18. 作戦
《風の精霊》のチカラで【跳躍】の魔法を発動すると、家三軒ほどの距離を軽々と飛び越えて地面に着地した。
「すごいな……流石は精霊の魔法」
『へへん! この《シェルブール》様直々にチカラを貸してやってるんだ。これくらいで驚いてもらっちゃあ困るぜ!』
俺が呟いた感嘆の声を聞いた《精霊》は、へへんっ、と得意げに胸を張る。どうにも精霊らしい威厳は感じられない。
しかし、そのチカラは紛れもなくホンモノだ。この魔法を授かっただけでも《風の剣姫》と渡り合っただけの価値はある。
「ボクたちフォンティール家の魔法をこんなにあっさりと……」
「論より証拠。百回言って聞かせるよりも、一度目の前でやって見せる方が遥かに効率的だと言うからな。まあ、風の魔法すべてを使えるようになったわけじゃなく、あくまでこの【跳躍】の魔法を貰っただけだが。それでも、血統魔法───いや、精霊魔法の存在は圧倒的だな。制約が少なく取り回しの良さは魔法具にも劣らない。そもそも、精霊魔法を人為的に再現しようとしたのが魔法具の始まりなんだから当たり前か」
当の《剣姫》エレノアは、もはや感嘆とも呆れともつかない表情で嘆息していた。
「そんな血統魔法を
「何者と言われてもな。クレメントス男爵家の三男を名乗る、ただのしがない一般人だよ」
「一般人は冗談でも軽々しく男爵子を名乗らせてもらえないし、魔法を盗んだりもできないよ。……クレメントス男爵家か。そういえば最近、帝国南東部で勢力を増しつつある家があると聞いたことがあるな。南東といえば、ボクが生まれる少し前に大水害があって荒廃した辺境地域だけど……」
「さて、誰のことかねぇ? 帝国南東は南からも東からも辺境にあたるから、南部のゾイデン公や東部の三伯も手が回らず十年以上経った今でも復興の
「ふうん……」
エレノアが
俺とて、クレメントス男爵から三男坊の偽装身分を貰っておきながら何もしていないのかといえば、さにあらず。今回にしても、現在帝国南東の辺境地域を調停役として実質的に取りまとめている彼の御仁から、東部地域を取り仕切る三つの伯爵家、とりわけオースティン伯爵家との“顔繋ぎ”を頼まれているのだ。オースティン伯は東方移民にも比較的寛大であり、特に移民の多い南東地域としては是非とも繋がりを持っておきたい相手だからだ。
本来はシャロンを通して伯爵とのコンタクトを取ろうかと思っていたのだが、当のシャロン本人からとんでもない提案を受けてしまったために現在は保留中。ならばエレノアを通して、迂遠な形でも男爵のことが耳に入ればとりあえずは最低限の仕事をしたことにはなるだろう。もっとも、娘の誘拐を企てていることがバレてしまえば顔繋ぎどころの話ではない。改めて、無理難題を吹っ掛けられたものだとついため息をついた。
「キミの素性はとりあえず置いておくとして。今のやり取りで、目的については理解できたよ。つまりは、シェリーからも“魔法”を貰うつもりなんだね? あの子にもいるであろう《精霊》を通じて」
「そういうことだ。王家の血を引くと言われる旧貴族の、男系の子孫にのみ発現する“火の魔法”。まず間違いなく精霊魔法だ。シャロンの協力を得て、彼女にチカラを与えている《火の精霊》の姿を捉え、火の魔法を授かる。それができなくとも、最低でも魔法の再現の端緒だけは掴みたいもんだ。幸いこちらには、少ない手がかりからでも魔法具での魔法の再現に実績がある優秀な技師がいる。必ずや、東方移民街の皆に暖かい寝床を与えてみせるさ」
「その心意気は立派だけど……改めて、とんでもないな。そのチカラ、悪用すればいくらでもこの国の根底を脅かせるとっておきの
「理解はしてるさ。だからこそ、クレメントスの旦那も特権を与えてでも手元に置いておきたがってるんだろう。俺はただ、平穏に暮らしたいだけだってのに」
やれやれ、と肩を竦めた。特異なチカラを手にしてしまったことは自覚している。正確には俺自身ではなくチェレンの能力なのだが、このチカラが世に広まってしまえば各所から目を付けられるだろう。
魔法を一時的に奪うだけならまだ良い。チェレン本人のチカラは魔法を
「……キミが邪悪な人間でないことは分かったよ。シェリーも、それが分かっててキミに頼んだんだろうね。でも……シェリーを連れ出したとして、行くあてはあるのかい? 事は今までのシェリーの外出とは訳が違う。伯爵家の警備も決してお飾りじゃないし、何か作戦が無いとすぐに捕まって終わりだよ? 流石に、ボクもシェリーを連れ出したのがバレたらキミを捕らえない訳にはいかないから」
「無論、理解しているとも。そうなったら煮るなり焼くなり、好きにしてもらって構わない。これでも
「例のクレメントス男爵か……だったらボクも、シェリーと一緒にキミに協力することにするよ。シェリーを一人で君に預けるのは流石に抵抗があるから、ボクも同行させてもらう。あの子を危険な目に遭わせるのは容認できないし、あと、その……男の人と、ふ、二人っきりってのは良くないと思うし!」
「だから、手は出さねえよ! って言っても、それが当たり前の反応だよな」
未婚の娘が、若い男に連れ去られる。血統を重んじる貴族にとっては死活問題だ。傷物にされていないことを証明するために、最低限誰か一人は“証人”が必要だった。
「とはいえ、君も立派な良家の子女だろう。得体の知れない男と一緒にいるのは外聞は宜しくないんじゃ? それに、シャロンの意志とはいえこれは立派な背信行為だ。加担したとなると、君にどんな罰があるか───」
「そんなのは大した問題じゃない。せっかくシェリーが家から飛び出せるチャンスなんだ。ずっとあの屋敷で囲われて暮らすより、いっそのこと……っていうのは、ボクも思ってたことだから」
エレノアはどこか遠い目をして呟いた。
おそらくシャロンに最も近い立場にいる存在が彼女のはず。そんな彼女が、こうも思い詰めるとは……シャロンに対する風当たりは、それほどまでに強いのだろうか。
「シェリーが笑ってくれるなら、ボクは一生シェリーの付き人でもいい。たとえ汚名を被ってでも、あの子の笑顔はボクが必ず守ってみせる。そうだなぁ、もしそうなったらキミが責任を取ってくれるかい?」
「無茶を言うなよ……」
エレノアは迷いなくそう言ってのける。その言葉の背後には、一体どれほどの想いがあるのだろう。本当にシャロンのことを大切に思っているのが伝わってくる。
「……君の覚悟は受け取った。かくなる上は、全力で事に当たらせてもらうさ。大事な君の主のためにもね」
「ありがとう。でも、本当に大丈夫なのかい?」
「確かに無茶な計画だが、無理ではない。ちょっとした
俺の作戦案を聞いたエレノアは目を丸くした。
「キミ、本気で言ってるのかい?」
「“読み”が外れる可能性はある。ただ昨日一日使って調べた結果を鑑みても、おそらくタイミングは来週、この日の夜に間違いない。ならばせいぜい利用させてもらうさ。なんたって、いざという時は《風の剣姫》様がバックアップしてくれるからな」
「無茶を言ってくれるね……でもまあ、その肝の据わりっぷりは嫌いじゃないよ。上手くいけば、伯爵閣下にだって堂々と報告ができる。それに一度、あいつには意趣返しもしてやりたかったしね」
真剣な目つきになって頷いたエレノアと握手を交わす。
「ミティオ。シェリーとボクの運命をキミに預ける。どうかシェリーに、新たな世界を見せてあげておくれ」
「任された。よろしく頼むよ、エレ」
固く拳を握りあって、俺たちは決意を新たにした。
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