第11話 インスタント変身コンパクト・ミラクルカフカ

「その、クソ商品、いや。不良在庫というのは……」

ボスは情けない声で、ジア女史の気品ある佇まいから飛び出したとはにわかに信じがたい言葉の詳細を、気まずそうに尋ねた。

「これを見て」

女史は膝の上に乗せていたアタッシュケースをテーブルの上に置いて、私たちの方を向けると、それを開けた。空気の抜ける音が響いて、ケースから冷たい白い煙が流れ出てくる。私たちがそれに反射的に目を細めると、女史も顎を上向きにして顔をしかめた。

「ちょっと煙たくてごめんなさい。本当に危険だから、万が一がないように液体窒素をケースに充填しているの」

「うお、そんなにヤバいもんなのか?」

「常温で保存しておくとまずい薬品か、何か?」

ゼンと姐さんがアタッシュケースを覗き込んでいると、ガスがようやくおさまってきて、その厳重に女史が運んできたという中身が見えた。丁寧にスポンジで包まれて仰々しく保管されていたのは、可愛らしいデザインの二つのおもちゃだった。

「これが、その不良在庫ですか? おもちゃ、ですよね」

左側がピンクと白を基調にしたカラーで真ん中にハートの意匠が施されていて、もう片方は黒と青を基調にしたデザインで、真ん中には星の意匠が施されている、貝殻のような質感と形をしたどう見ても子供向けの玩具。私も幼い頃はこういう見た目の地球で放送されていた少女の戦士のアニメの変身グッズを買って、よく遊んだものだ。ついに社会人になった今でも、こういう可愛いものを見ていると胸がときめいてしまう。とにかく、見た限りではこの広い宇宙で、会社が頭を抱えるほどに在庫を持て余すような代物、少なくともクソ商品などという烙印を押される代物には見えなかった。

「へえ、可愛い〜」

子供心をくすぐられた姐さんが手を伸ばそうとすると、ジア女史は血相を変えて制止した。

「触らないで!」

「えー、そんなあ。可愛いのに」

姐さんは残念そうに口を曲げている。女史は忌々しそうに、軍人が爆弾と対峙している時のような面持ちでアタッシュケースの中のおもちゃを見下ろした。

「可愛い見た目に騙されちゃダメ。これはゼノ系列最大手のエンタメホビー企業、ゼノ・ダンバイ社が開発した児童向け玩具、商品番号ADA−3179——商品名は“インスタント変身コンパクト・ミラクルカフカ”。希望小売価格は破格の1200ジル。このコンパクトの中にあるボタンをワンタッチするだけで、衣装とメイクがあら不思議。一瞬のうちに可愛い魔法少女に変身できるの。しかし発売前にある問題が発覚して、現状は消費者庁から発売と流通の一切を禁じられている、いわくつきの超危険な品物よ」

「は、はあ……」

ボスはただでさえ本部の偉い人が来ているだけで気が気ではないだろうに、変なものを見せつけられて余計に混乱しているようだ。それは私たちも同じで、女史は申し訳なさそうに持っていた液晶端末の画面をテーブルの上に置いて、こちらに見せた。

「ま、見ただけじゃ何もわからないわよね。問題はこの商品の特性。この説明書のサンプルを見て頂戴」

私たちは身を乗り出して、おもちゃの図が載っている説明書を見た。


【インスタント変身コンパクト・ミラクルカフカ】

〜これであなたも魔法使い〜

ワンタッチで衣装からメイクまで可愛く大変身出来ます。どんなふうに変身するかはお楽しみ! 一期一会の大変身で、毎日をマジカルに。


 可愛らしいフォントのけったいなキャッチコピーがピンク色の背景に記されている。下にはコンパクトの仕組みがイラストで示されていて、下の方には何故か微生物の顕微鏡写真が載せられていた。


♢遊び方♢

①着用されている衣服をお脱ぎいただきます。下着は着用されたままで結構です。

②コンパクトを開いて中のボタンを押します。内蔵されている微生物があなたの体を包み込み、一瞬で体にフィットする最適なコスチュームに変化。あなたを魔法少女に変身させてくれます。

③可愛らしいコスチュームでお出かけやヒーローごっこをお楽しみください。


※本品は玩具です。それ以外の用途での使用はおやめください。

※本品は科学技術を用いた、コスチュームプレイをお楽しみいただく商品です。本品を使用しても、ご自身の身体能力を拡張したり、超現実的現象を起こしたりすることは出来ません。

※アレルギー反応が出た場合はただちに使用を中止して、すぐにお近くの医療機関にご相談ください。


△その他商品に関するお問い合わせは以下まで——


 ゼノ・ダンバイ社のお問い合わせフォームのリンクが記されているところで、説明書は終わっている。意外にも一番興味深そうに説明書を読んでいたのは、博士だった。

「なるほど。遺伝子改良させた微生物を圧縮して本体に内蔵、そしてボタンを押すだけでそれを解放して、ボタンを媒介して一瞬で体に乗り移らせ、その上で細胞分裂を行わせて体の上に鎧のように纏わせるということか。メイクも再現できるなんて、面白いの」

確かに微生物という言葉が少し怪しさを匂わせているものの、説明書を読むとむしろ便利で画期的な仕組みだし、気軽に使えそうなら余計にヒットしそうだ。だから、わざわざ本部の偉い人が、アポも無しに私たちみたいな窓際部署にまで御足労いただいてきたのが余計に不気味に感じてきた。女史は私たちの好意的な反応を見てため息をまたついた。

「消費者からしたらすっごく魅力的でしょう。安価でクオリティの高いコスプレがすぐ楽しめる上に、衣装も微生物の気まぐれで毎回変わってランダムだから、飽きることがない。今後のおもちゃの定番になるとさえ思ったわ。しかも、この商品に使用されている微生物の培養は本当に簡単で、生産にかかるコストもすごく低い。人種も問わずに売り出せるから、商業的に見ても夢みたいな商品だった。ダンバイ社は開発部の企画書とサンプルを見るや否や、すぐにこれは即ヒットすると見込んだの。そして品薄による転売を恐れた結果、広告を打つ前に280京個の生産を決定し、即座に工場をフル稼働した——」

「それはそれで思い切りが良すぎるだろう」

グレイ先輩は会社の杜撰な事業計画に呆れていた。私もそう思う。

「私もそう思うわ……本当に……。競合他社のタカラ・ジョニー社が空前のヒット商品を出した直後で、焦っちゃったのね、きっと。とにかく潤沢な在庫を確保し、あとは発売するだけ! そんなタイミングで、恐ろしい事実が発覚したの」

「まさか、これが今更になってまずいことが発覚した、的な……」

説明書に載せられている、茎から一輪咲いた花が伸びているような形の微生物の顕微鏡写真を指差すと、ジア女史は苦笑いしながら頷いた。

「そう、まさしくその微生物に問題があったの。発売前、アレルギーの調査のためにパッチテストを実施した結果、対象となった20兆種類の種族のうち、液体状の体を持つマブリエ人とウェルフォメアルビニアン、ガス状の体のヘブリックス人、体と精神を分離でき、体を脱ぎ着することのできるアイノリエ星人の支配階層と、実体のない思念体であるゴドエ星系のバゾメ族、それからガルゲニアンの特殊ケースを除いた全ての人種に、ミラクルカフカに内蔵されている微生物が、根深く癒着してしまうことが判明した。微生物に施した遺伝子改良が、思わぬ方向にも進化を促してしまったらしくって」

ジア女史が端末を操作して、読むのも気が遠くなるほどの長さの、恐ろしいおもちゃの性能に関する調査報告書のフォルダを見せながら、そう言った。根深く癒着してしまう、恐ろしい言葉だ。

「じゃあ、つまり……」

私たちの表情が曇りはじめているのをよそに、ジア女史は窓の向こうに広がる星々を遠い目で眺めながら続けた。

「ミラクルカフカに変身したら最後。致死性とか毒性は全くないのだけれど、とにかく皮膚に微生物が根差し、くっついてしまって一生剥がせないってことね。薬剤で皮膚の代謝を促したりするのも、抗生物質も塗り薬も、赤外線等のレーザー治療も効果がなかったし、脱皮できる人種ですら、根深くこびりついた微生物には抗えない。手術で剥がすのも、宇宙一の天才外科医ですらお手上げだったわ。脱げないコスプレなんて、死装束とおんなじよ。地球的な物言いなら冬虫夏草——これはステラさんにしか伝わらないわね——とにかく、こんなのおもちゃとして売り出すわけにはいかず、かといって廃棄しようにも、この規模の物質を無駄にして捨てるのは、宇宙環境保護法に違反すること間違いなし。裁判でゼノ連盟が裁かれる事態は避けたいし、そんなこんなで今、我々は280京の不良在庫を抱えてるってわけ……」

女史はこの目下の問題をすごく恨めしく思っていそうで、そう説明しながら深いため息をついている。彼女は藁にもすがる思いで、私たちに声をかけてきたのかもしれない。

「で、そんな代物を、どうにかしろと……」

気の遠くなるような数字ばかり聞かされたボスはすっかりくたびれてしまったのか、水槽の底に沈んで座り込みながら、女史に情けない声で今一度確認した。ジア女史の方は、この問題に関わる自身に降りかかっている面倒な業務のことを思い出したのか、ストレスに打ちひしがれた社会人の暗い眼差しで私たちを見ている。女史がこのおもちゃをクソ商品と罵倒したくなるほど恨んでいるのがよく伝わってきた。

「もうこの際、定価割れも厭わないし、おもちゃとして売り出さなくってもいいわ。とにかくあなた達にはこのクソ商品を有効活用する方法を考えて、この不良在庫を捌いて欲しいの。二十兆人のモニターをしてくれた人々が、一生魔法少女コスチュームで過ごさねばならないことについての謝罪と今後の補償については、私の部署が担当しているから、そっちの心配は大丈夫。私としては胃が痛いけどね……。それまで他の業務は停めてもらうし、経費と物資は請求してくれれば、全て本部が負担するから遠慮なく言ってちょうだい」

女史は早口で捲し立てたが、私たちは見せられたおもちゃからは想像もつかない規模の話を次々にされて半ばトランス状態だったし、こんな小さな部署に任せる案件でもないと思っていた。

 特務部第三課全員で、苦笑いをしたまま女史を見つめはじめてしばらくしてから、女史はとうとう観念したように、先ほどの落ち着き払った威厳を全く感じさせない情けない顔で話し始めた。

「拒否するなんて言わないで。今回は事業の規模が規模だけに、あなた達には頑張ってもらわないと困るのよ。今は本社が支払いを肩代わりしてどうにかしているけれど、このままだとゼノ・ダンバイ社は破産して、億単位の社員が路頭に迷ってしまうし、それに伴ってホビー業界の市場も荒れてしまう。ゼノ・ダンバイ社との取引で経営を成り立たせている町工場への影響も考えたら、倒産する会社は数えるのを諦めるレベルに登るわね。さらに今回の場合は規格外の大量生産とバイオテクノロジーが絡んでいるから、その辺の市場も巻き込んだ宇宙規模の経済混乱が起こりかねない事態なの」

「えぇ……」

たかがおもちゃでそんな事態に、と喉まで出かかったのを我慢して、私は声を漏らす程度にとどめた。しかし、ジア女史が言っていることはにわかに信じがたくても、本当ならば宇宙の経済が壊れかねない状況であることは事実である。ボスは今にも気絶しそうな青い顔で弱々しく抵抗した。

「しかし、我々は一応軍部の社員ですし……管轄外の業務では?」

女史はそれに対し、本当に不思議そうな顔をした。

「あなた達特務部でしょ? 上の命令ならなんでも聞く部署だって聞いてるわよ」

「清々しいくらいのパワハラだ!」

グレイ先輩は恐ろしい社会の側面を目の当たりにしているのに、何故か目を輝かせている。この人は一番この部署でまともだと思っていたけれど、時折おかしい。

「この社会に正義って、あるんでしょうか……」

私が愕然としていると、博士は長く曲がった首をくねらせて頷いた。

「大概のでかい組織や共同体、社会っちゅーのは、誰かが犠牲にならんと成り立たんのぢゃ、新卒」

私たちがいつまで経っても首を縦に振ろうとしないので、録音されていたら絶対にまずいはずなの女史は、もうなりふりを構わなくなった。

「あなた達にしか頼めないことなの。脅しで追い打ちをかけるようで申し訳ないけれど、この仕事のお願いは上——というか、このゼノ連盟の盟主であるマーク様とサーク様から仰せつかったものだから、逆らったらあなた達、ゼノ星系に居場所、なくなっちゃうかもしれない。平たく言えば拒否権、ないわよ」

「ああ、もうだめだあ」

「やばい、ボスが倒れた!」

女史の脅しと、部下である私たちを護ろうとする責任感の狭間で張り詰めたボスの心は決壊してしまったらしく、水槽の底にボスは横たわっている。

「大丈夫〜?」

姐さんが水槽のガラス面を指でつついている奥で、私はゼンがしゃがんで何やらこそこそとしているのを見つけた。先ほどまで随分と大人しくしていたが、まさか——。

「ねえ、ゼン。立ち上がってくれる」

私が呼びかけると、ゼンは驚いたのか尻尾を真っ直ぐに伸ばしてこちらを向いてから、立ち上がった。

「あーあ、もう滅茶苦茶……」

まだ火曜日の朝なのに、どうして。私はそう考えながら、眼前に広がる混沌とした状況に頭を抱えた。先ほどまでジャージ姿だったゼンは、いつの間にか筋骨隆々な体の上にはち切れそうなふわふわのブラウスとパニエを纏っていて、ぱつぱつのニーソに包まれた脚の先にはハートの飾りがついたピンク色のつややかなパンプスを履いている。可愛らしいメイクまで施されて、髪型までちょっとアレンジされていて、まさに可愛らしい魔法少女の格好そのものだった。生地の質感も恐ろしい改造微生物の集合体とは全く思えないほどにリアルに再現されており、インスタント変身コンパクト・ミラクルカフカの凄まじい性能を一眼で体感させられる。しかし、それ以上にゼンの愚かさに私は感服した。

「あんたさあ」

「いやあ、あのさ、俺さっきみんながなんか喋ってる間に、変身しちゃったんだけど」

今日のところは珍しく黙っていたジュディスが、私の代わりにゼンを殴ってくれた——。

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