13. 鳥籠の館




 「まさか、こんなことになるなんてな……」


 満月の下、オースティン広場の時計台から月の光を照り返して浮かび上がるオースティン伯爵邸を見上げながら、俺はボソリと呟いた。

 夜空に煌々と浮かんだ月の光を浴びて、堀の水面に濡れたように荘厳な姿を映す屋敷と城壁を見て、思う。

 その姿は、なぜかどこか鳥籠を彷彿とさせる。この街一番の貴族の居城であり、彼らの毎日を守る砦……だが今は、小さな白い小鳥を閉じ込めるための檻のように見える。


 「これも必要な仕事、なんだろうな」


 籠に閉ざされた小鳥を───そしりと偏見に縛られた、ひとりの少女を解き放つ。

 今回の“依頼”。困難ではあるが、価値のある仕事だと思った。



 しかし、まさか天下のオースティン伯爵家の城館に忍び込む羽目になるとは。

 肩に乗った黒い相棒───黒狐猫のチェレンが「自業自得」とばかりにフンッと鼻息を鳴らした。今度ばかりは俺のせいじゃないと思うのだけれど。


 「まあ、今更どうこう言ったところで仕方ないか。チェレン」


 俺が名前を呼ぶと、黒狐猫の身体が溶けたように広がり、俺の身体を包む黒衣マントに姿を変えた。


 「……行くぞ」


 そしてもう一人の相棒が作ってくれた一品、顔を口元以外隠す半仮面ドミノマスク型の魔法具を身に着けると、俺は勢いよく時計台を




◇ ◇ ◇




 さかのぼること一週間。

 シャロン様との出会いから二晩の後、再会を約束していた彼女と会うために再びオースティン広場を訪れた俺は、すぐにに気付いた。


   “裏口”より右手に曲がり、行き止まりの階段をのぼってください。───悪い大人に誑かされた悪い娘より


 綺麗で丁寧な字で書かれたその手紙は、広場の片隅にある木の陰に隠されていた。





 「あ……っ……」

 「やあ、お待たせしましたね」


 街の中心だけあって、昼のオースティン広場は人で溢れかえっていた。そんな広場を見下ろせる、オースティン伯爵邸の外壁。裏口の扉は開いていて、見張りの目を掻い潜りつつ手紙に書かれていた通りにのぼった階段の先に、見張り台として造られたであろう小さな空間があった。そこに隠れるようにして、小さな令嬢は俺を待っていた。俺は頭の黒帽子を取って会釈をする。

 彼女は今日は外出をするつもりがないからか、一昨日よりもさらにお嬢様感の強い装いをしている。決して華美なものではないものの、主張しすぎない程度にフリルやリボンがあしらわれたドレスは彼女の可愛らしさを際立たせている。そして……


 「今日は帽子をされていないんですね」


 今日の彼女はつば広の帽子を被っておらず、髪を束ねてまとめ上げてもいない。左に小さく飾り括りをしてあるが、その長い白髪は川のように流され、繊細に風に吹かれて揺れていた。


 「その、一昨日あの子にあげてしまったもので……」

 「やはり、髪は解いていた方が綺麗ですね。お似合いです」

 「あ……ありがとうございます……」


 恥ずかしがりながら俯く少女。だが前髪はどこか嬉しそうにぴこぴこ跳ねている。白髪の子供は不吉の象徴と言われるが、清楚で可憐なこの姿を見るにつけ、おおよそ不吉さなど感じない。黒を基調とする落ち着いた服装が、却ってその髪の美しさを引き立たせていた。


 「まさかあんな手紙で呼び出しを受けるとは思いませんでしたよ。あんなことがあったばかりなのに、よく抜け出してこられましたね?」

 「勿論。約束しましたから」


 一昨日、改めて彼女を屋敷に送り届けた際、二日後の朝にこの広場に来てほしいと告げられた。どうやってコンタクトを取るつもりかと思っていたが、こんな形で呼び出されるとは。

 あの場所に手紙を隠せたということは、密かにまた屋敷を抜け出してあの場所へ行ったということ。命を狙われたというのに豪胆なものだ。危機感が無い、というわけではないだろうが……


 「実は、わたし自身があそこに出向いて手紙を仕込んだ訳ではないんです。わたしの信頼する、とある人にお願いしました」

 「ほう」


 考えてみれば当たり前か。貴族ならば何もかも自分でしてしまわず、他の者に任せるのは至極当然のこと。貴族とは即ち為政者であり、他の人間にもできる仕事は極力任せ、重要な意思決定や外交に専念するのが貴族としての基本的なやり方スタンスだろう。むしろ、人使いの上手さこそが貴族の実力と言っていい。


 「しかし、大丈夫なのですか? 内容が内容だけに」

 「大丈夫です。人の手紙を勝手に読むような子ではありませんから」


 とはいえ、親に言えないような密会の手紙を人任せにしたその心胆には驚いた。この子の行動力からすれば、家の者の目を盗んで自分で動く方が性に合っているだろうと思っていたからだ。

 お忍びの外出で出会った何処の馬の骨とも知れない相手への置き手紙など、普通の感性なら躊躇するものだろう。どこまで話しているのかは分からないが、父親であるオースティン伯爵に報告されてしまえばただでは済まされない。この子も、勿論俺も。

 だが、彼女は問題ないと胸を張って太鼓判を押した。よほど信頼しているのだろう。おそらく───先ほどから感じている、この視線の主のことを。




 「……ところで、ミティオさん? 言葉遣いが元に戻っているような気がするんですけど」

 「あー……それはほら、流石に相手が伯爵令嬢様ですし? 無理もないことかと思うのですが」

 「無用です。初めての、身分に関係のないお友達なんですよ? 変に委縮させるような呼ばれ方をしたくないです」

 「そうは言っても、親しき中にも礼儀ありとも言いますし」

 「過ぎたる礼は無礼とも言いますよ? わたしが良いと言っているのですから、それを断り続けられるのも困ります」

 「というかそもそも、シャロン様の方こそ敬語のままですが。直すべきだというのなら、まずはそちらからでは?」

 「わたしは良いんです。年上の殿方が相手ですし、わたしにとってこういう喋り方はごく当たり前のことですから。でも、あなたにとってはそうではないんでしょう? 『堅苦しいのは苦手』だっておっしゃってましたし」

 「むう……」


 なかなか手強い。見られている手前、下手に心証を悪くするようなことはしたくないのだが、彼女の強情さに押し切られてしまう。

 見た目通りまだ年端も行かないだろうに、既に口八丁では敵わない気がする。流石は伯爵家、教育がしっかりしていると納得すべきだろうか。


 「……見かけによらず強情なお嬢さんだよ」

 「だとしたら、両親のおかげですね。お父様は他貴族の反発にも負けずに東部地域の改革に余念のない方ですし、お母様との結婚も周囲の反対を押し切って成し遂げた鋼の意志の持ち主ですから。お母様も、いざという時はそのお父様ですら勝てないほどに頑固な人だったみたいですし」

 「……そうか、君のお母さんは……」


 彼女の含みのある言い方に、俺はつい言葉を失った。

 今回の件に際して、シャロン様───もとい、シャロンについての情報は入念に調べた。彼女の“髪”についての噂もそうして得られたものだが、その他にもゴシップの類は色々と耳にしてきた。その中のひとつが、彼女の母親がということ。


 「すまない、触れるつもりは無かったんだけど……」

 「いえ、大丈夫です。小さい頃の話ですし、シリルお母様もわたしにとっては大切な“お母様”です。気にしないでください」


 彼女の父、カミラス・オースティン卿には奥さんが二人いる。一人は彼女の母親でもある、帝都の伯爵家出身のアリシア・オースティン夫人であり、7年ほど前に亡くなっている。そしてもう一人のシリル夫人は東部の移民の血を引く新興貴族の出身で、シャロンの姉と弟はこの夫人の子だという。

 一夫多妻もままある貴族らしく中々に複雑な家庭環境だが、家族関係は良好なようだ。


 「シリルお母様は、功績を挙げて貴族に取り立てられた元・東方移民の男爵家の出。それだけに、移民への待遇の悪さには心を痛められています。わたしも昨日この目で見るまでは実感しづらいところがあったのですが……あんなに酷い差別が行われているとは知りませんでした。改革を進めるお父様にも納得です。ですから」


 シャロンはぐぐっと身体を前のめりにして言った。


 「わたしも、積極的に協力します。この街に暮らす移民の方々にも、“魔法の火”を! お父様やお母様のためにも、ーたしはわたしに出来ることをしたい。そのためには、あなたに協力するのが一番の近道だと思うんです」

 「近い近い! ……ふう。心意気は買うけれども、そう簡単には行かないぞ? まず、君が何者かに狙われている現状では、俺が不用意に接触するのもマズい。どんな奸計が巡らされているか分からないし、もしかしたら俺が敵の手先かもしれないだろ?」

 「あり得ません! ミティオさんは、わたしを助けてくれました」

 「さて、どうかな? 俺が奴らと共謀して、君の信用を得るために一芝居打った可能性も無くはない。それに、肝心なのは君自身がどう思ってくれているかじゃない。君を守るべき人達がどう捉えるかだ。命すら狙われたお嬢様に近づく怪しい男。これを放置するようでは伯爵家の警備はザルとしか言えないだろう」


 俺とて、それを理解しているからこそを受け入れているわけで。そうでなければ、監視された状態で暢気のんきに会話するような真似をしたくはない。むしろ、さっさと襲い掛かって来てくれた方が遥かに気がラクだとさえ言える。


 「大丈夫です。家の者はわたしのことなんて気にも───しっ、隠れて!」


 急に彼女に頭を押さえられ、柵の陰に身を隠す。


 「おじょうさま~? シャロンお嬢様~! どこに行かれたのですか~!? ……まったく、一昨日に引き続いて今日も。なんで私が、あんなお転婆の白髪姫を探さなきゃ……エレノア様も付き人のクセに……ブツブツ」


 なにやら呟きながら、若いメイドらしき女性が中庭を歩いて去っていった。


 「……わたしは、家でもあんな扱いなんです。父やお姉様は良くしてくれていますけれど、使用人たちからは“白髪姫”と陰で囁かれたり、怯えられたり……」

 「なるほど、なかなか深刻だ」


 ほとんど屋敷から出られないのに、身近で世話をする人間がこれでは……彼女の心労は察するに余りある。


 「だからこその、あなたなんです。この家にとってわたしは居ても居なくても同じ。いいえ、むしろ手がかかる分だけ厄介だと思っているかも。だったらわたしは、わたしを必要だと言ってくれたあなたと一緒にいたい。だから───わたしをくれませんか?」

 「は……?」


 この街一番の令嬢からの大胆な“お願い”に、俺は気の抜けた声を漏らすことしかできなかった。


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