14. 犯行計画




 「こいつは、大変ことになったぞ」


 オースティン伯爵家の屋敷。その城壁の見張り台にひとり残された俺は、思わずそう呟いていた。





 ついさっき、シャロンから言われたこと───


 『わたしを奪ってくれませんか?』


 名家の子女におよそ似つかわしくない豪胆さを持つ彼女だが、先程の提案はさらに度を越して非常識を極めていた。


 『火の魔法を解き明かし、誰でも使えるようにする……それって、見方によっては伝統貴族から魔法の火を“盗む”ことだと思うんです。だったら、わたしごと盗んでもらった方が早いかなと』

 『そうかもしれないけど、流石にそれは……!』


 よりにもよって、貴族令嬢たる彼女を誘拐しろという依頼。


 「無茶振りにも程があるって話だよなぁ……」


 何度思い返しても、ため息が出るのを堪えきれない。




 『そもそも、“火の魔法”は人々に魔法の恩恵をもたらす魔力の源泉。王族を含め、この帝国の魔法技術の根幹をなす旧家の権益です。それを手に入れるというのなら、相応の対価が必要なのではないですか?』

 『だからって……その旧貴族全体の権益を、自分一人の家出のために差し出すってか。大したお嬢様だな』

 『ええ。わたし、こう見えて我儘わがままな不良令嬢なんですよ? あなたは火の魔法を手に入れ、わたしは家から連れ出されて自由になれる。どちらにとっても得のある持ちつ持たれつの取引だと思いますけど』


 たしかに、火の魔法を得るためには彼女と直接会うことが必要で、そう簡単に接触できない立場だということを考えれば理にかなっている部分もある。家に居づらさを感じている彼女の事情も踏まえれば、この策は一挙両得、お互いに益のある提案だと言えなくもない。

 だが───その益に対して、俺の側のリスクがとんでもなさすぎやしないだろうか?

 高位貴族の令嬢の誘拐……もしバレて捕まれば極刑すらあり得る。仮に彼女が同意の上での狂言誘拐だと証言してくれたとしても、信じられるかどうかは怪しい。もしも伯爵が、よくも娘によからぬ事を吹き込んでくれたなと詰め寄ってきたらどうするのか。東街区の皆の生活がかかっているとはいえ、俺だって命は惜しい。天涯孤独の身の上とはいえ、心配してくれる家族はいるのだ。


 『それに、お父様にバレるのはどのみち時間の問題なんじゃないでしょうか? 流石に短い期間に何度も何度も抜け出したら、いくらお父様でも不審に思うでしょうし』

 『それはそうだけども……何がなんでもこっそり会わなきゃいけない理由はないんだがな。ほら、これでも俺は男爵家の三男坊なわけだし』

 『あら。男爵家の、しかも嫡子でもないお方が先触れアポイントメントも無しに東部三伯たるオースティン伯爵家に立ち入れるとお思いになって? 火急の用事でもなければ、少なくともひと月前にはご連絡を頂かないと、お茶のご用意もできませんわ』


 わざとらしく高飛車な態度を取ってみせるシャロンだったが、その様はいかにも悪徳貴族といった感じで中々堂に入っていた。


 『それに、わたしもまだまだ未熟な小娘ですから、ミティオさんのことも父の前で口を滑らせてしまうかもしれませんね?』

 『こ……この子は……』




 一転、小悪魔じみた笑みで脅迫してくる彼女に、俺はついに首を縦に振ってしまったのだった。

 世間知らずのお嬢様に見えて、その実やけに演技派で悪知恵の働く末恐ろしい子だ。表舞台に立てば、権謀術数の渦巻く政治の世界でも十分にやっていけるのではないだろうか。


 『はぁ、全く。人の良さそうな顔して、可愛げも油断する隙もない。それに、言い回しも一々大胆だしよ』

 『言い回し?』


 何のことか分からないといった風にキョトンと首を傾げるシャロン。


 『なんたって、“わたしを奪ってくれませんか?”だからな。年端もいかない女の子が、若い男に対して臆面もなく言ってのけるんだから大したもんだ』


 そう言われた瞬間、シャロンの顔がボンッと音を立てて沸騰した。


 『なっ、な、なぁっ……!?』

 『“あなたと一緒にいたい。だから奪ってほしい”だっけな? いやあ、貴族様は色々と進んでいらっしゃる』

 『ち、ち、ちがいますっ!! それは、決してそういう意味じゃ……!!』

 『ほぉ……“そういう意味”とは、どういう意味ですかい? 学のない庶民にも分かるよう、是非説明してくれたまえ』

 『そっ、それは……ううう~~~~~!!!』


 その後は羞恥心に耐えかねた彼女にポカポカと叩かれまくった。うーうーと恥ずかしがりながらも、どこかおっかなびっくりな様子の甘え方は、見ていて少し不安になる気がした。彼女には、あんな風に気兼ねなく冗談を言い合える相手がいるのだろうかと。

 なんだかんだ言って、結局は彼女も中身は年相応の少女なのだろう。それだけに、この家の鬱屈した環境に居続けるのは彼女にとって好ましいことではないのも確か。




 『もう……これが、“予告状”です』

 『予告状?』

 『これくらい芝居がかっていた方が、かえって警戒をさせなくて済むかなって……』

 『ほう。……はは、『グラン・ロゼッタの怪事件』の犯人の手口か。たしかに、予告状の内容で誤解ミスリードを誘い、君が内部から手を打ってくれたら隙を突ける可能性は高いな』

 『はい。手口はあなたにお任せしても?』

 『簡単に言ってくれるね……───分かった、やってみよう。上手くいかなくても怒るなよ? 実行は、そうだな……1週間後、満月の日の夜に』

 『その日は、お父様たちはオルドラン子爵邸で夜会パーティーが……なるほど、その隙を突くんですね?』

 『そういうことだ。ま、こんな予告状が来たらパーティーに出掛けるどころじゃなくなるかもしれないが』


 予告状を目標ターゲットの元に送りつけるというやり方は、探偵が活躍するある有名な娯楽小説で出てきたものだ。探偵と、宿敵ライバルとなる稀代の大盗賊の対決を描いた人気小説だが……

 その予告状の内容を確認した俺は、思わず苦笑してしまった。


 “さて、手前どもは畏れ多くも今宵、御家の至宝たる麗しの御令嬢と、大いなる火の魔法を頂戴しに参上致します”


 「令嬢」という言い回しは、シャロンよりも彼女の姉であり《紅蓮の令嬢》と仰々しく呼ばれるリアナ・オースティン様を想像させる。勿論シャロンとて令嬢であることは間違いないのだが、姉と対比するかのように《白の娘》と呼ばれ、社交において居ないもの扱いされている節すらある彼女から目を逸らさせるには十分。

 そして、「他の物には一切手出ししない」か。これに乗じて金目のものを失敬しようなどとは思ってもいないが、わざわざ念を押すように書き入れるあたりに彼女の育ちの良さが感じられた。

 何にせよ、思った以上にノリノリで準備を進めていたらしい。やっぱり、元来こういったイタズラ好きな性格なんじゃないだろうか。




 『───もし見つかりそうになったりしたら、わたしのことは構わず全力で逃げてください。わたしのせいで、あなたにもしものことがあったら……。万が一のときは、わたしがお父様に説明します。全部、わたしが悪いんだって。あなたが本当に危険な目に遭うようなことがあったら……その時は、わたしの懸けてでも助けますから』


 シャロンがそう言った時、それまでと違って彼女の目に浮かんでいたのは純粋な不安と恐怖。彼女は、白髪の忌み子の言い伝え───伝説に残る《白い髪の魔女》の如く、白髪の子供の周りには不幸が訪れるという迷信ジンクスを心のどこかで信じてしまっている。呪われた白髪の子供である自分は、たとえ望まずとも周囲の人間を不幸に巻き込んでしまうのだと。


 『大丈夫だ。少なくとも、死ぬようなヘマはしないさ』


 俺は、あえて軽い調子でそう答えて、心配するなと彼女の頭をポンと叩いた。

 今回の大仕事を達成して、そのような迷信、何の根拠もない世迷い言なんだと証明してみせる。

 お節介かもしれないが……少なくとも、軽くはない危険リスクを背負ってでも請け負う理由は見つかった。





 それから、「そろそろお姉様にも抜け出してきたことがバレるから」と言って、シャロンはそそくさと見張り台を後にした。

 そうしてひとり残された俺は、この見張り台からこっそり屋敷の様子を窺いつつ、改めて与えられた難題に向き合う。この街の最高権力者の御令嬢の、狂言誘拐という大難題。これまで手掛けてきた“仕事”の中でも過去一番の大仕事だろう。

 幸い、手立ては思い付く。昨日の一件で思わぬ収穫もあったことだし、勝算は充分ある。それに……今回の事件、の夜がカギになるという、確信めいた予想があった。

 難しい問題だが、やるしかない。気合いを入れ直そう。


 「さて、やると決まれば早速動き始めたいところだが……」


 と、ひと段落したところで、俺はようやく後ろの人物に声を掛ける。




 「それで。かかって来るなら、手短に頼むぜ?」


 敵意と警戒心を隠せないその視線の主に、内心ため息を吐きながら俺は後ろを振り返った。


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