第8話
「——!」
としおは青ざめた顔で、縋り付くようにポケットからスマートフォンを取り出した。他人と接する機会すらなかったとしおが登録している連絡先は、寮で同室の吉田と、それから父親、零士の二件のみである。としおは呼吸を荒くしながら、父に電話をかけた。
「父さん、何してんだよ。いつも暇なくせにっ!」
零士は電話に出ない。フリルとキーファは気まずそうに目配せしあって、静かな部屋に微かに響く発信音の中、そわそわと苛立つとしおを見守っていた。
『おかけになった電話番号は、現在電波の届かない場所にいるか、電源が入っていないためかかりません』
としおは何となく、父と二度と会えない予感、確信めいた予感がした。
『おかけになった電話番号は、現在電波の届かない場所にいるか、電源が入っていないためかかりません おかけに——』
自動で流れる音声は繰り返し、としおを追い詰めるように流れている。
「なんで、なんでだよ!」
としおは耳から降ろしたスマホを乱暴に投げようと振りかぶって、途中で辞めた。腕に力が入らない。死にかけて目覚めてから一時間、としおは自分の歩んできた時間の全てを否定され続けている。
「父さん……」
「出なかった、のか」
フリルはおずおずととしおの顔を見ながら訊いた。
「出ません、でした」
としおは正気の抜けた顔で、ため息をつくようにか細い声で答えた。
「お前、親父と仲良かったのか? なら、また会える。必ず」
フリルは相変わらず薄笑いのまま、としおの顔を真っ直ぐ見つめた。
「簡単に言うなよ! 簡単に……ただでさえ意味わからない状況になってるのに——こっちは今まで生きてきたこと、見てきたもの、全部嘘だったって言われてるのと変わらないんですよ!」
としおはすっかり動転して、何に怒ればいいのかすら分からずにただ大声で怒鳴っている。としおの投げやりな態度が、フリルの何かに触れたのか、フリルも声を荒げた。
「それは嘘じゃない! お前こそ簡単に、そんなこと言うな」
「嘘だ……全部嘘だ。こんなの、全部嘘だ! 全部……」
としおはうわ言のように、自分に言い聞かせるのに必死だった。目から涙が溢れていた。
としおが崩れ落ちるようにその場にへたり込んだ瞬間、ガラスを鋭利な刃物で傷つける時のような、耳を裂くような音が鳴り響いた。
「な、なんだ! 聖隷か!?」
フリルはいきなり鳴り響いた怪音に頭を抑えながら、辺りを見回している。としおの体には透明な鎖が巻き付いていて、ちょうど胸の上あたりで、その鎖に透明な南京錠がかけられていた。
「何だこれ——呪い!? とにかく強力な魔術だ! としお、大丈夫——としお!?」
キーファの呼びかけに、としおは答えなかった。意識を失ったとしおの体が、磔にされたように宙に浮かび上がる。南京錠が割れて、としおを縛っていた鎖も壊れた。周りに銀色か青か赤か、この世の言葉で言い表しようのない光が溢れ出す。
「あ? ああ ああ ああーあ あーあああああ」
フリルの薄笑いが、としおの周りからとめどなく現れ続ける光に照らされている。フリルは火を見て飛び込もうとする虫、関節のうまく動かなくなった不気味な人形のようになって、としおの方にうわごとをぶつぶつと吐きながら、ぎこちない動きでゆっくりと近づいた。
キーファはとしおだけでなくフリルまで様子が急におかしくなって、取り乱した。
「フリル!? キミまで一体どうしたんだ!」
としおの目と鼻の先に、フリルが立ち止まった瞬間だった。
「何事じゃ。新学期早々騒がしい」
混沌とした部屋に、少女の声が響いた。
「大人しくしろ。騒ぎになれば妾のせいにされる」
その瞬間、黄ばんだ白の煙のような重たい空気が部屋に充満して、フリルととしおはそれを吸い込んだ。この白い煙は何か湿っていて、黴のような不快な匂いがする。
すぐにとしおが放っていた光は収まり、フリルと共に意識を失った体は、骨を抜かれたように床に崩れ落ちて転がった。
「全く。世話の焼ける」
どこからともなく部屋に現れた少女は、としおよりも年少に見えるほど幼い見た目をしているが、態度は誰よりも不遜である。赤紫色の髪からは一対の角がのぞいており、背中には大きな目玉の模様がついた蛾の羽。歪んだ笑みは彼女が、普通の少女ではないということを窺わせた。
「助かったよ、ディアボロス……」
キーファは彼女をディアボロスと呼び、安堵の声を漏らした。彼女とキーファは顔見知りらしい。
「騒がしいから来てみたら、見知らぬ小僧が光っていて、フリルまで何かに憑かれたように意思を失って——何があった」
床に横たわるとしおとフリルを交互に見ながら、ディアボロスはキーファに説明を求めた。
「えっと、ややこしいんだけど——」
フリルがとしおを助けて連れてきたこと、としおが異例のネフィリムであるということ。それからとしおの感情が昂った時に起こった異変、それにフリルが共鳴するようにおかしくなったこと。キーファから一連の顛末を聞いて、ディアボロスは驚くどころか、満足そうに笑った。
「くくっ。なるほど。この新入生の小僧が……フリルの謎を解く鍵になるやもしれんな。この小僧、聞いたところ心は弱いし知識も覚悟も無い。手がかかることこの上ないだろうがそれもまた面白い。久々にいいものが手に入った。さて、これからが楽しみだ」
ディアボロスは倒れているとしおの頭を持って首を曲げ、顔を見てまた笑った。
「何を……するつもり」
キーファはディアボロスの口ぶりに、警戒するように尋ねた。
「最近はただでさえきな臭いからな。こちらも戦況をひっくり返すようなカードが欲しい。珍しいものを見つけたらとりあえず、変でも何でも、確保しておくまで」
ディアボロスはフリルととしおの学生証をいつの間に見つけ出したのか、手元でそれをあおいでキーファに見せびらかした。
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