第3話 ボーイミーツ・モンスター
巨大なホールの中は、今年この学園に入学する予定の八百を超す生徒達とその保護者、在校生の代表、職員や誘導係などで騒がしい。としおは渡された書類の通り、自分のクラスの席を二階に見つけて、割り当てられた場所へ座った。
『まもなく 第168回 入学式を開会いたします』
アナウンスがされる中、としおは辺りの様子を伺っては、誰とも目を合わせて気まずくならないように、急に視線を落としてみたりした。
「おい」
「はい!?」
一人でそわそわしていた所、いきなり左肩をつつかれて、としおは飛び上がって素っ頓狂な声を出した。
「ははは、ビビりすぎだろ! お前もQ組だよね。よろしく」
左隣の生徒は同じクラスらしく、窮屈そうに制服を着ているところまでとしおと同じだった。燃えるような紅色の瞳を持った彼は、気さくに手を伸ばして、握手を求めている。
「よ、よろしく……」
彼の手は獲物を狙う猛獣の口のようにとしおの手を掴んで、ぶんぶんと上下に振られた。
「吉田な、吉田龍二」
「えっ?」
「え? 名前だよ、俺の。お前は?」
「山田……山田としお!」
「としお、さっきから緊張しすぎ」
吉田が悪戯っぽく笑うのに、どことなく父の面影を見て、としおの強張った顔はすぐに解れた。
「仕方ないだろ! 同い年の人と話すなんて初めてだからさ……」
「は? 嘘だろ」
つまらない冗談を言われて興醒めしたとでも言いたげに、吉田は目を丸くした。
「嘘じゃないよ! こっちは十二年ずっと、他に誰も住んでないちっさい島育ち! ずっと父さんと二人で……」
今まで出会ったこともなければ、想像したこともない生い立ち。吉田は苦笑いをするほどには、半信半疑だった。
「そういうキャラでいくつもりなら、多分辞めたほうがいいぞ……」
「マジだってば!」
としおは血走った目を向けて訴えたが、まだ吉田は信じてくれない。
「えぇ? だってお前、小学校とかどうしてたんだよ」
「通信制だったんだよ、父さんがそうしろって」
「あー、その手があったか。にしても、お前の親父さん変わってるな。子育てのやり方、ぶっ飛んでるっていうかさ……」
「本当だよ。いっつも偉そうに説教するくせに、向こうは働いてるかもわかんないし」
「なんかそれは……マジでやばい人じゃねぇか……」
吉田は初めて触れる奇妙な家庭環境の話に、冷や汗すら流している。
「で、吉田って、なんか父さんに似てるんだよね」
先ほどから感じていた親近感の正体をとしおが伝えると、吉田はその真意を汲み取って顔をしかめた。
「それ、褒めてないよな?」
「……ふふっ」
「テメェ〜!」
吉田がとしおの肩を叩こうとした瞬間、照明が急に消されて、正面の大きなステージの方にスポットライトが点き、うるさかった広いホールも少しずつ静かになって、ついにアナウンスの声が響いた。
『まもなく、式典を開始いたします』
「あ、やべ」
としおと吉田はふざけ合うのをやめて、周りの生徒たちと同じように、かしこまって席に座り直した——。
入学式は問題なく進んできたが、主役は新入生ではなく自分だと言わんばかりに、異様に目立つ白と黒の縞模様のスーツを着た、奇怪な雰囲気を纏う大男が壇上に上がって、銀色の重たそうなピアスが光る尖った耳と、爛々と金に光る、開ききった目玉を持った顔がバックスクリーンに大きく映し出された所で、会場の雰囲気が明らかに変わった。
『新入生の皆さん。我が校へようこそ。ご挨拶を申し上げます。当学園の学長、アルセーヌです。我々は全力をもって、快適かつ安全で、実りある学園生活を必ず皆さんに提供いたします。同じ制服に袖を通す良き友、良き好敵手と共に、どうかのびのびと楽しんで成長してください。我々教員一同はそのための支援を惜しみません。改めて、ご入学、おめでとうございます』
学長が、その見た目からは想像もつかない、むしろ彼を前にして、その奇妙な風貌に驚いた全ての人々への裏切りとも言えるほどに至極落ち着き払って、無難な式辞を述べたのち拍手を浴びながら退場するとすぐ、司会が式典の終了を告げた。
『以上をもちまして、第168回 第七綜合学園 入学式を終了いたします。保護者の皆様は順次ご案内いたしますので、しばらくその場でお待ちください。新入生の皆さんは、各クラスの担任に従って退場してください』
再びホールの照明が戻ると、新入生達の緊張は一気に解けたようで、伸びや欠伸をしてみたり、近くの席の新しい友人達と話し始めるなどしていた。
「学長、ヤバそうな見た目してたのに、 めっちゃ無難だったな……」
「なんだったんだ……」
施設の案内が終わった後、入寮する生徒たちは別に呼ばれて入寮式に参加をして、その後すぐにそれぞれの部屋に行くようにいわれた。
「プチ遭難した! えーと、部屋は五階の13号室……同じ部屋、誰なんだろう……」
父と暮らしていた小さな家とは全く構造の違う広い寮。としおは道に迷ったせいで部屋に行くのが遅れた。他の生徒たちはもう入室してしまったのか、廊下には誰も居ない。清潔で静かな空間が少し怖いとしおは、なんとなく後ろを見ないようにしながら早足で学生証に記された番号の部屋のドアの前まで早歩きで向かった。
「ここか……よし!」
としおは思い切って学生証を端末にかざし、ロックを解除して部屋に入った。
「おー、やっと来たか——って、お前かよ!」
「ルームメイト、吉田だったんだ」
「そう言えば名前、山田と吉田で近いもんな……」
お互いに嫌ではなかったが、何となく想像していたものと違って、締まらない空気が漂った。
「ま、よろしく」
としおから吉田に手を差し出し、二人は何となく握手をした。
入学二日目。早くも世界史の授業が始まった。
「天使の慟哭と呼ばれる、突如この星に起こった破滅的な洪水による災害は、陸地のほとんどを飲み込み、全ての文明を壊し、また数多の命を奪った。今も、各地の海には大災害以前の建物の残骸が佇み、戻らない主人を待ち続けている」
先生が仰々しく教科書の序文を読み上げているのを、としおは欠伸しながら聞いていた。この人類を襲った大災害の話は、この時代に生まれた者たちは誰しも嫌というほど聞かされるからである。先生はホワイトボードに大きな円と、その周りを囲うように棒人間を書き殴りながら続けた。
「奇跡的に生き残ったわずかな人類たちは、国という概念を廃して、人類統一機構を立ち上げ、この星は真の意味で一つの共同体となった——以上の通り、歴史の授業では、大災害の復興と、大災害以前の旧文明についても学習していく。今を生きる人間として、自分がどこからやってきたのかを知る、楽しそうだろう?」
楽しそうなのは先生だけで、としおら生徒たちは呆れているようにすら見える気の抜けた顔で天井を眺めていた。
「お前ら……今は過去があって初めて今になるんだぞ。お前たちの親御さんがいなかったら、お前らは生まれてないだろ? 歴史は、俺たちが今生きている奇跡を噛み締めるために生まれた学問だ。だから、もう少し真面目に受けてくれ……」
静まり返った教室で一人熱弁するのが居た堪れなくなったのか、先生は教卓に両腕をついて項垂れながら懇願した。
「親御さん……父さん、母さん。母さん」
としおは窓の向こうにどこまでも続く海を眺めながら、小さく口の中で呟いた。夢の中で何度か声を聞いたことがある。それ以外に、記憶も、記録も、ない。
放課後、としおと吉田は教室を後にして、授業で溜め込んだ眠気と共に校舎を後にした。
「そういや、としおはまだ部活決めてないんだっけ?」
「うん」
吉田はとしおが頷いたのを待ち構えていたように、目を輝かせた。
「じゃあさ、昨日も誘ったけどほんとに今日、サッカー部の体験来いよ!」
「パス!」
「サッカーだけに……じゃなくて! なぁ、頼むよ。絶対楽しいって!」
「部活はじっくり決めるんだよ! 今日は行ってみたかったとこに行くつもりだし」
としおは右手で吉田に押し付けられたサッカーボールを押し返した。
「行ってみたいとこって、どこだよ?」
島からほとんど出たことのなかったとしおは、毎日のように憧れの島の外の世界をネットで調べることで何とか憧れを制御してきた。そしてついに憧れの地へとやって来た今、彼は夢でしか行けなかった名所に名店、全ての恋焦がれた場所を見て回りたくてたまらないのだ。
「学校の隣の駅の海浜公園!」
「ああ、あそこか」
行き交う船と、浅瀬に敷かれた線路を走る電車が海面を切って走るのがよく見える。端の方が見えないほどに広大なこの浜辺と、それに沿って作られた防砂林一帯が全て、日の出教育特別地区の海浜公園として開放されていて、としおは東京に来ることが決まった日から、まずここを散歩してみたいと思っていた。
「気持ちいいなあ。こんなに綺麗なのに、全然人がいないけど」
海も砂の色も、自分の育った島のものと全く変わらないように見えたが、この地はあの狭い島の何倍も広く、人もたくさんいる。としおにとってはそれだけでありがたくて嬉しくてたまらないのであった。
「あっちも行ってみよう」
としおは無限に続く砂浜に沿って、防砂林の中に差し込む西日に顔を顰めながら歩き続けた。歩き続けた矢先。
「わ! ぶつかるとこだった、何だこれ、木の実?」
としおの鼻の先に、突如顔ほどもある、ごつごつとした禍々しい見た目の物体が現れた。実がなっている枝を辿った先の木の根元に、木の名前が記された小さな名札が置いてある。
「へー、ビヨウタコノキ……? って言うんだ。面白い実だなあ」
名札には奇妙な線状の、としおが普段使っている文字とはまったく違う文字が記されている。しかし、としおはそれを当たり前のように理解した。
「え? なんで読めたんだろう、こんなの、文字じゃないよね?」
としおが目を擦りながらまた正面を向くと、今度は先ほど目の前にいきなり現れて驚かせてきた木の実が、一層禍々しく、不気味なものに感じられて、としおは後ろを振り向きかけた。首と胸を左にねじったその時。
「ご注意ください! 私はよけられないので、あなたがよけてくださいね」
どこからか、朗らかな調子の女性の声が聞こえた。
「え!? だ、誰かいるんですか?」
としおはすっかり居た堪れなくなって、すぐにこの防砂林を抜け出したいと思っていた矢先に人の気配を感じて、縋るように聞いた。
「ご注意。ください。あなたが、ください。よけて。ね。私は、あなたが、よけて。ご注意。私、あなた、あなた。あなたあなた。よけくださいご注意私」
としおの問いに対する答えはあまりにも支離滅裂で、壊れたスピーカーで流している音声かのように、途中途中がぶつ切りになって、明らかに異常だった。さらに恐るべき、閃きにも近い確信がとしおの身を震わせる。
「え、もしかしてこれ、この木の実が……」
声の主は、この気味の悪い木の実だった。どこにも口は無いが、確かに音を発している。
「ご注意、ください。よけて、ください」
とにかくこの防砂林から浜辺の方へ抜け出してしまおう。としおは考えうる最善策を打ち出して、すぐ実行しようとした。
「あれっ?」
防砂林は向こうがよく見渡せるほどの密度で木が植えられていたはずだ。としおは今、深い森の中に立っていた。生えている全ての木には、同じようにあの木の実が無数にぶら下がっている。
「こ、ここ、どこだよ。どこだよ!」
木の実たちがとしおを笑うように、先ほどと同じ調子で支離滅裂なことを大声で、大人数喋り続けているので、自分以外誰もいない空間の中で、としおはまるで立っているのがやっとなほどに混み合った雑踏の中にいるような気分にさえなった。
「とにかく、逃げないと」
としおは目の前の木の実を手で払い除けて駆け出した。あちらの方にわずかながら森の終わりが見える。大きくなったり小さくなったりする木の実の声の波に頭を痛くしながら、走る。何度もつまづきそうになった。
「避けてくださいね。あなたが」
木の実がとしおの左頬を殴った。
「ぐっ……」
弾みで木の幹に頭をぶつけてうずくまったのも束の間、木の実がどこまでも枝を伸ばして着いてくる。明らかにとしおをいたぶろうとしている様子だった。しかも、この木の実たちは顔がないのに、明らかに楽しんでいる。としおはとにかく、走ることしかできなかった。
「はっ……」
ようやく、森の外に出られる。あの木の実たちは森の外までは追いかけては来なかった。
「は?」
としおは目の前の景色がまるで理解できなかった。緑色の雲、紫色の空、目一杯に広がっているのは海ではなく、汚い色の畑のような風景。先ほどまで居た海浜公園とは全く違う、悪趣味な絵画の中にいるような光景が広がっている。引き返そうにも、背後を確認すればあの深い喋る森の影が、同じように視界の左右両端を満たしていて逃げ場はなさそうだった。
としおは仕方なく、畑の方に進んだ。腐ったような匂いがし、栽培されている植物はどれも異様に大きい。
「うっ……なんだよ、ここ」
柵の向こうに、自分の背丈の倍ほどもある大きさの南瓜が、大量に植えられている、
「ひっ」
としおと南瓜は、文字通り目が合った。南瓜のひだの部分が裂けるように開いて、その間から無数の血走った目が絶えず暴れるように視線を動かしている。目の前で起こるはずのないことが起きている。としおは殴られた左の頬の内側からかすかに血の味がするのを感じて、今起こっていることが全て悪夢だとする希望すらも潰えた。
笑っているトマト、牛の脚が生え、のそのそと四肢で歩く茄子。馬の脚を持ち、柵の中を走り回る胡瓜。異常な光景と奥に進むごとに強くなっていく腐臭に、としおは今にも倒れそうだった。
「なんだよ、なんなんだよ!」
無限の農園をそうして進み続けて行くと、道を塞ぐように、これまたとしおの背丈の半分ほどの大きさのある、巨大な芋があった。しかも、芋の芽の部分は、“目”があって、どこを見ているのか知らないが見ているだけで背筋を舐め回すような不快感が巡る。意味のわからない場所に迷い込んで、出られなくなったとしおはほとんど冷静さを失っていたし、たった一つの行く道を塞がれていよいよ頭に来て、足元にあった小石を拾うと、芋の目に八つ当たりするように思い切り投げつけてしまった。
「邪魔……なんだよ!」
ぶちゃ。卵を足で踏み潰したような柔らかい、濡れた音がして、芋の目が一つ、白と赤の粘ついたものになり、芋の本体を下へゆっくりと伝う。としおはそれを見て、自分のしでかしたことで起きた光景にいよいよ抑えていた吐き気を我慢できなくなった。
「うええええ」
喉が焼ける感覚を味わった後、としおが再び芋の方を向くと、潰れた目の部分から急速に蔓が伸びて、みるみるうちに、直径七十センチほどの大輪の白い花が咲いた。花の香りが、凄まじい。息が詰まり、目と鼻の粘膜が壊されるのを感じる。胃がまた沸騰する。体中が寒くてたまらないのに、汗が止まらず、血管は広がって頭痛が酷くなった。
「あっ……」
としおはものの十秒ほどで咲いた花に、すぐに昏倒させられてしまった。死が迫ってくるのを感じる。としおは確かに、朧げな意識の中で走馬灯を見ている。殆どが生涯を唯一これまで分かち合って来た父の映像で、その中に初めて島の外で出来た友達の吉田の笑顔がちらほらと浮かんだ。
「死ぬ、死ぬ」
指先に力が入らない。目の前に誰か立っている。もう、何かは分からない。
としおは数分後にかろうじて意識を取り戻した。しかし、意識は失ったままの方が良かったのかもしれない。あの耐え難い苦痛はすぐにとしおの中でまた暴れ出し始めた。しかも、今度はのたうち回ることが許されていない。何故なら、十字に磔にされているからだ。
「アレェ、まだ生きてたの?」
知らない声がする。呼吸を整えながら、としおは自分を見上げて下から見ている声の主の姿をなんとか見た。声の主は、パプリカの断面にシールのように唐突に、目玉が付いている、それを男性の首とすげ替えて取り付けたような、怪物。
「うわあああああああ」
痛みと、理解できない存在への恐怖で、としおは身動きが取れないのに暴れた。
「うるさいよ」
パプリカ頭がそう言うと、としおを磔にしている蔓の十字架の一部分が解けて伸び、としおの口までしっかりと塞いだ。こいつがこの農園の主人。としおは直ぐに勘づいた。
「いやあ、初めてだなあ。こんなご馳走が食べられるなんてねえ。じっくり苦しんでねえ。あと二時間くらいで、死ねるから」
パプリカ頭は嬉しそうにまだ新しい制服越しからとしおの脚を撫でた。この苦痛が後二時間続くのなら、もう今すぐに首を刎ねて殺してほしい。としおは心の底からそう願った。
「——おや、また何人かかかったみたいだ。ここへ来て良かった。豊作だ!」
パプリカ頭の怪物は何か呟いていたが、としおの方はもう意識を保っているのがやっとで聴き取れなかった。
数秒後、何か、微かにガラスが砕けるような、尖った音が聞こえて、冷たい風がとしおの髪の毛を揺らした。
「ギリギリ間に合ったか」
パプリカ頭の声とは違う、芯の通ったようなはっきりした声がする。としおは半ば無意識に目をそっと開くと、確かに誰かがいるようだった。
「ふうん、悪趣味な魔法使いがいるんだねえ」
パプリカ頭の嘲るような声を、もう一人の誰かは鼻で笑い返した。
「悪趣味! それはこっちのセリフだ」
としおは走馬灯の合間、確かにパプリカ頭の怪物と、もう一人、丸い頭をフリルで縁取られた頭をもち、緑と黄色の汁で服が汚れている怪人が、対峙しているのを目にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます