28. 月狂い




 「───へぇ……これはまた、なのが出てきたな?」


 現実離れした遠吠えの後に、俺たちのいる列車の屋根に現れた一匹の“オオカミ”。だがその姿は通常の野生の狼とは明らかに違った。

 まず最初に大きさが通常の狼とは異なる。大の大人ほどの熊のような体躯で、頭部の形や四つ足は明らかに狼なのに威圧感はただの狼たちとは比較にならない。漆黒の体毛は先程の影たちと同類のように見えるが、奴は“影絵”たちとは違い体表にハッキリとした輪郭が見える。つまり、完全に一から影の中から生まれた化け物ではなく、実体を持って存在している生き物だということ。

 そして何より、奴は背を丸めたまま


 「オオカミ……いえ……これは、人……?」


 その姿はまるで、物語に登場する人狼ルー・ガルーのような───


 「グルァアア───ッ!!」

 「チッ……!」


 人狼が人智を超えた速さで腕を振りかぶり、俺たちへ向けてカギ爪を振り下ろす。

 俺は咄嗟に【障壁】を展開してシャロンを抱えて飛び退くが、奴はそれを軽々と引き裂き俺たちのいた場所へと爪を突き立てた。


 「シェリー!」

 「下がりなさい、アンタたちっ!!」


 エレノアとモニカが血相を変えて叫んだ。

 言われるまでもなく俺はシャロンとともに距離を取り、【跳躍】してきたエレノアにシャロンを託す。


 「なんなの、コイツは……っ!?」

 「さあなっ、俺に訊くな! とにかくエレはシャロンを守れ」

 「言われなくともっ!!」


 エレノアの返事を待つことなく、俺は人狼と距離を取りつつ対峙するモニカの隣へ跳んだ。




 「ゴアァァッ!!」

 「ミティオっ……!」

 「させねえよ!」


 まさに奴の爪撃がモニカへ向けて放たれようとしていたところに、すんでの所で割って入る。刀に姿を変えた黒狐猫チェレンを思い切り叩きつけて逸らし、返す刀で奴の胴を突き飛ばした。

 鞘のままとはいえ渾身の一撃だったが……奴はただ吹き飛ばされただけで、大きなダメージは無いようだった。


 「悪い、待たせた」

 「正直、生きた心地がしなかったわ……ホントなんなのよ、コイツは」

 「知らねえよ。……と言いたいところだが、ひとつだけ心当たりはあるな」


 黒く毛むくじゃらの狼の姿をした奴の頭上───青白く輝く満月を見上げながら、呟いた。


 「ヒュルルル…………コゾウ……白ノ……娘……」


 続いて、俺や背後のシャロンを見た奴の口から洩れる言葉を聞いて、確信する。


 「ヘッ、やっぱりそうかい。ずいぶん哀れな姿じゃねえか、《》さんよ!」

 「それって……アンタとあのお嬢様を襲った?」

 「ああ。奴はその名の通り月に因んだ魔法を使っていた。間違いない。コイツは《月夜の死神》ヒュプシス・レニーリョだ」


 俺が奴の名前を呼ぶと、人狼がピクリと眉を動かしたのが分かった。


 「間違いないみたいね……一体どういうこと? 月の魔法といえば、あの“仮面”に宿らせた【幻影】の魔法のことよね?」


 俺はモニカの“作品”である半仮面を取り出し、頷く。


 「詳しい理屈は分からん。だが月という要素と今のこの姿を併せて考えれば、想像はできる。満月の夜に狼へと変化する人狼の伝承は有名だからな。伝承にいわく、月は人を狂わせる。月に魅入られ己を喪い、あるいは人の道を見失った者を、人は“月狂いルナティック”と呼んだ」


 変わり果てた《死神》───否、《月狂いの人狼》が、俺たちに向かって大口を開いて襲い掛かった。


 「速いっ───きゃっ!?」

 「ちっ、聞きしに勝る馬鹿力ばかぢからだな……!」


 俺は刀で奴を抑えつつ、【障壁】でモニカを突き飛ばした。

 この巨体が高速で飛び掛かってくる様は、さながら砲弾のよう。単にぶつかっただけでも人間ごとき簡単に吹き飛ばされるだろう。


 「ミティオ……っ!」


 モニカは尻餅をついたまま魔導銃を構え、【拘束】の魔法を放つ。人狼の動きが止まり、俺は刀で奴のあぎとを列車の屋根に叩き伏せた。


 「無理するな……下がってろ!」

 「バカ! 無理するわよ! アンタだって危ないんでしょ?! いつもいつも、アンタひとりで勝手に危険なことばかり……!」

 「ヘッ、余計なお世話だ。この程度、終演後の余興みたいなもんさ。とっとと片付けてやるから、そこで見てろ」

 「ウソよ! いつもそうやって余裕のあるフリをして……あたしはアンタにかばわれたくてここにいるんじゃないわよ!」

 「こっちこそ、お前に説教されたくて連れてきたわけじゃねえよ。いいから黙って───チッ!!」


 押さえつけていた人狼が、モニカの【拘束】を振り払って後ろへ跳び退いた。


 「力づくで抜け出すとはな……落第暗殺者にしてはやる。油断はできなさそうだな?」


 そのまま再びかかってこようとした奴だったが、刀を抜こうとする素振りを見せると踏みとどまった。獣と化したためか、警戒心も鋭くなったのだろうか。“影”の影響を受けていると思しき相手、不用意に刀を抜いてチェレンの力を解放してしまえば却って力を与えてしまう“副作用”も考えられるため、安易に抜き放つつもりはないが……

 何にせよハッタリが効くのは好都合だ。“戦いは、余裕を失くした方が負ける”。師から教わったように、相手に呑まれてしまえば勝てるものも勝てなくなる。奴のように執念で動いている相手ならば尚更だろう。




 「コゾウ……“秩序”ヲ乱ス者……殺ス…………我ガ……使命…………」

 「“使命”……ねぇ。人の姿を捨てたってのに、やけに崇高な物言いをするもんだ」


 俺は嘲笑うように死神を煽る。

 考えてみれば奴の強い拘りや名声への執着は、由緒ある暗殺者にしては違和感のあるものだった。実力不足や落ち目の貴族としての焦りから来るものだと思っていたが、どうやらそれだけでもないらしい。何やら裏がありそうだ。


 「オオオオオオォォォォォ───ンッッ!!!」

 「っ……!?」


 再び人狼が爪と牙を剥き出しにしたかと思うと、俺の頭上を飛び越えてに襲い掛かった。


 「エレ!」

 「くっ、シェリーっ!!!」


 さすが専属の護衛だけはあり、エレノアは素早くシャロンを抱えて後方へ跳ぶ。


 「っ……!!」

 「シェリー、大丈夫?」

 「っ、うん、平気……」


 日頃の訓練が窺い知れる無駄のない回避行動。シャロンのことは彼女に任せておいて大丈夫そうだ。


 「残念だが、アンタの相手はこっちだぜ」


 背後を見せる形となった人狼に遠慮なく斬りかかる。


 「グォアアァァッ!」

 「ヘッ、化け物狼にもこれは効くだろう」


 魔力の籠った鞘による一太刀。大木すら叩き折れるほどの一撃だ。


 「グ……オォ…………」


 熊ですら背骨をへし折る斬撃を背中に受け、さしもの人狼もたまらず倒れ伏せる。奴の身体を覆っていた体毛のような“影”も、さっきの影絵たちと同じように霧散していった。




 「……ふぅ……倒した、みたいだね」

 「ああ。だが油断はするなよ。“影”は消したが、本体はまだ生きてやがる。《死神》のクセしてしぶとい野郎だ」


 影の体毛は消えたが、その中から現れた本体もまた黒灰色の毛に覆われた半狼の姿をしていた。たしかに顔は《死神》の面影があるものの、鼻と顎は突き出て耳は尖り、手足の指は不気味なほど太く鋭い爪を生やしている。


 「……蛮族の……小僧め……」

 「この期に及んでまだ喋れるのか。ちょうど良い、アンタには聞きたいことが山ほどあってな。そもそも、エレの話だと屋敷の詰め所に捕らわれているはずのアンタがなぜここにいるんだ?」

 「っ!? そうだっ、貴様、まさかみんなを───」


 仲間を害された可能性に思い至ったエレノアが怒りをあらわにする。


 「ククク……蛮族の血を受け入れ、跡継ぎに据えようとする伯爵家に仕える者たちなど、どうなっても構うまい? そこの“紋なし”の娘と同じく、妙な魔法具に頼らねば魔法の恩恵に与することも出来ぬ下等な生き物など……」

 「ッ、こいつっ……!」

 「別に構わないわ。人を辞めた化け物に何を言われたところで滑稽なだけだし。それにこれは勘だけど、こいつは貴女あなたの同僚たちに手を下したわけではないと思うわよ? 本気でどうでもいいと思ってるみたいだし、お仲間の騎士たちも相当な練度なんでしょう? 逃げ出すついででやられるほどヤワではないはずよ」


 安い挑発に乗ってしまうほど冷静さを欠いたエレノアを、モニカがいなすようにたしなめた。

 俺やモニカ、そして移民系の家の血を引くシャロンの姉弟は皆、この国では大なり小なり「蛮族」として蔑まれる立場にある。特に移民に対する排斥感情の大きい東部地域に住んでいれば、この程度の罵倒には慣れっこだ。


 「どうだろうな……? 栄えある貴族による統治をけがす存在は除かねばならぬ。歴史と秩序の管理者として、それは《死神》レニーリョ家の使命とも言える。下賤な身ながら浅ましくも魔法にありつこうとする蛮族も、それを野放しにするばかりか自らの内に取り込んだ伯爵家も、みな等しく我が排除すべき汚物! この力を以てすれば、卑しい者共を根絶やしにすることなど容易い……!」

 「モニカさんたちも、お姉様や弟たちも、移民の血を引く人たちは決して卑しい存在なんかではありませんっ! 生まれ育ちで人を蔑む貴方の方がよっぽど卑しいです! 貴方の背後にいるオルドラン子爵はクロシェット派の中では移民との融和に積極的だと聞いていましたが、内実はそうじゃないみたいですね。お姉様の婚約者として、およそ相応しくありませんっ!」


 身内を侮辱されたことにシャロンが声を荒げて詰め寄る。先週シャロンが襲われたこと自体は実家であるオースティン伯爵家にも言っていないようだが、姉の婚約者であるオルドラン子爵への疑念については伝えていたらしく、調査が進められていたらしい。オルドラン子爵としては今夜行われている子爵邸での晩餐会で予定通り正式な結婚を発表するつもりだったのだろうが、当のオースティン伯爵は逆に子爵が裏で行ってきた数々の移民排斥運動を暴いて婚約の解消を宣言するつもりだったようだ。シャロンの“誘拐”があったことで、実際にどうなっているのかは分からないが……少なくとも、子爵はもうだろう。


 「貴方ももう、終わりです。大人しくお縄について、裁きを受けてください。貴族の娘として、暗殺や謀略の歴史を否定することはできませんが……それでも、貴方のしてきたことは許されないことです」

 「キサマ……ッ……! キサマが、それを言うというのか……《白の娘》であるキサマが…………!」

 「え……?」

 「周囲を不幸に巻き込み、災いを撒き散らす《白髪の魔女》ッ! あらゆるものを破滅に追いやる“呪い”は、まさしく本物だったようだなァ! 我も、凡愚なるあの子爵も、かの伯爵家にこの者たちもッ!! 全ては、キサマの撒き散らす呪いによって滅びるのだッ……!!」

 「───黙れ。それ以上、妄言しか喋らないようだったら、直ちにこの場でその首を斬る」


 刀のこじりで奴の足元の屋根を突き、言い放つ。

 流石にキレた。モニカを侮辱されたこともそうだが、何より「白髪である」ということだけでありもしない迷信を押し付けるその態度に、堪忍袋の緒が切れた。


 「フン……惚れた女を罵倒されて腹を立てたか。若いなァ、小僧?」

 「ああ。と同じ白い髪を持つ少女。それを貶されて黙っていられるほど、俺は見た目ほどの大人じゃねえ」


 殺意を露わにして半身ほど刀を引き抜く。


 「……あの人…………?」


 シャロンが呟いたのが聞こえた。




 「……不愉快だ。キサマ等のその目、曇らせてくれるッ……!!」


 何事かを口走った瞬間、《死神》の目がシャロンの顔を見て妖しく爛々と輝いた。


 「チィッ───!!」


 咄嗟に奴とシャロンの間に割って入る。奴があり得ない体勢から音速の爪をシャロンへ向けて突き出したのと、俺がシャロンをかばい爪の一撃を食らったのはほぼ同時だった。


 「ぐ……ッ…………!」

 「ミティオさんっ!?」

 「ミティオっ!!」

 「くっ……このぉッ!!!」


 シャロンとモニカが血相を変えて叫び、エレノアが《死神》へ剣を振り下ろすが───奴は倒れ伏せた体勢から目にも留まらぬ速さで飛び退き、避けた。エレノアもすかさず追撃するが、まさしく獣のような身のこなしで逃げ回る奴は《剣姫》の【跳躍】でも捉えるのは難しかった。


 「やって……くれたな……少し、効いたぜ」


 奴の爪をまともに食らった腹に激痛が走る。【障壁】で守りはしたが、それでも到底防ぎきれない威力だった。あの体勢からは想像できないほどの……奴はもう、完全に人間ではなくなっているのだろう。

 服は裂け、腹が一部抉られ血が流れている。何らかの魔力、というよりも呪詛のようなものも込められていたのだろう。身体が重い。


 「なにやってんのよ……! 治療するわよ、お嬢様! アンタ、火の魔法が使えるんでしょ? 魔力が足りないから手伝いなさい!」


 モニカが虎の子の【治癒】の魔法具を取り出し俺に押し付けて言った。広場で見た高級品とは違い、作りも荒く一度使ったら壊れそうな消耗品だ。これは、モニカの身に何かあった時のために持たせていた非常用のものだった。


 「へっ、かすり傷だこんなモン……もっと重要な場面のために取っとけ」

 「バカ……! こんな時まで余裕ぶってるんじゃないわよ!! 喋らないで!」


 モニカに必死な顔で怒鳴られる。これは抵抗しない方が良さそうだ。


 「お嬢様、聞いてる? 返事をしなさい、小娘っ!!」

 「え? あ……は、はいっ」

 「呆けてる場合じゃないわ。とっとと“火”を出す!」

 「は……はいッ!!」


 モニカに叱咤されて我に返ったシャロンが左手に“魔法の火”を灯す。モニカは奪い取るようにその魔力を魔法具に込め、【治癒】を発動させた。

 抉れた俺の腹の傷がみるみるうちに治っていく。


 「ああ……慣れねえな、この感じ」


 今まで感じていたはずの痛覚が行き場を失い、何とも言えない感覚が走る。人間は怪我をしてすぐは脳内の物質によって痛みを感じないが、【治癒】の魔法で無理矢理傷を治すとそれらの反応が迷走して酔ったような感覚に陥るという。以前も【治癒】で治療されたことがあったが、この感覚には慣れることができそうにない。


 「慣れなくていいわよ、バカ……! 無茶しないで……」

 「ああ、悪い。文句は後で幾らでも聞く」


 泣き虫な妹分の頭を撫で、エレノアが必死に足止めしている人狼の方へと向き直る。

 あの子も必死だ。加勢しなければマズい。


 「待たせたな、エレ!」

 「まったくだよっ! あれだけカッコつけておいて、倒れてちゃ世話はないよね……!」

 「そうだな。汚名は注ぐぜ」


 エレノアの隣に立ち、刀を構える。

 事ここに至って、出し惜しみはできない。傷は癒えたが、奴の呪詛は残ったままなのだろう。手足は依然、鉛のように重い。

 ここは黒狐猫チェレンを抜き放ち、一気にカタを付ける!


 「キサマ等……どこまで私を愚弄するつもりかッ!」

 「“最後まで”だ。徹頭徹尾、馬鹿にしてるつもりだったが伝わらなかったか?」

 「ッ……殺すッ───!!」


 狼のように四つん這いの体勢から、《死神》が突進してくる。迎え撃つように俺は刀を抜き放ち───


 「───に……な……」

 「……!?」


 突如、俺たちの前にが姿を現したので、手を止める。


 「シェ、リー……?」


 エレノアが思わず呆けた声を出した。

 たしかに後ろから見た姿はあの、白い髪の背の低い少女だが……いつの間に、前に出た?

 何より、後ろ姿を見るだけでも分かる、この異様な雰囲気は……




 『わたし、の──に、手を出すな───ッ!!!』

 「なッ……!!?」




 その“名前”は……───!



 爆風に吹き飛ばされる。

 ただの風じゃない。これは、とんでもない密度の魔力そのものが衝撃波となって襲ってきている!?


 「うわっ!?」

 「きゃっ!!!」

 「!! モニカっ!!!」


 吹き飛ばされた少女たちが、列車の屋根から振り落とされる。

 間に合わない……ッ……!!


 「ボクに任せてっ……!!!」


 流石の練度で空中で体勢を立て直したエレノアが、モニカを抱えて地面へと【跳躍】し、着地した。


 「ミティオっっ!! シェリーをっ……!!!」


 そう言い放って、エレノアの身体が遠ざかっていく。二人を置き去りにして、列車は俺たちを運び去っていった。


 「ああ──────恩は返すぜ」


 エレは俺の妹分を救ってくれた。ならば、彼女の妹分は……俺が。




 「シャロン」


 もはや完全な人狼と化した《死神》と対峙する白髪の少女の隣に立ち、俺は彼女の名前を呼んだ。

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