30. 魔女




 「さて……あと残る問題は───君か」


 俺はひとつため息をついてから、ただならぬ気配を漂わせたまま佇んでいる白髪の少女に声を掛ける。


 『“問題”とは、どういうことかしら?』

 「どういうこともこういうこともねえよ。……───?」

 『あら、のことが分からないの?』

 「ああ。……いや、そうだな。誰かと聞かれたら、大人しそうな顔して大胆不敵でお転婆な、小さな伯爵令嬢様にしか見えないが」

 『つれないのね』


 ここにいるのは間違いなくシャロンのはずだ。ずっと側にいたのだから間違いようがない。なのに、目の前にいるこの少女の纏う雰囲気は、あの小さいながらも芯のあるお嬢様とはまるで別物のように感じられた。そして何より────


 『私の。あなたなら、わかるはずでしょう? 私が何者なのかなんて』


 その名前。シャロンが知るはずのない俺のを、なぜか知っている。声の雰囲気もシャロンのものとはどこか違っているように感じた。


 「その白い髪、その声……まさか君は……いや」


 俺は彼女のことを“知っている”。幼い日に亡くした、大切な────いやそんなはずはない。胸に抱いたある小さな予感を、俺は首を振って取り払った。


 「知らねえな。お前は……《火の精霊》だな? シャロンの、いやこの国の伝統貴族たちに伝わる火の魔法を与えている、この国で最も重要な精霊だ」




 俺の問いかけに、彼女は不敵に笑みをこぼした。


 『ふふっ……ええ。あなたたちが、この国の民が毎朝毎晩お世話になっている“魔法の火”。それは確かに、この私が与えたもの。この国に何千といる初代王家の血縁者に、私の分霊たちは日夜尽くしているわ』

 「お前は……いや、貴女はその精霊たちの元締め、いわば《大精霊》とでも言うべき存在であると」

 『ふふ、そうね』


 なんてこった。ついこのあいだ初めて喋れる《精霊》に出くわしたばかりか、この国の根幹ともいえる魔法の根源に早くも辿り着いてしまうとは。


 『……まさかエレの妹分に、こんなヤツが憑いてるなんてなー』


 俺のすぐ近くに、ふわふわと浮かぶ小さな少女が現れる。


 「《風の精霊》……! モニカとエレノアは無事なのか!?」

 『心配いらねーよ。エレを舐めんなよー? あの程度のことでヘマをするような子じゃない。今こっちに向かってる。アイツ、オレに先行してくれって頼んできたんだ。まったく、誰かさんのせいで精霊使いが荒くなりやがって』


 自分の側に高確率で《風の精霊》がいることを知ったエレノア。この不測の事態に、自らに憑きまとう《風の精霊》に頼むことを覚えたのだろう。流石はシャロンの専属、発想が柔軟だ。


 『うふふ、エレノアといえば“この子”の付き人をしている《風》の子ね。私の大事な依代よりしろと仲良くしてくれて嬉しいわ。こうして見るとまだまだ子供だし、一人きりにさせるのは心許ないもの。守ってくれる人がいてくれて安心』

 『エレはアンタのために騎士をしてるわけじゃねーよ。エレの妹分の身体を乗っ取って、好き勝手はさせねーぞ!』


 警戒心を隠さない《風の精霊》をよそに、《火の精霊》が自分の姿をしみじみと眺めながらそう言った。

 はて……まるで、“自分”の姿を初めて見るようなそぶりだが、彼女は《風の精霊》のようにシャロンを側で見守っているわけではないのか? たしかに、《風の精霊》はエレノアの身体に取り憑いたりはしていない。


 『それに……そもそもアンタ、?』

 「……何?」

 『その身に纏った魔力、量もそうだが“質”がなにより尋常じゃない。近寄るだけでもピリピリする禍々しい魔力……オマエ、一体なんなんだよっ……!』


 魔力の質、だと……

 たしかに言われてみれば、彼女の纏う魔力はシャロンのものとは比べ物にならないほど密度が濃い。この場にいる俺たちを飲み込まんばかりの圧倒的な魔力。だが、その気配はなぜか懐かしい感覚も覚えるもので……

 そんなとき、ふと突然、《風の精霊》が姿を消した。


 「おい……!?」

 『あら、ついに消えちゃったわね。あの風の子の近くにまた現れているとは思うけれど……とはいえあなた程度の《精霊》なら、そうやって今まで姿形を保っていられただけでも大したものよ。いえ、まだ私の力が正しく抑えられているからこそなのかしら?』

 「この魔力、この雰囲気……たしかに尋常じゃない。《火の精霊》というには、あまりにも……」

 『私のメテウス。あなたにとっては、このチカラはよく馴染みのあるものなのではないかしら?』


 手のひらに魔法の火を浮かべ、仄かに紅みを帯びた白髪をなびかせながら《火の精霊》は妖艶に俺を見つめる。

 この魔力を、俺は昔からよく知っている。“あの人”が俺を救うために使ったチカラと同じ……いやそれどころか、俺は普段からそのチカラを使っている。

 手にしていた刀が姿を変え、黒狐猫のカタチになって俺の肩に乗った。


 『黒狐猫のチェレン。ふふ、久しぶりね』

 「シャアァァァ……!」


 名前を呼ばれたチェレンが毛を逆立てて威嚇する。俺は相棒の背中を撫でながら、目の前の少女に訊ねた。


 「貴女は、何者なんだ……? 貴女が本当に《火の精霊》なのだとしたら、このチカラは……」

 『ふふっ…………私はあなたの言う意味において、《火の大精霊》で間違いないわよ? この国は、私の魔法で成り立っている。災いを呼び、国どころか地方ひとつを滅ぼすほどの呪いのチカラを持つ“白い髪の魔女”と呼ばれたその存在を、この国は《精霊》としての契約で封じ、利用することにした。破滅を齎すほど強大なチカラも、上手く制御できれば立派な技術よ。魔法とは、文字通り“魔女”が齎す強力なチカラ。この国は、そうして成り立っている』

 「……!」

 『なのに人々は、いつしかそのチカラをくれた魔女を恐れ、忘れ去ろうとした。一方では魔女のチカラを我が物にせんと争いを繰り返しながら、もう一方では魔女を悪しきものとして退治する物語を広めた。私はただ、あの人を……メテウスとその子どもたちを、見守っていたかっただけなのに……』


 悲しそうな……いや、ただ寂しそうな顔をして、少女は遠い目で西の方を見つめ────不意にこちらへと振り向いてから、そっと俺の手を取った。


 「でも。今、ようやくあなたと会えたわ。メテウス……14年前のあの日、あなたの名前を聞いて、ようやくこの日が訪れたと思った。あなたになら……ただ一人あなただけに、私の全てを捧げられる。だから、もう一度……私の伴侶となりなさい」


 それまでの妙に反響するような音色の声とは違い、やけにハッキリとした声で少女は言った。




 「……断る。悪いな」

 「え…………」


 信じられないといった顔で、少女は目を見開いた。


 「貴女が何者なのか、どういう事情を抱えているのかは分からない。でもよ、自分の姿をよく見ろよ? 14歳の少女の顔で、伴侶だの何だの言われても戸惑うだろう」


 まだまだ幼さの残るシャロンの顔で、いきなり求婚されたら何よりもまず驚いてしかるべきだろう。ましてや自分がおとぎ話の人物で、あなたも過去の人と同じ名前だから同じように結婚しろなどと言われて、はいそうですかと頷けるわけがない。


 「それに、メテウスってのが以前の貴女の伴侶だったとして、話からしてそれは何百年も前の話だろう。言うまでもなく、俺とは別人だ。今の俺は、ミティオ・クレメントス。クレメントスの旦那に抱え込まれ、モニカに頼られ、シャロンの口車に乗り、エレノアと協力してお嬢様ふたりと火の魔法を盗み出そうとひと芝居はたらいた盗賊だ。初代国王の妃だったともいわれる名高き“魔女”様に、このような怪人物は似合わないだろう?」


 彼女の手をほどき、まっすぐ見つめながら断りを告げた。彼女はしばらく目と口を開いたまま放心したようになっていたが、やがて目を伏せると小さく笑みをこぼした。


 「そう…………ふふっ、その言い回し。なつかしいわね」

 「んなこと言われても、これは俺の師匠からの受け売りだぜ? アンタの知る誰かのものとは一切関係ねえよ」

 「ええ、そうかもしれないわね。わかったわ。今は、諦めましょう。この身体もこの子に返してあげないといけないものね。でも忘れないで? あなたがそうは思わなくても、私にとってあなたはメテウス。大切なあの人の生まれ変わりだということを」

 「まあ、何を信じるかは人それぞれだからな。だが、勝手にシャロンの身体を乗っ取るな。俺がアンタの言うメテウスとは違うように、その身体は間違いなくシャロンのものだ。何かあったら、ただじゃ済まさん」


 俺は再びチェレンを撫でつつ、左手で刀を抜く真似をした。


 「分かっているわ。私はあくまで、この子の意志を尊重しているもの。今回だって、あなたを守りたいという意識が私を目覚めさせたのだから。……それにしても、ふふ。あなたが自分のために怒ってくれたと知ったら、この子が喜ぶわ。この子、相当あなたを慕っているようだから」

 「……さあな。これはあくまでただの協力関係。お嬢様の恋人は荷が重いからな。というか良いのかよ、アンタは俺にご執心なんだろう?」

 「私がこの子であるように、この子も私の一部だから。むしろ、あなたが手籠めにしてくれれば私としても話が早いのだけれど」

 「しねえよ!」


 なぜだろう、ものすごく態度が軽くなったような。《火の精霊》にして呪いの魔女という、とんでもない存在が現れたはずなのに、この軽い空気は却って落ち着かない。

 やがて、彼女の纏う魔力が白い炎となって彼女を包んだ。


 『また逢いましょう、私のメテウス。私は、あなたと逢うために生まれてきた。あなたが私を《人間》にした────あなたは、私にとっての“始まりの人プロメーテウス”なのだから』

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