31. チェリー




 濁流が全てを押し流す。目の前の景色が土色の水で洗い流されるのを見るのは、まだたったの6歳だった俺にはあまりに衝撃的すぎた。世界の終わりというのは、まさしくこのような光景なのだろう。そう信じるには充分すぎる映像が目の前に広がっていた。

 そのような地獄を目の当たりにして、なおも俺の心が壊れなかったのは……きっと。あの人のおかげなのだろう。




 「────大丈夫。あなたのことは、わたしが守るから」


 俺たちを飲み込もうと迫り来る巨大な黒い大波を前にして、彼女は動じた様子もなく優しく凛とした声でそう言った。


 「災いを呼び、不幸を呼び込む《魔女》と呼ばれたわたしに、あなたは生きている意味をくれた。あなたに出会えて、わたしは《人間》になれた。だから今度はわたしがあなたを生かすの。────生きて。メテウスくん。大好きな……わたしの、流星ミティオ

 「…………サクラッ!!!」


 俺が彼女の名を叫ぶ中、彼女の周りに花びらが舞い始める。彼女の名を表したかのように暮明に舞う、僅かに紅を帯びた白い花びらは、やがて仄紅い火に変わり少女を包む。その優しくも高らかな炎は、襲い来る濁流をかき消すように打ち払い、そして────




◇ ◇ ◇





 「────おい、シャロン! 大丈夫か?」

 「……ん…………」


 《火の精霊》の影響が消え、倒れかかったシャロンを抱き止めながら声を掛けた。


 「……あれ……ミティオ、さん…………?」

 「ふう、気が付いたか。まったく、勝手に出てきた挙句に意識を失うとはな。余計な手間を取らせてくれるよ」


 寝ぼけた様子で目を瞬かせるシャロンに苦笑しながら、彼女を列車の屋根に座らせた。


 「……えっと……いったい何の────っ!?」


 ようやく意識がハッキリしてきたのか、シャロンはいきなり飛び上がって距離を取った。


 「あ、あ、あの! そのっ! わたしっ、ミティオさんに抱きついてっ!?」

 「起きて一発目に気にする所がそこかよ。それくらいはもう今更だろう? 出会った日も屋敷から逃げる時も、いくらでも抱きかかえてたし、しがみついてきてただろうに」

 「あれは、まだ心の準備があったから大丈夫だったというか……ううう、なんでそんな平気そうなんですかっ!?」

 「なんでと言われても。まだ年端もいかない子供相手だしなぁ」

 「……むぅ〜〜……!」


 納得いかないといった顔でお嬢様は不満を表明する。実のところ、14歳といえば社交界にデビューしていてもおかしくない年齢……というか、実際にデビューはしているんだったか。とにかく、女性レディとして扱っても差し支えない年齢ではある。だが、俺としてはいささか未熟さを感じざるを得ない年齢だ。シャロンが人並みよりも背も低く、こじんまりした印象なのもあるだろう。彼女としてはそこが不満なのだろうが……そればかりはどうしようもない。




 「…………すまなかったな」

 「え?」

 「経緯はどうあれ、俺の事情に巻き込んだようなもんだからな。危ない目に遭わせてしまった」


 謝罪を口にすると、シャロンは呆けた表情を見せる。もしかして、さっきのことを覚えていないのだろうか?


 「えっと……なんだか、記憶が曖昧で……ミティオさんがエレやモニカさんと一緒に戦ってたところまでは覚えてるんですけど」

 「ああ。君はその途中で気を失ってたみたいだからな。大貴族の箱入り娘には衝撃的だっただろう。怖い思いをさせて悪かった」

 「あ……いえ……」


 問答無用で人を殺しに来る化け物たちを見て落ち着いていられる人間など、大の大人ですら珍しい。ましてや、まだまだ子供と呼べる年齢の少女にとっては、トラウマになってもおかしくない。そんなシーンを見て、気を失うのは別段おかしなことでも何でもなかった。

 だが、シャロンは浮かない顔で俯いた。


 「たしかに、あの怪物たちは怖かったですけど……それ以上に、わたしが怖かったのは別のことなんです」

 「別のこと?」

 「はい……。ミティオさんやエレが、あの怪物たちにやられてしまうんじゃないかって。それを、ただ見ていることしかできないことが、何よりも怖くて……」


 そういえば……

 《火の精霊》がシャロンの身体を乗っ取って現れたのは、俺が《死神》に腹を突き破られた時だった。シャロンの抱いた恐怖や絶望といった感情が、あいつを呼び起こすキッカケになったのだろうか?


 「わたし、ホントに“子供”なんだなって思ったんです。ミティオさんやエレに、守ってもらうことしかできない。モニカさんの言うように、わたしにだって手伝えることはいくらでもあったハズなのに。それに何よりあの場面でわたしがするべきだったのは、ミティオさんたちの足手まといにならないように隠れていることだったと思うんです。そんなことも分からずに、わたしはミティオさんのことが心配だからって……ううん、それも違う。ただ、一緒にいたいっていうそれだけのために、あなたを危険な目に遭わせてしまった……!」


 シャロンの目が涙で潤む。瞳には反省と後悔の色がありありと映っている。


 「ごめんなさい……! わたしのせいで、あんな……あんな、ケガをっ…………」

 「シャロン」


 居たたまれなくなって、彼女の頭を撫でた。

 なんというか、本当に素直で優しい子だ。他人のことを心配している場合ではなかっただろうに、俺が負った傷を心配して、しかも自分のせいだと自分自身を責めていた。本当に、心の底から優しく、そして……


 「……ありがとう、シャロン。何もなかったから心配するな。それに、君を守ることは約束したからな。俺には俺の、君には君の、誰にも代われない役目がある。エレノアも、モニカだってそうだ。それぞれの人間が、それぞれの役目を果たしながらこの世界は回ってる。俺だって時には失敗するし、シャロンにできて俺にできないことなんて山ほどある。そうやって助け合い、支え合うのが人間ってもんだ。ましてや君は、まだまだ成長途中のお嬢様だからな。失敗も成功も、ひとつずつ噛みしめながら大人になっていけばいいんだよ」

 「でもそれじゃ、ミティオさんの隣にいる資格が……」

 「資格、ねぇ。というか正直、そこまで想われる価値が俺にあるのかは疑問なんだが……そうだな、ふむ」


 まだまだ守備範囲外のお子様ではあるのだが、それでもここまで慕ってくれることが嬉しくないはずはない。だから少しだけ、助け舟を出すことにした。




 「よし、じゃあ少し腹を割って話そう。あまり聞きたかない話かもしれないが……シャロン。俺には、大切な人がいます。“好きな人”と言い換えてもいい」

 「っ……!? そ、それってやっぱり、モニカさん……?」

 「あー……やっぱりそう見えてるか……。たしかにあいつも大切だが、一緒に育った妹みたいなもんだからな」


 そういう感情が無いとは言わないが、それでも家族という意識が先に来る。


 「昔の話だ。小さい頃、仲良くなった人がいた。色々あって周りからは疎まれたりもしていたが、本人は気立ての良い人でね。俺のことも、大事な友達だと言ってくれた」

 「友達……」

 「愛だ恋だなんてのはまだ遠いガキの時分の話だからな。あり得ないほどの魔力を持ち、魔法の才能も抜群。それゆえに彼女を利用しようとする人間もまた多かった。結果、色々な諍いの中心に彼女がいることも多く、いつしか彼女は《魔女》とさえ呼ばれるようになった。俺とは4つほどしか違わない子供だったのにな」


 大きすぎる才能は、人を不幸にするのかもしれない。魔法の才能に溢れていたこと、奇妙な黒狐猫チェレンを連れていたこと、子供ながらに達観した考えを持っていたことも。その全てが、彼女にとっては災いとなった。


 「そんなあの人にとって、数少ない友達だったんだよ、俺とチェレンは。まあ俺は幼いながらに好意を抱いていたわけだが、それでも友達だと言ってもらえること自体は誇らしかった。あの人のために何かができたわけじゃないが、それでも側にいる資格がどうとか、そんなことは考えなかった。だってそうだろう? 一緒にいて、仲間だ、友達だって言ってくれていたんだから」


 そう言って俺はシャロンの目を見る。どうにもこの子は俺が立派な素晴らしい人間のように見ている節がある。現状、実際はただの誘拐犯なのだが……

 だからこそ、彼女自身が抱える妙な焦りが、必要ないものだということをちゃんと認識してほしかった。あるいは、今まで周囲から疎まれ等閑なおざりにされてきた彼女だからこそ、必要とされないといけない、価値のある存在であらねばならないという強迫観念に駆られているのか。そう考えるとこれは彼女と、実家であるオースティン家が抱えてきた問題なのかもしれない。やはり連れ出したのは正解だったのだろう。


 「だがある時、災害に見舞われて……俺たちは揃って死にかかった。そんな時、あの人は奇跡のような魔法を使って俺を救い────そのまま、いなくなった」

 「!?」

 「おそらくは、俺たちを庇って濁流に飲み込まれたか……とにかく、あれ以来俺はあの人に会っていない。もう生きてはいないだろう。こうして、俺の初恋は終わることもないまま、永遠に引きずり続けることになりましたとさ。めでたしめでたし」

 「何ひとつとして、めでたくなんてないんですけど……」


 シャロンは何ともいえない複雑そうな感情を顔に浮かべている。

 実際のところ、俺は彼女に恋をしていたのは間違いないし、それが唐突に奪われたことで、ずっと引きずり続けている一面があるのは確かだ。流石に14年も経てばとっくに踏ん切りは付いているが、それはそれとして心のどこかで彼女を探し続けている自分がいる。

 そう。だからこそ……


 「ちなみに彼女、見た目もなかなかの器量良しでね」

 「なんか、ミティオさんの口からそんな風に惚気を聞かされるのは複雑です……」

 「まあまあ。ところで、《魔女》と呼ばれて疎まれていたその人だけども。何より印象的だったのは、雪のように白い髪だったな」

 「え……?」




 シャロンが目を見開いて俺の目を見つめる。

 そう────白く長い髪を風になびかせたその顔は、どこかあの人を彷彿とさせた。




 「それこそが、《魔女》と呼ばれるようになった所以ゆえんなんだろうな。“白い髪の魔女”の伝説は、知らない人のいない有名な御伽噺なんだから」

 「……じゃあ…………じゃあ、ミティオさんがわたしに興味を持ったキッカケって…………!」

 「ま、そういうことだ。別に最初から君をあの人と重ね合わせたわけじゃないが、どこかで面影を探してたことは否定できない」


 シャロンは肩にかかった自分の髪を握りながら両手を胸に当て、祈るように、抱きしめるように背をかがめて声を殺していた。

 白い髪を疎まれ、度重なる不幸から《魔女》とまで呼ばれるようになった少女。シャロンは、調べれば調べるほどにあの人に境遇がよく似ていた。しかもシャロンは、彼女を失った14年前のあの災害とほぼ同時に生まれてもいる。生まれ変わり────なんてことを信じるつもりはないが、思わずそんな可能性を考えてしまうほどに、シャロンはあの人と似通っていた。


 「わたし……今、はじめて自分のこの白い髪のこと、好きになれた気がします」

 「どうだ。少しは前向きになれたか?」

 「はい……っ……! えへへ……わたし、ミティオさんの好みにとっても当てはまってるってことなんですよね」

 「調子に乗るな。別に顔立ちが似てるってわけじゃないしな。それに、今の俺から見たらまだまだお子様だ。好みだとかそういうのはあと三年は早い」

 「つまり、三年経ったら可能性はあるんですね? ううん、ならいっそのこと、もっと積極的にアピールして既成事実を……」

 「黙れマセガキ。そもそも、安全と貞操は守るって約束しただろう。タダでさえ危ない橋を渡ってるってのに、これ以上君の実家に殺される理由を増やさせるな」


 調子を取り戻した途端にこれだ。やはりこのお嬢様は油断ならない。ただまあ、ずっと落ち込んだ顔をされるよりはマシだとも思ってしまう。なんだかんだ言って、俺自身この子に対して放っておけない気持ちが芽生えてきているらしい。なんとか実家との関係も改善してやりたいし────これ、恋愛云々よりもむしろ妹扱いなのでは? 残念ながら、本人の望む方向からかえって乖離してきている気がする。




 「……おーい、アンタたちー!」

 「お」


 ふと、下から声を掛けられた。声のした方を見ると、この列車の車掌が屋根の上にいる俺たちを見上げていた。


 「なんでそんなところにいるんだ、危ないから降りてくれ」

 「悪い悪い。急に止まったもんだから、様子を見たくてつい屋上に出てしまったんだ」


 シャロンを抱きかかえて地面に降りる。


 「ものすごい爆発音がしたから緊急停止したんだが……なんだったんだ? 被害の確認をしたけど、特に何もなくてなぁ」

 「たしかにあれは凄い音だったな。あれだ、近くに雷が落ちたんだと思うぜ? よく、鉄道の線路には魔力が溜まってるから雷が落ちるって言うだろう」

 「ああ、言われてみればそんな感じだった気もするな。あの話は迷信だとばかり思ってたんだが、本当だったんだなぁ……」


 そう言って頷きながら、車掌は勝手に納得した。実際は雷が落ちるメカニズムは解明されておらず、彼の言う通り何の根拠もない迷信なのだが、この場合はおかげで余計な詮索が避けられて助かった。


 「まあいいか。そろそろ出発するから乗ってくれ」

 「ああ。ただ、もう少しだけ待ってくれ。一応、雷が落ちたと思われる地点を連れが確認して戻ってきてるからな」

 「お、あれか。流石だな、クレメントス卿の関係者なだけはある」

 「旦那に伝えておくよ。あいつらが帰ってきたら伝える。悪いがそれまで待ってくれるか?」

 「仕方ないな。閣下にはこの分の穴埋めをお願いしておいてくれよ?」


 この車掌も抜け目がない。クレメントスの旦那に恩があるらしく、今回の逃走劇でも詳細を聞かずに協力してくれたのだ。

 辿ってきた線路沿いを見ると、空が白み始めて明るくなってきた向こうの方に、モニカとエレノアが歩いてきているのが見えた。どうやらエレノアの【跳躍】は魔力が尽きたのか使っていないようだった。何にせよ、二人に大事は無さそうでなによりだ。


 「モニカは無事か。ったく、エレには足を向けて寝れねえな」


 エレノアは自らの【跳躍】の魔法で、列車から吹き飛ばされたモニカを救ってくれたのだ。流石は《風の剣姫》様だと改めて感心していると、隣にいたシャロンがぷくーっと頬を膨らませていた。


 「……やっぱり、納得がいかないです!」

 「? 何がだ」

 「エレのことです! なんでエレだけ愛称なんですか? 差別です、不公平ですっ!!」

 「いや、だってシャロンを愛称で呼んだりしたらあいつに怒られそうだし」

 「関係ありませんっ! というかエレだけ、ズルい!!」


 今度は駄々っ子モードが始まった。この子、ホントに清楚な箱入りお嬢様なんだよな?


 「ミティオさんは、わたしのことをあだ名で呼ぶの、イヤなんですか……?」


 一転して、不安そうに上目で見上げながら訊ねるシャロン。仕方ねえなぁ……


 「なら、そうだな……これでいいか、?」

 「……え……?」


 俺が愛称で呼ぶと、お嬢様はまるでハトのように面食らった顔で呆けた。


 「おいおい、自分からあだ名で呼べって言ったんだろう」

 「あ、いえ……だって、その……エレはわたしのこと、シェリーって呼んでますけど……?」

 「ああ、勿論知ってる。だが全く同じってのも芸が無いだろう? だから、チェリー」


 戸惑いを隠せない様子のシャロン。まあ、何の説明も無ければさもありなんといったところか。


 「なんでかって言ったらな。ほら、その髪飾りだよ」

 「髪飾り……ミティオさんと一緒に買った、これですか?」


 シャロンは自分の髪から、白い花が象られた髪飾りを外してしげしげと眺める。ほんの僅かに紅みを帯びた白が美しい五枚のその花びらは、彼女の白い髪に控えめながらも優美に華を添えている。


 「ああ。その花は、遥か東方────スデンマカル地方に咲くという花だ。チェリーってのは、その花の名前なんだよ」

 「あ……」


 シャロンが血筋の象徴たる火の魔法を使っている時。その炎に照らされた彼女の白い髪は、それこそ咲き誇る桜の花のように仄紅く夜の闇に浮かび上がっていた。

 それに……その花の名は、あの人の名前でもあった。


 「……チェリー……チェリー……。うん、いい響き……」


 どうやら彼女も納得してくれたようだ。


 「ありがとうございます。素敵なあだ名を貰っちゃいました」

 「まあ、普段から呼ぶのは違うかもしれないから、基本的にはシャロンと呼ぼうかね」

 「なんでですか!?」


 言ってみておいてなんだが、気恥ずかしくなってきた。名付けの才能ネーミングセンスが無いことには自覚があるから、どうにも自信を持って上手く呼べる気がしない。


 「せっかくミティオさんからのプレゼントなのに……」

 「そんな大げさな。シャロンはシャロンで良い名前だろう? それに、エレになんて言われるか……」

 「ダメです。チェリーと呼んでくれなきゃ返事しません!」


 ぶーぶーと頬をふくらませたまま、不平不満を言いつつも上機嫌なシャロン。本当に喜んでくれているらしい。やっぱりこの子は、この百面相こそが魅力なのだと思った。




 「はぁ、ったく。じゃあ、チェリー。これから、存分に役に立ってもらうからな。覚悟しておけよ?」

 「────はいっ! 任せてくださいっ!!」


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怪盗ミティオは火を盗む :伝承破りの魔法怪盗《スペル・ハッカー》 室太刀 @tambour

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