第1話 邂逅

——身の丈に合わない夢なんて持つな。一人で背負い切れない重みは、他の誰かを潰すことになるからだ。

 沸騰しそうな頭の中を、育ての親に言われた言葉が何度も繰り返される。


「ハア……ハア……ウザ……ってえ!」


 少女は走る。人気の無い路地裏を、地べたに転がる空の酒瓶を蹴とばしながら、ひたすらに走る。

 その後方からは、明らかに真っ当な一市民ではないと一目で分かる、ガラの悪い男たちが追いかけてきていた。

 先頭の男が、少女に向かって叫ぶ。


「いい加減にしやがれ!『ゴブリーナ』如きが!煩わせるんじゃねえ!」


 男の言葉にカチンときた少女もまた、首だけ振り返って叫び返す。


女ゴブリンゴブリナじゃねえ!オレの名前はだっつってんだろ!」


 言葉を吐き出した後すぐ、余計な体力を使ったと後悔する。

 薄暗い路を駆けながら、少女——リーナは小さく舌打ちをした。

 風にたなびく燃えるような赤髪は、手入れが不十分なのかくせ毛があちこち跳ねており、健康的な印象を与える薄く日焼けした肌は、年頃の娘にしては飾り気の一切ない、動きやすさを重視した軽装に包まれている。そしてヒューマル族としては平均より一回りは小柄な背丈。総じて彼女が女ゴブリンゴブリナと揶揄される理由の一端であった。

 

 とはいえ、今はそんなことなどどうでもいい。今考えるべきは、現状をどうやり過ごすかだ。

 このままでは埒があかない。いっそのこと大通りまで出てしまおうか。往来では奴らも騒ぎづらいだろうし、市場までたどり着けば人ごみに紛れられるかもしれない。

 素早く思考をまとめると、それまで予定していたルートを変更し、目の前の角を曲がる。

 瞬間。


「むっ!?」

「うおおお……!?……ッガハ!」


 鈍い衝突音とともに、胸元に衝撃が走り、肺から空気が一気に抜けていく。

 何が起きたのか認識する間もなく、リーナは地面にずさぁっ……と倒れ込んだ。


「だ、大事ないか?少女よ!」


 頭上から聞こえてきた、妙に古めかしい口調と共に、倒れ伏すリーナに手が差し伸べられる。

 年の頃は17歳を数える彼女にとって少女と呼ばれるのは心外であったが、それを訂正する余裕もなく、咳き込みつつもかろうじて顔を上げる。

 目の前で心配そうな顔を浮かべているのは、まだ年若いゴブリンの青年であった。

 薄緑色の肌に、尖った耳。額を覆うように巻かれた布の端からは、コブのように小さな角が覗いている。身長はヒュマールとしては小柄なリーナよりさらに頭一つ分ほど低い。いかにも旅を終えたばかりといった風体で、身体を覆うローブは所々埃が目立っていた。その隙間から覗く手足には革製の防具を嵌めており、ナイフよりやや長い程度の短剣を、まるで騎士のように左腰に付けている。

 街に住むゴブリンは小間使いや奴隷として扱われる者が多い中で、やや異様と言える出で立ちの男に、リーナは一瞬面食らう。

 しかし、すぐさま自分の置かれている状況を思い出す。


「い、いやそれどころじゃねえ——」


 即座に立ち上がろうと体を起こし——ピタリとその動きを止める。

 その表情には苦々しげなものが浮かんでいた。


「ふう~……ようやく追い詰めたぜぇ」

「手こずらせやがってよぉ!」


 周囲を見渡すと、先ほどまでリーナを追いかけていた男たちが周囲を囲んでいた。その数は三人。各々がその手に刀剣などの獲物を携えている。

 まずい。非常にまずい。

 どうにかしてこの状況を抜け出さねば。最悪の場合、一か八か強行突破でもするしか……、と半ばやけになりかけていたリーナの隣で、ゴブリンの男が口を開いた。


「むぅ、何やら穏やかではない様子……これは一体、どのような事様か」

「見てわかんねえかよ。追われてんだよ。怪我したくなきゃさっさと消えな」


 緊迫した状況で場違いなほど自分のペースを崩さないゴブリンに多少の苛立ちを覚えながら、リーナはシッシと追い払う手ぶりをする。

 それはこのような状況でも、流石に無関係の他人を巻き込むのは忍びないという、彼女の精いっぱいの強がりでもあった。

 その言葉に周囲のならず者たちも同調する。


「そうだぜゴブ公?何よりよお、その女はこの街じゃ悪名高き『ゴブリーナ』だ!人を騙して利用して、借りた金もロクに返さねえような、まさにゴブリンみてえなロクデナシよぉ!……おっと、兄ちゃんにはちょいと失敬だったか」

「ケヒャヒャ、ソイツはウチので賭け事の最中、をしやがったんだ!んなことして、このゴストラ一家が黙ってるワケがねえ!」


 こいつら言わせておけば……と何かを言いかけようとしたリーナだが、結局その口から言葉が出てくることはなかった。男たちの言っていることがほぼほぼ事実であったためだ。

 代わりに、ゴブリンが口を開いた。


「『シマ』や『サマ』がどういうものかは存じ上げぬが……斯様な少女一人に対し、男三人がかりとは些か過剰ではなかろうか。かの英雄サビールも『男たるもの、婦女子に於いては散り際の花弁の如く扱うべし』と言っていたというし……」

「……なんだぁ?コイツ」


 リーナも、周囲のならず者達ですら一様に困惑する。今まさに修羅場というときに、そのような空気を一切感じていないという様子で、何やら頓珍漢なことを話すゴブリン。あまりにも場違いで、思わず気が抜けてしまいそうになる。

 気を取り直そうとしてならず者が叫ぶ。


「ワケわからねえことほざいてんじゃねえ!さっさと消えろっつってんだ!……それともお前が代わりにヤるか?おお?」


 武装した男三人に対して、小柄なヒュマールの女一人に全種族中最も非力なゴブリン一人。誰が見ても勝敗が明らかな状況。だからこそ、ならず者の言葉は単なる嫌味を含んだ脅しに過ぎなかった。――次にゴブリンが口を開くまでは。


「立ち合いか!ならば喜んで受けよう!某は三人一遍でも構わぬぞ!」

「んなっ……」


 思わずリーナが言葉を詰まらせる。そもそも、このゴブリンは全く関係ないゴタゴタに巻き込まれただけだ。さっさと退散しないだけでもおかしいのに、その上武装集団に喧嘩まで売り始めるとは――はっきり言ってイカれているとしか思えなかった。


「おい、ゴブ公よ、こっからは冗談じゃ済まねえのよ。怪我どころじゃ利かねえぞ」

「望むところ!いざ参られよ!」


 へらへらした空気から一転、殺気を放ち始めるならず者たち。それとは対照的に、ゴブリンの瞳はまるで幼子のように爛々と輝いていた。


「時間もねえ、やるぞお前ら」

「へえッ」

「ま、待てよ、おい——」


 制止しようとするリーナを無視し、一斉に距離を詰めてくる男たち。その中央で、ゴブリンは静かに腰の短剣を引き抜き、構えた。

 事は十秒にも満たず、全ては一瞬だった。


「——え?」


 気が付くとリーナは、倒れ伏し呻き声を上げる男たちの中央に立ちすくしていた。

 静かな路地裏に、チャキ……と納刀の音が響く。音の主は、蹲る男たちに深々と礼をした。


「立ち合い、感謝申し上げる」


 何が起こったのか理解ができない。ただ一つ分かることは、目の前の小さな異種族が、男三人を歯牙にも掛けず叩き伏せたこと。

 呆然とした少女が、思わず呟く。


「何者だ……?お前……」


 それを受け取った耳がピクリと動き、ゴブリンはくるりと向き直る。そして、高らかに宣言した。


「某の名はガット!のちの世にて『英雄』と称されし者!」


 こうして、日の陰る路地裏で、新たな英雄譚はひっそりと幕を開けた——。

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