第10話 クソ商品を売りつけて
「あー! 疲れた! 結局ずっとメール整理ばっかじゃねぇか」
ゼンが背中をのけぞらせて、鼻の付け根を指でつまみながら悲鳴をあげている。バーバラの依頼を達成してすでに二週間。つまり新卒の私とゼンがこの特務部第三課で社会人デビューをしてから、もうそろそろ一ヶ月が経とうとしていることになる。状況は変わらず、始業から終業まで、時折休憩と雑談を挟みながら、辺鄙な小惑星のオフィスで、メール整理をする毎日だ。
「仕方ないじゃない……言っちゃえばボスの友達の頼み事を聞いただけだし……」
目の下が凝り固まっている。私はパソコンの電源を切りながらぶっきらぼうに答えた。
「そうかもだけどさ、流石につまんねーぞ。頑張ったんだから、なんかこう、いいことあってもいいだろ」
ゼンは向かいの席から不満そうな顔を覗かせてきた。
「バーバラに制服仕立ててもらったし、いっぱい可愛い服貰ったし、もうそれでいいじゃん。ほら、残業禁止なんだからさっさと出るよ」
「あ、待てよ!」
早くお風呂に入りたい私は、雑に返事をして席を立った。私もだし、おそらくゼンだけでなくこの第三課の皆も、メール整理にうんざりしているのは同じである。しかし、所詮は皆社会の歯車に過ぎないので、現状仕事を与えられない限りは私たちはどうすることも出来ないのだ。エルラダから帰ってきて一週間くらいは、こんな大活躍をしたんだし、ついにメール整理の日々が終わるのではないかと皆、浮かれて鼻歌を歌ってみたりなんかしながらパソコンと向かい合っていた。かくいう私も、ついに宇宙を飛び回る仕事ができるのではないかとか、期待していたのである。しかし、何日経っても上から一報も連絡が来なくて、ボスの顔が曇る一方。そして私たちも取り戻した自信を維持する気力が萎えてきてしまって、一週間経つ頃には、就業時間中のオフィスは悲しい静けさがまた戻ってきた。ゼンが現況を嘆くのを、私が適当にあしらうのはこれで何度目か、もうわからない。
「そういうステラも、あんだけ制服喜んでたのに、結局私服着てるのね」
姐さんはオフィスワーク用に特別ゆったりした、寝巻きみたいな格好をしていた。バーバラからのお土産にもらったやつだ。
「汚したくないんです! この前ジュディスに醤油かけられそうになった時、心に固く誓ったんです!」
私がジュディスを睨みつけて指差すと、ジュディスは声を荒げた。
『ナンダト! ワタシのセイと言いたイノカ』
「そうよ! 醤油差しの使い方がわからないからってぶん回して、ほんっと危なかったんだから。醤油ってマジで落ちないから気をつけなさいよ」
この憎いロボット、ジュディスも結局、博士の手によって生き返ってしまった。ジュディスがおらんと、ワシがメールを整理する羽目になるから、と、我が子を手術するような面持ちでジュディスを修理する博士の顔が忘れられない……。そうやっていつもの調子で、無駄なやり取りをしながら私たちは、結局今日も何か起こることもなく一日を終えた——。
まさに翌日のこと。その日は突然にやってきた。物事の流れが変わるのに、何か前兆がある場合と、何の前触れもない場合があると思う。私たちの場合はまさに後者の方だった。今日は私が朝食を作る当番だったので、眠い目をこすりながら味噌汁を作っていた時のことである。ガラス張りの壁の向こうに、宅急便の車ではない、スタイリッシュでつややかな車体の宇宙車が一機、着陸してくるのが見えた。私の見間違いでなければ、あの曲線美と上品な輝きを放つ、曲線的なデザインを施されたあの車体は間違いなく、有名なお金持ち御用達の高級車メーカー、“ユアラフマリノフ”社製の車だ。そんな高級車の持ち主が、こんな小惑星に用事もなく立ち寄るとは思えないが、用があるとしても、今度はこんな窓際部署に一体なんの用事があるというのだろう、という疑問が頭に浮かび上がる。どちらにせよ、不可解な来訪であることに間違いはなかった。
「えぇ? こんな早くに一体、誰」
私はコンロの火を止めてから、駐車場に向かった。
私が丁度謎の車の前に立った時、美しい曲線美のシャープな車体のドアが開いて、中から持ち主と見られる人が出てきた。
「えっ」
私は、車の持ち主を見て、腰を抜かしそうになった。車の持ち主は、おそらく私と同じ地球人の、それは美しい切長の目をもった黒い髪の女性で、ボルゾという惑星の伝統工芸品である、宇宙の闇の色と同じ深みと輝きを放つ藍色の生地で作られたドレスを着ている。胸には、ゼノ社本部の人間、それも位の高い役職の人物であることを表す、惑星を模したブローチがつけられていた。姐さんと同じくらいの背丈の彼女は、私をじっと見つめている。
「あの……本社の方、でお間違いないですか? 一体、なんでこんなところに」
私は緊張しながら、彼女に尋ねた。
「ゼノ・ユニヴァース社執行役員、ジア・オです。朝早くから失礼するわ」
ジアと名乗る女性は、やはり私たちが勤めている会社たちを取り仕切るゼノグループの親会社であり、惑星共同体ゼノ連盟の中枢機関、ゼノ・ユニヴァース社の重役のようだ。執行役員という肩書きを持つ彼女は、この宇宙の最高権力者である盟主兼取締役に最も近い人のうちの一人と言っても過言ではないはずだ。ジア女史は、極限まで薄く削り出した水晶で出来た半透明の名刺を見せてきた。金色の刻印で、名前と所属、会社のロゴがしっかりと刻まれていて、名刺と呼ぶにはあまりにも贅沢な代物だ。受け取らない方が失礼だろうか。私は少し迷ってから、両手でうやうやしくジア女史の名刺を受け取った。
「こ、こちらこそ……お疲れ様です。私、ステラ・ハシグチと申します。あの、名刺はまだ作ってなくて……」
「構わないわ。それにあなた、その名前に見た目に——もしかして地球人? 同じ人種の人に会うのは久しぶりだから嬉しい!」
ジア女史は近寄りがたい美貌からは想像もつかないほど気さくに、話しかけてくれた。私の勘は当たっていたようで、やはり彼女も地球人だったらしい。
「地球人です! 私も久々に自分以外の地球人に会いました……!」
無限に広がる宇宙社会、もはやその中で区別することが馬鹿馬鹿しいのはわかっているけれど、やはり同じ種族に会えるのは不思議な嬉しさがある。それはきっと、ジア女史も同じようだ。
「まさかこんなところで会えるなんて!」
「お会いできて嬉しいです! 本日は、どのようなご用件でいらっしゃったんですか」
しかし、いくらジア女史が地球人でも、宇宙の中枢機関で働いている上、その中でも上層部の身分の人間がわざわざこんなところに来のは、おかしい。怪訝な顔をしそうになるのを堪えながらジア女史の方を見た。
「ここはゼノ・エクセルキトゥス社の特務部第三課の事務所で間違いないわね?」
ジア女史は落ち着いた声で事務所の建物を一瞥した。
「はい。そう、なんですけど」
ジア女史は表情を変えなかったが、安堵したのか少し息を漏らした。
「よかった。こんな小さな小惑星に事務所があるなんて。最初はナビが壊れたのかと思ったわ。今日は第三課のあなた達に、仕事を頼みたくて来たの」
「えっ」
ジア女史の言葉に耳を疑って、私は声を漏らし、女史はそれに大層不思議そうな顔をした。
「ん?」
「えー!?」
今度は叫んでしまった。本部の人が、わざわざご足労いただいて持ってくるほどの重要な、仕事? 私は今、この人にからかわれているのだろうか、とすら思っている。ジア女史は驚いて、切長の目を丸く見開いた。
「な、何。急に叫んで……。と、とにかく中で少し話をさせてくれるかしら。部署の人を集めてくれる?」
「あ、あが……かしこまりました……どうぞ、こちらです」
私は調子の悪いロボットのようなぎこちない足取りで、ジア女史を建物の中へ案内した。
「とりあえず、こちらの席で少々お待ちください。いかんせんまだ、部署の者にはすぐ準備をしてもらうよう声掛けしてまいりますので……」
「わかりました」
ジア女史は膝の上に車から持ってきた、これもまた銀色の丸いアタッシュケースを載せて、上品に席に座った。あのケースの中に、レジュメとかが入っているのだろうか。
私はすぐに二階へと駆け上がり、何度も呼び鈴を鳴らして皆を叩き起こした。
「本社の人が来ているんですよ」
そう伝えると、決まって今度は皆、血相を変えて素早く準備し、私が皆を呼びに行ってから五分経つ頃には、博士がゆっくりと階段を降りてきて全員が集まった。
「お待たせして申し訳ありません……全員揃いました。私が特務部第三課の課長、J・Jです」
ボスはジア女史から一番離れた向かい側の席に座っているにも関わらず、一番緊張しているようで、例に違わず壊れたスピーカーから情けない声を流していた。
「先ほどステラ・ハシグチさんの方からご紹介を頂いたと思います。ジア・オと申します。本日は朝早くに押しかけて申し訳ありません。緊急で我々から、特務部第三課の皆様にお願いが会って直接出向いた次第でございます」
ジア女史はボスと真逆で、落ち着き払った様子で話した。おそらく姐さんと同じくらいからそれより年下くらいのように見えるが、どちらにせよあの若さで役員を担っている人なのだから、ただものではない凄みを感じる。ボスは今にも泡を噴いて倒れそうになっていた。本社の方と話すだけという任務も、バーガックスを捕らえるのと同じくらいの無理難題なのかもしれない。事実、私も先ほどは大分緊張した。
「なななな、なるほど——して、一体、お願いというのは……」
まさか、リストラなんじゃないか、この部署を潰すとか、バーバラの依頼を受けた件についてかもしれない。私たちは身構えた。ジア女史は心なしか気まずそうな顔をしているのが気になる。女史は少し待ってから、口を開いた。
「平たく言うと……我が社が、大量に——っていうのは、天文学的な数字ってことよ——大量に在庫を抱えているクソ商品を売りつけて欲しいの」
そう言われるなり、私たちは一斉に、噴火する瞬間の火山を見つめる時のような顔で、女史の方を向いた
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