第9話

 ジュディスの死を乗り越え、紆余曲折を経てバーガックスの捕獲という至難の任務をついに達成した私たち。しかしバーバラからの依頼は、まだ完全に遂行出来たわけではない。バーバラのショーまでにバーガックスをエルラダに届けなければならないのだ。

「急げ急げ! もっと飛ばせ! ジュディスの運転ならもう着いてるぞ!」

超光速航行中、亜空間を進むオービット号の中、ボスが血気盛んにずっと横から私を急かしてくる。

「うるっさい! これでもだいぶ無茶してるんです」

気が散るので、ボスに牙を剥いて黙らせた。免許を取るため教習所に通っていた時のことを思い出す。あの時隣に座っていた、紫色の腐った桃みたいな顔をしたババボレアンのおじいさん、ずっと野次を飛ばしてきて集中がまるで出来なかった。

 亜空間の中を揺れ、時折超光速航行を止めてエンジンを休めるついでに自動操縦モードに切り替えてシャワーを浴びたりしながら、私たちは二億光年の旅路を、四時間と二十八分で走破した。マーフィー君は無言でジュディスの残骸を眺め、博士と先輩と姐さんは呑気に座席で眠っている。

「亜空間、脱出! 超光速航行モード、解除。このままエルラダに着陸します」

大気圏突入モードにシフトレバーを切り替えて、私はエルラダの管制塔に信号を送信した。

「すごい渋滞だね。バーバラが従業員口用のIDを渡しておいてくれて助かったよ」

ボスの言う通り、惑星エルラダの軌道には、“BLACK FRILL Memorial Collection”を一眼見ようと、数えきれないほどの宇宙車、宇宙船、宇宙バスが大挙して土星の輪のようになっていた。帰りの車内で聴いたラジオによれば、私たちがバーガックスを捕獲しようと四苦八苦している間に、バーバラが正式に情報を公開したらしい。ゲリラ開催にも関わらず、今回のショーは宇宙中のファッション業界が注目しているとのことだ。

『IDシグナルを発信してください』

エルラダの管制塔から通信があった。

「BLACK FRILL社、ID 26B101−5。ゲートの解除を要請します」

私が通信しながらバーバラから渡されたカードキーをオービット号に差し込むと、従業員用のオゾン・ゲートが開く。私は丁寧な操縦で、オービット2000号を従業員駐車場に着陸させた。

「う〜ん。着いたのね〜」

姐さんたちが着陸の衝撃で目を覚ました。

「バーバラのところへ急ごう! もうショーが始まってしまう」

ボスがいつにも増して落ち着きを失い、水槽の中を慣れない水に入れられた魚のように右往左往している。私たちはオービット号を降りて、ゼンとバーガックスを積んでいるコンテナの方へ向かった。

 度重なる超光速飛行で、ゼンとバーガックスが分子になって雲散霧消していないかが心配だった。恐る恐るコンテナのロックを解除して、ゲートを開ける。

「おう! やっと着いたか!」

「まあ、死んでるわけないか」

私は苦笑いした。ゼンとバーガックスは全く平気そうで、ようやく狭いコンテナから出て伸びをしてみたり、少し走り回ってみたり、とにかく嬉しそうだ。



 私たちはバーガックスを引き連れて従業員口から、バーバラの控えているランウェイの袖まで急いだ。

「ぎゃあああ」

「見た目で判断すんな!」

途中、バーガックスを一目見た従業員たちが悲鳴をあげたり、失神したりしていたが、構っている暇もない。ゼンは友達を貶された気分になったようで、いちいち歩みを止めては騒ぐ従業員たちを叱っていた。

「ここだ! メインホール」

長い廊下を走ること数分。私たちはようやく“BLACK FRILL Memorial Collection”の開催されるホールに着いた。

 重たい扉を開けて、中に入ろうとした私たちは、思わずその場に立ち尽くしてしまった。

「すごい……」

グレイ先輩が慌ただしい現場の空気に圧倒されたのか、声を漏らした。黒いカーテンがひしめく中、まだ未発表の衣装がある。

「ええ!? オボンチ・リネンポポがいるわよ」

奥の方でメイクアップされているのをさながら石像のように落ち着いて座して待っている人を見つけた姐さんは、目を丸くした。まん丸な頭に、宝石のように幾何学的な輝きを放つ水晶体の瞳。希少種族のミレビアンの有名モデル、オボンチが居たのだ。彼女はファッション業界での評価はもちろん、ありとあらゆる業界の広告を引き受けるスーパーモデル。サインが、欲しい!

「バーバラ! J・Jだ。今、戻ったよ!」

ボスのスピーカーの調子はいつも通り悪く、間抜けなか細い声で、本番を前にして慌ただしく走り回るスタッフやモデル達の中ではいとも容易くかき消されてしまいそうだ。

「ああ、いたいた!」

スタッフ達の人垣から、いつもと違う、ベルベット生地のビキニを着用したバーバラが姿を見せて、こちらに手を振った。前に会った時よりも、だいぶ痩せたように見える。地球の歴史と共にあるブランドの一世一代の大イベントに、彼女も非常に大きなプレッシャーを抱えているのだろう。バーバラは人垣をかき分けて、こちらまでよろけながら歩いてきた。

「さっき連絡が入ったから探してたわ。ごめんなさい。ショーの準備で忙しくて、何度も通信をくれたのに返事ができなかったの。それで、依頼の方は——」

バーバラが辺りを見回しながら、期待をあまりしていなさそうに私達に訊くのを遮って、ボスが心から嬉しそうに、調子の戻ったスピーカー越しに話し始めた。

「それがね、バーバラ。うちの新人たちのおかげで、なんと……成功してしまったんだよ!」

「きえええええええ」

バーバラは私たちの背後に、少し窮屈そうに時折天井に目をやって頭をぶつけないか気にしているバーガックスが立っているのを見て、野太い声で絶叫した。

 ファッションショーは大盛り上がりを見せている。オボンチが新作のワンピースでランウェイを歩いたのを皮切りに、次々とブラックフリルの大いなる節目を記念して、バーバラがこの日のために用意してきた珠玉のコレクションがお披露目された。バイヤー達が興奮冷めやらぬ様子で何やらメモをとったり耳打ちしあったりしている間にも、次々と衝撃的なアイテムを身に纏った一流のモデル達がスポットライトの元へとやってくる。

 地球に古代から伝わる童話から着想を得た、ブラックフリルのベストセラースニーカー、シンデレラ・シリーズ。今回は筋力の弱い種族、重力が比較的強い惑星でも履きこなせるように軽さとフィット感にもこだわったらしい。ガラスを想起させる透明なハイカットボディの中に、パステルカラーの靴下が歪んで映る様はまさに宝石。

 次は非常にカジュアルなデザインスウェットシャツがお披露目。地球の生き物や食べ物などをあしらったプリントや刺繍はどれも、私の故郷を思い出させる。ゆったりとした着用感で、シルエットも愛らしい。

「やばい……服が欲しいです! エルラダまでせっかく来たんだし、やっぱりショッピングはしてから帰りましょうよ!」

私は舞台袖で目を輝かせながら、姐さんの肩を叩いた。姐さんもショーを観て、購買意欲が格段に高まっている様子だった。

「当たり前っしょ。ブラックフリルの服持ってなかったんだけど、これ見たら欲しくなっちゃうわ」

モデル達の行列が終わって、流されていた音楽が止んだ。今回のコレクションはファッション業界の人々の琴線にも触れたようで、ランウェイに誰も立っていない今も会場のどよめきは止まらない。

「——じゃあ、行くわね」

私たちと舞台袖からショーを見守っていたバーバラが、ヒールの音を鳴らしながら、深呼吸をしてランウェイに上がった。

「バーバラだ!」

「ブラボー! ブラボー!」

バーバラが姿を現し、ショーが終わったのかと思って、観客たちは喝采の拍手と滝のような称賛をバーバラに浴びせている。バーバラ本人はその中を堂々と歩いて、ついにランウェイの端で立ち止まった。

「急な予告だったにも関わらず、このよき日のために本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます。いよいよ、ショーもフィナーレです。地球が大宇宙の仲間入りをする前から、このブランドの歴史は始まりました。地球人の生活の傍には、いつもファッションがありました。長い長い歴史の中、宇宙の片隅の小さな商店から始まった物語。このブランドの原点、初代代表のグルテンフリースカイ・セドナと、伝説のモデル、サイコに敬意を表して、この度私はこの衣装を制作いたしました。二千年の歴史を持つ我がブランドが、力強くこれからも宇宙のファッション界で前進していけるよう、願いを込めた作品です。“暴走彗星”——」

バーバラのスピーチを、会場の全員が息を呑んで聞いていた。ショーはまだ終わっていない。最後にバーバラが渾身の一作を披露するのだというので、会場はまた再び興奮に包まれる。バーバラが完全に会場の空気を支配してすぐに、スポットライトが消えた。ランウェイが光り始める。会場が、力強い足音と共に揺れる。ピンクのボンネットに、チュチュを纏ったバーガックスが……雄叫びをあげて走り出した!

 会場はすぐにパニックになって、報道陣は衝撃的なショーの最後を激写しながら、蜘蛛の子を散らすように会場から逃げ出していった。


バーガックスは服を着ているのが嬉しいようで、楽しそうにもう空っぽになってしまったホールの全てを壊しながら、暴れている。

「ど、どうしよう!? ゼン、早くあんたなんとかしなさいよ!」

ショーが取り返しのつかないことになって、私は顔を真っ青にして叫んだ。

「ど、どうしようってもう、どうにもなんないだろ! ちくしょう」

ゼンが冷や汗をかきながらバーガックスの元へと急ぐ横で、ボスが泡を噴いて今にも倒れそうになっている。

「バ、バババ。バーバラ、この件、どうお詫び、ど、どうすれば、いい。私の、命で足りるかい……」

今更何を言っても遅い。歴史的なショーを、私たちが連れてきたバーガックスがお行儀よくしなかったせいで台無しにしてしまったのだ。ゼンがバーガックスをようやく捕まえて大人しくさせたのと同時に、私たちはなんとも、筆舌に尽くし難い罪悪感を胸に、気まずそうにバーバラの顔を見た。

「何謝ってんの? これでいいのよ。ブラックフリルはこれからも、周りを蹴散らしていくのだから。無理を言って動物園の人慣れしてる個体を借りる手もあったのだけれど、できることなら暴れて欲しかったのよ。だからアンタ達にかけてみたってわけ」

バーバラはその豊満な胸の間からショーの企画書、絵コンテを出して、私たちに見せつけながら笑った。その絵コンテには、“最後はすべて壊しておしまい”というト書きと共に、バーガックスが観客を喰らっている絵が描いてある。幸い怪我人は居なかったようだが、この絵コンテ通りになっていたら、ブラックフリルは翌日に倒産していたのではないだろうか……。唖然とする私たちをよそに、バーバラはバーガックスにも臆することなく近づいて、頭を撫で始めた。

「このバーガックスちゃんには家として小惑星を購入して、これからも専属モデルとしてアタシとタッグを組んで頑張っていくわ」

「えっ!? そ、そっか。そうだよな……お前も、広い家の方がいいよな」

ゼンは最初から覚悟はしていたようだったが、いざバーバラの口からバーガックスの所有権を主張するようなことを言われて、取り乱した。いつもの私なら、どうやって飼育するつもりなんだ、とゼンを咎めているだろうけれど、今日はそういう気が何故か起こらない。代わりに博士が、名残惜しそうにバーガックスを撫でるゼンにとどめを刺すように呟いた。

「世の中、金ぢゃからな。どんな生き物だろうと金をかけられて育った方がいいに決まっとる」

「博士……」

相変わらず全く他人を気遣わず、自分が感じたことを言いたい時にすぐに言う博士を見て、姐さんは唇を歪めていた……。

「とにかく、本当に感謝してもしきれないわ。ネットニュース見る感じショーの反響も良さそうだし、また忙しくなりそうね。報酬はもちろん、色々とお土産も用意しておくから、アンタたちもぜひ、その間にエルラダを楽しんでってね」

バーバラはそう言うと、たくさんのスタッフに指示を出し始めた。

 予想外の旅路を経て、エルラダでたくさん購入した服、さらにはジュディスとマーフィー君も含めた第二課全員分、バーバラがコーディネートをしてくれた服、それから仕立ててもらった制服をお土産に、私たちは事務所までの道をのんびりと進んでいる。


「ふんふん」

鼻歌を歌いながら、窓に映る制服姿を見る私。姐さんはそんな様子を見てくすりと笑った。

「アンタ、本当に制服着たかったのね〜」

「当たり前じゃないですか! 二千年の歴史を誇るブランドの制服……しかもトップデザイナーに仕立ててもらったんですよ!」

制服は完璧な着心地で、体の一部のようによく馴染んだ。それでも、先ほどの血気迫るショーとバーバラのファッションへの姿勢や歴史を知った今は、とても重たくも感じる。

「しかし、本当に成功してしまうとはね……」

ボスはバーバラから贈られたフライトキャップを気まずそうに頭に載せながら、いまだに夢見心地の顔でうめいた。

「若者の力は偉大なのぢゃ」

そう言う博士も、バーバラからもらった、キッチュなデザインのサングラスをすっかり気に入ったのか、ご機嫌そうに着けている。

「珍しく、ご老体の博士がまともなこと言うな」

グレイ先輩は何度も鏡の前でネクタイを結び直しながら、余計なことを言っていた。

「お前はもう若くないぢゃろ。加齢臭がするぞ」

「んだとジジイ、もういっぺん言ってみろ。バーバラから服もらって浮かれてんじゃねぇぞコラ」

「それはお前ぢゃろ。若造気取りの中年」

この二人は本当に仲が悪い。姐さんが呆れたように

「もう、そこうるさ〜い」

と、頭を抱えている。その間、マーフィー君は一言も喋らずにジュディスのパーツを眺めていたし、ゼンはバーガックスと撮った写真を、時折涙を流しながらずっと見ていた。


 ゼノ星系の中心にして首都。惑星ゼノ。ゼノ・ユニヴァース社は、この惑星を丸ごと本社として構えており、今日も数多の惑星の中枢機関として昼夜問わず輝いている。その中の一角、巨大なビル群の中、一際大きな本社の本棟。その最上階に今、宇宙を代表するファッションブランド、ブラックフリルの代表、グランドアルコールフリー・バーバラが、馳せ参じた。

 エレベーターのドアが開く音で、窓際でカクテルの入ったグラスを持っていた二人が振り返った。

「あら、来たのね」

「バーバラ、この度は本当におめでとう」

エレベーターの中から出て、屈強なボディガードの間を潜り抜けるバーバラを二人は笑って迎え入れ、バーバラはそれに礼を言った。

「マーク、サーク。ありがとう」

この二人の女性こそ、ゼノ・ユニヴァース社の取締役と惑星共同体ゼノ連盟の盟主を兼任している、この宇宙の最高権力者。マークとサークである。マークの髪は金色に、サークの髪は銀色に、この星のすべての光を一手に引き受けるように輝いている。二人は髪の毛と瞳の色こそ違ったが、同じ宇宙の闇の色をしたドレスを着ているし、その仕草はまるで合わせ鏡のようで、完璧にシンクロしている。彼女たちは滅多に人前に姿を表さない。宇宙の恒久的平和の実現を謳う彼女らは、圧倒的なカリスマと経営手腕、政治手腕でここまで上り詰めた鬼才である。

「いつもバーバラにはお世話になっているものね。限定のバッグはマークと二人分注文させて貰ったわ」

サークは窓から割れたガラスに光を当てたように無秩序に輝く都市を見下ろしながら言った。

「言ってくれれば送ったのに!」

バーバラはウェイターからカクテルを受け取って会釈しながら、少し申し訳なさそうにしている。

「何言ってるのよ。私とサークの専属デザイナーであると同時に、あなたは一人の友人なのだから」

マークはカクテルを一口飲んでから、怪しい光を孕んだ瞳でバーバラを見つめた。

「それもそうね。ところで、それはそうと、今回のショーでは、アンタたちの会社の人に本当に世話になったのよ」

バーバラの切り出しに、サークとマークは顔を見合わせた。

「あら? そうなの? 事前に何か依頼があったとはどこの部門からも聞いていないけれど」

「アンタたちのところのゼノ・エクセルキトゥス社、軍部の子達よ。そこの、なんて言ったかしら。特務部だわ! 特務部第三課の課長とアタシ、旧友で。それでショーの演出について悩んでる時、その特務部の子達とばったり会って、藁にもすがる思いで——」

 バーバラはJ・J率いる特務部第三課の活躍について、マークとサークに熱弁した。しかし、マークとサークはにわかには信じ難いのか、眉をひそめている。

「窓際部署なのに、バーバラの無理難題をこなしたっていうの?」

「新人たちが活躍してたって、課長のJ・Jには報告されたわ。ガグーア人のボウヤと、それから地球人の天才少女って」

バーバラが端末を起動し、J・Jから受け取ったゼンとステラの履歴書のデータをマークとサークに見せた。

「——あら? この地球人の子、私たち本部が欲しいって人事部に言ったのに。どうしてこんな部署にいるの?」

マークがステラの履歴書を指差して、目を丸くしている。バーバラはその様子を見て身を乗り出した。

「アンタたちがヘッドハンティングするような人材なの?」

「ええ、そうよ。この子の頭脳は宝だわ。何にも代え難い、ね」

意味ありげにサークはマークの目を見て微笑んだ。

「なんの間違いかしらね。まあ、もう少し泳がせてみても面白いわね、サーク」

「そうね、マーク。この部署にも油を差してやるのよ」

マークとサークが顔を見合わせている。

「アンタ達……またロクでもないこと考えてるのね」

「失礼ね。私たちの仕事は宇宙を維持することよ」

マークとサークはバーバラに口を揃えて答えた後、不敵に笑った。

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