29. 《死神》




 『無理するな……下がってろ!』

 『バカ! 無理するわよ! アンタだって危ないんでしょ?!』



 『待たせたな、エレ』

 『まったくだよっ! あれだけカッコつけておいて、倒れてちゃ世話はないよね……!』




 モニカさんに、エレ。二人とも、ミティオさんを助けて信頼もされている。対するわたしは、みんなを守るどころか足手まといにしかならない。

 わたしには戦う力なんて無い。エレのように剣を振るって立ち向かう強さも、モニカさんのように自分では使えない魔法を魔法具で補って駆使する技術も。何より、そうしてまであの人の側で戦おうとする勇気も。


 「わたしも……わたしだって……!」


 あの人は、ミティオさんは、わたしをちっぽけな世界から連れ出してくれた大切な人。《魔女》などと呼ばれて何もできないまま屋敷に閉じこもっていたわたしに、あの人はわたしにも出来ることが、わたしにしか出来ないことがあると言ってくれた。

 だから、そんな彼がいつもこんな戦いを繰り返してきたのだと聞いた時、居ても立っても居られなくなった。

 そして……


 『ぐ……ッ…………!』

 『ミティオさんっ!?』

 『ミティオっ!!』

 『くっ……このぉッ!!!』


 人のカタチをした狼の爪が、わたしをかばったミティオさんに突き刺さる。その光景を見た途端、目の前が真っ暗になった気がした。

 ミティオさんが、わたしを守って……?

 わたしのせいで、こんな───



 モニカさんに叱咤されながら、なんとか【治癒】のための魔力を補佐する火をおこすことはできた。

 でも、彼は再び立ち向かってしまう。わたしのために、わたしなんかのために……! そんなこと、してほしいわけじゃないのに。わたしのために、大切な人が傷つくなんて…………───



 ───あの狼がまた彼に向かって突っ込んでくるのが見えた。

 その瞬間、今までにないような黒い感情が、身体の奥底から湧き上がってくるのを感じた。


 あの人に、触れるな。

 近づくな。

 わたしから、彼を奪うな。

 彼を傷付けることは許さない。

 《死神》か何だか知らないけれど……

 大切な、わたしの──────




 『わたし、の──に、手を出すな───ッ!!!』




 の意識は、そこで途絶えた。




◇ ◇ ◇





 「シャロン」


 もはや完全な人狼と化した《死神》と対峙する白髪の少女の隣に立ち、俺は彼女の名前を呼んだ。


 『

 「フン───それはもしかして俺のことか?」

 『今この場に、貴方以外の人間がいて?』

 「一応いるぞ? 目の前に」

 『あんな獣もどき、人の数に入らないわ』


 普段のシャロンとは明らかに異なる口調。声の響きも違う。姿形は同じ人間なのに、まるで別人のような印象を受ける。


 「……グォォ……キサマ。何者、だ」

 『“心”を理解しない《月の精霊》の操り人形に、ヒトの言葉を喋る必要はないわ。【黙りなさい】』


 そう言い放つとともにの目が赤黒く輝き、同時に《死神》が苦しそうに呻きながら倒れ伏した。


 「ググ、グ……キサマ……何ヲシタ……ッ…………!」

 『発言を許してはいないわ、《月の人狼》。徒人ただびとの身でありながら《死神》を名乗るさまは愚かを通り越して滑稽だったわ。獣に堕ちたのはむしろ幸運だったかもしれないわね。忌み名の呪いをその身に受けずに、安らかに眠れるのだから』


 侮蔑のこもった声色で言い捨てる彼女の目には、哀愁と僅かな憐憫の色が見えた。


 「ソウカ、キサマガ……災イノピトス───キサマコソガ、奴ノ……!!」


 “《精霊》の操り人形”に、“忌み名の呪い”。そして“ピトス”、か。気になる単語ワードが多すぎる。一体彼女は何を知っているというのだろうか?


 『でも、安らかな眠りなんてが許さないわ。死してなお消えないほのおに魂を焼かれながら、永劫えいごうに苦しみ続けなさい』

 「グッ……───ァアアアアアァァアアアアアアアアア!!!!」


 見たことのない赤黒い禍々まがまがしい魔力が《死神》へと流し込まれ、人狼がこの世の終わりのような断末魔を上げる。


 『これなるはまさしく《死神》の呪い。───私のメテウスに手を出して、楽に死ねると思わないことねッ!!』


 どこからそんな魔力が沸いてくるのだろうか。建物ひとつを焼き尽くしてもまだ有り余るほどの強大な魔力が《死神》だったものの身体に注ぎ込まれる。覚えのある《月の精霊》の魔力が耐え切れずに押し出され、かき消えていった。


 「オオオオオオオオオオオオオォォォおおおオオオオオオォォ─────」


 このままだと、奴は……


 「……チェレン」


 俺が刀の柄に手をかけると、黒い相棒は頷くように月の光を刀身に照り返した。


 「─────そこまでだよ」


 俺は刀を抜き放ち、奴と“少女”との間にある魔力の流れを断ち切った。

 次の瞬間、


 ドォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!!!!


 まるで雷鳴のような炸裂音が轟き、紅い爆炎を伴って赤黒い魔力がはじけた。





 『……何のつもり? コイツは貴方を殺そうとしたのよ? なのになぜ、助けるのっ!? せっかく私が永久に消えない地獄の責め苦を与えようとしたのに……』


 少女が信じられないといった表情で問い詰めてくる。


 「んなこと誰も頼んでねえよ。人の罪をとがめ、あがなわせるのは俺たちの仕事じゃない。それは、神の仕事だ」


 巨大な爆発音を受けてか、列車が停車する。そして爆発の中心にいた《死神》は、人狼の姿を失い人の姿形に戻っていた。


 「……キサ、マ…………」

 「アンタは“人間”だ。その罪も妄執も誇りも、アンタ自身が神の御許みもとに持って行くものだ」


 たしかにこいつは暗殺者で、妄念に囚われて碌でもない計画に加担し、挙句の果てに失敗して暴走した小悪党だ。だからといって、死してなお終わることのない永遠の責め苦などを受けるべき存在でもない。人として生を受けた以上、人として、人らしく終わりを迎えるべきだ。

 《死神》の身体が朽ちていく。少しずつ、灰のように風に流されて消えていこうとしている。


 「貴族の世はもうじき終わる。帝都では民衆による議会の力が貴族の議会を上回りつつあり、地方では国外から流入した魔法によらない技術が改革の芽を吹き始めている。一部の選ばれた人間だけが歴史を、世界を動かす時代は終わったんだ。貴族というものが後にどのように評価されるようになるのかは分からないが、せめて誇りを持ってその最期に向き合ってほしいと思う。いずれ貴族たちがそれを受け入れるのなら、アンタの人生には意味があった。《月夜の死神》ヒュプシス・レニーリョ。アンタの家は、無事に役目を終えたんだ」

 「クク……知ったような口を…………だが、礼を言わねば……ならんようだ…………」


 そう言い残して、《死神》の亡骸は跡形もなく消え去っていった。



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