第7話

 としおは足を止めて、ベッドの上に佇むキーファの銀色の体を、凍りついた顔でじっと見た。フリルは気まずそうに俯いている。

「ど、どういうことだよ。普通に戻れないって。勝手に決めないでよ」

としおは文字通り、キーファの言っている意味が全く分からなかった。

「ボクが意地悪で言っているんじゃないんだ。これは……」

キーファの声色は先ほどより自信なさげで、としおの機嫌を窺っているように見えた。

「急に……さっきからわけわかんない話一方的にしただけじゃなくて、変な脅しまでして、趣味悪いよ」

としおの顔は、焦りで歪んでいた。

「この星には、俺たちみたいに悪魔や聖隷が見える人間が存在する。もちろん、数は決して多くなくて、むしろ少ない。俺やとしおみたいな人間を、“ネフィリム”って呼ぶんだ」

フリルはため息をついてから、立ち上がってとしおの顔を見た。フリルの薄笑いに、奇妙な真剣さが感じられて怖い。

「悪魔と聖隷についてはもう、認めたじゃないですか! 見えるまでは受け入れますよ。ネフィ……リムだっけ? そういうのも、もう分かりました。でも、戦う義務なんて負った覚えはないよ!」

としおは頭の中で、キーファとフリルが自分をからかって楽しんでいるのだとさえ考えていた。悪魔も聖隷もフリルの顔も、何もかもが嘘で、誰かが人を困らせるために手の込んだ“ドッキリ”を仕掛けているのだと。しかし、依然としてフリル達はとしおを可哀想な視線で見つめている。

「神を失ったこの星を維持しているのはボク達悪魔。この星、人類を滅ぼす神の意思は聖隷。キミ達ネフィリムはこの星の生命の代表。原初の悪魔と人類が大災害のすぐ後に交わした根源的な契約によってを、キミやボクのような一個体が覆すことは不可能だ」

「だから、契約だとかなんだとか、次から次へと意味わからないことを言わないでよ! 僕には関係ないだろ」

としおは何故か、キーファとこうして応酬を続けている間に、とても嫌な予感がし始めていた。人生そのものが裏返しになるような、正体もわからない不安に、苛立ちを隠せなくなっている。

「理解はしなくていいよ。受け入れてくれればいいんだ。ネフィリムは、最初の悪魔と、大災害を乗り越えた人類のうち、聖隷と戦うために悪魔と契約した人々の血筋の人間なんだ。ネフィリム達は代々、人知れず悪魔と共に、この世界を維持するために戦っている」

としおは怒るのにも、話を聞くのにも疲れ切って、その場に乱暴に座り込んだ。

「としお。キミがボクや聖隷を視認できてしまうということは、キミがネフィリムであるということ。そして、ネフィリムであるということは、ネフィリムとして魔法を使い、この世界のために命を懸けて戦う責務を負っているということ。これは生き残ることを選択した人類の交わした根源的な血の契約。関係ない、じゃ済まされないんだ」

「知らない! 僕は知らないよ!」

としおは匙を投げたように目を床に向けたが、キーファはあえて淡々と言葉を述べるのみだった。

「そうも言っていられないよ。ネフィリムは聖隷と戦わなければ、戦い続けなければ、原初の悪魔との契約不履行の制裁として、魂を刈り取られ——死ぬことになる」

拒否することも、逃げることも許されない。としおは先ほどキーファに言われたことを思い出した。

「——ふざけるな!」

としおは子犬のように叫び始めた。

「いい加減にしろよ……知るかよ……。死ぬって、何だよ。今日いきなり見て聞いたことが、これからの人生左右するなんて、おかしいだろ!」

フリルは何に怒っているのかも分かっていない様子のとしおを、哀れそうに見た。

「それに関しては俺らも驚いてるよ。ネフィリムの家系の子供は、小さいうちから自分の責務について家で叩き込まれるもんだし、聖隷も悪魔も見たことも聞いたこともないっつーのは本当に、お前くらいの歳だと他にいないんじゃないか」

「今までずっと父さんと二人で、今にも沈みそうな何にもない、小さな島で暮らしてましたよ! 今日の今日まで——?」

としおは投げやりに答えながら、フリルに言われたことで何か頭の中で点と線が繋がったような顔をして、しばらく黙ってからうわごとのように、震える声で微かに呟いた。

「家で叩き込まれるって、家系、家系って……」

何となく、目の前の哀れな少年の心が決壊してしまう予感がして、少し躊躇ってからフリルは話し始めた。

「つまりだな……その、お前がネフィリムなら、お前の親もネフィリムだってことになる。そのお前が今日まで何も知らなかったってのは——」

としおは息が詰まりそうだった。呆れるほど見た父親の顔、声、狭い島のみで紡がれてきた生涯の記憶の映像がゆっくりと乱れていく。

「ほぼ間違いなく、お前の親が、意図的に隠してたことになる」

フリルは薄笑いの奇妙な頭に冷や汗を浮かべながら、としおの方を向いた。

「父さんが……」

としおの頭の中で、また父が笑った。

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