15. 付き人




 「……まさか、ボクに気が付いていたなんてね」


 振り返った俺のすぐ後ろに立っていたのは、木の葉色の髪をなびかせた騎士装束の少女だった。シャロンのひとつふたつ上くらいの歳だろうか。背格好は年相応だが、小柄なシャロンと接していたせいか、幾分か高く見える。少女らしい高い声とは裏腹な男性口調も、不思議と耳馴染みが良い。


 「下町暮らしだと、どうしても気配とかには敏感になるからな。───まずは名乗らせて頂きましょうか。お初にお目にかかります、ミティオと申します。本日はシャロン・オースティン伯爵御令嬢にお目にかかる機会を頂きまして、誠にありがとうございます」

 「そんな堅苦しい挨拶は必要ないよ。正式な面会でもないしね。ボクはエレノア・フォンティール。フォンティール子爵家の長女で、シャロンお嬢様の護衛兼付き人をしている。よろしく、ミティオ・クレメントス男爵子殿?」


 所々に棘を含ませながら、エレノア嬢はあしらうように言った。

 頭に乗った黒帽子……に姿を変えた黒狐猫が、心なしか毛を逆立てる。───大丈夫、心配してくれるな。

 表面的には警戒こそすれ、不思議と彼女からは敵意を感じないのだ。


 「それは助かる。貴族のフリも楽じゃないからな。こちらこそ、《風の剣姫》エレノア様の噂はかねがね」

 「さすが、ボクのことも知ってるんだね」

 「ああ。というか、シャロンの話題となると、君の話も勝手について回るみたいだしな。市井いちいで彼女の噂話を集めていたら、自然と知ることになったってだけさ」


 フォンティール子爵家といえば、オースティン伯爵に仕える武の一門として有名らしい。特に女性の活躍が目覚ましく、伯爵家の女性要人の警護は代々フォンティールの子女が行ってきたという。

 それゆえ、シャロンの警護を行うフォンティール家の剣姫の話は、情報を集めているうちからほとんど一組セットで耳にしたのだ。


 「……貴族でもないキミが、ボクの目の前で主を呼び捨てとは恐れ知らずだね」

 「非公式な場だと言ったのは君だろう。それに、本人がそう呼べって言ったんだ。あの子、ありゃホンモノの女傑だぜ? 迂闊に逆らわない方が身のためってな。それとも、陰で『シャロン様』なんて呼んでるのがバレたら代わりに叱られていただけますか、エレノア様?」

 「そりゃ、彼女が優秀なのはボクが一番知ってるけど…………ああもう! 調子狂うなぁ」


 初めこそ警戒心を露わにしていたエレノア嬢だったが、根負けしたのか、やりづらそうに額に手をやり吐き捨てる。葛藤もあったようだが、やがて諦めたようにため息をついた。


 「はあ、もういいや。シェリーのことは呼び捨てなのにボクにだけ丁寧に接されるのも変だもんね。ボクも堅いのは苦手だし、まだるっこしいやり取りは好きじゃない。ミティオって呼んでいいかい?」

 「話の分かる貴族様で何よりだ。なかなかどうして気が合いそうじゃないか、エレノア嬢」

 「はいはい、光栄に思っておくよ」


 彼女は苦笑しながら素っ気なく肩を竦める。「シェリーもなんでわざわざこんなことを……」と、思わず呟いたであろうボヤきも聞こえた。「シェリー」というのはシャロンの愛称だろう。主従とはいえ、同年代ということもあって気心の知れた関係のようだ。

 それゆえに、お転婆な主人に対する嘆きには実感がこもっていた。その響きが妙に真に迫っていたせいか、思わず同情心も芽生えてくる。


 「いや……なんというか申し訳ない。生真面目そうに突っかかってくるから、つい。どうやら、常日頃から主人に振り回されているみたいだな?」

 「あはは、そうだね。お察しの通りだよ。表舞台に立つことは少ないけど、ああ見えて何かと型破りな子だから。キミも早速振り回されているみたいだし」

 「ああ……」


 彼女の主、シャロンには俺もつい今しがた無理難題を押し付けられたばかり。そんなシャロンにいつも付き従っているというのだ。彼女の気苦労は察するに余りある。




 「はぁ。さてと、もう取り繕っても仕方ないから、腹を割って話させてもらってもいいかい? キミがずいぶんシェリーから信頼されているのは分かったけど、流石にボクはまだキミを信用できない」

 「まあそれはそうだろう。俺だって彼女とは昨日知り合ったばかりだしな。信用されてるとは思っちゃいないし、信用するわけにはいかないのも理解しているつもりだ」

 「うん。ボクは彼女の護衛だし、補佐でもあるからね。小さい頃から一緒にいたし、あの子のことを守るのはボクにとっての最優先事項だから。だけど……」


 サッと少女騎士の表情が変わったかと思うと、彼女はおもむろに頭を下げた。




 「……ありがとう。シェリーを、あの子を守ってくれて。本来はボクが付いていてお守りするべきだったのに。本当は屋敷を抜け出すことだって止めなきゃいけなかったのに、それどころか一緒になって抜け道を探したり口裏を合わせたりして、脱走の手助けをしてしまっていた。キミのおかげで彼女はこうして無事に帰ってきてくれたんだ。もしキミがいなければ、今頃シェリーは……。だから、本当にありがとう」




 深々と頭を下げ、エレノアは搾り出すような声で涙をにじませながらそう言った。長い髪が痛々しく乱れ、切実な想いが伝わってくる。


 「……頭を上げてくれ。俺が居合わせられたのはただの偶然だ。それに、下心が無かったわけじゃない。俺は俺の目的があって彼女に接触しようとしていたんだ。本当なら感謝される筋合いはないさ」

 「うん。だけど、やっぱりキミがシェリーを助けてくれたのは間違いないから。例の《死神》から守ってくれたのもそうだけど……一昨日シェリーが帰ってきた後、伯爵閣下と父上にこっぴどく叱られたよ。でもその後にね、部屋でシェリーが話してくれたんだ、キミのことを。『わたしのことを助けてくれた、強くてちょっぴり変な人』って」

 「変な人、ねえ……。一昨日がアレだっただけに否定はしづらいけども」

 「あはは、色々あったみたいだね。でもあんなに楽しそうに、キラキラした顔で話してくれたのは初めてだったな。ずっとこの屋敷に閉じ込められて、使用人たちにも『白髪姫』なんて陰で言われながらいつも暗い顔をしてたんだ。毎日鏡の前で泣きそうになりながら髪をまとめて、屋敷の中でもずっと帽子を被ったままだった。なのに、昨日の朝は違ったんだよ? 『ねえ、わたしの髪って、キレイ……かなぁ?』って。あんなにも泣きそうになったことなんて無かったよ」


 熱のこもった口調で語るエレノアを見て、思う。

 おそらく彼女は、シャロンにとって実の姉とはまた違った意味で姉のようなものなのだろう。それゆえにシャロンが不憫な立場に置かれ、傷つけられていることにエレノアは心を痛めていた。だからこそ抜け出すのも手引きしていたのだろうし、ようやく少しでも前向きになれたシャロンを見たときの感慨はひとしおだったに違いない。


 「広場の手紙を隠したのはやっぱり君だったんだな」

 「うん、その通り。素性の分からない男を招き入れるのには不安もあったけど、それ以上に直接この目で確かめてみたかったんだ。たった一晩であの子を変えた、キミのことを」

 「なるほどねえ。意外だったろう、パッとしない見た目なのは自覚してるし」

 「パッとしないかどうかはともかく、案外まともそうな人で安心したかな。もちろん、その、シェリーを手籠めにするような真似は許さないけどね」

 「それは無いから安心しろ。六つか七つは歳も離れてるしな」

 「へえ、ということは……20歳?」

 「計算が早いな。思ったより若いだろ?」

 「キミが自分の見た目を幾つくらいに思っているかは分からないけど、意外というほどではないよ。むしろ、もう少し近いかと思った」

 「そうなのか? いつも老けてるだの古臭いだの言われてるから実感が無くてなぁ……」


 うちの家主モニカは事あるごとに俺を罵倒してくる。頭が固いだとか考え方が古臭いなどと言われ続けたせいか、どうにも老け込んだ気持ちになってしまうのだ。


 「ふふ……。キミにはボクの妹分を助けてくれた恩がある。こうして話していても、邪心があってあの子に関わっているわけじゃないんだってことは分かるよ。シェリーの計画───ボクとしては止めるべきなんだろうけど、本音を言えば手伝いたい。ずっとこの家にいて、退屈な毎日を過ごすよりも……シェリーにはもっと輝ける場所があるはずなんだって、ボクは思ってるから。でも……」

 「やっぱり不安は拭えない、か。当たり前だよな。一昨日、明確に狙われたばかりなんだから。何処の馬の骨とも判らない人間が、守るべき主人に近づいているんだ。疑り深くもなる」

 「うん……でも正直なところ、ボクに他人の悪意やはかりごとを見抜けるほどの観察力は無い。ボクに出来ることは……これくらいだ」


 そう言ってエレノアは腰の剣に手を触れる。


 「ミティオ。一度、キミと剣を交えさせてほしい。ボクはただ剣に問うてみることしかできないんだ。キミに、シェリーを預けられるだけの力があるか。キミが成そうとしていることがどれほどのものか、それだけの覚悟があるのかどうかを」


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