第8話

「困った、ジュディスが死んでしまったじゃないか!」

ボスはいよいよ水槽の中で取り乱して震え始めた。

「死んどらんっつーのに!」

博士は狼狽えるボスに呆れ、長い首をくねらせていた。

「マジでこっち来てるぞ! ステラ!」

ゼンの言う通り、高速でこちらに向かってくるはぐれバーガックスは、あと一分ほどで私たちの隠れているポイントに到着しそうだ。

 久々に、思考の回路が熱で焼き切れるほど、頭の中で何かを練っている。

「あと少しで……思いつきそう」

私の頭に入っている膨大な宇宙の知識から、必死にバーガックスについての情報を検索した。宇宙生物の図鑑、猛獣と出会した時のサバイバル術、肉食宇宙生物の生態、保護区に立ち入る密猟者を追うドキュメンタリー。そして、伝説の飼育員の手記。

「——あ」

目の前に銀河屈指の猛獣バーガックスが迫ってきている中、私は最初で最後、一か八かで尚且つ一番期待できる作戦を閃いた。

「思いついた! ゼン、あんた今すぐあのバーガックスのとこまで飛んでいける?」

タイムリミットはあと三十秒、バーガックスは強靭な脚で大地を踏み鳴らしながら、雄叫びを上げている。

「できるけど……ぶっ倒せってことか?」

「そうだ! ガグーア人のゼンなら、あいつの腑を引き摺り出すくらい造作もないことだろう!」

ほとんど半狂乱状態のボスが猟奇的なことを口走るのを、姐さんは冷ややかな目で見ている。

「ボスってほんと無神経よね……」

ゼンの眼をまっすぐ見つめた。

「倒せって言ってんじゃない! よく聞いて。あのバーガックスのとこまで行ったら——」

私が伝えた作戦を聞いて、ゼンは驚いて声を漏らした。

「は!?」

「いいからやって! あんたしか出来ないの! 本気で無理と思ったら投げ飛ばして」

「……おう。分かった」

ゼンは戸惑っていたかと思えば、またあのよく分からない真剣な瞳で私を見つめたかと思うと、それも束の間に大きな翼を広げ、空気を裂いて飛び立った。

「まじ、絶対成功させなさいよ……」

祈るように呟く。ボスはショックで気絶してしまったらしく、水槽の底に横たわっている。

 怒るバーガックスが、手前50メートルのところまでやってきたところで、ゼンが真正面から対峙した。普段は鬱陶しいくらい大きいゼンが小さく見える。バーガックスはゼンをそのまま喰らうつもりなのか、口径がゼンの背丈をゆうに越すほどに口を大きく開き、足を止めることなく突っ込んで来た。ゼンはその場に耐空したまま、動かない。

「おい! ゼンがやばいぞ。なんて指示したんだ!? あれじゃあ食われちまう」

グレイ先輩は焦ったのか、ゼンの方を指さして叫んだ。

「——大丈夫です。ゼンを信じましょう」

うまくいく保証はどこにもない。でも、この方法が一番有効であると私の頭が弾き出した答えだ。ゼンはそれを信じてくれた。癪だけど、今は発案者の私こそが一番ゼンを信頼してやらなければならない。

「ステラ……」

姐さんは意外そうに声を漏らした。

 バーガックスがゼンを一口で食らおうと長い首を振りかぶった瞬間。ゼンはその隙を見逃さなかった。

 猛獣と猛獣の衝突。凄まじい音が橙色の荒野に響いた。

「止まれええええええええええッ!」

ゼンはバーガックスに跳ね飛ばされるどころか、少し押し返す勢いでバーガックスを真正面から受け止めた。ガグーア人の怪力は、やはり目を見張る凄まじさだ。

「お、おい。何してんだよ、アレ……」

「あれでいいんです」

グレイ先輩は、その後ゼンが始めたことに唖然としていたが、ゼンのやっているのは、まさに私の指示通りであった。

「よしよし。寂しかったんだよな、お前」

「フォフォ。やはりガキの頭の柔らかさにはかなわんの。生意気ぢゃ」

ゼンはバーガックスの喉元をさすりながら語りかける。隣で博士が何か言ったような気がしたが、気にしないでおこう。いつの間にかバーガックスは顎を閉じて、満足そうにゼンに撫でられて喉を鳴らしたりしている。

「アレって……懐いてる!?」

姐さんは目の前で、先ほどの様子からは全く信じられない程に丸くなったバーガックスを見て、頭の上のツノを点滅させて驚いている。

「昔、伝説の飼育員、ジェイン・モモジマの手記を読んだのを思い出したんです」

「伝説の飼育員? そんな人がいるのかい」

ボスはいつの間にか意識を取り戻し、間抜けな声で会話に割り込んできた。

「伝説の飼育員、ジェインは沢山の凶暴な宇宙生物、飼育が困難な生物などを動物園での長期飼育に成功させた人物です」

私は得意になって続けた。全く、知識をひけらかすのは非常に気分がいい。

「そんなエキスパートがバーガックスについて触れたのを思い出したんです。“バーガックスを家族として迎え入れるなら、家族のいないものにすること。彼らは孤独だ。暴れ狂って手がつかなそうに見えるが、面と向かって抱きしめてやれば、たちまち懐く”」

「なるほど〜」

「さすが秀才だな」

「ステラは正直、ウチの部署には勿体なすぎるねえ」

私が本の一節を暗唱して引用すると、姐さん、グレイ先輩、ボスの三人は口を揃えて感嘆の声を漏らし、博士は黙って満足そうに頷いていた。

「お前、居場所がないんだろ? 俺たちが新しい家まで連れてってやるよ!」

「ごるる」

ゼンはバーガックスとすっかり仲良くなったようだ。猛獣同士、通づるものがあるのかもしれない。

「ステラ! お前やっぱすごいな! ほんとに成功しちまった。俺、ぶっ倒すとかぶっ壊す以外のことも出来るんだな!」

バーガックスの頭の上に座ってこちらを見下ろしながら、ゼンは私に満面の笑みで語りかけてきた。

「はあ、今回ばかりはあんたの手柄。ありがと」

「な、何だよ急に!」

ゼンはなぜかあたふたしながら、いつもの調子で威嚇してきた。人がせっかく礼を言ったのに、なんて奴なのだろうか。

「こっちのセリフよ!」

バーガックスの上めがけて、大きな声で叫んだ。

「え? 今更だけど、任務達成?」

姐さんは気が付いたように呟き、みんなもようやく実感が湧いたようだ。

「そ、そうだね……! バーバラに顔向け出来る……ステラとゼンがいてくれたおかげだね」

ボスは心に巣食っていた全ての不安が取り除かれたようで、それが反映されたのか後半はマイクの調子が良く、本来の渋い声に戻っていた。

 バーガックスを無事捕獲——ではなく、仲間にすることに成功した私たちは、バーバラのファッションショーに間に合うように、大急ぎでこの星を後にすることになった。

「こいつと一緒にコンテナに乗ってく! 寂しいだろうし」

ゼンもすっかりバーガックスのことが気に入ったようで、すでに飼い主のような面をしている。いくらなんでも、バーガックスを宿舎に連れてきたら許さない。

 博士が持ってきた牽引コンテナの中にバーガックスとゼンを格納して、私たちもオービット2000号のコックピットに乗った。

「なんかだいぶ時間押してない? バーバラのショーまであと五時間くらいしかないんだけど〜」

姐さんは端末を見ながら、さほど危機感もなさそうな声で呟いた。

「ないんだけど〜じゃないよ! まずい、早く出発しなければ!」

ボスはまた青ざめて、水槽の中をぐるぐる泳ぎ始めた。

「ジュディス死んだので、私が運転します。もうさっさと行かないと! みんな、席についてください」

ジュディスに運転の技術を見せつけられないのはいささか悔しいが、そんなことを言っているほど時間は残されていない。

『ジュディスウウウウウ!』

マーフィー君は、ただの鉄の塊になってしまったジュディスの一部をいつの間にか回収してきたのか、それを大事そうに両手で抱えながら叫んでいた。ペイントされただけの笑顔はこういう時、泣けないのが何とも痛ましい……。

「黙らんか! 帰ったらすぐ復元するわい」

博士は相変わらず薄情だ……。

「エンジン出力全開、発進」

全てのレバーを逆の方向に倒す。私たちはすぐさま、バーガックスを連れていくためにバーバラの待つ惑星、エルラダの方へと飛び立った。

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