16. 風の剣姫




 エレノアに連れられて、やって来たのは街の一角にあるうらぶれた小さな広場だった。下水道が近く、お世辞にも衛生面が良いとは言えない。幾人かの痩せこけた人影があるが、こちらを一瞥したきり興味無さそうに俯く。


 「人目につかない場所ってのは限られるからね。あまり気持ちのいい場所じゃなくてごめんよ」

 「いいさ、こういう場所だって慣れている。むしろ君のような人がこんな所を知っているとは思わなかった。ましてや、積極的に立ち寄るとはね」

 「治安や衛生は良くないけど、それゆえに家の者の目を盗むには丁度いいからね。自分で言うのもなんだけど、チンピラ連中なら相手にもならない程度には鍛えているし、隠れるにはもってこいなのさ。シェリーと出歩く時はわりと経由してたりするんだ」

 「伯爵令嬢と華の《剣姫》様がこういう場所の常連とは。親御さんに知れたらどうなることやら……」

 「こういう場所だからこそ、定期的な巡回が必要なんじゃないかな? 家の者の目が届かない場所をカバーするのもボクらの仕事だよ」

 「物は言いようだな」

 「ふふっ。全部、シェリーの受け売りだけどね」


 無駄に悪知恵が働くのは、あの不良令嬢様らしいところだ。


 「さて……ここなら多少暴れても問題ない。キミの実力を見せてほしい」


 早速といった風にエレノアは剣を抜いた。


 「訓練用の刃引きした剣じゃなくて、真剣でやるのか?」

 「相手を傷つけないだけの力量はあるつもりだよ。それに、やらなきゃ、その人の本質は理解できないと思うんだ」


 少女騎士はそう言って中段に剣を構える。騎士剣術としては特筆すべきことのない、ごく普通のシンプルな構えだ。

 だが、その一挙手一投足に無駄がない。洗練され、磨き上げられた手足の運び。それを見るだけでも、彼女の噂に違わぬ実力が見て取れる。


 「キミも剣を使うんだろう? どうか、立ち会いに付き合ってほしい」

 「……分かったよ」


 帽子を深く被り直して、俺はそう答えた。

 理屈や言葉では分からないから、剣に訊いてみる。剣士として───武術家としては、これ以上分かりやすい方法はない。彼女はまさしく生粋の騎士なのだろう。剣を交えてこそ初めて分かり合えるというその論理は、乱暴ではありつつも明快なものだ。

 いち剣士としての向き合い方に理解はできるし、俺もその考え方は嫌いじゃない。




 「チェレン」


 相棒の名前を呼び、黒い中折れ帽を取る。途端にその帽子は姿を変えて、黒狐猫のカタチを取ったかと思うと、俺の肩を伝って左手に収まった。

 そこに現れたのは漆黒の“刀”。鞘に納まったままでも、黒光りするその姿は美しさを感じさせる。


 「東洋のかたな! 聞いていた通りだね……」

 「これが俺の得物だ。本気でやると言うのなら、俺も真剣で付き合おう」

 「そうこなくっちゃ。それじゃ……いくよっ!」


 そう言うが早いが、まっすぐに距離を詰めたエレノアが斬撃を打ち込んでくる。


 「ハァッ!!」


 俺は刀の鞘でその剣を受け止め、鍔にひっかけて弾き飛ばした。


 「やるね……! こんな風に真正面から打ち返されたのは久しぶりだよ」

 「そちらこそ。男女の力の差を全く感じさせないとは、聞きしに勝る力量だな」


 《風の剣姫》の斬撃……思っていた以上に重い。無駄のない型通りの打ち込み、踏み込みのスピードと迷いのなさ。

 たった一合い切り結んだだけだが、それでも理解した。この子もまた化け物バケモノの類だ。およそ凡人では辿り着けない境地にこの歳で片足を踏み入れている。もしもこれが戦場だったとしたら、自分の命の保証ができない。


 「侮っていたつもりは無いけれども……手加減なんて考えない方が良さそうだな」

 「うん。これでも、騎士団の中でも片手で数えられるくらいの立ち位置にはいるつもりだからね!」

 「そうでもなければ、あの子の護衛は務まらない、と。恐れ入るよ。なら、俺もその覚悟に応えるしかないか」


 俺は切っ先を相手に向けて、上段に刀を構える。刀身は鞘に納まったままだが、それでも闘気は伝わったのだろう。エレノアも切っ先を下げて待ち構えている。


 「いざっ!」

 「くっ……!」


 思いっきり踏み込んで繰り出した渾身の突きは、まるで風に流されるように彼女の剣にいなされる。

 だが、単純な力勝負ではこちらに分があった。剣身もろとも突き崩せるほどの距離まで肉薄し、形勢不利を察したエレノアは後ろに飛び退いて距離を取った。


 「さすがの身のこなし、見事なものだ。だが、打ち合いではまだ優勢を貰えているかな?」


 畳みかけるように二発、三発と打ち込んでいく。

 彼女の剣筋は川の流れを思わせる隙の無い流麗なものだが、それ故に流れの中心となる結節点が存在する。そこを的確に突いていけば、流れを止めることは難しくない。


 「むむっ……やっぱり男の人は凄いね。ちゃんとした技量がある人が相手だと、純粋な力押しには敵わないな。ちなみに、刀を鞘から抜かないのはボクを気遣ってのことかい?」

 「いいや。決して侮っているわけじゃない。『刀を抜くのは、そこに“斬るべきモノ”がある時だけ』。剣を習った人からの教えだ。断じて俺は君を斬るつもりはない。たとえ試合であっても、刀を抜く理由にはならないさ」

 「……なるほど。良い師匠がいるみたいだね?」

 「ああ。幸運なことにな」


 昔、俺に剣術や体術を叩き込んだ人物がいる。謎の多い御仁ではあるが、彼の教えは俺の血肉になっている。

 剣という武力を身に帯びる以上、その力を無暗に振るうような人間になってはならない。力に溺れないためには、剣の使い方以上に剣を使わない方法を身に付けるべきなのだと。

 それに───この刀を抜くには、それなりの“代償”が要るしな。




 「キミの実力はホンモノみたいだね。なら今度は、ボクの実力もお見せしようか!」


 そう言った次の瞬間、目の前からエレノアの姿が

 いや……これは。


 「……上かっ!」


 気配を察して刀を掲げたのと、彼女の頭上からの突進が“着弾”したのはほぼ同時だった。


 「やあぁぁぁぁぁぁっ!!」

 「くっ!!!」


 落下の加速度と、彼女の全体重を乗せた渾身の一撃!

 俺は咄嗟に【障壁】を展開させて衝撃を受け止める。が、彼女の斬撃は半透明の防壁を容易く切り裂き、まるで大木に打ちつけた斧のように深々と刺さっていた。

 【障壁】が砕け散り、周囲に虹が舞う。


 「へぇ……この【障壁】、水をものすごく凝縮して作られているのか」

 「初見でそれを見抜くか。《剣姫》の異名は伊達じゃないな」


 【障壁】の魔法は以前俺がとある貴族から奪い取ったものだが、俺はそれに水の魔法を掛け合わせる形で改良して使用している。本来、俺が生まれ持って使えるのは水の魔法だ。やはりそのぶん扱いには年季が入っているのと、ただはじくだけでなく衝撃を受け流す・吸収する方向に作用させられないかと試行錯誤した結果、このような形に昇華させた。第一、ただ単に硬い壁にぶつからせてしまっては、ぶつかってきた彼女の方も危険だ。


 「まだまだ! ここからだよっ!!」

 「うおっ!?」


 エレノアが剣を掲げると、突如として暴風が正面から俺を襲う。

 圧倒的な風圧に思わず顔を覆う。なるほど、これが《風の剣姫》の名の由来っ!

 こう来たならば、次の手はおそらくこのまま……


 「ッ!!」

 「防がれたっ!?」


 目潰しと体勢崩しを兼ねた【暴風】の魔法に紛れて絶妙な角度で斬り込んできたエレノアの剣撃を、勘だけを頼りに刀の鞘で受け止める。

 弾かれたエレノアは目にも止まらぬ速さで飛ぶように距離を取ると、再び変則的な軌道で鋭い斬撃を打ち込んでくる。

 おそらく彼女の実家フォンティール家に伝わる風の魔法を利用して、人間の限界を超えた自由自在な動きを可能にした彼女独自の戦法に、純粋に称賛の気持ちが湧く。最初は彼女の剣は、伯爵家の護衛としての家柄と幼い頃からの習練に裏打ちされた型通りの正統な強さだと思っていたのだが……とんでもない。変幻自在の太刀筋に自由奔放な魔法による奇襲が組み合わさった、正しく型破りの実戦的な戦技だった。


 「ボクの全力に、ここまでついて来られるとはね!」

 「まだまだ年端もいかないうちからこの強さとは……恐ろしいな。というか、実力を試すとか以前に、純粋に楽しんでないか?」

 「そうだね、ここまで骨のある相手は久しぶりだったから! どこまでやってくれるのか、楽しみになってきたよ!」


 臆面もなく白状するエレノア。

 達人ってのは、これだから……


 「それにボクはシェリーの護衛だから。フォンティールはオースティンのまもり。誰よりもシェリーに信頼され、頼られなきゃいけないんだ。そのためには、他の誰にも負けない実力が要る。あの子を守るため、あの子をあの暗がりから救うために───」


 エレノアから放たれる【暴風】が、どんな大嵐よりも強烈な、まるで水流のように吹きつける烈風となって襲いかかる。


 「───ボクは、あの子の“お姉ちゃん”だからっ!!!」


 風龍の如く吹き荒れる爆風とともに、エレノアは裂帛れっぱくの気合いで啖呵を切った。


 「ったく……」


 どうやら俺は、この《剣姫》様に対抗心を燃やされてしまっているらしい。彼女には決して頼まれることのなかった“家出”の計画、それを打ち明け、助けを求められた相手として。その望みを一番叶えてやりたかったのは、そして真っ先に頼って欲しかったのは───




 「仕方ねぇ、付き合ってやる。それに、この気配……」


 先ほどから、強力かつ正確無比な風の魔法には驚かされてばかりだ。ここまで高度な魔法の存在。となると、恐らくは……

 全霊をかけて彼女から魔力の気配を探る。


 「…………、だ!」


 ニッと口元が笑ってしまう。

 こんな所で、魔法の“根源”たる精霊が見つかるとは!


 「いくよ……───ッ!?!?」

 「───悪いな」


 エレノアがさらなる暴風を纏い突撃しようとした矢先、俺は不意打ちのように鞘から刀を抜き放ち、彼女の真横の虚空を斬る。余波で僅かに切られた彼女の髪が数本、宙を舞った。




 「…………え?」


 吹きつけていた風が一瞬にして凪ぎ、エレノアは何が起こったのか分からないといった風に目をパチクリさせている。


 「っと。これで、文句は無いな?」


 呆けたエレノアの首元に刀の切先を突き付け、勝利を宣言。


 「……ボクの負け、か」


 潔く負けを認めて、《風の剣姫》は剣を下ろした。


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