第6話 カブトムシの悪魔

「うわあああああ!」

大きさから何から、目の前に存在しているという事実が全て疑わしいカブトムシが膝に乗っている。としおは、味わったことのない重さで虫の質感を感じ取って、飛び上がった。

「失礼だなあ、見るなり叫んで」

銀色のカブトムシは確かに、言葉を話している。としおは目を皿のようにして威嚇した。

「お前、なんだ! さっきの野菜の化け物の仲間か!?」

カブトムシは呆れたように銀色の角をフリルの方へと向けて、異形の者同士で話し始めた。彼らは顔見知りのようだ。

「しかしこの騒ぎよう、本当に何も知らないみたいだね」

「こいつ、初対面のやつにいちいちビビって、でかい声出すんだよ」

フリルはとしおを指さして、先ほどまでのとしおの自然な——無礼な反応についてカブトムシに伝えている。

「お前らの見た目がキモいからだろ!」

「やれやれ、今度は普通に悪口かよ……」

「ひどいなあ。まあ、そんなのはいいんだ。キミに危害を加えるつもりはないから、とりあえず話をさせてくれるかな。このままでは、キミとフリルで延々と騒いでいそうだから」

カブトムシの声はやけに子供っぽいが、その佇まいはこの場にいる他の誰よりも大人びている。

「あ、すみません……」

「お、おう……」

としおとフリルは先生に怒られた時のように大人しくなった。

「本当に、例えばボクとか、さっきキミを襲ったバケモノみたいな、不思議な存在を目にしたこと自体、今日が初めてなんだよね?」

「だから何度も言うように、本当なんだって。あんなのが居るなんて知ってたら、家から一歩も出たくないよ」

としおはいい加減面倒そうに答えた。

「本当に何も知らないみたいだね。ちょっと、失礼」

「あー、どうぞ……」

銀のカブトムシはとしおの頭の上に飛んで止まった。見た目に反して、カブトムシの質量はとしおの首を折るほどでは全くなく、むしろ紙を一枚頭の上に載せているのと変わらない。としおはこの辺りから逐一怖がるのにも疲れて、場の流れに身を任せようと決めていた。

「うーん、調べてみても、記憶を弄られた形跡はないね」

「だよなあ」

カブトムシはとしおの頭から、薄笑いのまま腕を組んでいるフリルの肩の方へ飛び移った。

「こんなのボクも初めてだから、どこから話していいのかもわからないけど——」

「二人がかりで解説して、納得してもらうしかないな」

フリルは左肩の上に首を傾けて、カブトムシと頷き合ってから、としおの方を向いた。

「まずは自己紹介をしないと。ボクはキーファ。カブトムシの悪魔だよ」

としおは空想の世界にのみ存在しているものを指すはずの馬鹿げた言葉を突き付けられて、目を丸くしながらも顔をしかめた。

「悪……悪魔?」


「うん。悪魔と言うけれども、ボクらは人間の味方だよ」

キーファと名乗るカブトムシは、甲高い声を響かせながらその銀の一本角を触り始めた。

「悪魔なのに?」

「便宜上、そう名乗っているだけさ」

「なんでわざわざ悪魔だなんて、名乗ってるわけ?」

「“天使の慟哭”って大災害が大昔にあったのは、知っているよね?」

質問を質問で返されて、としおは口をへの字にした。

「知っているもなにも……そんなの、常識じゃん。なんで今聞くの?」

キーファは少し、もったいつけた。

「——本当はあの時、キミ達人類は文字通り絶滅する予定だったんだ」

「予定って……誰かが決めたみたいな言い方だけど」

としおは怪訝そうにキーファを見下ろしている。

「そう。この星の創造主であり支配者……そうだね、神と呼べばいいのかな。神が、人類を滅ぼすために起こした大災害なんだ」

窓の向こう、丁度太陽が水平線にいよいよ溶け切る瞬間、一際輝いた海の表面に、大災害によって流された文明の遺構がまばらに顔を出しているのが見えた。

「えっ?」

「ボク達が悪魔と名乗る理由は、キミ達人類が、この星の創造主である神の意思に反して繁栄し続けているのを、手助けしているから」

やけに神妙な声色で言われて、としおは何故か後戻りできないような、逃げ出したくなるような不安に駆られ始めていた。

「そ、そんなこと急に言われても、本当に神様がいて、自然災害は神様が起こしただなんて、そんな神話みたいな話、はいそうですかって信じられるわけないだろう。冗談きついよ」

「ウソなんかついていないよ。キミだって聖隷に襲われたんだろう? それに、現にボクとも会話している。この世界には、キミの言う冗談みたいな存在がいるんだ。神だって例外じゃないよ」

としおは目の前で喋るカブトムシと、黙って薄笑いをこちらに向けているフリルを交互に見て、頭の中では自分を殺そうとした怪物のことを思い出して、また表情を少し暗くした。

「それは……そうだったけどさ……」

「納得してくれたかな。まあ、そういうものとして捉えておいてくれればそれでいいんだよ。疑問を持たれても、そうだからとしか答えてあげられないからね」

午後六時のチャイムが、街中のスピーカーで鳴っているのが聞こえる。

「大災害が起こった時、なぜ人類は生き残ったのか。それはさっきも言った通り、ボク達悪魔の祖先、最初の悪魔が手助けをしたから」

フリルはいつの間にか漫画を読み始めていたが、えも言われぬ切迫した気持ちに支配されていたとしおは、それに気づかないほどキーファの話を真面目に聞いていた。

「どうやって?」

「簡単さ。人類に、力を与えたんだ。大災害を鎮め、荒廃した文明を復元し、神の意思すらも跳ね除ける奇跡の力——魔法という力をね」

「魔法……」

馴染みはあっても、現実とは縁のない言葉は、むしろ一番近くに在ったのだ。としおの生きている大災害を乗り越えた世界は、科学ではない不条理で成り立っていた。

「魔法を手にした人間は、大災害を終わらせた。そして、創造主たる神は、大災害を起こす時に力を使い果たして、この星の寿命よりも先に醒めるかも分からない眠りについてしまった」

「ふうん……」

としおは真面目に聞いているつもりであったが、壮大すぎる世界の秘密は、理解の範疇をあまりにも逸脱しており、もはや驚くことすら出来なかった。

「神は眠りについてしまったけど、神の意思はこの星におけるルール、絶対的な正義として意志を持って存在し続けているんだ。それが聖隷。聖隷は人間の罪の具現化であり、罰の執行者でもある。聖隷は絶えず人間を、不幸、絶望、災厄、死に追いやって、最終的に人類絶滅という神の意志を叶えようとしているんだ」

「さっきのパプリカ野郎とか、野菜の家畜も聖隷の一種だな。しっかし俺の活躍、気を失ってたお前と、呑気にここで待ってたキーファにも見せてやりたかったな。鮮やかにカウンターを決めて……」

漫画を読み終えて暇になったフリルは、さも最初から話に参加していたかのように、キーファに付け加えて喋り始めた。

「あんたは喋んなくていいから……」

としおが深いため息でフリルの自慢話を遮ると、フリルは薄笑いの顔を紅潮させた。

「んだとぉ? 先輩の話は黙って聞くもんだ!」

「うわぁ、キモい。真っ赤になった! どうなってんですかそのマスク!」 

キーファは騒いでいる二人を横目に前脚で頭をかいている。

「はあ……もう気が済んだ? もう疲れたよ……」

「僕も疲れたよ! 真面目な話、もう遅いし帰ってもいい? 遅くなると食堂が閉まっちゃうんだけど」

呆れているキーファを横目に、としおは伸びをしながら聞いた。

「待ってよ、細かいところは追って説明するけど、まだ肝心なところが——」

「いや、もういいよ。今日はまあ、死にかけたし、色々その、信じられないような話を聞いたけどさ、明日からはまた普通に戻るもん。魔法とかなんとか、僕はもういいや。それじゃ」

としおがベッドから足を放り出して立ちあがろうとした時だった。

「いいや。キミはもう今まで通りの暮らしをすることは出来ない」

キーファの声色は、いたたまれないような、申し訳なさそうな冷たさを帯びている。

「今、なんて?」

としおは念の為に聞き返した。意味がないことはもう、分かっている。

「——山田としお。キミには、聖隷と戦う責務がある。拒否することも逃げることも許されない。明日から、聖隷がこの世に現れる限り、死ぬまで」

キーファの銀色の体に、としおの困惑がこびりついた哀れな顔が歪んで反射されていた。

「えっ……?」

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