガなどの、ガロニアでは奴隷とされることの多い種族や、犯罪者といった、言葉を選ばず表現すれば『命の軽いものたち』が多かった。


「よくあそこから逃げてきたなぁ。……安心しろよ、細けえことは詮索しねえよ」

「……?いや、某は別に逃げてきたわけでは……」

「まあまあ、過ぎたことはいいじゃねえか!それよかお前、オレが奢ってやるっつってんのになんで水なんか飲んでんだよ。酒でもメシでも頼め!ホラ!」


 何かを言いかけたガットの言葉を遮り、強引にメニューの書かれた板を押し付けるリーナ。ここに来たのはリーナの提案で、先ほど「面倒ごと」を片付けてくれた礼と、まだこの街に来て間もないガットに恩を売るという打算も兼てのことであった。

 やがてガットが女給に注文を済ませたのを確認すると、リーナはふと浮かんだ疑問を口にした。


「そういやお前、なんでこの街に来たんだ?仕事が欲しいとか?」


 ソムラックの街はかなり特異な街で、領土としてはガロニア王国に位置するものの街の中は治外法権となっている。そのため、ガロニアでは奴隷や小間使いとして扱われることがほとんどのオーガやゴブリンといった種族も、本人の能力次第では成り上がることが可能な数少ない場所でもある。

 しかし、ガットの答えは予想したものとは少々異なっていた。


「いや、英雄になりに来た」

「……はぁ?」


 思わず素っ頓狂な声が漏れるリーナ。

 英雄?何かの例えか?それともからかわれているのか?

 ガットの言葉の意味がまるで分からず、リーナは質問を続ける。


「……そういやさっきもそんなこと言ってたよな。英雄ってのはどういう意味だ?王国の近衛騎士とかか?」


 しかし、ガットは目をつむり、静かに首を横に振った。



「サビールだ。」

「……なんて?」

「某の目標は英雄サビールだ。……もしかして知らぬのか?」


 英雄サビールの物語は、この大陸では誰もが知っている英雄譚だ。サビールは千年ほどの大昔に実在したとされる人物で、当時起こっていた種族間の大戦を終局に導いた立役者の一人でもある。誰もが子供のころに憧れる英雄であり、リーナも幼少期には枕もとでよく聞かせられていた。


「いやそりゃ知ってるけどよ……待て待て待て」

 

 混乱を整理するかのように、「待った」のポーズで突き出した両手を振るリーナ。


「その……なんだ。お前はつまり、大真面目におとぎ話の英雄みたいになりたいと。そういうワケか?」

「そうだ。」

 

 その瞳は、リーナが見てきたどんな空よりも鮮やかに透き通っていた。


「……いやアホか!」


 一呼吸置いたのち、リーナの口から我慢できずに飛び出たのは心からの叫びであった。

 いくらサビールが皆の憧れと言っても、所詮はおとぎ話に過ぎない。誰もが成長するにつれて、大なり小なりの差はあれ、現実的な目標を持つ。尾ひれはひれがついている上に、そもそも丸きり作り話かもしれないものに人生を捧げようなどという者はいない。

 当然のことではあるが、改めてそれを考えると、リーナは何故か胸の奥がちくりと傷むような感覚を覚えた。

 

「確かに、頭が良いとはお世辞にも言えぬが……」

「そういうことじゃねえよ!いやそういうことなのかも知れねえけど!」


 一体なんなんだこいつは。口を開けばどこか間の抜けたようなことばかり言うくせに、ひとたび剣を抜けば多勢を物ともしない圧倒的な剣術。

 初めて会う系統の男を、リーナは測りかねていた。

 そんなリーナを見て、ガットはカラカラと笑った。


「ったく、何がおかしいんだよ」

「いやなに、これを聞いて笑い飛ばさなかったのは、貴女が初めてだと思ってな」

「……別に。あんまりにも突拍子も無いことを言われて、笑う気も起きなかっただけだ」


 ぽつりと溢したリーナの顔には、どこか苦々し気なものが浮かんでいた。

 それでもガットは気分を害した風もなく、飄々として続ける。

 

「とはいえ、具体的な目途がないこともない」


 そこまで言うと、ガットの声のトーンが一段下がる。


「リーナ殿はご存じであろうか。某は、『真っ黒い武具』を探しているのだが」


「!!」


 その言葉を聞いた瞬間、驚愕したリーナの目が大きく見開かれる。

 黒い武具。奇しくもそれは、リーナの求めているものと同じ特徴を持っている。


「じゃあお前……英雄ってまさか……ん?」

 


 しかし発しかけた言葉は、酒場に入ってきた男と偶然目が合ってしまったことで途切れる。


「リィナァアアアアア!」

「……やっべえ」


 直後に酒場に轟く怒号。あまりの怒気と男の発する圧に、騒がしかった空間が静まり返る。

 その中でガットは状況が掴めず、表情には疑問符が浮かんでいた。


「そこのゴブリンか、てめえが雇った用心棒ってのは」


 ずかずかと大股で近づいてくる男。長身を包む服の上からでもはっきりとわかる筋肉の鎧。オールバックに撫でつけた金髪と頬に刻まれた大きな傷跡が、彼の野性的な迫力を引き立たせていた。

 今にも腰の刀を抜き放ちそうな剣幕に、周囲が固唾を飲んで見守る。やがて、目的の二人の前で足を止めると、テーブルに拳を叩きつけながらガットをじろりと睨んだ。


「俺の名はゴストラ。ウチのモンが世話になったらしいじゃねえか、あ?」


 修羅の如き様相の男はそのまま続けた。


「落とし前、つけさせて貰うぞ……てめえら、五体満足で済むと思うなよ」

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