第2話 別離

「戻ったぞ〜……って、寝てるのか」 

零士は五分ほどで戻って来たが、慣れない早起きをしたとしおは、父が戻るより先に眠りに落ちてしまっていた。

「お前ももう、こんなに大きくなったんだなァ……いや、よくここまで生きた、の間違いか……」

喜ばしさを噛み締めつつも、物憂げな笑みを浮かべる父をよそに、としおの方は穏やかな寝顔を浮かべたままだった。


『次は 東京 東京 終点です お忘れ物の無いようご注意ください』

「おいバカ、マジでそろそろだぞ」

「んん……?」

父に肩を叩かれ、としおは間抜けな声をあげながらようやく重い瞼を開いたが、窓の向こうの景色を見て、直ぐに眠気も吹き飛んだ様子になった。

「あっ! あれが……!」

先ほどまでは水平線に消えていた線路の終着点が、見えた。

「——この星の首都、東京……これからお前が暮らす街だ」

海が終わり、陸の始まる場所にあり、視界を満たしたのは巨大な山のように、何重にも積み重なり、複雑に入り組んだ街の塊。世界の中心として最大級の人口を抱えた、縦に七百キロメートル、横に四百キロメートルに渡って広がるこの都市は、三十の区画に分けられた、この世界の歴史の始点からずっと、文字通り積み重ねられ続けてきた。

「すごい……」

としおがただ圧倒され、ずっと窓にかじりついている間も電車は休むことなく、この巨大な都市に吸い込まれていった。

 この都市の心臓を担うように、あちこちからやってくる何百もの線路の終着点。ここ数日間はtsとしおのように新しい一歩を踏み出す新入生達と、新学期を迎える児童、学生とその家族でごった返している。特急を降りたとしお達も、同じ浅葱色の制服を着ている生徒たちを見つけて、彼らと同じ方向に進み、五分ほど歩いたのち、ようやく乗り換えの電車にたどり着いた。

「はぁ……せっかくここまで来たのに、ちょっと見物する暇も無いなんて……」

「まあまあ、また今度行きゃいいだろ、今度からはここも遠い場所じゃなくなるからな」

車窓に映っては消えていく、縦横無尽に積み重なって広がる、憧れの街を眺めながら肩を落とす息子を、父は励ました。電車がまた街の塊から抜け出し、海の方向に伸びる鉄橋に差し掛かると、下の方には発着する貨物船が小さく海の上に浮かんでいるのが見え、正面の線路の先にはすっかり昇った太陽を背に、としおの育った島のそれとは全く規模の違う、また別の大きな島が佇んでいた。

“教育特別区 日の出へようこそ”

“学割 新生活応援プラン”

電車に乗っている学生達を歓迎するような看板や、若者をターゲットにしたさまざまな広告が、あの島まで伸びる真っ直ぐな線路を賑やかしている。

「えーと……『政府の指定した教育特別区・日の出。公立、私立の小中高大併せて五百を超える教育機関が存在している人工島で、青少年の健全な育成を目的として設立された。東京本土に点在している学校よりも、学生達同士の交流などが盛んな傾向にあり、新世代によるスポーツ・芸術・文化の発信地としても重要な立ち位置にある』——そういう場所つくればいいのに、何でわざわざ島にしたんだろう?」

検索して出てきた文章をそのまま読み上げながら、としおはどこか恨めしそうにさえ見えるなんとも言えぬ表情で、遠ざかっていく東京の方を向いた。

「わかんねぇけど、土地代とか色々あんだろ」

零士は欠伸をしながら、ネクタイを鬱陶しそうにいじっていた。

『日の出 日の出 終点です 気をつけて、行ってらっしゃいませ』

鉄橋を渡り切ると、すぐに駅に着いた。としお達は遂に最後の乗り換えのために、駅の中で一番下の階まで降りた。最後に乗る電車は、随分と小さな二両編成の列車であった。

「あと少しで……学校……」

すしづめになった車内の中で押し潰されそうになりながらも、としおは結局、初めて見る日の出地区の景色にも目を輝かせている。

『次は 国立第七学園前 第七学園前 その次は、日の出海浜公園に停まります』

「着いた……! ここが……」

入学が決まってから、数ヶ月。パンフレット越しにしか見たことのない大きな校舎が、電車を降りた自分の前に本当に存在していることに、としおは感動した。

「おいおい、ぼーっとしてねぇでほら、写真撮ってやるから来いや」

「い、いいよ……そんなの……」

入学式の看板の前で、端末を構える父に、年相応に躊躇ったが、結局すぐに根負けして、父に写真を撮られた。

「本当に大きくなったなぁ〜」

「マジで恥ずかしいから、やめて。入学式遅れるからもう行こうよ」

先ほどまではこの記念すべき日の一挙手一投足全てを大切そうに勿体ぶって噛み締めていたとしおであったが、肝心の校門に入る最初の一歩は、照れ隠しのためにさっさと父親を置いて歩いて行ってしまったために、なおざりにしてしまった。

 受付を済ませて、学生証を受け取って荷物も預け、としおは遂に、父としばらくの別れを告げる時が来た。

「……じゃあ、この辺で」

入学式を終えた後、生徒はそのまま学内の案内に移り、その日は寮に入らねばならない。周り絵は別れを惜しんでいるのか、沢山の生徒達が寂しさの混じった笑顔で家族と話している。としおも例外ではなく、旅立つ息子として、どういう顔を父に向けていいのか、分からなかった。

「いった!?」

小さくなったとしおの背中を、零士は強く叩いて激励したが、そのはずみでとしおは危うく転びそうになった。

「何すんだよ!」

「ハハハ! それだけ元気なら大丈夫だろ。行って来い」

仕事をしているのかすら分からない、胡散臭い父親であったが、としおはこの父親が嫌いではなかったし、尊敬もしている。彼は稀に父として、としおに対して強く叱りつけたり教えを説くこともあったし、また友人が一人も出来ないような絶海の孤島でも全く寂しさを感じさせないほどに、賑やかな生活を共にした悪友でもあった。

「ったく……はいはい、それじゃあしばらくの間、行ってきます! また夏休みにでも!」

「おう!」

叩かれた背中の感覚が消えないうちに、振り返らずに入学式の会場の入り口の方へ走っていく息子の姿を、零士は寂しそうに笑いながら見送った。

「参ったな、もう二度と会えねぇかもしれねぇのに」

としおが見えなくなった後、零士は息子の晴れ姿を見るために入学式の会場に向かうのではなく、何故かさっさと学校を出てしまった。

「じゃあな」

零士は息子の写真や連絡先の入った自分の携帯端末を踏みつけて壊し、燃えないゴミの箱へ捨てた——。

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