17. 精霊




 「参ったなぁ。ボクがこうまで子供扱いされてしまうなんて」

 「よく言うぜ。実のところ半分も本気を出してなかっただろうに……」


 剣を鞘に収めながら不服そうな様子で《風の剣姫》エレノアが言った不平に、俺はついつい苦笑いをこぼす。

 全力の戦いなんてものは、そう易々と他人に見せるものではない。特に、守るべきものがある彼女の場合、いざという時のために奥の手は隠しておくのが当たり前だ。いつ何時、俺が手のひらを返してあるじに害を為すか分からないのだから。

 事実、エレノアの立ち回りにはまだまだ余裕が見てとれた。対するこちらは虎の子の“魔法を斬る”技まで披露してしまったのだから、素直に喜べない。形式の上では勝っても、実力的にはまだまだだと実感する。


 「そんなことないよ。最初に予想していたよりも、何枚も上手を行かれていた。試合なんかじゃなくって、不意打ちでもされていたらどうなっていたか……キミ、うちの騎士団に来ないかい? 正直に言って、剣の腕だけでも街の騎士団の隊長たちでは敵わないと思う。加えて魔法にその“技”でしょう? 団長も後継者を欲しがっているし、いっそうちに来てくれたら安泰なんだけどな」

 「そいつは御免こうむる。そもそも、御家のお嬢さんを誘拐しないといけない時点で、騎士団から見て敵になるのは確定なんだけどな……」


 エレノア自身がどうするつもりなのかは分からないが、少なくとも立場的には俺は彼女の主を誘拐する予定の不埒者だ。本来ならば、もし仮にこの場で斬られても文句は言えないのだ。彼女のような実力のある人間がいる騎士団、すなわちこの街の治安組織すべてを相手取るなんて事態にはならないことを祈りたい。




 『へぇ、まさか直接対決でエレに勝つヤツが現れるなんてなー』


 とそこで突然、誰もいないはずの虚空から声が響く。


 「!? 誰っ!!」

 「ほう」


 響いてきたのは、あどけない少女のような雰囲気の声。

 エレノアが警戒して声のした方向を睨み、俺は感嘆の声を漏らす。人の姿は見えないが、確かにがそこにいる感覚がある。


 『おお? オレの声が聞こえてるのか?』

 「ああ。姿は見えないが、声自体はちゃんと届いている。どちらかというと、頭に直接届いている感じだけどな。さあ、見えないままというのも不便だし、姿を見せてくれないか。《》?」


 俺の声掛けに応えるように、俺たちの前に小さな人影が姿を現した。

 それは、片手で抱えられそうな大きさの人形ほどの小人だった。見た目としても相応に幼く、踊り子のような少女の姿をしている。所々、手足の先が霞のようにぼやけている部分はあるが、ほぼ完璧な人型の精霊だった。


 「わわわっ!? よ、妖精……?」

 『残念。正しくは、《精霊》だぜ! こうして面と向かって話すのは初めてだな!』


 エレノアは、突然現れた小さな少女に驚きを隠せない様子。


 「人型ヒトガタの精霊とは驚いた。しかも、こうして言葉を交わせるなんてな」

 『その様子だとオマエ、他の精霊に会ったことがあるんだな?』

 「ああ。なにせ、チェレンこの子がいるからな。精霊を認識するのも実際に目にするのも、同じ精霊なら容易いんだろう」

 「ちょちょちょ、ちょっと待ってよ! なんなの、何が起こってるの~!?」


 訳知り顔で探り合う俺たちに、訳も分からないエレノアは困り果てた顔をしていた。


 「エレノア、こいつは《精霊》だ。おそらく君の、君の実家であるフォンティール家の“風の魔法”を操っているのは、目の前にいるこの風の精霊なんだろう」

 「せ、精霊って……おとぎ話や伝承に出てくる、あの? ていうかボクの家の、って……」


 彼女が戸惑うのも無理はない。一般的に、魔法とは血筋によって受け継がれていく技術。今でこそ魔法を誰でも簡単に扱えるようにする「魔法具」が発明され、使われるようになってきているが、それでも好きな時に強力な魔法を自由に使いこなせる“血統魔法”は、この国の貴族を貴族たらしめる重要な才能。正確には使い手は貴族に限らないのだが、魔法を扱える人間は貴族かそれに準ずる者が大多数だ。

 そんな血統魔法のひとつである彼女たちフォンティール家の風の魔法を、《精霊》という御伽噺おとぎばなしの存在のものだと言われたのだ。控えめに言っても、常識をぶち壊す爆弾発言と言えるだろう。


 『なんだよー、信用できないってか? これでもずいぶん前からの付き合いなんだぜ? 《風の剣姫》なんて呼ばれるようになったのは、オレがオマエを気に入ってチカラを貸してたからって一面もあるんだ。オマエの魔力は心地が良いからな!』

 「はあ……というか、女の子? なのに“オレ”なんだね?」

 『悪いかよー、オマエだって女なのに自分のことを“ボク”って呼ぶだろー!』


 《風の精霊》はカラカラと楽しそうに笑う。見た目は華奢な少女だが、性格はどうにも少年っぽい。精霊は側にいる人間に似るのだろうか? というか、似ているからこそ気に入っているのかもしれない。




 「魔法は理論上誰でも使える。だが、魔力や技量の点で実際は一般人が使うことは難しい。なのに、一部の人間はそんな魔法を生まれながらにして軽々と扱うことができる。それは、なぜか?」

 「……ボクたちの血統魔法は、本当は《精霊》が代わりに使ってくれている、ということ?」

 「ご名答。人間には困難な魔法の行使も、足りない魔力も、精霊が代わりにやってくれるなら人間側の負担はほぼ無い。いわば、ある精霊が魔法を代行してくれているのが、血統魔法と呼ばれる特別な魔法の正体だ。……あくまで推論だが」


 隣でふよふよと浮いている風の精霊に目をやる。頭の後ろで腕を組んで、口笛の真似をしてひゅーひゅーと唇を鳴らしている。……風の精霊なのに吹けないのか。


 『ま、ニンゲンが直接使ってるわけじゃないって点は間違いじゃないぜ。詳しいことは、約定があって話せないけどな』

 「ふむ。……ま、いいけどな」


 人型の、しかも言葉を喋れる精霊というのは稀。色々と聞き出したいことはあるのだが……そう簡単に話す訳にはいかないのだろう。“約定”……誰と誰の、なのかは気になるが……。彼女らがこういう点では融通が利かないのは知っているので、これ以上踏み込んでは聞かない。


 「キミみたいな精霊が、ずっとすぐ側にいたなんて……」

 『四六時中、いつもいるわけじゃないけどなー。それに、これが唯一の本体ってわけじゃない。オマエの母親や弟妹にも、時々分体別のオレが様子を見に行ってるぜ』

 「ええ……」

 「精霊は普通、目に見えないし聞こえないものだからな。気付かないのも無理はない。俺が認識できるのだって、コイツがいるおかげだしな」


 俺の言葉に応えるように、刀から黒狐猫へと姿を戻したチェレンが肩に乗ってくる。


 「コイツは黒狐猫のチェレン。一応、精霊らしい。なんか、昔からずっと俺に憑いてきてるんだよな」

 「この子が精霊……てっきり、魔法で召喚された魔法生物なんだと思ってたよ」

 『……オマエ、珍しいヤツだな。精霊の眷属けんぞくを連れてるなんてよー』


 しかも、こいつは相当高位の……とかなんとか、小さく呟く声が聞こえた気がした。


 「魔力に敏感で、どうやら魔法を食ったり切ったりするのが得意らしい。たとえばこうして」


 指を鳴らすと肩の黒狐猫が飛び上がり、上空から【暴風】を吹きつけた。


 「わっ」

 「さすがは《風の精霊》の魔法、なかなかの威力だ」


 俺やエレノアの髪が大きく吹き乱れる。


 「こんな風に、魔法そのものを奪ったり。あるいは、精霊そのものと契約を交わせれば、魔法の使用権自体を貰うことだってできるかも? どうだ。君の存在を見破ったわけだし、いっそのこと俺にも風の魔法をくれても良いんじゃないか?」

 『簡単に言ってくれるぜ。見ず知らずの、しかも男なんかにオレの魔法を使わせるかぁッ!』


 風の精霊は俺の【暴風】をかき消した上で、腕を組んでプイとそっぽを向いた。


 「見ず知らずは分かるとして……なんで“男”?」

 「フォンティール家の風の魔法は、男性よりも女性の方が強力なんだよ。特に、母上の本気の魔法はさながら嵐みたいで……うう、訓練とはいえアレをまともに食らったらひとたまりもないよ」


 エレノアが顔を青くして身体を震えさせた。……名高き《剣姫》様をこうさせるとは。なかなか、剣士の家系も教育が激しいらしい。


 「男性は魔法を使えないのか?」

 「使えないってことはないけど、そんなに強力なものは使えないみたいだね。叔父上は魔法よりも、剣術と戦略眼で帝国軍の中隊長に抜擢されたらしいし」

 「魔法はオマケってか。とんでもない家系だな……しかし、どうやら男はあまり風の魔法の恩恵を受けていないようだな?」

 「うん。シャロンの火の魔法のように男系の子孫にしか受け継がれない魔法に比べて、うちの魔法は男女ともに受け継がれていく魔法だけど、女の人の方が使いこなせるって特性があるんだ」

 「その理由が、コレか」


 俺たちは目の前にふわふわ浮いている《精霊》を見る。


 『い、いいだろっ。男なんてガサツで野蛮だし、何より優雅さがない。オレの魔法には相応しくねぇからな!』

 「その性格と喋り方で、ガサツとか言ってのけるのか……俺から見れば、君の方がよっぽど」

 『なんだよ?』

 「……なんでもない」


 ガサツで荒々しいんじゃないか? と言いそうになったのをぐっと堪える。

 ともかく、彼女には男に対して悪いイメージがあるらしい。それが女性に彼女の魔法の才能が集中する理由、というか男が恵まれない理由だというのだから理不尽だ。


 「《精霊》ってのが気まぐれなのは今に始まったことじゃないが。深い理由があるのかと思ってたら、思ったよりも人間的な理由だったんだな」

 『そこの黒いのだって、ずいぶんとオマエに懐いてるみたいじゃねーかー。眷属とはいえ“契約”してるわけでもない精霊がここまで人間に肩入れするなんて、正直言って異例中の異例なんだ。あんまり長い間ソイツを側に置いておくと、色々とだぜ?』

 「そうなのか?」


 チェレンの方を見ると、「余計なお世話だ」と言わんばかりに《風の精霊》に向かって毛を逆立たせ、フシャァーッといきり立っている。

 精霊は自由な存在だというのに、この子が黙って付いてきてくれている理由もよくは分かっていないんだよな。


 「異例だろうが危険だろうが何だろうが、一緒にいてくれる以上は大事な相棒だ。あまり虐めてくれるな」


 チェレンを撫でてなだめつつ、何やら含むところがありそうな《風の精霊》を睨みながら言う。


 『実体化した精霊を連れてても、“厄介事”が増えるだけだぜ。ま、それでもいいって言うならこれ以上はオレが知ったことじゃない』

 「忠告痛み入る。お節介焼きの精霊っ子?」


 誰が何を言おうが、チェレンはから託されたのだ。本人が離れるつもりがない限りは突き放すつもりはないし、誹りを受けるいわれもない。

 この子は、俺たちと出会うまでは“不幸を呼ぶ疫病神”などと呼ばれていた。精霊という特殊な存在ゆえに気味悪がられたか、あるいは本当にそのような力があるのかは定かではないが……そんなことは問題じゃない。大切な人との約束をたがえるほど、俺は堕ちてはいないのだ。


 『~~~~~~~っ! これじゃ、なんかオレが悪者みたいじゃねーかっ!! ああもう、仕方ねえから少しはオレもチカラを貸してやる!』


 もどかしそうに頭をガリガリ掻きむしりながら、《風の精霊》は俺の周りを一回り飛んで回った。彼女から、風の魔法の受け取った気配を感じる。


 「これは……」

 『エレもよく使う、風に後押しを受けて飛ぶ【跳躍】の魔法。これだけは使うことを許してやるっ! これで、いざって時は逃げろよっ!』

 「そうか……ありがとう。大事に使わせてもらうよ」


 なんだかんだ言って、ただ心配してくれていただけらしい。クセは強いが、本質的には善い精霊なんだろう。



 俺は早速、受け取った【跳躍】の魔法を展開してみた。

 背中の方から、全身へ強烈な追い風を受けたような大きな力を感じる。いや、逆か。これは、のか!


 「ふっ!!」


 自分の身体の周りだけに渦巻いている強力な空気の“流れ”に任せて、俺は前方へ大きく跳ぶように大地を蹴った。

 その瞬間───ものすごい勢いで周りの景色が流れていき、さっきの屋敷の城壁の高さほどの距離を一息で飛び越えてしまった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る